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Thursday, 31 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 江東の群像 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち、「江東の群像」を書く。

展示室のメインケースの右隣のケースが「江東の群像」のケースになつてゐる。
左から貞姫、呉国太、喬国老、孫権、諸葛瑾、黄蓋、闞沢、周瑜、陸遜、魯粛の順に並んでゐる。
貞姫から諸葛瑾までがひとかたまり、黄蓋から魯粛までがひとかたまりになつてゐる。

貞姫は右を向いて立つてゐる。なんだか可愛い。
はじめて飯田に行つたときも、貞姫は可愛かつた。そのときは長刀を手に勇ましい立ち姿で、「貞姫つてこんなに可愛かつたか知らん」と失礼ながら思つたものだ。
その後何度か見てゐるが、はじめて見たときの可愛さを超える貞姫にはお目にかかれなかつた。
今回はいい線いつてゐるのぢやあるまいか。
前回の貞姫はかなりうつむいて立つてゐた。なにかひどく深刻さうな感じだつた。
今回はさういふ深刻さはない。
それで可愛く見えるのかもしれない。

呉国太は高いところから貞姫を見てゐる。
いつも書いてゐるやうに、人形劇で見るときの呉国太は芯の強いちよつと怖い感じの女の人だが、飯田で見る呉国太は福々しくてやさしい女の人に見える。裕福ないいお育ちの人といつた感じだ。
今回もさうなんだけれども、実は今回はちよつと人形劇のときとおなじやうな印象を受けた。
強さう、といふか、気がきつさう、といふか。
貞姫を見る目が怖いといふのではないんだけれどもね。

呉国太の隣には喬国老が座つてゐる。いつもは孫権の座つてゐる椅子に腰掛けてゐるのだらう。
喬国老も貞姫を見てゐる。
これもいつも書いてゐるやうに、喬国老は人形劇で見るととても人のよささうなお爺さんなのだが、飯田で見るときは喰へない親爺に見える。
今回もそんな感じだ。
喬国老がそんなだから大抵は隣にゐる呉国太がやさしげに見えるといふことはあると思ふ。

孫権は今回も立つてゐる。
立つやうになつたのかー。
飯田歴はそんなに長くないやつがれが、立つてゐる孫権をはじめて見たのは前々回のことだつたと思ふ。
いやー、よかつたねえ、あの孫権は。
衣装も武人のそれで、やうすがよかつたんだよねえ。
今回は孫権といへばこれ、といひたくなるやうな、つやつやした緑色のあざやかな前垂れのついた衣装である。
顔は右にゐる諸葛瑾に向けてゐる。
なにかしら諸葛瑾に話しかけてゐるやうすだ。
なにを話してゐるんだらうねえ、といふのは、今回の展示でとくに感じることではある。
ここは貞姫絡みのことなのだらうか。
それとも、孫権と諸葛瑾とは全然別なことを話してゐるのだらうか。
時折、ものすごく厳しい表情の孫権を見ることがあるが、今回はそんなことはない。
至極穏やかなやうすで諸葛瑾を見てゐる。
やはり貞姫のことを話してゐるわけではないのかな。

諸葛瑾は孫権を見てゐる。
なにかに似てゐるなーと思つたら、前回のヒカリエの展示がこんな感じだつたからか。
ヒカリエの展示では孫権と諸葛瑾との間がちよつと離れてゐたが、今回の飯田の展示ではふたりはもつと近い位置に立つてゐる。
遠いとよそよそしく見えるよな、どうしても。
飯田の諸葛瑾といふとなぜかいつも苦悩の表情を浮かべてゐるやうな印象が強いのだが、前回今回と落ち着いたやうすで立つてゐる。
安心する一方で、なんとなく物足りない気もする。

黄蓋、闞沢、陸遜、魯粛は周瑜を取り巻いてゐる。
黄蓋は、前回の展示ではよくわからなかつたガラスの目玉が今回はよくわかるやうになつてゐる。光線の加減によつて目が輝くからだ。
黄蓋と黄忠とは人形劇ではよく似てゐるといふ印象がある。
今回のやうにふたりともに展示されてゐると、その違ひがよくわかる。
黄忠は先日書いたやうに穏健な感じだが、黄蓋は見るからに頑固一徹な感じだ。
かういふのつて実際に見てみないとよくわからないことだつたりするんだなあ。

闞沢は、右斜め上にゐる周瑜を見上げてゐる。
なぜか、周瑜のことを疑つてゐるかのやうに見える。
よくよく見ればそんなことはないんだけれど、といふよりは、「そんなことはない」と自分に云ひ聞かせてみた、といふのが正しい。
なんでそんなに疑はしげなやうすに見えたのかなあ。
謎である。
これはもう一度行く機会があつたら是非確かめてみたい。

周瑜は、四人に取り巻かれて、ちよつと高いところに立つて左の方を睨んでゐる。
実は今回の周瑜にはピンとこない。
なんだかそんなにステキに見えないのだ。
前々回は小喬と見つめあふやさしげなやうすがよかつたし、前回はうつてかはつて厳しいやうすでよかつたんだけどなー。
いや、前回前々回だけに限らない、ゐるときはいつもいい男なのが周瑜なんだがなあ。
をかしいと思つて何度も周瑜の前を右往左往してみたけれど、どうも「これ!」といふ角度を見つけることができなかつた。
これも再会する機会があつたら確かめたい点である。

陸遜は、左上にゐる周瑜を見上げてゐる。
闞沢とは正反対に周瑜のことを信頼してゐるやうに見える。
「私にお任せを」と云つてゐるかのやうだ。
人形劇でも陸遜はいい人だ。
前身が勝傑だからなんだか悪い人のやうに感じてしまふのは、こちらの問題だ。
人形劇では呂蒙が悪過ぎたので、陸遜がいい人に見えるのかもしれないなあ。
かうして見ると、勝傑もそんなに悪い人ではなかつたのかもしれない、といふ気もする。
もしかしたらほんたうに勝平のお父さんだつたんぢやあるまいか、とかね。

魯粛は一番右端の高い位置にゐる。
ちよつと離れてゐるせゐか、黄蓋から陸遜までの全員を見渡してゐるやうな感じがする。
傍観してゐる、といふかね。
実際はちよつとうしろに控へてゐるといふだけかもしれない。
魯粛は、人形劇では初登場時とその後とでだいぶ人格が変はる。
周瑜亡きあとは表に立つので悪巧みも魯粛の持ち分といふことになるからだ、とわかつてはゐても、なんだか魯粛が可哀想な気分になる。
今回の魯粛は人形劇でいふと赤壁前といつたところかな。
穏和で積極的に悪いことはしない人のやうに見える。

以下、つづく。

紳々竜々と黄巾の乱はこちら
「宮中の抗争」についてはこちら
連環の計についてはこちら
「玄徳の周辺」その一はこちら
「玄徳の周辺」その二はこちら
「曹操の王国」その一はこちら
「曹操の王国」その二はこちら

Wednesday, 30 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 曹操の王国 2015 その二

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち、「曹操の王国」のつづきを書く。

ケースの左側には、右から程昱、曹操、郭嘉、荀攸、荀彧、仲達の順に並んでゐる。
今回は曹操が実によくてね。
飯田でやつがれが見たことのある中では一番いいかもしれない。

程昱は左上方を見上げて立つてゐる。
視線の先には曹操がゐる。
程昱、最近かういふアングルが多いな。
程昱自身は横を向いてゐて、こちらからは横顔しか見えない、みたやうなアングル。
何度か書いたやうに、程昱の横顔はどことなく穏やかですつきりして見える。
人形劇で見てゐたときには小狡い齧歯類系の顔だなあと思つてゐたんだけどなあ。
飯田でも正面から見ると人形劇のときの面影がある。小狡い齧歯類系だな、と思ふ。
でも横顔は違ふんだよなあ。ふしぎ。
人形劇を見てゐたときには、人形の横顔を意識することがなかつた。
それで、姜維のやうに横顔はえらく凛々しくてやうすがいいなと思ふ人形もゐる。
程昱もその口だなあ。

程昱の左やや後方高いところに曹操がゐる。
椅子に腰掛けて、目は左側に立つてゐる郭嘉を見てゐる。
この曹操の表情が大変すばらしい。
曹操は、献策をしてゐるのだらう郭嘉をちらと見上げてゐる。
ちらと見上げてゐるといつたやうすなのだが、明らかにちやんと郭嘉のことばを聞いてゐる。
そんな風に見える。
目は左に寄せてゐるのに、陰険さうなやうすは微塵もない。
目が横を見てゐると、悪人めいた表情になりがちなのにね。とくに曹操はさうだ。
前回も書いたし、何度も書いてゐるやうに「曹操の王国」のケースには女つ気がまるでない。やつがれが見たことのある回はいつも野郎ばかりだ。
それでゐてなぜか「曹操の王国」のケースが一番華やかだつたりする。
それはこのケースがまさに多士済々といつたやうすで、文武百官が、綺羅、星の如くゐ並んでゐるからだと思つてゐる。
人材マニアの曹操の面目躍如。
今回の展示でもまさにそんな感じがする。

郭嘉は、右側にゐる曹操に向かつて熱心になにごとか話しかけてゐる。
曹操になにか訊かれて答へてゐる、といふよりは、郭嘉からなにごとか策を献じてゐるといつた印象を受ける。
それは、上にも書いたやうに曹操の状態が穏やかでやや受け身に見えるからだらう。
郭嘉は、我が家では「いい男」といふことになつてゐた。これも何度か書いてゐる。
渋谷で見ても実にいい男だ。
ところが、飯田で見るとそれほどでもないことの方が多い。
なんといふか、貧相なのである。
よくよく人形劇を見てみると、初登場のころはそんなによくは見えない。
おそらく、話が進につれて操演の方が「郭嘉はかくあるべし」といふのでいい男のイメージで遣ふやうになつたんぢやないかなあ。
今回の展示の郭嘉がいい男に見えるのは、曹操がいいせゐもあるだらう。

荀攸は、下から右にゐる曹操を見上げてゐる。
なので横を向いてはゐるけれど、于禁と比べると正面から見やすい。
荀攸も人形劇でも飯田でもそんなに出番が多いわけぢやない。
よく見える方が嬉しいけれど、やうすがいいからいいかな。
人形劇の荀攸は、どことなく熱血な印象がある。
荀彧との対比でさうなつたのかなあ。
曹操が魏王になるのを阻止しやうとする荀攸が熱血の人といつた感じなんだよね。
間近で見ると、顔立ちがくつきりしてゐてどちらかといふと濃いので、それで熱血に見えるのかもしれない。
人形劇での活躍が少ないのが残念。
さう感じさせるところが荀攸にはある。

荀彧は荀攸の右手後方からやや上を向いて立つてゐる。
曹操を見てゐるのかなあ。
何度か書いたやうに、人形劇の荀彧は、もう出番はないだらうと思つてゐたころに突然出てきた人物である。
人形劇の荀彧は、曹操を諌めて、空の箱をもらつて自害するためだけに出てくる。
あ、あと夢の中で曹操を怖がらせる役目もあつたか。
そのせゐか老人態で、それがなんとも残念だ。
人形に罪はないけれど。
どことなく恨めしげな表情にも見えるしね。
本来だつたら、もうちよつと曹操のそばにゐてもいいと思ふのになあ。
でもこのちよつと遠巻きな感じが人形劇の荀彧にはそぐつてゐる。

「曹操の王国」のケースの一番左端には仲達がゐる。
龐徳とおなじくケースの中でもちよつと独立したやうに見える部分にゐる。
仲達の目は右を向いている。
見るからに悪人顔だ。
曹操とその文官たちとのやうすを見て、あの輪の中に入るのは自分は御免だ。
そんなことを考へてゐるのだらうか。
あるいは、自分ならもつといい策を提示するのに、とでも思つてゐるのかもしれない。
若干右側の眉があがつてゐるのかな。
仲達のカシラは左右の眉と左右の目とを別々に動かすことができるやうに作られてゐるのだといふ。
表情豊かに見えるのはそのせゐかな。

