十年後の大学或いは学歴コンプレックス
produce lab 89の「夜の入り口」は第四シーズン「ポポイ」に行つてきた。
倉橋由美子の「ポポイ」の朗読会である。
詳しい話は後日にゆづることにして、このときテクストの編集について気になるところがあつた。
倉橋由美子の「ポポイ」は原稿用紙200枚くらゐの中編であるといふ。
これを一時間(72, 3分?)で朗読するにはだいぶ刈り込まなければならない。
行く前に3回読んだ。
実際に朗読を聞くとうまいこと編集されてゐてほとほと感心する。
あちこち削られてゐるけれど、それで話の筋がわからないといふことがない。
また、ト書きにあたる地の文は省略しても読み手がそれを埋める演技をするから不要でもある。
全体的にはそのとほりなのだけれども、ある一カ所が気にかかつた。
「ポポイ」は近未来の物語である。
豊崎由美によると、「フランク・ロイド・ライトが百年ほど前に建てたホテルに似てゐる」といふやうな一文があつて、ライトが建てたホテルといふと1923年の帝国ホテルか1926年のビルとモア・ホテルなのだといふ。
「ポポイ」の舞台はいまからざつと十年後くらゐといふことだ。
いまから十年後の未来では、大学ではネットの掲示板のやうなものを使つてセックス・フレンドを募集するやうなことをしてゐる。
しかも大学の施設をいくらかで借りるといふ。
豊崎由美は古屋美登里との対談で「倉橋先生もここの予想だけははづしましたね」と云つてゐた。
大学のネットワーク環境などは、だんだん利用規則の厳しいものになつてゐるのださうで、セックス・フレンドを探すだなんてとんでもないといふ状況なのらしい。
さて、そんな大学の立場がどうなつてゐるのかといふと、主人公である栗栖舞はこんなことを云つてゐる。
前世紀的な大学卒業資格にこだわる必要のある、中流の中以下の平凡でこれといつた取柄も特徴もない人間
どうやらこの世界では、大学は卒業するところではなくて自分の学びたいことを学びに行くところなのらしい。
舞自身はといふと、研究生といふ立場で大学に籍を置いてゐて、どうやら気の向いたときにふらりと大学に行くのらしい。
研究生は学生と違つて、自分の興味のあることしか学ばない。
教授に直接学費を払つてゐるやうな状態で、ゆゑに学生より学費は高くつくのだといふ。
教授たちも、お仕着せのセットを押しつけられてゐる学生よりも、自由に学びにくる研究生を大事にするのらしい。
朗読会ではこの「前世紀的な大学卒業資格にこだわる必要のある、中流の中以下の平凡でこれといつた取柄も特徴もない人間」のくだりは省かれてゐた。
その前後は生きてゐたにも関はらず、だ。
もちろん、このくだりが削られてゐたからといつて物語がわからなくなるといふことはない。
こだはるのは、朗読会に行く前に気になるところとしてこのくだりを書き抜いてゐたからだ。
自分には妙な学歴コンプレックスがあつて、最終学歴を知られたくないとつねづね思つてゐる。
通つてゐた学校の名前も知られたくない。
Facebookなどで出身校を登録しませうなんてあるけれど、とんでもない話だ。
できれば履歴書にも書きたくない。
ある意味では大学卒業資格にこだはつてゐないともいへるが、はたしてさうなんだらうか。
世の人はどうなんだらう。
自分の母校をなんの屈託もなく口に出せるものなのだらうか。
「私は何々学校を卒業しまして」だとか「学生時代の専攻は何で」とか他人に披露することにためらひはないのか。
ないのだらうな、多分。
でもこの「前世紀的な大学卒業資格にこだわる必要のある、中流の中以下の平凡でこれといつた取柄も特徴もない人間」といふ一文を省いたといふことは、なにかしら屈託があるんぢやあるまいか。
さもなければ、この前後もばつさりと削つてゐるんぢやないかなあ。
全体とは関係のない細かいことばかり気になるのがやつがれの欠点である。
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