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Friday, 23 October 2015

妄想の外に出ると

先月のいまごろは、まだ「五右衛門vs轟天」の覚書を書いてゐた。
千秋楽から二十日、とうに記憶は薄れてゐる。
「もうすぐ書き終はつてしまふ」といふのが一番問題だつた。

どうでも終はらせたくなかつたんだな。
すつかり薄れた記憶を呼び覚まさうとムダな努力をしてゐた。
すこしでも記憶が戻れば、その分書けるぢやあないか。

そんなわけで、幕が下りたあと(といつて物理的に下りたわけではないのだが)も何ページか書いてしまつたほどだ。
なにを書くことがある。
なにもないけれど、とにかく終はらせたくなかつたんだな。

ところで、先日「とり・みきのトリイカ!」といふコラムで、こんなことを書いてあるのを読んだ。

だが愛というのは端から見ると恥ずかしい。
本をこしらえるくらい暴走した愛ならなおさらだ。
それはつまり、ちょっとだけ気がおかしくなっている状態だからだ。
これは、当時放映されてゐたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」にはまつてファンブックを作つた人々や、かつて「時をかける少女」の本を出したことのあるとり・みき自身に向けたことばである。
おそらく、「五右衛門vs轟天」の覚書を書いてゐたときの自分もこれにあたる。

愛といふのは恥づかしいんだな。
気がをかしくなつてゐる状態のままでゐれば、恥づかしいとは思はないだらうにね。
だが、ときに我に返るときがある。
覚書でいへば、書いたものを読み返してゐるときとかね。
さういふときは、たまらなく恥づかしい。

つまり、我に返らなければいいのだ。
「二人椀久」の椀屋久兵衛や「保名」の安倍保名は、みづからの状態を恥づかしいと思ふことがあるだらうか。
「お染の七役」のお光や「お夏狂乱」のお夏もおなじだ。
八重垣姫に恥ぢてゐるやうすが見られるのは、自分の勝頼への愛が恥づかしいからではない。
目の前に夢にまで見た勝頼がゐるから恥づかしいのだ。
別段、濡衣に見られてゐるからといふわけではない。

とくに椀久や保名はいいよね。
自分の妄想の中に閉ぢこもつてゐるのだから。
そこに外界からの介入はない。

お光は猿曳きの夫婦に心配されるし、お夏はこどもたちにからかはれた上馬子にからまれる。
さうしたときに、ふつと我に返ることがあつたりするのではあるまいか。
我に返ることがないにしても、ああいふ状態にあるのに自分の妄想の中に閉ぢこもつてゐられないのつて、なんだか可哀相な気がしてしまふ。
はふつておいてあげてよ。
さう思つてしまふのだ。

昔は女の物狂ひはその存在を許容されてゐたからさうなるのだらう。
男はダメだつたんでせう。
だから座敷牢なり誰もゐない野つ原の真ん中でひとり妄想にふけることになる。
「保名」には、捕り手が出てくることもあるらしいけれど、見たことがない。

おそらく「女だつて妄想の世界に遊びたいのよ」といふので坂東玉三郎は「阿国歌舞伎夢華」をやつたんぢやないか、と、これはまあ邪推である。
さうはいつても最後には阿国は一座の人々に心配されちやふわけだしね。

ひとつ救ひがあるとするならば、気がをかしくなるほど好きになるものごととはそんなに出会へるものではないといふことだ。
しかし、出会へないので「なにも書くことがない」などと嘆くことになる。
なにも書くことがない人間は二週間で萬年筆のコンヴァータにインキを補充したりしないとは思ふのだが、ここではそれはおく。

楽しかつたんだよなー、「五右衛門vs轟天」の覚書を書いてゐるときは。
この先しばらくはあんなに楽しいことはないんだらうなあ。

と思つてゐたが、来月になつたら渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーでは展示替へがあるだらうことに思ひ至る。
夏に別の場所に保管してゐる人形たちが惨事を被つたといふことで、修復作業がつづいてゐるのではないかと心配してはゐるのだが、多分、展示替へはあるだらう。
渋谷でないとしても飯田ではある。
十二月になつたら飯田市川本喜八郎人形美術館で展示替へがあるはずだ。
さうしたらまたしつこく書くのか。
書くんだらうな。
そして「なんて恥づかしい」と思ふのだらう。

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