「玄徳の周辺」のケースと「曹操の王国」のケースとのあひだに小さいケースが置かれてゐる。
中には馬に乗つた人形がぎつしりと入つてゐる。
メカ馬だ。
いづれも馬の下には金属の箱があつて、モータが組み込まれてゐる。
箱の中身のパターンにはいくつかあつて、落馬する人形とただ馬を走らせるだけの人形とでは箱の中身が違ふのだらう。
先頭中心にはちやんと武将めいた人物がゐて、出で立ちも得物もひとりひとり違ふ。
人間も馬も、ひとりひとり一頭一頭異なる。
そりやおなじものを二度作つても、おなじになるとは限らない。とくにぴったり一致するなんて。
でもメカ馬のケースを見ればわかるやうに、一体一体異なるやうに作られてゐる。
馬の表情ひとつとつてもこれだけ大量に馬かゐて、しかもおなじものがひとつもない。
すごいよなあ。
このケースを見てゐるだけで、あつといふ間に時間がたつてしまふ。

以下、つづく。

紳々竜々と黄巾の乱はこちら
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「玄徳の周辺」その1はこちら
「玄徳の周辺」その2はこちら
「曹操の王国」その一はこちら

Tuesday, 29 December 2015

しまらない

日曜日の小掃除では、タティングレース関連のものはなにも出てこなかつた。
The Twirly をつなぐプロジェクトにかかりきりだからだらう。
念のため説明しておくと、The Twirly は Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフだ。風車のやうな形をしてゐる。このモチーフをたくさんつないでちよつと壊れた大きな六角形のものを作るのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」である。

昨日もちよつと書いたやうに、作りかけのものはだいたい把握してゐる。
把握してゐなくても、タティングレースの場合は専用の箱や入れものを用意してゐるのでその中を見ればわかる。
The Twirly をつなぐプロジェクト以外に大きなものは作つてゐないから、小掃除でなにも出てこないのもむべなるかなといつたところか。

大きいものばかり作つてゐると小さいものを作りたくなる、とは先週書いたやうに思ふ。
でも、やつぱり大きいものも作りたい。
ここ数年作つてゐないドイリーとかね。
それもちよつと大きめのドイリーを作つてみたい。
ドイリーは作つても無駄になるだけなのにね。

タティングレースのblogを見てゐると、魅力的なドイリーをいくつも目にするからなんだらうな、作りたくなるのは。
みんな、あんな大きいドイリーを作つてどうするんだらう。使つてゐるのかな。

何度も書いてゐるやうに、まづは The Twirly をつなぐプロジェクトを完成させないと、だなあ。
タティングレースはとにもかくにもそれからだ。

ところで年賀状用のモチーフは、結局五枚しか作れなかつた。
五枚だけ、モチーフをはりつけた年賀状を作るつもりでゐる。
モチーフをはりつけない年賀状はすでに投函してしまつた。
モチーフをはりつけるのものはこれからだ。
さう考へるとモチーフははりつけない方がいいのかもしれない。
来年は考へやう。

Monday, 28 December 2015

年の暮にサンクコストを思ふ

日曜日に大掃除ならぬ小掃除をした。
50cm四方ていどを片づけただけでなぜこんなに疲れるんだらうと思ふくらゐ疲れた。
考へてみたら平面では50cm四方かもしれないけれど、地層があるんだよな。
地層をあなどつてはいけない。
1cmに満たない地層でも紙が積んであるのなら、いちいち確認しなければならないからである。

今回の地層には、紙はそれほどなかつた。
紙袋やお店でもらふ袋がいくつかあつて、中から編みかけや編んでもゐない毛糸が出てくること出てくること。
大抵の場合は、編みかけのものや毛糸を見ればなにを編んでゐたかなにを編まうとしてゐたかわかる。
「かういふ編みかけがあるはず」といふことも把握してゐる。
今回、自分のその編みかけ把握能力を疑ふやうなものがでてきて、がつくりきてしまつた。
パピーのちよつといい糸でなにかしらメビウス編みのものを編んでゐる。
輪針の長さは60cmのやうだ。といふことは、編み始めにかなり苦労したものだらう。
ゴム編みのレース模様で、模様編み集からとつてきたのだらうけれど、どの模様編み集を見たのか定かではない。
むむー。

このサイズだと帽子にしやうとしたのか、ぴつたりと首に沿うネックウォーマを編まうとしたのかのどちらかだらう。
ネックウォーマかなあ。
いづれにしても、編み始めの困難だつたことを思ふと、おいそれとほどくことはできない。
苦労したことはまつたく覚えてゐないけれど。

かういふのが「サンクコスト」なんだらうなあ。
ほどいてしまへばいい。
でも、それができない。

編み終へてはゐるものの、整形をしてゐないストールなんかもでてきた。
Rowan のウールコットン4Plyで編んだものである。
レース模様で、整形しないとぐしやつとしてやうすが悪い。
ちよつと羽織つてみたら、やはらかくてとてもいい感じだ。
これは整形することにしやう、とは思へども、細長いものなので整形しづらい。
それではふつたままになつてゐたんだな。
これもその存在をすつかり忘れてゐたものだ。
もつたいない。

ほかに、Alice Starmore のキットの編みかけもでてきた。これはちやんと記憶してゐた。
これはほどかないといけないなあ。手の加減が変はつてゐるもの。
これもまた捨てるには惜しい。
サンクコストである。

あと、キンカ堂の袋に入つた毛糸が出てきた。
一緒に編まうと思つた作品の掲載されてゐる本も入つてゐた。
これもあることを記憶はしてゐた。
それにしてもキンカ堂だよ。
懐かしいねえ。
キンカ堂で買物をするといふことはサンシャイン劇場に行つたときのことだらう。
「レッツゴー!忍法帖」のときでないことは確かだから、「鋼鉄番長」のときかなあ。
まつたく手をつけてゐないので、これまた捨てられない。
サンクコストである。

ほかに、得体の知れない原毛もでてきた。
黄色がかつた淡い茶色で、さういふ色の毛のやうである。
ひとつかみほどしかない。これ、100g単位で買つたのかなあ。わからない。
毛は弾力のあるタイプだ。なんなんだらう。こんな色の羊、ゐるのかな。でも羊であることだけは間違ひないと思ふ。
ちよつと紡いでみたら楽しかつた。
いかんなあ。

毛糸や原毛はたしかにサンクコストだ。
しかし、この先買へないかと思ふと捨てることができない。
買へなくなる理由もいろいろあるしね。

そんなわけで今年もそんなに毛糸を買ひはしなかつた。
でも今後編みたいものには毛糸をそろへなければならないものもある。
それは後回しにして、とりあへず手持ちの毛糸を使ふことにするかなあ。
いつもさう思ひつつ、買つてしまふんだよなあ。

Friday, 25 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 曹操の王国 2015 その一

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち「曹操の王国」のケースについて書く。

「曹操の王国」のケースは「玄徳の周辺」のケースの向かひにある。
以前も書いたやうに、曹操はこのケースにゐることが多い。
向かひの展示室のメインケースにゐるのを見たことがない気がする。
曹操こそあのケースにふさはしいのになあ。
いつもさう思ふ。

「曹操の王国」のケースは例によつて女つ気なしなのになぜだかいつも華やかだ。
入り口に近い方、ケース向かつて右側から龐徳、于禁、許褚、夏侯淵、曹仁、典韋、夏侯惇、程昱、曹操、郭嘉、荀攸、荀彧、仲達の順に並んでゐる。

龐徳は、神社の鳥居などでいふところの「阿吽」の「阿」の位置に立つてゐる。
曹操の配下に入つたものの、ひとり別世界にゐるかのやうに見える。
それは左端の「吽」の位置にゐる仲達もさうなのだけれども、仲達の方が「曹操の王国」の世界に「参加」してゐる感じがする。
仲達のことは仲達の番に書くとする。
龐徳は、飯田で見るときは曹操のところにゐることが多い。
間違ひではないのだが、なんとなくいつもよそもののやうに感じてしまふ。
獣柄の衣装のせゐ、かなあ。
馬超の衣装も一部に獣柄があしらはれてゐる。
馬超と龐徳と、ふたりして並んだらおもしろいんぢやないかなあ。
さう思ふのは、馬超もまた「玄徳の周辺」の中かでどことなく浮いて見えることが多いからかもしれない。

龐徳の次にゐるのは于禁だ。
于禁・許褚・夏侯淵の三人で一組になつてゐる。
于禁に会ふのは久しぶりだと思ふのに、こちらに背を向けてゐて顔がよく見えない。
ちよつとさみしい。
人形劇の于禁は、曹操の陣営にあつてどことなくいい人だ。
赤壁のときには大敗に狂乱する曹操を抱き留めて助けるし、敵に嘲笑されていきりたつ夏侯惇を必死の思ひでなだめつつ、人のよさげな笑ひ声をたてたりもするし、なにしろ顔立ちが穏和だ。
この陣営にあつて、穏和でいい人だから、その末路は悲しいことになつてしまつたのぢやあるまいか。そんな気がしてならない。
久しぶりに会ふ人の顔はやつぱりよく見たいよね。

于禁のやや左後方に許褚がゐる。
大鉞を手にしてはゐるものの、殺気だつたやうすはない。
于禁も許褚も、夏侯淵を見てゐる。
見たところ、夏侯淵がなにごとか考へ込んでゐて、于禁が「なにを考へておいでかな」などと話かけてゐて、そこに許褚がゐあはせた、といつたやうすに見える。
于禁から夏侯惇までの武将陣は、古参の面々といつたところだらう。

夏侯淵は見るからになにごとか考へごとをしてゐるやうすで立つてゐる。
なにを考へてゐるのか。
以前もどこかで書いたやうに、夏侯淵は人形劇の中ではその立ち位置が大きく変化した人物だ。
最初は曹操についてでてきて、そのうち曹操陣営のおどけもののやうな面を見せるやうになつたかと思つたら、いつぱしの武将つぷりを見せるやうになつて、いつのまにか沈着な人物といふ風に描かれるやうになつてゐた。
番組の中で夏侯淵が成長した、といへないこともないけれど、まあたぶん、制作側で夏侯淵のとらへ方が二転三転したのだらう。
またはそのときそのときで「曹操の陣営にはかういふ人物が必要だ」といふ判断のもと、夏侯淵の人物像がころころと変はつていつたのかもしれない。
そんなわけで、夏侯淵が考へごとをしてゐても、「下手の考へ休むに似たり、だぜ」と思つてしまふ。
前回の渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーでの展示で見たときもさう思つた。
すまぬ。

その左隣の曹仁・典韋・夏侯惇が三人でひとかたまりになつてゐる。
曹仁は、前回の展示のときとおなじやうに夏侯惇になにかしら話しかけてゐるやうに見える。
前回の展示のときは、なにしろ夏侯惇が如何にもなにかやらかしてしまつたといつた表情でゐたので、曹仁は心配して話しかけてゐるかのやうに見えた。
今回はさういふことはない。
夏侯惇になにかしら云ひたいことがあつて、曹仁はそれをききださうとしてゐるやうに見える。
曹仁は飯田で見るたびに印象が大きく変はることのがあるのだが、今回は前回とそれほど変はらないかな。落ち着いた印象を受ける。
たまに、ものすごく猛々しいやうすの曹仁に会ふこともあるんだよね。
おもしろい。

曹仁の左後方に典韋が立つてゐる。
典韋は夏侯惇のほぼま後ろにゐて、夏侯惇を見てゐる。
ここもなにかしら云ひたげな夏侯惇と、その夏侯惇に問ひかけてゐる曹仁と、その場にゐあはせた典韋といつた図に見える。
人形劇の典韋は赤壁のころまで生き延びてゐる。
その分出番も多いけれど、見せ場は「三国志演義」ほどにはない。
一応、絶体絶命の危機に陥つた曹操を助け出したりしてはゐるし、玄徳とふたりきりなんてな場面もあつたりはしたけれど、なんとなく印象が薄いんだなあ。
あらためて見てみると、濃い顔立ちだし、そんなに印象の薄い人には見えない。
人形劇を見直してみるかな。

夏侯惇は、槍を手に、ちよつと不穏なやうすで立つてゐる。
前回のときのやうな「やらかしちまつた」感はないけれど、肚に一物あるかのやうな、悪だくみの表情を浮かべてゐるやうに見える。
夏侯惇は人形劇での出番はそれほど多くない。ただ、「ここで目をやられるのか!」といふやうな妙ちきりんなところで出てくるので、それでひどく印象が強いのだつた。
あと、くどいほど書いてゐるやうに、人形としての出来がすばらしい。
飯田で会ふたびに思ふ。人形劇のときの夏侯惇はこんなにすてきぢゃなかつたのに、と。
なにが違ふのかなあ。

以下、つづく。

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Thursday, 24 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 玄徳の周辺 2015 その二

