ロックな血が流れてゐない
やつがれにはロックな血が流れてゐない。
ここでいふロックとは、ロックンロールのことだ。
まつたく聞かないわけではない。
ビートルズをロックといつていいのなら聞くし、レッド・ヅェペリンとかディープ・パープルとかも聞く。そこから派生してレインボウとかも聞いてたなー。
エマーソン・レイク&パーマーとか、ピンク・フロイドなども聞く。
でもここにあげた名前は、こどものころ聞いてゐたものばかりだ。
小学校を卒業するまでに聞いてゐた音楽ばかりなのだ。
ゆゑに、ロックを聞くといふよりは、耳になじんだ音楽を聞くといふ趣が強い。
それ以降知つた曲は、ことロックに限るとほとんど聞かない。
また、小学生のころは背伸びをして聞いてゐた。
同じ教室にゐるちよつと勉強のできるやうな子といふのは、なぜか上に兄姉がゐたりして、すこしませた子が多かつたやうに思ふ。
さういふ子たちに負けまいとしていろいろ聞いてゐた。
ゆゑに、先達がゐるわけでもなく、教へてくれる人がゐるわけでもなく、運任せでいろんなバンドの曲を聞いてゐた。
それでクリームとかザ・フーとかイエスとか、当時出会ふ機会のなかつたバンドもいくつもある。
最近でいふと、「五右衛門vs轟天」にはまつてゐたこともあつて、そのサウンドトラックは聞いてゐる。
「秋味R」、「レッツゴー!忍法帖」などほかにもサウンドトラックを持つてゐる芝居もあるので、さういふものも聞く。
「レッツゴー!忍法帖」や「五右衛門vs轟天」のサウンドトラックを聞いてゐると、「紅の×」を聞けるんだつたらX-JAPANとかも聞けるんぢやないかな、と思ふこともある。
でも、聞いたら「聲が違ふ」とか嘆いてゐさうな気がして踏み切れずにゐる。
演奏会にしても、オールスタンディングのものには行つたことがない。
考へてみたらロックバンド、ロックシンガーのコンサートに行つたことがないやうな気がする。
斯様に、ロックな血が流れてゐない。
流れてゐたとしても、五滴か七滴といつたところだ。
そんなやつがれが「これ、最高にロックぢやん」と思つたのは、片岡孝夫(当時)の木曾先生義賢だ。
たしか、いまの京都南座ができたばかりのころのことだ。
源義賢は甥である悪源太義平に殺されたことになつてゐる。
「源平布引滝」の義賢は違ふ。
平家に攻め寄せられた義賢は、己が子を腹に宿した妻と源氏の白旗とを人に託し、みづからは討ち死にする。
歌舞伎ではこの「義賢最期」で大立廻りがある。
髪はさばいて白塗りの顔に赤い血潮、衣装は大紋のついた肩衣を落として長袴といふ出で立ちの義賢は、襲ひかかる平家の兵たちと切り結ぶ。
この場ではよく戸板倒しや仏倒しといふ大がかりな立廻りが取り沙汰される。
でもやつがれがいいと思つたのは、鍔鳴りを聞かせるところだ。
背後から羽交ひ締めにされた義賢の、手に持つた刀の鍔が鳴る。
敵も必死なら義賢も必死だ。
そこに鍔の音が響く。
このとき、この場面をずいぶんと長く演じてゐたやうに思ふけれども、単に自分がさう感じただけだつたらう。
これがねえ、最高にロックだつたんだねえ。
しかも、death系。
この後、別の役者でも「義賢最期」はいくつか見たけれど、ロックだなあと思つたことはつひぞない。
death系だなあと思つたこともない。
そもそも、芝居を見て「エロスよりもタナトスだなあ」と思ふこともあまりない。
人ならぬものといひ人外といふ、さういふ雰囲気をたたへた芝居や役者は見るけれど、死の香りを漂はすものにはあまりお目にかかれない。
孝夫/仁左衛門だとごくまれにある。
「保名」なんかでも、ほんの一瞬死を垣間見る、そんな時がある。
どこが、と訊かれると困るんだけど、あるんだよ、としか云へない。
単にやつがれがさう感じるだけなんだらう。
ほかにさういふ雰囲気を感じる役者はいまのところゐない。
中村梅枝がもしかして、といふ気はしてゐるが、これまたいまのところわからない。
義賢がロックなのは、圧倒的な力を持つ敵に対して孤軍奮闘するからだらう。
しかも、義賢も、「義賢最期」で人に託したその息子である義仲も本流になることはない。
そんなところにロックを感じるんだと思ふ。
そして、さう感じられる義賢なら、誰が演じても「最高にロックだぜ」と思ふのだらう。
ロックな血が流れてゐない人間の戯れ言といへばそれまでだけどな。
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