無闇やたらと書きたくて
アリス・W・フラハティの「書きたがる脳 言語と創造性の科学」といふ本に、こんなくだりがある。
病気以外にふつうの人が書きたくてたまらなくなる原因は何だろう? 大きな原因は病気ではないがそれに近いもの、愛、それも不幸な愛だ。
愛は病気に近いのか。
それも、不幸な愛ゆゑに人は書きたくなるのか。
世にハイパーグラフィアといふものがある。
とにかく書きたくて書きたくてたまらない状態にあることを指す。
双極性障害、いはゆる躁鬱症の人がかかりやすいといはれてゐるやうだ。
「ハイパーグラフィア」をWeb検索すると出てくる例として、ノートやA2より大きいサイズの紙にひたすら文字を書き連ねるといふ話がある。
ひたすら書く人のこどもが公開したといふ。
写真を見ると、文章といふよりは単語の羅列が多いやうに見受けられる。
検索してひつかかつてきた説明を見ると、症状が重くなると文字の上に文字を重ねて書いてなにがなんだかわからなくなることがあるといふ。
症状の比較的軽いときには、他人が読んでもわかるものを書く。
大抵は陰謀論で、「かうすれば救はれる」といふやうなことが書いてあるのらしい。
なんだか考へてゐたハイパーグラフィアとは違ふ。
ハイパーグラフィアは、わけがわからなくてもまとまつた文章を書くものだと思つてゐた。
自分自身がさうだからだ。
時折、なんでこんなに書きたくてたまらないのかと思ふことがある。
今日なんかもそれで、日中ほかにすることがあるのにといふジレンマと戦ふことしばしだつた。
ひとつの話題について書くと、また別の話題について書きたくなる。
忘れないうちに書きとめなければ。
さうして止まらなくなる。
ところで、世に「ライターズ・ブロック (writer's block)」といふことばがある。
書きたいことがあるのに書けない状態をさすのだといふ。
何か書きたくて仕方がないのに書き出せない状態ともいへやう。
さういふこともよくある。
とにかく何か書きたいのだが、書くことを思ひつかない。
仕方がなく思ひつくままにあれこれ書きつけるのだが、「書きたいのはこれぢやないんだけどな」と思ひながら書き続けてしまふ。
無駄だなあ、といつも思ふ。
思ふが止められない。
あとで手帳を見返して、「ここは不要だなあ」と思ふことがしばしばある。
なるほど、「五右衛門vs轟天」の覚書を書いてゐるころ幸せだつたはずだ。
何も考へなくても書きたいことはいくらでもあつたからだ。
思ひ出せなかつたりぴたりとはまることばを思ひつかなかつたりして滞ることはあつたし、書き漏らしも多かつたけれど、総じて書きはじめるといつまでも書いてゐたい。
そんな気分だつた。
それも、不幸な愛ゆゑだつたのか。
書いてゐるあひだは幸せだつたがなあ。
フラハティ自身もハイパーグラフィアなのだが、不幸な愛ゆゑに書いてゐると思つてゐたのだらうか。
単にやつがれはハイパーグラフィアではないといふことなのかもしれないな。
または「ふつうの」人ではない、といふことも考へられるが、まあ、それはあるまい。
それにしても「不幸な愛」か。
思ひあたる節がないでもない。
まづは手帳に思ひあたる節を書き綴つてみるか。
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