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち「玄徳の周辺」のケースのつづきを書く。

白竜に乗つた玄徳と馬上の張飛との前には、左から孔明、淑玲、美芳、龐統の順に並んでゐる。
淑玲が孔明と、美芳が龐統と話してゐるといつたやうすだ。

淑玲がなにかしら話しかけてゐるやうに見受けられるのに、孔明は視線をはづしてあらぬ方を見てゐる。
なにか云はれてちよつと考へ込んでゐるのか。
あるいは主君の奥方の目を直接見るのは畏れおほいと思つてゐるのか。
はたまたこれといつてさしたる理由もないのか。
よくわからないけれど、ちよつとよそよそしい感じがする。
淑玲と孔明との関係にそぐつたよそよそしさだ。
今回孔明の衣装は黒い方に変はつてゐる。でも中に着てゐるのは白い服なんだよなー。人形劇のときの蔓日々草色の衣装は飯田にはないのか知らん。

淑玲は、孔明を見上げて話してゐるやうに見える。
淑玲が孔明になにを云ふことがあるのだらう。
孔明がちよつと考へ込んでしまふやうなことを云つてゐるのだらうか。
「なにを話してゐるんだらう」といふのは、どの対にも、また話してゐるやうに見える人形にもいへることだ。たまに「ほんたうになにを話してゐるのやら」と真剣に考へてしまふこともあるけれど、大抵は「なんか話してるんだなー」で過ごしてしまふ。
淑玲と孔明つて、あんまりないとりあはせぢやないだらうか。
それでつひ考へてしまふんだな。

美芳は右側にゐる龐統にむかつてなにか云つてゐる。
両腕を横にひろげて、楽しさうに話してゐる。
人形劇で美芳は龐統に取つてきたキノコのことを訊きにいつたりしてゐるし(訊いたのは勝平かもしれないけど)、龐統と張飛とは仲がよささうでもある。きつと一緒に飲んだりしてゐることだらう。なので美芳と龐統といふのはそんなに不思議なとりあはせでもない。

その美芳を見つめる龐統の真摯なやうすがよくてねえ。
横顔をとつくりと眺める。
思慮深げで、いい表情だ。
できるだけ正面に近い位置から見てみると、ほんたうに美芳の話を聞いてゐるやうに見えるのがいい。
なんだらう、龐統先生、いい男ぢやあないか。いままでやつがれの見てきた中では一番いい龐統なんぢやあるまいか。
孔明は視線をはづしてゐるのに、龐統はちやんと話し手を見てゐる、といふ対比もいい。

ケースの右端には、黄忠と孫乾とがゐる。
孫乾が話してゐるのを黄忠が聞いてゐる、のかなあ。このケースの中では一番穏やかな感じのする対である。
毎回書いてしまふけれど、黄忠は飯田で見ると穏和で賢さうなお爺さんなんだよなあ。
人形劇のときは老いてなほ盛んな頑固親父だつたけれど、人形だけ見るともつとおとなしさうに見える。長老の趣がある。それでゐて武将でもあるんだけどさ。
黄忠も人形劇のときの印象と飯田で見るときのそれとが違ふんだなあ。
黄忠と孫乾とはどちらが話してゐるのかちよつと悩む。どちらもおとなしさうに見えるからだ。

でもおそらく話してゐるのは孫乾なんだらうな。
人形劇での孫乾はそれほど出番が多くはない。
どことなく「いい人」といつた感じがして、見てゐても落ち着く気がする。
いい人なんだけれども、人形劇では張飛を困らせてみたりするところもある。
孫乾の兜には「大吉」と書かれてゐるが、今回の展示ではよく見えない。後方にゐる黄忠の方を向いてゐるからだ。
飯田で見たなかでは兜に字があるのは張角と孫乾とくらゐだ。
張角の「黄」は黄巾の「黄」だとして、孫乾の「大吉」はなんなのだらう。
めでたくて、なんとなくいいけれども。

以下、つづく。

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Wednesday, 23 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 玄徳の周辺 2015 その一

十二月五日に飯田市川本喜八郎人形美術館で展示替へがあつた。
今回は新展示のうち「玄徳の周辺」のケースについて書く。

「玄徳の周辺」は展示室のメインのケースの主題になつてゐる。
向かつて左から馬超、趙雲、関平、赤兎馬に乗つた関羽、後方に白竜に乗つた玄徳、馬上の張飛、前方に孔明、淑玲、美芳、龐統、黄忠、孫乾の純に並んでゐる。

このケースの特徴はふたりづつ組になつてゐて片方が喋りもう片方が聞いてゐることだ。
ざつと見たところ、古参が新入りに、あるいは年長者が年少者になにごとか云ひ聞かせてゐるやうに見える。

たとへば馬超と趙雲とだ。
馬超は右側やや後方を向いて立つてゐる。すこし見上げてゐる感じかな。視線の先には趙雲がゐる。
なぜ馬超が趙雲の話を聞いてゐるやうに見えるのか。
おそらく、馬超よりも趙雲の方に動きを感じるからだ。
趙雲は、両腕が若干前の方に出てゐる。話し乍ら身振りでもしてゐるかのやうだ。
馬超にはさうした動きが見えない。
以下、どの対もそんな風に見える。

馬超は、人形劇で見るといつも「ムダにかつこいいなあ」と思つてしまふ。
なぜ「ムダに」なのか。どうして単純に「かつこいいなあ」ではいけないのか。
おそらく、メチャクチャ強いわりには敵の策にあつさりひつかかつてしまふからなんではないか。
かつこいいことは確かなんだけどなあ。
飯田の展示で見る馬超に対しては「ムダに」とは思つたことがない。
今回も如何にも武将といふ出で立ちで立つてゐる。
顎に特徴があるのかわづかにふり仰いだ顔がちよつと生意気さうに見える。
だからといつて趙雲の云ふことに文句があるといふわけではなささうだけれども。

趙雲は、かうして見るとやつぱり若いなー。
若いといふか、溌剌としてゐるといふか、うーん、やつぱり若い、のかな。
顔立ちが少年めいてゐるんだらう。
文楽のカシラでいふと若男かな。
人形劇では玄徳に「礼儀正しい爽やかな若者」といふやうなことを云はれてゐる。
そのとほりかと思ふ。
張飛には「あの気障な野郎」とか云はれてゐるけれどね。
礼儀正しさが気取つてゐるやうに感じられて、張飛の気に障つたんだらうな。
それもわかる。

関平は右後方高いところにゐる関羽を見上げてゐる。
ここだけは関平の方が話してゐるのかな、といふ気もする。
あるいは話しかけたのは関平なのかもしれないが、それに答へて関羽がなにか云つてゐるやうにも見える。
このふたりが話してゐるとしたら関羽の方がなにか云つてゐることの方が多いかな。
関平は後方を向いてゐるので今回の展示では正面からは見えない。ケースの右端から見たときもほかの人形の陰になつてしまつてゐたやうに思ふ。

関羽は赤兎に乗つてゐて、関平を見下ろしてゐる。
これが、いいんだなあ。
以前も関羽が赤兎に乗つてゐたときにさんざん左右から周り込んで「この角度から見たときがいいなー」などと書いてゐる。
そのときはケースの手前の方にゐたやうに覚えてゐる。
今回は背中こそ目の前では見られぬものの、やはり周り込んできて関平のやや後方あたりから見たときの角度がまづいい。
それからほぼ真横といふか真正面といふから見たところ。
惚れ惚れするわー。
前々回の展示のときに確か関羽は赤兎に乗つてゐたやうに思ふのだが、このとき衣装の裾が赤兎の尻の方にむかつてきれいにのびてゐた。
今回は裾はたたんでゐる。
前回手にしてゐなかつた青龍偃月刀も手にしてゐるし、臨戦態勢なのかな。

臨戦態勢といへば、玄徳は兜をかぶつてゐる。
このやうすからいくと蜀攻略を終へたあとなのかなあ。
でも淑玲がゐるし。
などといひながら龐統も馬超も黄忠もゐるか。
この混沌とした感じが「序章」なのだらうと思つてゐる。今後かうなるんですよ、といふ様なんぢやないかな。
玄徳は張飛になにかしら意見してゐるやうに見える。
酒は控へろよ、とか云つてゐるのだらうか。
横浜市営地下鉄の張飛のポスターの標語は、「わかってるぜ兄者、酒はほどほどに、だろ」だつたかな。
説得力のないことこの上ないポスターだ。
酒呑みに酒を控へろといつても詮無きことなので、もつとほかのことを云つてゐるのかな。
蛮勇はつつしめよ、とか。
それも云つてもムダか。とくに張飛相手には。
前回の展示では玄徳は劉禅になにかしら云つてゐるやうに見えた。このときは大変厳しいやうすで、玄徳にもこんな厳格な父親の一面があるんだなあと思つたものだつた。
今回の玄徳にはさうした厳しさはない。

馬上の張飛は、神妙なやうすで玄徳のことばを聞いてゐる。
目が下を向いてゐて、真剣に聞いてゐるやうに見える。
かういふところを見ると張飛はやつぱり可愛いんだよなあ。
何度も書いてゐるやうに、「人形劇三国志」で一番可愛いのは張飛で一番お茶目なのは曹操だ。
張飛はそんな感じで今回は張飛にしては大人しげなやうすなのだが、その馬はさうでもない。
何度も見てゐるはずなのに、張飛の馬の顔がこんなに怖いやうすだといふことを今回初めて知つた。
見るからに「白馬の王子さまの乗る馬」といつたやうすのおとぎ話にでも出てきさうな白竜の横にゐるからかもしれないけれど、張飛の馬は険しい顔立ちなのだつた。
うーん、不覚。いままで気がつかなかつたなんて。

以下、つづく。
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Tuesday, 22 December 2015

成し遂げない2015

2015年にタティングレースで作つたもので完成したものはいまのところない。
年賀状用に作つてゐるモチーフは、はがきに貼りつけて完成なので、完成したうちには入らない。

今年はひたすら「The Twirly をつなぐプロジェクト」を遂行してゐた。
The Twirly とは Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフである。風車に似た形をしてゐる。
The Twirly は、タティングシャトルを2つ遣つて作る。技術としてはスプリットリングを使ふ。
これまではシャトル2つ遣ひもスプリットリングも苦手だつたが、「The Twirly をつなぐプロジェクト」をはじめて以来、だいぶ苦手感がうすれてきた。
だいたい、シャトル2つ遣ひの上にスプリットリングが1モチーフ中6つもあるといふのに、The Twirly を作るのは最初から苦ではなかつた。
むしろ楽しい。
そもそも楽しいくらゐでないと、いくつも作つてつなげやうとは思はない。
そんなわけで、何度も失敗しつつ、いまでも The Twirly をつなぎつづけてゐる。
おそらく、世界で一番たくさん The Twirly を作つたことのある人間はやつがれだらう。

そんなわけで、タティングレースについてはもうこれ以上書くことがない。

例年、ビーズを使つてタティングしたいなあと思ふ。
折に触れさう思ふ。
ビーズは、毛糸やレース糸どころでなく一生かかつても使ひきれないくらゐ手元にある。
一緒に使へるだらう絹糸も同様だ。
なのに、なぜやらないのか。
やりたいのに。

ビーズを扱ふのはめんどくさいから、だな。
やりたいのにめんどくさい。
だからやらない。
めんどくさくてもやるときはやる。
めんどくささよりやりたさが勝つたときはさうなる。
最近、どうもやりたさよりめんどくささの方が先に立つんだよなあ。
「The Twirly をつなぐプロジェクト」をやつてゐるからかもしれないけれど。

あと、なにを作つていいのかわからないから、といふのも理由のひとつだ。
漠然と「かういふものを作りたい」といふ気持ちはあつて、しかし、具体的にどう作つたらいいのかわからない。
さういふことが多い。
自分でデザインできればそれを作るのだらうが、残念ながらさういふ能力はない。あるとしてもひどく乏しい。

そんなわけで、毎年「今年こそはビーズタティングを」と思ひつつ着手できぬままに暮れを迎へるわけだ。

来年はどうしたものかな。
できれば「The Twirly をつなぐプロジェクト」を完成させたい。
ビーズタティングはその次かな。

タティングレースだけでなくて、マクラメもやつてみたい。
Micro Macrame で時計をさげる紐を作りたいと思つてゐる。これにもできればビーズをあしらいたい。
できるかなあ。

