飯田市川本喜八郎人形美術館 紳々竜々と黄巾の乱 2015
十二月十一日、十二日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
同美術館では十二月五日に展示替へしたばかりだ。
その新展示を目当てに行つた。
今回の人形劇の人形の展示主題は「新・三国志英雄列伝序章」だといふ。
黄巾の乱から霊帝亡き後の漢の皇室、のちの魏・呉・蜀、それと特異な人々が展示されてゐる。
「人形歴史スペクタクル 平家物語」の人形はゐない。
人形アニメーションの人形は「死者の書」の登場人物が展示されてゐる。
まづ展示室に入ると、思はずにつこりしてしまふ。
紳々竜々がお出迎へしてくれるからだ。
文字通り「お出迎へ」してくれるのだ。
手前に竜々、奥に紳々がゐて、二人とも片膝をついて「どーぞどーぞ(といふと別のグループを思ひ起こすかもしれないが)」とでも云ひたげに右手を展示室奥の方にかかげてゐる。
いはゆるホストの人のよくするポーズとでもいはうか。
竜々は状態をまつすぐにしてゐる。
紳々は首を若干右に傾げてゐて、ちよつと愛嬌がある。
最初に展示室に入つたときは驚いて、のちに微笑んでしまつた。
その後も、入るたびにわかつてゐても笑つてしまふ。
二人とも前回の展示にはゐなかつたから久しぶりだしな。
衣装は普段の服なので、まだ仕官する前なのだらう。「序章」だし。
次のケースには「黄巾の乱」といふ題名がついてゐる。
まづ、張宝・張角・張梁の三兄弟が立つてゐる。
三人とも鎧姿で、長兄である張角を中心に、向かつて左に張宝、右に張梁がゐる。
張角は張宝と張梁との肩に腕をまはしてゐる。
張宝と張梁とは張角の前で手をあはせてゐる。
この手のあはせ方がちよつとおもしろい。
張梁は手のひらを上に向けてゐて、その上に張宝が手のひらを下にして手をのせてゐる形なのだ。
Shall we dance?
いやいや、さうぢやないだらう。
三兄弟で一致団結、一旗揚げやうぜ、といつた勇ましいやうすだ。
「人形劇 三国志」では親子兄弟でも互ひに似てゐるところはあまりないことが多い。
玄徳と劉禅とで似たところがないし、今回の展示ていふと孫権と貞姫、諸葛瑾と諸葛亮とにも似たところはないやうに思ふ。
張角・張宝・張梁もそんな感じで、強いて云ふなら鼻の形が似てゐるかなあ。
渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーで見た張角・張宝・張梁は顎の形がそつくりだ。
もしかすると飯田の三兄弟もさうなのかもしれない。
今回はそれぞれ肩をあげてゐたり腕を前に出してゐたりして、顎周辺をよく確認できなかつた。
ほかの血縁者たちもよくよく見ると似たところがあるのかもしれない。
以前も書いたこともあるけれど、三兄弟一人づつにちいてちよつとだけ。
張宝は妖術遣ひだからだらう、ひとりだけ目の下に藍色のアイラインが入つてゐる。これが不気味な感じを醸し出してゐる。
張角は、かうして見ると、全然偉さうには見えない。世が世なら普通にただのをぢさんとして一生を終へたんぢやないかなあ。そんな感じがする。もしかするとちよつとした横領事件かなにかを起こして人生を過つてしまふタイプかもしれないけど。
張角の兜には「黄」の文字がある。文字のある兜をかぶつてゐるのはあとは孫乾くらゐかなあ、飯田で見たことのある人形の中では。孫乾は今回ゐるけれど、兜はよく見えない。といふ話はまた後にしやう。
張梁は如何にもラテンな顔立ちで、ソンブレロをかぶつてギターなんぞを持たせたら絶対似合ふ。末つ子の明るさ陽気さをあらはしてゐるのだらうか。
張宝・張角・張梁の向かつて右側には、公孫瓚と盧植とがゐる。
公孫瓚は右側にゐる廬植の方を向いてゐる。片膝をついて手を胸の前で組み、師である盧植の前で最敬礼してゐる、といつたやうすだ。
人形劇の公孫瓚のいふと、玄徳の兄弟子で「いい人」といつた趣の人だ。
呂布と戦へとか無茶ぶりされても「武門の誉れ」などと云ひきつてしまふ人でもある。
今回の展示の師匠の前でかしこまつてゐるやうすなどを見ても、「いい人なんだらうなあ」といつた感じがする。
なんとなく色素のうすい印象があるのは、砂を思はせるやうなベージュが基調の衣装のせゐかな。そこに赤茶の濃淡が乗つてゐて、濃い部分は紫がかつてゐるやうに見える。
公孫瓚の膝をついた方の足はつま先を立ててゐる。足の裏は床に立てた虫ピンで支へてあるやうだ。
紳々竜々も同様に虫ピンで足裏を支へられてゐる。紳々だけ足の中央部分にピンがあたつてゐて、竜々と公孫瓚とは端の方にピンがあたつてゐる。だからどうといふのではないけれど、違ふところがおもしろいと思つたので書いておく。
盧植は文官の出で立ちで公孫瓚に向かつて立つてゐる。見下ろしてゐる感じかな。
人形劇を見てゐたときは、盧植にはやさしげな印象を抱いてゐた。
飯田で会ふ盧植はいつも厳しさうだ。
もともとは厳しい表情のカシラなんだらう。
それが操演の妙によつて、やさしい老師匠といふ感じに見えてゐたんぢやあるまいか。
盧植の周囲を歩きまはつてみると、真横から見たときはなんとなくやさしさうな感じに見えないこともない。
気のせゐかもしれないけれど。
盧植だけでなく、人形劇で見たときの印象と飯田で見るときとの印象の違ふ人形は案外多い。
展示替へ後はいつも書いてゐることではあるが、該当する人物にあたつたときにはまた「なんだか違ふ」と書くことだらう。
以下つづく。
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