平成枯れすすき
Domino Knitting に掲載されてゐる Striped Shawl は、先週もほとんど編めてゐない。
このままではできあがる前に冬が終はつてしまふのではないかと思つてしまふ。
編めてゐない理由は家にゐないから、とは先週も書いたとほりである。
先週は、木曜の夜に朗読会に行き、翌朝は始発のバスで大阪に向かつて大☆新感線博と文楽とに行き、土曜日も懲りずに大☆新感線博に行き、日曜日は国立劇場といふ感じで遊び回つてゐた。
遊び過ぎだな。
土曜日はほんたうは神戸に行くつもりだつた。雨であきらめた。
もうひとつあきらめた理由は、神戸に行つて立ち寄るところといつて、ナガサワ文具センターとかドヰ手芸とかユニオンとか散財必至の場所ばかりだからだ。
これだけ遊び回つて、そのうへさらに散財を重ねるなんてできない。
さう思つた。
一時は遊び回るのはやめやうと思つてゐた。
もつと frugal に生きなければ、と思つたからだ。
「アリとキリギリス」のアリのやうに倹約生活を送らなければ、お先真つ暗だぜ。
さう思つたのである。
だか待てよ。
いま倹約したからといつて、未来が明るいとは限らない。
大変なインフレーションになつたりしたら、あまり意味がない。
それに、どう考へても職がなくなつたりしたら芝居を見には行けない。
チケット代よりもなによりも、劇場に行つて帰る運賃が払へなくなる。
だつたらいまのうちにせつせと行つた方がよくあるまいか。
そして、余生は過去の記憶とともに暮らすのである。
そのときは記憶をよすがとして、あみものしながら暮らせばいいんぢやあるまいか。
さうしたら、なにもこの冬に Striped Shawl を編み終はる必要はないのかも。
なんとなくうしろ向きにそんなことを考へてしまふ。
いや、それともこれは前向きなのかな。
まづしくともそれなりに生きていかうつて考へてるんだもんね。
計画性は皆無だけれど。
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