とりあへず今は年賀状用のモチーフをせつせと作るとするか。

Monday, 21 December 2015

2015年に編んだもの

Domino Knitting に掲載されてゐる Striped Shawl は、あと少しで二列目が終はるところまで編めた。
残つてゐる毛糸を見るに、四列目くらゐまでは編めさうだ。
もともと指定の糸より太い糸を使つてゐる。指定は sport weight のところ、DK weight の糸で編んでゐるので、本だと六列あるけれど五列にしやうと思つてゐた。それで指定の大きさとほぼおなじになるはずだつた。
四列でもいいかなあ。

ところで、今年も完成させたものはあまり多くない。去年もだつた。
暮れに映画「ホビットの冒険」を見に行き、作中人物が手にはめてゐる指なし手袋に近いものを編みたくなつて、Rowan の Big Wool でものすごくごつつい指なし手袋を編んだ。

Super Bulky Gloves

まだ糸があまつてゐたので、cowl を編んだ。こんなごつついものどうしやうと編んだときは思つたけれど、使つてみたら案外いい。今年はまだ出番がないけれど、そのうち使ふことだらう。

GAP-static cowl

くつ下は、ヨガソックス二足をふくめて五足編んでゐる。おや、おどろきだね。もつと少ないかと思つてゐた。

Reginald

一時「くつ下編みたい」病にかかつてゐたやうだ。「毛糸だま」でくつ下特集をやつたときだな。「毛糸だま」の編み方を見ると、中細毛糸で履き口の作り目を80目も作るので、指定通りには編まなかつた。
あれ、指定通りに編んだ人ゐるのかなあ。

Socks

Socks

ヨガソックスがいい感じである、といふことはすでに書いたとほりだ。半端なくつ下毛糸があまつてゐたら編みたいと思つてゐる。

Yoga Socks

Yoga Socks

あとは去年の夏からくり越してゐたストールを編んだ。夏ものだけどできあがつたのは十月くらゐだつたかな。十月だつたけど、使つた。今年は突然冷えることもあつたけれど、だいたいにおいてあたたかかつたからね。

アクセントカラーのストール

その前、春先といふかもうだいぶあたたかくなつてからだけれども、自分史上もつとも大きい三角ショールを編んだ。これは編んで整形だけしてまだ使つてゐない。そろそろ出してきて使ふかな。

Weaver's Mini Shawl in Progress

こんなお寒い状況である。
このあと、年賀状をなんとかしなければと思つてゐるので、編む時間は結ぶ時間にあてるつもりだ。すなはちタティングレースのモチーフを作る時間にする予定である。
Striped Shawl はしばしおあづけだな。

去年同様、今年も睡眠時間優先をかかげてゐたため、編む時間がすくなかつた。
以前の自分は寝る時間を削つて編んでゐたといふことがよくわかつた。
どうも、人生における必要な睡眠時間といふのはだいたい決まつてゐるやうな気がしてならない。
一人につき何十万時間、プラスマイナス何万時間、くらゐの精度で、さ。
で、どうやらやつがれはもう自分の人生おいてこれ以上睡眠時間を削れない状態にゐるのだと思ふ。
とにかく日々眠たくて仕方がないからだ。
でも編みたい。
この葛藤を乗り越えないと、睡眠時間は取れないのだつた。
来年こそは、もつと睡眠を優先したい。
去年も一昨年もさう思つてゐた。
編みたさと眠たさとのあひだで葛藤しつつ、来年も編むのだらう。

Friday, 18 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 連環の計 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち「連環の計」のケースについて書く。

「連環の計」のケースには、五人ゐる。
後方左から高いところに董卓、やや低いところに呂布、さらに低いところに李儒、前方左から董卓と呂布とのあひだに貂蝉、呂布と李儒とのあひだに王允の順に並んでゐる。

董卓は、黒地に金糸銀糸の縫ひ取りのある武将の出でたちで立つてゐる。
視線の先にゐるのは呂布だ。
呂布は貂蝉を見てゐる。
董卓はおそらく呂布を信頼してはゐない。今回もどこか疑はしげな目で呂布を見てゐる。
呂布は董卓を信じてゐただらう。連環の計にからめとられるまでは。
董卓がそんな呂布に殺されるのは、呂布を信じてゐたからではなくて、己の権力を過信したからなんだらう。
今回の展示の董卓は、まだ自分の得た力に満足してはゐない。
まだまだ上がある。
まだまだ倒さねばならぬ敵がゐる。
どこか餓ゑたところがあるやうに見受けられる。
人形劇の董卓といふと、最初のころは知恵の輪に興じる稚気があり、また、どことなくだらしない印象を受ける人物だつた。
かうして飯田で見ると、だらしないところなど微塵もない。
堂々とした悪の親玉といつた印象だ。
そして、人形劇の中でも次第にさうなつていつてゐるのだらうと思ふ。
たぶん、見るこちらが第一印象に惑はされてゐるだけなのだ。

その右隣やや下方にゐる呂布は、貂蝉を見てゐる。
戟を手にしてゐるけれども、別段殺気はないし、誰かを殺さうといふのでもないやうに見える。
かといつて、貂蝉に恋ひ焦がれてゐるといつたやうすでもないんだよなあ。
人形劇で呂布がはじめて貂蝉を目にしたときのあの挙動不審ぶりを思ふに、あれは紛ふことなく一目惚れだ。
今回の展示では、単に呂布は貂蝉を背後から見ただけなのかもしれない。おそらく呂布の位置からは貂蝉の顔は見えないか見えても横顔がちらりと見えるくらゐだらうし。
さういやここのところ呂布と赤兎馬とを一緒に見たことがないやうな気がする。
前回呂布のゐた展示のときは、董卓が赤兎に乗つてゐた。
関羽が赤兎に乗つてゐる展示は、今回も含めて何度か見てゐる。
呂布と赤兎とも見てみたいなー。

呂布の右隣やや下方に李儒がゐる。
躰はすこし右を向いてゐて、顔を左側に向けてゐる。
何后を見るたびにキツネ顔だなあと思ふが、李儒も負けてはゐない。李儒を見たあと何后を見るとなんだか間抜けなキツネに見える。
この李儒はなにを見てゐるのかなあ。
王允か。
あるいはその場全体を見てゐるのかもしれない。見て、ほくそ笑んでゐる。そんな感じがする。
人形劇だと李儒はいつのまにか出番がなくなる。
董卓亡きあと、おなじ流れで殺されたのだらうとは思ふけれど、なんとなくどこかで生き延びてゐるのではないかといふ気がしてならない。
それくらゐ(悪)賢さうに見える。
前回展示されてゐたときは、衣装の裾がすこし乱れてゐて中に着てゐる衣装がちらりとのぞいてゐた。上品な餡を淡くしたやうな色だつた。
今回は残念ながら見えない。

貂蝉は、王允の方を向いて「お許しくださいまし」とでもいふかのやうに頭を下げてゐる。ちよつと他人行儀な感じがしないでもない。
人形劇では、貂蝉は逃げてきたところを王允に捕まつて、やがては連環の計をしかけるやうし向けられることになつてゐる。
今回はそんな場面なのかな。
腰を低くしてちよつと身をよぢつてゐるのだらうか、そんなところに色香を感じる。
頭を下げてゐるので、正面から見ると下瞼の部分からカシラの中が透けて見える。目を閉じるからくりを入れてゐる関係で、瞼と目玉とのあひだに隙間があるからだ。これが案外不気味だつたりする。
ちよつと下から見上げるやうにした方がいい。

王允は、そんな貂蝉の方を見て「おそれることはない」とか「悪いやうにはしない」とか、心にもないことを云つてゐるやうに見える。
人形劇で見る王允は、悪党の中でも小物感が漂つてゐる。それはかうして展示で見ても変はらない。どこか品性卑しい感じがする。
あるいはこの感じはまつりごとに長く関はつてきて妖怪となつた人間の出す妖気のやうなものなのかもしれない。
渋谷の王允はといふと、もうだいぶ以前に一度見たきりだけれども、人形劇のときに比べて品格のある老政治家といつた趣だつた。
渋谷で見た李儒も人形劇のときより色悪めいたところがあつたなあ。
川本喜八郎の中で、人形といふかその人物に対する印象が変はるやうなことがあつたのだらうか。
そんなことを考へながら飯田と渋谷とで見比べるのもまた楽しい。

以下、つづく。
紳々竜々と黄巾の乱はこちら
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Thursday, 17 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 宮廷の抗争 2015

十二月五日に飯田市川本喜八郎人形美術館で展示替へがあつた。
人形劇の展示主題は「新・三国志英雄列伝序章」。人形アニメーションは「死者の書」の登場人物を展示してゐる。

今回は「宮廷の抗争」について書く。
このケースには、左から何后、その右上方に弘農王、陳留王がゐて、弘農王と陳留王とのあひだ下方に何進がゐて、その右ちよつと上方に董太后がゐる。

何后は右上方にゐる弘農王と陳留王との方を見てゐる。なにか云つてゐるやうにも見える。
顔を奥の方に向けてゐるので、正面から見ることはできない。
皇后のはずだらうけれど、そんなに偉くは見えない。偉さうには見える。
「ケロロ軍曹」のエンディング曲のうちのひとつにあつたやうに、「偉い人の反対は偉さうな人」だ。
今回の何后を見てゐてそんなことを思ひ出した。
つて、偉さうな人のやつがれに云はれたくないか。

弘農王は従順に母親の云ふことを聞いてゐるやうに見えるが、陳留王はどこか不満さうに見える。
何后は、陳留王にむかつてなにかを云つてゐるわけではないのかもしれないが。
弘農王と陳留王とは、見るたびにほんのちよつとの違ひが大きな差を産むのだなあと思ふ。
弘農王の方がちよつとだけ目と目の間隔が広くて、陳留王の方がほんのちよつとだけ目がつつてゐて、弘農王の方がわづかに顎の形がはつきりしない。
ひとつづつはほんのちよつとのことなのだらうけれど、それが組み合はさると、こんなに変はるものなのか。
ふたりともこどもなので全体も部分も小さいから違ふといつてもそんなに大きな違ひに見えないといふこともあるのかもしれないけれど。
弘農王は両腕を広げて立つてゐる。welcome といつた出で立ちだ。
陳留王は右肩をちよつと上げて、躰がわづかにかしいでゐる。それで見る角度によつてどことなく反抗的に見えるのだらう。

何進は一番低いところに立つてゐて、何后を見上げてゐる。
なにを思つてゐるのかなあ。今回見ただけではよくわからなかつた。
何進はいつ見てもその前垂れの鳳凰の柄に目を奪はれる。
赤地に白、かなあ。銀糸かもしれない。目を引く柄だ。
何進のくせに生意気だぞー、とは、以前も書いたか。

何進の背後、すこし高いところに董太后が立つてゐる。
わづかに伏せた顔に影がかかつて薄倖に見える。
説明文にもそんなことが書いてある。悲しい生涯だつた、とかだつたかな。
でも、さうなんだらうか。
霊帝のお母さんだつたわけだし、それなりに楽しいときもあつたんぢやないかなあ。
董太后が悲しげに見えるのは、髪形にも理由があるのかもしれない。
頭の上に乗せた髷がちよつと横に寄つてゐるんだよね。左右対称ではない。
よくよく見ると何后の髷も左右対称ではない。都では、あるいは後宮ではさういふ髪形が流行してゐたんだらうか。

以下つづく。

紳々竜々と黄巾の乱はこちら

Wednesday, 16 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 紳々竜々と黄巾の乱 2015

十二月十一日、十二日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
同美術館では十二月五日に展示替へしたばかりだ。
その新展示を目当てに行つた。

今回の人形劇の人形の展示主題は「新・三国志英雄列伝序章」だといふ。
黄巾の乱から霊帝亡き後の漢の皇室、のちの魏・呉・蜀、それと特異な人々が展示されてゐる。
「人形歴史スペクタクル 平家物語」の人形はゐない。
人形アニメーションの人形は「死者の書」の登場人物が展示されてゐる。

まづ展示室に入ると、思はずにつこりしてしまふ。
紳々竜々がお出迎へしてくれるからだ。
文字通り「お出迎へ」してくれるのだ。
手前に竜々、奥に紳々がゐて、二人とも片膝をついて「どーぞどーぞ(といふと別のグループを思ひ起こすかもしれないが)」とでも云ひたげに右手を展示室奥の方にかかげてゐる。
いはゆるホストの人のよくするポーズとでもいはうか。
竜々は状態をまつすぐにしてゐる。
紳々は首を若干右に傾げてゐて、ちよつと愛嬌がある。
最初に展示室に入つたときは驚いて、のちに微笑んでしまつた。
その後も、入るたびにわかつてゐても笑つてしまふ。
二人とも前回の展示にはゐなかつたから久しぶりだしな。
衣装は普段の服なので、まだ仕官する前なのだらう。「序章」だし。

