川本喜八郎人形ギャラリー 落日粟津ケ原
11/14(土)、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーで新たな展示内容が公開された。
事前に知らずにゐたので15日(日)、ほんの10分ほどだが行つてきた。
今回はいつにもましてドラマティックな展示になつてゐる。
8月に停電事故による人形の損傷があり、まだまだ修復の必要な状態のものもゐると聞いて心配してゐたが、例年どほり展示替へが行はれたことはとても喜ばしい。
今回の展示は「人形歴史スペクタクル 平家物語」のうち、「落日粟津ケ原」「鎌倉非情」「一ノ谷」「父子三態」の四場面にわかれてゐる。
ギャラリー外のケースには、牛若丸と幼いころの静とが飾られてゐる。
まづは、中に入つて向かつて左手のケースである「落日粟津ケ原」から行かう。
左手から覚明、馬上の今井兼平、義仲と葵、切り手と樋口兼光、山吹、馬上の巴の順に並んでゐる。
ここ三回ほどの展示は義仲の物語だつたのだなあ。
一年前の展示替へで、ギャラリーに入つて正面のケースに義仲一党がゐた。
義仲は鎧姿で青毛の馬に乗つてゐた。馬はやや竿立ちで、義仲は片手を掲げ、頼朝のゐる右の方を睨んでゐた。
左右にはそれぞれ馬上の巴と葵とを従へ、手前には義仲の四天王である小弥太、六郎、次郎、四郎が並び、威風辺りを払ふとはまさにこのことかといつた風情だつた。
前回の展示では、上洛した義仲は衣冠束帯に身を包み、冬姫を横目で見上げてゐた。
衣装こそ貴族のやうではあつたけれども、その前の展示で見せてゐた勢ひや威厳はそこにはなかつた。
それが今回の展示では、「あの義仲が、こんな表情を浮かべるだなんて」といつたありさまで、なあ。
ひとまづ、覚明から見ていくことにする。
覚明は、義仲たちに背を向けて、左側を向いて立つてゐる。
背中に笠をかけて、旅姿といつたところか。
義仲の死んだ後、覚明の行方は定かではない。
このまま都からそして歴史から姿をくらまさうといふのだらう。
歴史から、といふよりは、浮き世から、かな。
馬上の兼平はざんばら髪である。
馬は横を向いてゐて、兼平は正面に身体を向けてこちらを見てゐる。
説明にもあるとほり、兼平は刀を口に含んで馬から飛び降りて死ぬ。
いまにもさうしさうなやうすである。
兼平は、上にも書いたとほり前々回の展示のときにもゐた。
四天王の一人として並んでゐて、どこかきかん気の強さうな、いつまでもやんちやな感じのする人のやうに見えた。
それが、こんな悲壮感に満ちたやうすになるなんて。
もはやこれまで。
そんな印象を受ける。
それは兼平の斜め手前にゐる義仲と葵とにも感じる。
義仲は、瀕死の葵を抱いて座してゐる。
うつむいた横顔にほつれ毛がかかり、しやがんで見上げたその顔にはおよそ義仲には似つかはしくない悲しい表情を浮かべてゐる。
悲しくて、でもどこかやさしい表情でもある。
座してうつむいてゐるといふと、「白門楼の呂布」を思ひ出す。
あの呂布は、すつかり気落ちしてしまつたといつたやうすだつた。
悲しいとか残念とかいふよりは、精も根も尽き果てたといつたやうすだつた。
今回の義仲には、もつと情を感じる。
ほんのわづかのあひだ見ただけなので、今後ぢつくり見にゆく所存である。
葵は、仰向けになつて義仲を見上げてゐる。
おそらく人形の表情といふのは顔が上を向いてゐるときの方がうつむいてゐるときよりもむづかしいんぢやないかな。
義仲はうつむいてできる陰影がまた印象深いのだが、上を向いてゐる葵の顔は照明に照らされてしまつてゐる。
どこかぼうつとしてゐるやうにも見える。
いまはの際といふことでさうなのかもしれない。
ところが、横顔を見るとどうだらう。
その目はしつかりと義仲の目をとらへてゐる。
これが実にいい表情だ。
見る角度によつてこんなに違ふだなんてな。
その横にはいまにも処刑されなんとしてゐる樋口次郎が座してゐる。
後ろ手にしばられて、顔は正面を向いてゐる。
背後には刀を掲げた武士が立つてゐる。
この背後の武士のやうすがまたいい。
これまたいまにも裂帛の気合とともに樋口の首を落とさんとしてゐるやうに見える。
兼平が動なら兼光は静。
樋口の表情は無念さよりも諦観の方がかつてゐるやうに見えた。
これも一年前の展示を思ふと、ちよつと見てゐられないやうないたたまれない気持ちになつてくる。
今回の展示は、落ち込んだ気分のときは気をつけた方がいいかもしれない。
その横に、ぼろぼろの衣装を身にまとつた山吹がゐる。
一年前の展示では、山吹は葵に向かつて弓を引いてゐるところだつた。
山吹は葵の侍女だつたが、義仲の情を受ける。それを葵にとがめられたことを恨んで倶利伽羅峠の戦ひのどさくさにまぎれ山吹は葵に毒矢をはなつ。
さうした激しい気性の山吹は、敗残の態になつて気の強さを失つたやうにも見える。
すくなくとも葵への恨みの表情はない。
杖代はりの枝を手にした姿が、物狂ひのやうに見えるからかもしれない。
説明によると、山吹はさらされてゐた義仲の首を手に入れて供養したといふ話があるのださうだ。
さうだとすると、気の強さを失つてゐると見たのはやつがれの誤りなんだらうな。
また見に行くことにしたい。
山吹の先、このケースの一番右端に馬上の巴がゐる。
巴の表情は複雑だ。
このまま義仲に殉ずるか、それとも鎌倉に人身御供になつてゐる息子・義高のために生き延びるか。
結局、巴は生き延びる道を選ぶ。
そのせゐか、ここまで書いて来た人々よりも顔にあたつた照明が明るい気がする。
この巴を見てゐて、中村吉右衛門の「武蔵坊弁慶」を思ひ出した。
あのときは確か義仲が佐藤浩市で、巴は大地真央だつたんだよな。
なつかしい。
といふわけで、以下つづく。
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