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Wednesday, 14 October 2015

太古の神は「独立」といふことばを使ふか

連休の前日、大阪松竹座で「阿弖流為」を見てきた。
七月に新橋演舞場でも見て、13年前に上演された劇団☆新感線の「アテルイ」と比べてしまつてどーも乗れなかつた、といふ話は書いたやうに思ふ。
今回、あらためて「アテルイ」とは別物として「阿弖流為」を見に行つた。
さう、「阿弖流為」と「アテルイ」とは別物である。
そして、「阿弖流為」もまたおもしろいのであつた。
17日までなので、「見られる人はみんな見て!」といふ気持ちでいつぱいだ。

以下、「阿弖流為」の核心部分に触れることもあるので、見たくない方とはここでおさらばでござんす。

「阿弖流為」の名場面のうち、中村七之助の演じる立烏帽子がその実体を顕す場面がある。
演舞場で見たときもいいわと思つたし、松竹座で見てあらためていいわと思つた。
松竹座の方が、立烏帽子として演じてゐる部分に、ちよつと男前になつたところがあつたりして、メリハリがついたのがさらに効果的だつたのではないかと思つてゐる。

名場面、それは確かなのだが、しかし、うつかり目が覚めてしまふときがある。
それは、実体を顕した立烏帽子が、「独立」とか「和睦」とかいふことばを口にするときだ。

悪いけど、アラハバキは「独立」とか云はないから。
「和睦」? ないない。絶対ないね。
さう思つてしまふのである。

そこまで、立烏帽子実ハアラハバキの姿に夢中であつたといふのに、そんな無粋なことばふたつで、我に返つてしまふ。

「独立」といふことば自体はそれなりに以前からあつたと思つてゐる。
ちやんと調べたわけぢやないけれど、「ひとりで立つ」といふ意味での用法は古いのぢやあるまいか。
しかし、「国家の独立」とか「民族の独立」といふ用法は、新しいものだらう。
アラハバキがそんなことばを使ふとは思へない。
「阿弖流為」は架空の国の架空の時代の芝居だとは思ひつつ、モデルとなつてゐるのは平安時代になるやならずの日本だからだ。

以前、なにかの本で「舞妓さんが四字熟語を使つてゐると違和感を覚える」といふ一文を読んだことがある。
アラハバキの「独立」「和睦」はまさにそれだ。
そんなことば、使つてほしくなかつた。
わがままである。

「人形劇三国志」でも似たやうなことがある。
赤壁の戦ひを控へて曹操と孫権とのあひだに使者が往来する。
このとき、曹操も孫権も「平和協定」といふことばを口にするのだが、これがどうにもひつかかつてね。
せめて「和議」。
さう思ふのもまたわがままか。

「阿弖流為」は架空の国の架空の時代の話だから、現代の我々にもわかるやうに登場人物のセリフは翻訳されてゐる。
さう考へることも可能だ。
だいたいこの見顕しにくるまでだつて使ふはずのないことばが相当数出てくるからだ。
でもさー、この場は違ふでせう?
一等大切な場面のひとつでせう?
芝居の世界に取り込んでほしい。
見てゐる方は痛切にさう思ふ。
だが、それも「独立」といふかたい漢語に阻まれてしまふのだ。

もちろん、わざとさういふことばを使つてゐるといふことも考へられるんだけれどもね。
そこらへんの機微は残念ながらやつがれにはわからない。

それに、と、ちよつと思ふこともないわけではない。
アラハバキは己が力の減退を嘆く。
力の減退はもしかしたら、「独立」なんぞといふことばを覚えたことにあるのではないか。
そんな気もする。

おそらく、蝦夷の地には「独立」といふ概念はなかつた。
それぞれの部族がそれぞれに暮らしてゐるのがあたりまへだからだ。
あたりまへの状態に人は名前をつけない。

そこに外圧がやつてきて、いままで耳にすることもなかつたやうなことばもたくさん入つてくる。
さうしたことばを覚えたことで、減退する力といふものも、世の中にはあるのぢやあるまいか。

「阿弖流為」の中で、日の国の帝近くに仕へる人物がことばで阿弖流為を殺さうとする場面がある。
呪はことばの力でもある。
「阿弖流為」をことばの力で支配しやうとする日の国とその支配を拒む蝦夷の民との話と考へるなら、アラハバキが選んで口にすることばにもまた重要な意味がある。

しかし、残念ながらあの見顕しの場面がそれを意図して作られたものなのかどうか、確認しにいく時間がやつがれにはない。
無念。

そして、さう考へると、「アテルイ」で名前をつけることにこだはる逸話があるのもまた納得できたりするのだが、それはまた別の話。
#多分しません。

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