次のケースには「黄巾の乱」といふ題名がついてゐる。
まづ、張宝・張角・張梁の三兄弟が立つてゐる。
三人とも鎧姿で、長兄である張角を中心に、向かつて左に張宝、右に張梁がゐる。
張角は張宝と張梁との肩に腕をまはしてゐる。
張宝と張梁とは張角の前で手をあはせてゐる。
この手のあはせ方がちよつとおもしろい。
張梁は手のひらを上に向けてゐて、その上に張宝が手のひらを下にして手をのせてゐる形なのだ。
Shall we dance?
いやいや、さうぢやないだらう。
三兄弟で一致団結、一旗揚げやうぜ、といつた勇ましいやうすだ。
「人形劇 三国志」では親子兄弟でも互ひに似てゐるところはあまりないことが多い。
玄徳と劉禅とで似たところがないし、今回の展示ていふと孫権と貞姫、諸葛瑾と諸葛亮とにも似たところはないやうに思ふ。
張角・張宝・張梁もそんな感じで、強いて云ふなら鼻の形が似てゐるかなあ。
渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーで見た張角・張宝・張梁は顎の形がそつくりだ。
もしかすると飯田の三兄弟もさうなのかもしれない。
今回はそれぞれ肩をあげてゐたり腕を前に出してゐたりして、顎周辺をよく確認できなかつた。
ほかの血縁者たちもよくよく見ると似たところがあるのかもしれない。

以前も書いたこともあるけれど、三兄弟一人づつにちいてちよつとだけ。
張宝は妖術遣ひだからだらう、ひとりだけ目の下に藍色のアイラインが入つてゐる。これが不気味な感じを醸し出してゐる。
張角は、かうして見ると、全然偉さうには見えない。世が世なら普通にただのをぢさんとして一生を終へたんぢやないかなあ。そんな感じがする。もしかするとちよつとした横領事件かなにかを起こして人生を過つてしまふタイプかもしれないけど。
張角の兜には「黄」の文字がある。文字のある兜をかぶつてゐるのはあとは孫乾くらゐかなあ、飯田で見たことのある人形の中では。孫乾は今回ゐるけれど、兜はよく見えない。といふ話はまた後にしやう。
張梁は如何にもラテンな顔立ちで、ソンブレロをかぶつてギターなんぞを持たせたら絶対似合ふ。末つ子の明るさ陽気さをあらはしてゐるのだらうか。

張宝・張角・張梁の向かつて右側には、公孫瓚と盧植とがゐる。
公孫瓚は右側にゐる廬植の方を向いてゐる。片膝をついて手を胸の前で組み、師である盧植の前で最敬礼してゐる、といつたやうすだ。
人形劇の公孫瓚のいふと、玄徳の兄弟子で「いい人」といつた趣の人だ。
呂布と戦へとか無茶ぶりされても「武門の誉れ」などと云ひきつてしまふ人でもある。
今回の展示の師匠の前でかしこまつてゐるやうすなどを見ても、「いい人なんだらうなあ」といつた感じがする。
なんとなく色素のうすい印象があるのは、砂を思はせるやうなベージュが基調の衣装のせゐかな。そこに赤茶の濃淡が乗つてゐて、濃い部分は紫がかつてゐるやうに見える。
公孫瓚の膝をついた方の足はつま先を立ててゐる。足の裏は床に立てた虫ピンで支へてあるやうだ。
紳々竜々も同様に虫ピンで足裏を支へられてゐる。紳々だけ足の中央部分にピンがあたつてゐて、竜々と公孫瓚とは端の方にピンがあたつてゐる。だからどうといふのではないけれど、違ふところがおもしろいと思つたので書いておく。

盧植は文官の出で立ちで公孫瓚に向かつて立つてゐる。見下ろしてゐる感じかな。
人形劇を見てゐたときは、盧植にはやさしげな印象を抱いてゐた。
飯田で会ふ盧植はいつも厳しさうだ。
もともとは厳しい表情のカシラなんだらう。
それが操演の妙によつて、やさしい老師匠といふ感じに見えてゐたんぢやあるまいか。
盧植の周囲を歩きまはつてみると、真横から見たときはなんとなくやさしさうな感じに見えないこともない。
気のせゐかもしれないけれど。
盧植だけでなく、人形劇で見たときの印象と飯田で見るときとの印象の違ふ人形は案外多い。
展示替へ後はいつも書いてゐることではあるが、該当する人物にあたつたときにはまた「なんだか違ふ」と書くことだらう。

以下つづく。

Tuesday, 15 December 2015

失敗につぐ失敗

年賀状はもう間に合はないと思つてゐる。

今日から年賀はがきを投函してもいいのらしい。
いまだに年賀はがきを購入してゐない。
タティングレースのモチーフは、まつたく増えてゐない。
あるモチーフを作つては失敗し、なほしては失敗してゐるからだ。
ほどけるときはほどいてゐるけれど、もうムリだなと思つて捨てたこともある。
世の中のタティングレースをたしなむ方々はなにがなんでもほどくのらしいが、残念ながらやつがれの人生はほどきにくい糸をほどくことに費やすほど長くはない。
そんなわけで、昨日も六目ばかり(すなはち十二目。ダブルスティッチだからね)ほどいたところだ。

そんなに何度も失敗するのなら、もうそのモチーフ自体を作るのをやめたらどうか。
三度目の失敗のときに、さう思つた。
そこまでして、作る必要があるのか。
ほかのモチーフを作ればいいぢやあないか。
そのとほりである。
自分でもさう思ふ。

このモチーフは一度は作つてみたかつたものなのだ。
そして、作つてゐても楽しい。
タティングシャトルひとつだけでできるモチーフながら、タティングレースらしさのあるモチーフだからだ。

そんなわけで、今日も今日とてそのモチーフを作つてゐる。
作つてゐるのは、Mary Konior の Tatting with Visual Patterns に掲載されてゐる Posy といふモチーフだ。
ピコをつなぐ場所を間違へてしまふんだよなあ。
うーん、情けない。

Posy はひたすらリングだけを作つていくモチーフだ。
そこがいい。
リングのならんださまがいいし、ちよつとカスケードを思はせるやうなところがたまらない。
これは完成させたい。
さう思つてゐる。

目標を見誤つてゐるので、なかなか年賀状作成には入れずにゐる。
年賀状、出さなきやダメでせうかね。
出せなかつたら社会人失格かね。
去年、郵便局にそんなやうなポスターがはられてゐたつけか。
年賀状を出せないやうな人間は社会人失格つて。

社会人失格でもいいかな、もう。
さう思ふくらゐ、切羽つまつてゐる。

でもモチーフは作るけどね。

Monday, 14 December 2015

足らぬ足らぬは工夫が足らぬ

とも限らないがな。

十二月十一日金曜日に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

といふ話は追々書くとして。

土曜日に帰つてきて日曜日は朝から文楽を見に行つてゐた。
この週末もまつたく編めてゐない。
Domino Knitting に掲載されてゐる Striped Shawl はなかなかできあがる様相を見せない。
日々編んではゐるんだけどね。
考へてみたら、Striped Shawl はガーター編みで編んでゐる。
ガーター編みの一段といふか一模様といふかは、二段なんだよね。二段一模様といふか。
15模様と25模様とをくり返すといふことは、30段と50段の模様をくり返すといふことだ。
うん、まあ、それは思つたより進まないよな。

思つたほど進まないからくり(と云はうか)に気がついたので、以前より気楽に編んではゐる。
気づく前までは、「なんでこんなに進まないのか」「編むのが遅くなつたのかなあ」などと不安だつた。
想定よりも倍の段数を編んでゐるんだから、進まないのも道理である。

ところで Striped Shawl を編むのに毛糸が足りない気がしてゐる。
以前も書いたかな。
毛糸には Filatura di Crosa の Zara を使つてゐる。この毛糸は廃番が決まつてゐるのらしい。
主色に使つてゐる焦げ茶色は人気があるらしく、もうあちこちで売り切れてゐる。
手持ちにあるもので編むしかない。

ここのところ編み地がちよつと大きくなつてきてゐる。編みながら膝掛けにしてゐるくらゐだ。
膝掛けといふにはちよつと幅が狭いけれどもね。
でも、これくらゐの大きさがあれば、どこでやめてもそれなりに使へるものができる気がする。
なので、もう毛糸が足りなくなる心配はせずに、編めるところまで編むつもりだ。
最初のうちは一段少なくすればいいかな、と思つてゐたけれど、二段くらゐ少なくてもなんとかなるはずだ。

問題は、この後、本に載つてゐるとほりに Striped Shawl を編むことはないだらうな、といふことだ。
結構時間がかかるからね。
ほかに編みたいものはいくらもある。
もう一度これとおなじものを編むことはないだらうなあ。もつと段数や目数を減らして編むことはあるかもしれないけれど。
さう思ふと、やはり毛糸はほしい気がしてゐる。

Friday, 11 December 2015

iPhoneがもう少し小さければいいのに

電車内ではiPhoneは使はない。
本を読むことにしてゐるからといふのもあるけれど、どちらかといふと取り出すのが危険だからといふ理由の方が大きい。
現在iPhone 6を使つてゐる。ちよつと大きすぎて取り出すのが不安なのだ。揺れる車内で取り出して、うつかり落としたらどうしやう。
さういふ不安がある。

乗り物の中でiPhoneを取り出すことがあるとしたら、それは座れたときだ。立つてゐる場合は、片手で取り出せるときに限る。
そんなわけで車内では取り出さないことが多い。

モバイル? ユビキタス? なんのことだらう。

大きすぎるんだよね、iPhone。
もうちよつと片手で握つたときにちやうどいいサイズならいいのになあ。
薄くするよりは横幅を短くした方がいい。

揺れる車内にはおかまひなしに片手でスマートフォンを持つてもう片方の手で使つてゐる人がゐるけれど、いきなり電車が大きく揺れて倒れかかつても平然としてゐるよね。それくらゐの度胸がなければ電車内ではスマートフォンなど使へないのかもしれない。

こんな自分に必要なのは Apple Watch なのだらうか。
そんな話を以前書いた。
Apple Watch なら、電車内でも容易に着信を確認できるのではあるまいか。
でも、それだけのために Apple Watch を買ふのか?
買はないよなー。

iPhoneは4くらゐの大きさでよかつたと思つてゐる。
5でギリギリ、かな。それでも大きすぎると思つてゐた。右手で持つたときに、左上にあるものをタップできないんだよね。
最近はホームボタンのダブルタップで画面が半分くらゐ下がつてくるやうになつてゐる。
しかし、これが便利かと問はれると、返答に窮する。
Safari を使ふときのことを考へてみやう。

Safari で現在見てゐる画面を閉じたい場合、まづ画面最下部のナヴィゲーションバーのようなものを表示する必要がある。それには画面最上部中央部分をタップしなければならない。
そこでまづホームボタンをダブルタップする。
そして画面最上部中央部分をタップする。
その後、ホームボタンをダブルタップする。
画面最下部にあるバーの右端にある画面操作の絵をタップする。
画面ごとに閉じたり開いたりできるやうになるので、閉じるボタンを押したいのだが、これが左上にある。
ここでまたホームボタンをダブルタップする。
閉じるボタンをタップする。
以上、七回の操作が必要になる。

iPhoneがちやうどいい大きさなら、ホームボタンのダブルタップをする必要がなくなる。
ゆゑに操作は四回で済む。
しかも、ダブルタップに失敗して「ちっ」とか思ふこともない。
至極平穏、世はこともなし、だ。

そんなに使ひづらいのなら、iPhoneなんてやめちやへば?
さう思はないこともない。
iPhoneに限らず、スマートフォンを使ふのをやめる。
いい考へぢやあないか。
さうは思ひつつもやめられないのには、なにか理由があるのだらう。

ちなみに、そんなわけで歩きながらスマートフォンを使ふこともない。
危ないぢやんよ、そんなことしたら。

Thursday, 10 December 2015

とても素敵な東京こどもクラブ

先月、音楽実験室 新世界で催された「夜の入り口」の「ポポイ」の朗読を聞いた。
以降、朗読会に行きたいと思つてゐるのだが、予定がかちあつてしまつて行けてゐない。

先日はラジオで久保田万太郎の「釣堀にて」を聞いた。
出演してゐた中村歌昇がことのほかよかつた。
なにがよかつたといつて、聞いてゐて歌昇の姿が脳裡に浮かばなかつたことだ。
この青年(年齢からいくと「少年」か)はこんな感じかな、と、想像しながら聞いた。
着慣れた白い開襟シャツを着てゐるんぢやないかな、とか、鬱屈はたまつてゐるもののふだんは気持ちのいい青年なのだらう、とか、ちよつと日焼けしてゐる感じかな、とか。

以前はよくラジオドラマを聞いてゐた。
きつかけはニッポン放送でまんがをラジオドラマ化した番組を聞いたことだつたやうに思ふ。
記憶に残つてゐるのは「超人ロック」だ。それも「ロード・レオン」の回。
「ロード・レオン」は三度くらゐはラジオドラマ化されてゐるのぢやあるまいか。少なくとも二回は聞いた。
一度は曽我部和行(当時)で、もう一度は古川登志夫がロード・レオンだつた。
どちらもよくてねえ。甲乙つけ難いとはかういふことを云ふんだらう。

NHK FMだつたと思ふけれど、新井素子の「星へ行く船」も聞いた。
これもラジオドラマを聞くやうになつたきつかけだつたかもしれない。
広川太一郎が太一郎をやるといふので聞きはじめた。
多分おなじ放送枠で、森本レオと北原遥子との「時のない国その他の国」とか、もう題名は忘れてしまつたけれど松橋登が超絶二枚目の怪盗を演じたドラマを流してゐたやうに思ふ。この松橋登の「聲だけでハンサム」ぶりがすごくてね。いまでも「聲だけでハンサムを表現する」といふと松橋登を思ひ出す。

ほぼ同時期にNHKラジオ第一放送では神林長平や大原まり子、火浦功といつた当時の若手SF作家の短編をラジオドラマ化して放送してゐた。
なぜか「スフィンクス・マシン」を録音してゐて、番組のメイキングの箇所がいつまでもカセットテープに残つてゐた。スフィンクス・マシンの登場場面ではキャベツの葉を剥く音を使つてゐる、とかなんとか、そんな話だつたやうに思ふ。

音だけ、聲だけ、といふのが、自分にはしつくりくる。
映像はあるにこしたことはないけれど、なくてもいい。むしろない方が聞きたいときに聞ける。
十二代目市川團十郎襲名披露公演の「勧進帳」のCDなんか、実にありがたいと思ふもの。いまだつたらDVDは出るかもしれないけれど、おそらくCDは出ないだらうからね。
この「勧進帳」の富樫がすばらしくてね、といふのはまた別の話である。

音だけ、聲だけといふのが好き、といふそのきつかけはどこにあるのだらうか。
考へて、もしかしたら「東京こどもクラブ」かな、と思ひ至つた。

こどものころ、よく「東京こどもクラブ」のレコードを聞いてゐた。
レコードは定期的に増えたりはしなかつたやうに思ふので、おそらくお試し版だつたのだらう。あるいはもらひものだつたのかもしれない。
「まへだのをぢさん」が前田武彦のことだと知つたのは、その訃報を聞いたときだつた。
「ごうをぢさん」がまさか大岡越前だつたとはねえ。
「びんちやん」が楠トシエだといふのも、だいぶ年を経てから知つた。Web検索かなにかでたまたま目にしたのだつたと思ふ。

びんちやんの歌が好きだつたなあ。
「どんぐりころころ」の最後のなんともいへない悲しさ。
「フレール・ジャック」はフランス語の歌なんですよ、とか云つてゐたつけ。「フランスの鐘は「リンディンドン」つて鳴るんです」とも云つてゐたかなあ。
「おつかひありさん」「とんぼのめがね」「きゅーぴーさん」……なつかしい。

ほかにも物語のレコードがあつた。
「シンデレラ」の残酷な逸話がかなり残つてゐるものとか、「三つの願ひ」とか。これは単発ものを親が買つてくれたものだつたのかなあ。LPレコードだつたので、自分でかけるのがちよつと大変だつた。

落語もカセットテープで聞いてゐた。
浪曲もだな。浪曲といつて、虎造ばかりだつたけれど。

それもこれも、おほもとは「東京こどもクラブ」だらう。
いまWikipediaの「東京こどもクラブ」の項を見たら、題名を見ていろいろ思ひ出した。
「あぶなかつたたかしちやん」。あつたあつた、そんな話。
「さんびきのくま」も覚えてゐる。「ななひきのこやぎ」も。なんだ、結構ごうをぢさん、多いんぢやないか。
かうして見ると東京こどもクラブで覚えたクラシック音楽も多いんだな。

東京こどもクラブにしてもラジオドラマにしても、ちやんと記録をつけておくのだつたなあ。
さうしたら思ひだすよすがになるのに。
しかたがないので、思ひ出せた分だけ、かうして残しておく。

Wednesday, 09 December 2015

揺れる手帳好き心

来年の手帳をまだ入手してゐない。

来年の手帳は MIGNON と決めてゐた。
ミニヨンの手帳はいつも銀座の伊東屋で開催される手帳フェアで求めてゐた。
どうやら今年はその手帳フェアがないのらしい。
カレンダーフェアは催されてゐるやうなのになあ。
銀座の伊東屋は今年新装開店して以来、昔からの伊東屋好きにはあまり評判が芳しくないと聞いてゐる。
かういふところにも旧来のファンを不安にさせる要素があるんだらう。

しかし、伊東屋で手帳フェアが仮に開催されてゐたとしても、行く時間がなささうだ。
問題はここにある。

そんなわけで、現在手元にある来年の手帳は、ほぼ日手帳と松竹歌舞伎会からもらつた薄い月間手帳の二冊だ。

さう、来年の手帳をまつたく買つてゐないわけではない。
ただ、現在手元にある手帳は手帳の用途で使ふつもりで手に入れたものではないのだ。

歌舞伎会の手帳は、知らず知らずのうちに送られてきたものなので、どう使つたものやら悩んでゐるところである。

ほぼ日手帳は、以前少し書いたやうに「易日記」にするつもりで入手した。
易については、これまた以前書いたとほり、占ひだとは思つてゐない。
手持ちの情報のどの部分をどう切り取つて見るか決める、その材料になるものだと思つてゐる。
すなはち手持ちの情報量がまづものを云ふと思つてゐる。
タロット占ひなんかもさうなんぢやないかなあ。

易をやるからといつて、占ひをするつもりはまつたくない。
たとへばいま従事してゐる仕事が今後どうなるかを知りたいとする。
その場合は、出た卦によつて手持ちの情報の見方を変へる。
見方を変へる、といふか、見るときの切り口を変へる、のかな。
易つてさういふものなんぢやないかなあ。
まあ、これは勝手な思ひ込みだけれども。

で、その記録をほぼ日手帳に書き込まうと思つてゐるのだつた。

ほぼ日手帳は、日曜はじまりができてからは必ず日曜はじまりにしてゐる。
カレンダーと合はせやすいからだ。
カヴァは MOTHER2 の登場人物勢ぞろひにしてみた。
実はおなじく MOTHER2 のサターンバレーのカヴァも買つてゐるのだが、こちらは四月はじまりの手帳と一緒に使はうと思つてゐる。
ほぼ日手帳が届いて、カヴァをかけてみると、とたんになにか書き込みたくなる。
佇まひがいいんだよなあ。
使ひなれてゐるから、といふのもあるかもしれない。
かうして見てゐると、来年の手帳はもうこれでいいんぢやないかといふ気さへしてくる。

それではどうして来年の手帳にしないのかといふと、かさばるからだ。
ここ数年、ほぼ日手帳は置き手帳として使つてゐる。
ほとんど持ち歩くことはない。
使ひはじめたばかりのころは毎日どこにでも持ち歩いてゐたけれど、あるときからかさばるし重たいと思ふやうになつた。
かばんが変はつたんだらうな、多分。
以降は職場か自宅に置きつぱなしになつてゐる。
易日記にしやうと思つたのも、それだつたら持ち歩く必要はないと思つたからだ。
だつたらほぼ日手帳カズンにしてもよかつたのだが、カヴァが、ね。MOTHER2 のカヴァがほしかつたんだよね。

以前はどこに行くにも持ち歩いてゐたのだから、持ち歩けないことはない。
易日記はまた別の手帳につけることにして、ほぼ日手帳を来年の手帳にしちやはうかなあ。
ああ、しかし、ミニヨンの手帳つて決めてたのに。
なにをどう書き込むかも決めてゐたのに。
うーん……

といふわけで、今年の手帳を見ながら伊東屋に行く日程を考へてゐる。

ほんとは HIRATAINDER も気になつてゐるのだが、それはまた別の話。

Tuesday, 08 December 2015

学ばない学ばない

タティングレースのモチーフは現在のところ五つできてゐる。
日々、「来年の年賀状を出すのはあきらめやう」といふ思ひが強くなるばかりである。

Tatted Motifs

今年は休みも少ないしなあ。
例年、十二月はなにかと忙しい。
といふ話はすでに書いた。
歌舞伎座、国立劇場、南座で芝居がかかつてゐて、文楽もある。
今年はさらに落語と別の芝居にも行くことになつてゐる。
土曜日には仕事の入つてゐる日もある。
世間様でいふ仕事納めの日には東京マッハにも行く。
そして、飯田市川本喜八郎人形美術館では新展示が公開されてゐて、しかも今月の上映作品には「世間胸算用近頃腹之裏表」がかかるといふ。
どーしろといふ感じだ。

全部に行く必要はない。
そのとほりである。
だいたい毎年息切れして、千秋楽付近に行くことにしてゐる歌舞伎座には行けないことも一度ならず、だ。
千秋楽に行けたとしても、一週間ちよつとでもう初芝居だ。
一月は歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、大阪松竹座、浅草公会堂で芝居がかかつてゐて、文楽もある。
さすがに三ヶ月つづけて遠征はしないけれど、なんなんですかね、この忙しさ。
だから中村東蔵に丈賀をやらせるなんていふとんでもない配役になるんだよなー。
だいたい田之助の丈賀だつてどうかと思つたのに。

それはまた別の話。

ここまでは、モチーフが思ふやうに作れてゐないことへの言ひ訳だ。
南座への行き来の新幹線の中で作るつもりでゐたのだけれども、行きは寝てしまつた。帰りにちよこつとやつた。乗つてから降りるまでせつせと作ればモチーフのひとつくらゐできやうものを、そこまでの気力は残つてゐなかつた。

年賀状を出すのはあきらめやうかなあと思ひつつもモチーフ作りはやめられない。
楽しいからだ。
これまで The Twirly をつなぐプロジェクトにかかりきりで、The Twirly といふ Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフばかり作つてきた。
たまに全然違ふものを作ると、これが異様に楽しい。
The Twirly が楽しくないわけぢやあない。
The Twirly は、おそらく今まで作つてきた中では一番好きなモチーフかもしれない。すくなくとももつとも好きなモチーフのひとつであることは間違ひない。
さうでなければたくさん作つてつなげやうなんで思はないよ。

でも、それとこれとはまた別だ。

シャトルも、The Twirly には Aerlit を使つてゐるけれど、いまは GR-8 Tatting Shuttle を使つてゐる。
使ひなれたる黒檀のシャトルだ。
GR-8 Tatting Shuttle はシャトルひとつだけの作品を作るときには最強だ。
ボビンに巻いた糸はただ引き出せばいいだけだからだ。
GR-8 Tatting Shuttle 弱点は、一度引き出した糸をボビンに巻き付けるのがむづかしいことだ。
それをしなくていいシャトルひとつだけで作る作品に、これほど向いたシャトルもない。

……まあ、GR-8 Tatting Shuttle はチト大きいので、それで扱ひづらいと思ふ向きもあるかもしれないが。
確かにクロバーのタティングシャトルを使ふときのやうにさくさくとは使へない。
クロバーのシャトルにはクロバーのシャトルのよさがある。
さういふ話だと思ふ。

それはともかく、GR-8 Tatting Shuttle の中でも一等お気に入りのシャトルを使つてゐるといふだけで、なんだか楽しいのだつた。

といふわけで、「年賀状を出すのはあきらめる」と云ひながらもまだまだモチーフ作りをつづけるつもりでゐる。

Monday, 07 December 2015

ぐるぐる編みたい

Domino Knitting に掲載されてゐる Striped Shawl は遅々として進んでゐる。

すなはち、まつたく進んでゐないわけではない。

前回書いたとほり、編みつけながら編み進むのが妙に楽しくて、編みたくて仕方がないんだな。
でも二段ごとに糸を変へて編むときは、表側の最初の目の糸の引き加減に気をつけながら編まないといけないので、なかなか進まない。
いつごろ編み上がるかなあ。
年内はムリだ。
この年末年始は休みが少ないのであまり編めないやうな気がするし。

それはそれでいいのだけれど、ほかに編みたいものがあるんだよね。
ここのところなぜかくつ下が編みたくて仕方がない。
くつ下なんて何足も編んだぢやん、とも思ふし、そんなに編んでどうするんだよ、とも思ふが、なぜか編みたい。
くつ下くらゐの円周の長さのものを0号の四本針とかでちまちまぐるぐる編みたい。
糸はやつぱり中細毛糸かな。
合太くらゐの糸を2号針とかで編むのもいいかも。
並太くらゐの糸を3号針で縄編みを入れながら編むのもいい。

と、妄想はとどまるところを知らないのである。

ところで、突然冷えてきた。
家の中でも指なし手袋をすることがある。
さうかー、指なし手袋もいいなあ。
家ではちよつと長めに編んだものを使つてゐる。糸は Regia Silk。一応絹混の糸だけど洗へるのがいい。
でももうちよつと長いのがほしい気もしてゐる。
どこから冷えるといつて、膝や肘が冷える気がするからだ。

テリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」でDr.パルナサスとその娘とが肘の上まであるやうな長い指なし手袋をしてゐたんだよねえ。あれがなかなかよささうだつた。
肘の上まであるやうなのを編むとしたら、途中で増減目が必要なんだらうなあ。
さう思ふと、なかなか踏み切れない。
肘まで隠れればいいのだつたら、さういふセーターなりヴェストなりを編めばいいぢやん、とかね。

以前、Avril で夏用のアームカバーを絹糸で編んだものを展示してゐた。
肘より上まで覆ふやうなデザインだつた。
これもいいなあと思つたんだよなあ。

とにかく、中細毛糸を0号針くらゐで編んだときにだいたい60目になるやうなものをぐるぐる輪に編みたい。
この週末くらゐからさう思つてゐる。
なぜなのかはわからない。

帽子もいいな、とは思ふんだけれどもね。
帽子だつたら輪針だね。
まちのない平たい袋のやうなものを編んでみたい。かぶると猫耳のやうなのができるタイプの帽子。
いま編んでゐる Striped Shawl であまつた毛糸で編むつもりでゐるんだけれども、それだとこの冬には間に合はないかなあ。

とりあへず、せつせと Striped Shawl を編むことにするか。

Friday, 04 December 2015

川本喜八郎人形ギャラリー ギャラリー外のケース

11/14(土)、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーで新たな展示内容が公開された。
今回はギャラリー外のケースについて書く。

ギャラリー入口前のケースには牛若丸と静とがゐる。
このふたりは以前ギャラリー内に展示されてゐたことがある。

「牛若丸」でいいのかな。説明には「遮那王」とも書いてある。
「新・平家物語」では幼い牛若丸は白拍子の一団に混ぢつてゐたことがある。
そこで静とも知り合つて、幼なじみだつたことになつてゐる。

そんなわけで牛若丸は女の子の態、なのだらう。
白拍子だから男装束なので、男なのか女なのか、判然としないところがおもしろい。
そのせゐもあつてか妙に色気もある。

対する静はこどもらしく愛らしい佇まひだ。
華麗にかるがると舞ふ牛若を目で追つてゐる、といつたやうすなのかなあ。

ギャラリーの中には成長したふたりがゐる。
比べて見られるのがいいね。
ギャラリーの中の静は先日書いたやうにどこか表情が幼く見えて、それつて幼なじみに再会して昔のことを思ひ出したからか知らん、とか、そんなことも考へてしまふ。

例年、十二月末から一月の頭にかけて、ギャラリー外のケースは新年用の展示に変はつてゐる。
今年も変はるのかな。
年末年始にヒカリエに行く場合は、牛若丸と静とには会へない可能性もあるので要注意だ。

エスカレータの目の前のケースには、「人形歴史スペクタクル 平家物語(以下、「人形劇の「平家物語」)」で使はれた小道具が飾られてゐる。
経正の琵琶と、仏御前、朱鼻伴卜、平時忠の扇がある。
経正の琵琶は、青山だらうか。
前回の展示には、守覚法親王に琵琶を返す経正がゐた。
今回のケースでは、琵琶の後ろに鏡が置かれてゐて、琵琶の背中の模様が見えるやうになつてゐる。
細かい。
「びじゅチューン!」の「転校しないで五絃琵琶」にもあつたね。
「その美しい背中の唐花模様」つて。
(推定)青山の背中の模様もとても美しい。
実物もこんなだつたのかな。

扇は、持ち主を思ひ出しつつ見てしまふ。
伴卜なんかは扇を手に展示されてゐたやうな気がするんだけれど、こんなだつたか知らん、などと思ひつつ見てしまふ。
中の展示の経盛のそばに置かれてゐる風呂敷にしてもさうだけれども、模様が細かくて感嘆することしきりだ。
美は細部に宿る、と、これは先日書いたやうに、もとになる幹の部分がしつかりしてゐるから細部の美が生きてくるんだらう。

今回はオール人形劇の「平家物語」だ。
個人的にはいいと思つてゐる。
いろいろ事情もあるだらうしね。
ただ、飯田市川本喜八郎人形美術館でちよつと耳にしたことが気になつてゐる。
「渋谷にはね、人形劇の「平家物語」の人形しかゐないのよ」と云つてゐた人々がゐたからだ。
おそらく、その人たちが川本喜八郎人形ギャラリーに行つたときはたまたまオール「平家物語」のときだつたんだらう。
それは仕方がない。
でもその人たちのことばを聞いて「さうなんだ、渋谷には「平家物語」の人形しか展示されてゐないんだ」と勘違ひする人が増えたらちよつと悲しい。
それはそれで仕方がないのかな。

「落日粟津ケ原」についてはこちら
「鎌倉非情」についてはこちら
「一ノ谷」その一はこちら
「一ノ谷」その二はこちら
「父子三態」についてはこちら

Thursday, 03 December 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 2015/6〜11の展示のこと

飯田市川本喜八郎人形美術館は現在展示替へ中だ。
12/5(土)から新たな展示が見られるとのことである。

といふわけで、いまのうちに先月までの展示について過去のエントリで書かなかつたことを書いておきたい。

今年の6月から11月にかけての飯田市川本喜八郎人形美術館の展示のうち、「人形劇三国志」に関する展示は、いまはの際の孔明が来し方を思ひ出してゐる図、だつたのださうである。
このことについては、美術館の方がTwitterでも呟いてゐたので目新しい情報ではない。申し訳ない。

この時の展示では、展示室に入るとまづ孔明が立つてこちらを見てゐた。
「出師の表」の回以降の白い衣装を身にまとつてゐた。
川本喜八郎は最初孔明に白い衣装を着せやうと思つてゐたが、立間祥介から「白は中国では喪の色です」と云はれて断念した、と、これもあちこちに書かれてゐることではある。
それで出蘆後の孔明の衣装は黒になつたといふ。ほかの登場人物の衣装が色とりどりだつたので黒が目立つから、といふのが理由だつたらしい。
そんなわけで初登場のころの仲達は反対に白つぽい衣装で、孔明が白い衣装になつた後は黒つぽい衣装になつてゐるのだとか。

何度か書いたやうに、白い衣装の孔明にはあまりいい印象がない。
「死ぬつもりなんでせう」と思つて見てしまふからだ。
北伐して成功するつもりでゐるやうには見えないんだよね、人形劇では。
「人形劇三国志」自体も、玄徳が死んだところで終はつてゐればよかつたのに、と思つてゐる。

さうなんだけれども、この展示のときの孔明はよかつたなあ。
風をはらんだやうすでさ。

川本喜八郎の人形アニメーションといふと、風の印象が強い、とは、これまた以前も書いてゐる。
無風状態でないと撮れない映像なのに、作品の中にはちやんと風が流れてゐる。
「道成寺」や「火宅」、「死者の書」で印象的な荒れ狂ふやうな風だけでなく、そよそよとやさしい風もきちんと吹いてゐる。
人形劇を撮つた人が川本アニメーション作品をどれくらゐ意識してゐたのかわからないが、「人形劇三国志」でもふはりと風の吹いてゐる場面がよく出てくる。
関羽の髯や頭巾の端が風に揺れてゐたりするんだよ、見てゐると。

人形劇のときは扇風機などで実際に風を起こしてゐたんだらう。
人形アニメーションは髪や衣装に細いワイヤを通して動かしてゐるのだといふ。
6月から11月の展示の孔明の衣装の裾にも、似たやうな仕掛けがほどこされてゐたのだと、これは訊ねてみて知つた。
フラワー芯を仕込んだのださうだ。
フラワー芯といふのは、造花に使ふ手芸材料だ。
造花を作るのに用ゐるので、緑色のものが多いのださうだ。
それを孔明の衣装に合はせて白く塗つて仕込んだのだといふ。
なにか仕込んではあるのだらうと思つても、まさかそんなものが仕込んであるとはなあ。
展示が終はつたらフラワー芯を抜くんだらう。
もしかしたら昨日一昨日あたりで抜かれてたりしたのか知らん。
それとも二年半後の展示でこのフラワー芯がまた生かされたりするのか知らん。
そんなことも気になる。

ワイヤーで動かす、といふ話から人形アニメーションの話もうかがつた。
「冬の日」の芭蕉には、通常よりも多くのヒューズが使はれてゐて、より稼働するやうになつてゐるのださうである。
教へてもらはないとわからないことだ。
「冬の日」、いいよね。
6月に見てきたときも書いたけれど、なんといふか、見てゐてほのぼのするんだよなあ。
今度会へるのはまた二年半後とかなのか知らん。

今度会へるのはいつか知らん、と思へることは幸せである。
「人形劇三国志」の人形だつてもう三十年以上前に作られたものだ。
人形アニメーションの「花折り」「鬼」「道成寺」などは四十年以上前、そろそろ五十年にならうとしてゐるものもある。
劣化はどうしても避けられないのだといふ。
このときの展示では「道成寺」の女がゐた。
いつもより動きが少なかつた。
人形への負担を減らすためだつたのらしい。

劣化といへば、ホワイエに飾られてゐたパペットアニメーショウの人形はウレタンでできてゐて、気をつけないと劣化したウレタンが崩れてしまふのらしい。
パペットアニメーショウの人形がウレタン製といふのは、夏に渋谷区防災センターで開催された講演会で聞いた。
土曜日からの展示では「世間胸算用近頃腹之裏表」の人形が飾られる予定だ。こちらもウレタン製と聞いてゐる。
会へるときに会つておかないとね。

人形アニメーションの展示といふと、6月から11月の展示ではいつもとちよつと違ふ点があつた。
たとへば「いばら姫または眠り姫」は、セットも一緒に展示されてゐた。
姫はいつもとおなじやうに椅子に腰掛けて刺繍の最中といつたやうすだつた。
その背後にテーブルと椅子があつた。
椅子は二脚あつて、そのうち一脚はちよつとずれた位置にあつた。
つひさつきまで誰かがゐたやうすを表現してゐたのださうだ。

「鬼」も、兄の方がちよつと高いところにゐて、作中にあるやうに山を登つてゐる最中といつたやうすでよかつたんだよなあ。

「火宅」は、菟名日処女と血沼丈夫・小竹田男とは別の世界にゐる、といふイメージで展示されてゐたのだといふ。
いままで見た「火宅」の展示では、血沼丈夫も小竹田男も狂ほしく処女を見つめてゐることが多かつた。
今回の展示ではどちらも梅の枝を抱いてあらぬ方向を見てゐた。
あらぬ方向を見ながら、処女のことを思つてゐる。
そんな感じだつた。

先月までの展示については、6月に書いた。
6月に書いたエントリでは、美術館の方々からお聞きしたことなどは書かなかつた。
書かなかつた理由は、実際に行つて聞いた方がいいと思つたからだ。
行つても混雑してゐたらなかなか聞けないかもしれない。
でも実際に行つて見る、行つて聞くことが重要だなあ、と思ふことがあつたので、な。

新展示公開まであと二日。
とても楽しみである。

Wednesday, 02 December 2015

川本喜八郎人形ギャラリー 父子三態

11/14(土)、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーで新たな展示内容が公開された。
今日は「父子三態」のケースについて書く。

「父子三態」のケースはギャラリーの入り口を入つて右手にある。
左から駄五六、通盛、小宰相、知章、知盛、直実、直家、経盛、敦盛の順に並んでゐる。

「父子三態」といひながら、駄五六、通盛、小宰相のところには父もゐなければ子もゐない。
小宰相はおなかにこどもがゐる態なので、通盛は父といへないこともない。
でもまあ、ここは夫婦の別れだらう。

駄五六は、後方わづかに高いところにゐて、通盛と小宰相とを見てゐるといつたやうすで立つてゐる。
身につけてゐるものは身分の低い兵の装ひとでもいはうか。
説明によると、駄五六は小宰相のお供をしてゐたとある。出陣した通盛の後を追つて一ノ谷までやつてきた小宰相についてきたのださうな。
しかし駄五六は実際の戦に恐れをなして逃げ出す。その先で義経一行につかまり、道案内をすることになる、と書いてある。
戦のさまを目の当たりにして逃げてしまふつて、わかるよなあ。戦ひたくないし、死にたくない。
通盛と小宰相とを見てゐながら、駄五六の衣装を見ると、もうすでに戦場近くにゐるこしらへな気がする。
さうだとすると、ひとり逃げゆく身を謝してゐるのかもしれない。
それとも「こんなところは真つ平御免だ」とでも思つてゐるのかな。

通盛は旅支度といつた出で立ちで、向かつて右側にゐる小宰相を見つめてゐる。
小宰相も外出着だ。手には杖を持つてゐて、その手を通盛が取らうとしてゐるやうな感じに見える。
通盛の表情が冴えないなあと思ふのは、こちらがさう思つて見てゐるからかな。
未練がある。
そんな風に見える。
未練のない人間なんてゐないだらうし、とくにこれから戦場へ向かふ身として愛しい相手と別れるといふのだから、そりや未練のないわけがない。
今回の展示では覚悟を決めた表情の人が多いので、未練を残して行かうとする通盛はよけいに冴えなく見えるのだらう。

小宰相は、そんな通盛に寄り添はんとして立つてゐる。
なんとなくきれいな役を演じるときの中村福助に似てゐる気がする。
飯田市川本喜八郎人形美術館にゐる葵も福助似だなあと思ふのだが、こちらは才気煥発系のちよつときつめの役のときの福助だ。
単にやつがれが福助が好き、といふだけのことだらう。
上にも書いたとほり、着付けの工夫かおなかにこどもがゐるかのやうに見える。
この場の通盛と小宰相とは、このあと一旦は別れるのだらう。
説明によると、小宰相は妊娠してゐることを告げたくて通盛のあとを追つたといふ。たどりついてみたら通盛はすでにあの世に行つてしまつてゐて、小宰相もまた後を追ふのださうな。
この説明からいくと、ここにゐる通盛と小宰相とはそれと知らず最後の別れを惜しんでゐるところだらう。
それでゐて、小宰相の方が表情に覚悟の色が見える気がする。
でもその覚悟は「もう二度と会へない」ではなくて、「きつとまた巡り会ふ」といふ覚悟なのかもしれないなあ。

小宰相の右側ややはなれたところに平知章が立つてゐる。
左腕は通せんぼをするかのやうに、あるいは背後にゐる父・知盛をかばふかのやうに掲げられてゐる。
知章は表情がよくて、なあ。
まつすぐきつぱりと正面を向いてゐて、「ここは自分に任せて父上は早う先へお行きくだされ」とでも云つてゐるかのやうに見える。
決して後へは引かぬ。
そんな決意のみなぎる表情だ。
お前こそ逃げろ。
さう思つて見てゐるが、しかし知章はその場に残るんだらうなあ。
立派で健気で、見てゐてつらいよ。

その知章の右後方に馬上の平知盛がゐる。
視線の先には知章がゐる。
こどもを残して立ち去る心は如何ばかりだらう。
それもまだ17歳の息子だ。
立ち去るに立ち去れず、でも逃げて行つたのに違ひない。
知盛は「平家物語」ではひとかどの武将として描かれてゐる。宗盛にかはつて指揮を取つてゐたやうにも見受けられる。
実際の知盛には、これといつた武功・武勲はないのらしい。
ないから後の世の人はいろいろでっちあげやすかったのかもしれない。
知盛は、我が子の分も生き延びやうとは思はなかつたんだなあ。
「見るべきほどのことは見つ」といふのは、もうこれ以上なにも見たくないといふ意味だつたのかも、と思つてしまふやうな今回の知盛・知章父子である。

知盛の右側前方に、熊谷直実・直家父子がゐる。
どちらも烏帽子に鎧姿である。
直実は膝をついて、負傷した我が子を抱き寄せ「しつかりしろ」と云つてゐるやうな風情だ。
直家は頭と腕とに血のにぢんだ包帯を巻いてゐて、かなりの重傷に見える。ぐつたりとしてゐて、目もうつろだ。
陣中なのかな。
先陣争ひの結果傷を負つた直家を直実が抱き抱へてゐる図といつたところか。
直実は、先日の伊勢三郎ではないけれども、野性味あふれる顔立ちで、普段は頑固一徹な親父なんだらうなあといふ感じがする。
そんな直実が心配さうにしてゐる、といふのがおもしろい。
おもしろい、とか云つたら不謹慎かな。この直実は父の表情を浮かべてゐると思ふ。
お浄瑠璃の「一谷嫩軍記」だと、直実の子は敦盛の身代はりになつて死んでしまふ。
実際は、直家は生き延びて、出家した直実の跡を継いでゐる。
直実も跡取りもないのに出家はできないよな。

熊谷父子の右後方に、平経盛が座つてゐる。
手には青葉の笛を持つてゐて、敦盛のものだらう、袖も半ば広げられてゐる。
熊谷直実は平敦盛を討つた後、笛と袖とを経盛に送つたのだといふ。
それを手にしてゐる図だらう。
右膝の傍らに広げられた風呂敷の扇の刺繍もすばらしい。
経盛は、以前見たときもダンディで、今回もダンディだ。
心持ちうつむいた顔は悲しげではあるものの、我が子が死んだことを知らされた親といふことを考へると無表情に見える。
まだ実感がわかないのか。
あるいは、もともとかうなることを予期してゐたのか。
悲しみはこの後襲つてくるのかもしれない。

経盛の右前方に、鎧姿で笛を吹く平敦盛がゐる。
おそらく、経盛の記憶の中の敦盛か、直実からの書状を見ながら敦盛はかうもあつたらうといふ経盛の想像の中にゐる敦盛なのではあるまいか。
戦を前に笛を吹いて心を慰めてゐるのだらうか。
はたまた在りし日の都での楽しかつた日々を思ひ出してゐるのか。
照明の加減で影ができてゐるせゐか、この世のものではないやうに見受けられもする。
知章にしても敦盛にしても、けなげで潔い。
若いからかなあ。
もうちよつと生きることに執着してもいいのに。
さう思ふのは見る側の勝手かな。

以下、もう少しだけつづく。

「落日粟津ケ原」についてはこちら
「鎌倉非情」についてはこちら
「一ノ谷」その一はこちら
「一ノ谷」その二はこちら

Tuesday, 01 December 2015

云ひ訳のネタは尽きない

タティングレースのモチーフ作りは、お寒い状況である。
写真を撮つてみてそれが知れた。

Tatted Motifs

現在のところ、この三つしかできてゐない。
できてゐない、といつて、この三つだつて糸始末はしてゐない。
年賀はがきにのりではりつけるから、糸端が見えなければそれでいいだらうと思つてゐる。
うつくしくない。
細部がないからだ。

しかし思ふのだ。
美は細部にやどる、といふのは、おほもとになるものが確固としてあることが前提なのだらう、と。
この場合、おほもとになるモチーフ自体がグダグダなのだから、いくら細部に凝つたところでどうにもなりはしない。

以前も書いた。
薬師寺の三重塔の屋根の上についてゐる水煙は、それはそれはすばらしい細工がほどこされてゐるのだといふ。
三重塔の天辺についてゐるのだから、普通は人の目には見えない。
そこに凝りに凝つた細工ものがある。
これをもつて「美は細部に宿る」といふのだが、それは三重塔がまづしつかりと建つてゐてうつくしいからだ。
三重塔が見るも無惨な建築物だつたとしやう。
その天辺にいまの水煙がついてゐたとして、人は「美は細部に宿る」と云ふだらうか。
云はないね。
まづ云はない。

細部にこだはるのは、基本となるもの、おほもとになるものがきちんとできてからだ。
それもできずに細部にこだはつてどうするよ。
そんなところに美なんて宿るはずがない。

糸端を始末しない云ひ訳はこれくらゐにしておくか。

ところで、「世界の車窓から」を見てゐたらトルコの人はくつ下を編んでも糸端の始末はしないのだと云つてゐた。
履いてゐるうちにフェルト化して気にならなくなるから、といふのである。
一理ある。
この放送を見て以来、くつ下の糸端を始末しないこともある。
大抵はするけどね。気持ちの問題だからね。

モチーフ作成がお寒い状況だといふことは、来年の年賀状も出せないかな。
この後、新幹線や高速バスに乗る機会があるから、車中で量産するか。
車中は車中で車窓の景色に目を奪はれてなにもできなかつたりするんだけどね。
そして、「車内で量産しやう」といふ目論見も「取らぬ狸のなんとやら」になつてしまふのが例年の行事ではある。

さうかうするうち大掃除は二の次になつてしまふのもいつものことだ。
これもまた云ひ訳だな。

2015年11月の読書メーター

2015年11月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1077ページ
ナイス数:9ナイス

ポポイ (新潮文庫)ポポイ (新潮文庫)感想
一泊旅行の友につれて行つた。再読。やはりよくわからないけれど、しばしこのわからなさを楽しむとするか。
読了日:11月3日 著者:倉橋由美子
文化を超えて文化を超えて感想
Twitterで「こどものころ育つたフランスでは他人のことばの言外の意味を勝手に憶測してはいけないと習つた。日本では「云はなくてもわかるでせう」と云はれる。日本は特殊だ」といふやうな呟きを見て、それは高文脈文化か低文脈文化かの違ひなのではないかと思つて読むことにした。読んだ結果、上記呟きの主は同一視の人なのだな、といふことがわかつた。
読了日:11月9日 著者:エドワード・T.ホール
ポポイ (新潮文庫)ポポイ (新潮文庫)感想
自分にはめづらしくテクストを読み込んでゐる。作中で三島由紀夫のことを「ヴィルトゥオーゾ」と褒めてゐるけれど、主人公の祖父の云ふある種の単語とある種の比喩表現を組み合はせるだけで深遠な意味のことを云ひあらはすことができる、といふのは、もしかして自決前の演説などのことを云ふてゐるのだらうか、とか、いろいろ調べたいことがでてきてゐる。
読了日:11月11日 著者:倉橋由美子
ポポイ (新潮文庫)ポポイ (新潮文庫)感想
「夜の入り口」朗読会に行つてきたのであらためて再読。朗読会ではうまいこと編集してゐたんだなあ。ト書きといふか地の文にある感情表現はほとんどすべて朗読者が表現してゐたやうに思ふ。 朗読会後の古屋美登里と豊崎由美との対談で、「倉橋先生はフフフと笑ひながら書いてゐたと思ふ」「真剣に読む人を笑つてゐたのに違ひない」と云うてゐた。それを思ひ出し乍ら読んだ。
読了日:11月14日 著者:倉橋由美子
Mycroft HolmesMycroft Holmes感想
何かが違ふ。シャーロキアンではないのでシャーロックの兄であるマイクロフトの印象は朧げなものなのだが、それでも何かが違ふ気がする。物語はトリニダードから始まる。土地の民話に出てくる怪物が子供を殺した事件とロンドンにゐるマイクロフトがどう関係するのかが気になつて読んでみた。話の筋はハリウッド的。映画にしたらいいのかも、と思つたら、共著者は映画の脚本家だといふ。なるほど。
読了日:11月28日 著者:KareemAbdul-Jabbar,AnnaWaterhouse

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