忘れられない
NHKの「ニュースウォッチ9」で鈴木菜穂子アナウンサを見るたびに「エリック・アイドルさん、アーティストです」といふことばを思ひ出す。
別段、それをとやかく云ふつもりはない。
ただ忘れられないだけだ。
不幸なことである。
やつがれにとつて。
普段、なるべく他人のことは恨んだり呪つたりしないやうにしてゐる。
恨みも呪ひも自分に返つてくると思ふからだ。
ただ、忘れられない。
あ、ひとつだけ「呪はれるがいい」と思つてゐることはある。
JR東日本の山手線にできるといふ新駅のことだ。
自分から積極的に呪ひはしないけれど、呪はれるがいいと思つてゐる。
この駅のせゐで、この先生きてゐるあひだずつと不便な思ひをしなければならないからだ。
しかも「生きてゐるあひだずつと不便な思ひをしなければならない」のはやつがれ一人ではないときてゐる。
それでもなんとか呪はずに済ませたいと思つてゐる。
呪つたところで不幸になるのは自分だからだ。
恨みもしない。
呪ひもしない。
でも忘れられない。
忘れられないのは恨んでゐるのとおなじではないか。
冒頭に書いた「エリック・アイドルさん、アーティストです」なんてのは忘れてしまつていいことだ。
むしろ忘れてしまへ、とさへ思ふ。
どうしたら忘れられるだらう。
忘れられないことやイヤなことは、紙に書き出して忘れてしまへ。
さういふ意見がある。
さういふ心理療法もあるのだといふ。
試してみたことはあるが、かへつて記憶を定着させてしまふばかりだつた。
すべてを書き出さなかつたのが敗因だつたのかもしれない。
なにもかも洗ひざらひ書き出すのがこの療法のキモだといふ。
そして、書いたあとはきれいさつぱり忘れ去る。
この「なにもかも洗ひざらひ書き出す」といふのがどうもできない。
どうしても肝心のことは書くことができない。
書いてしまつたら、認めないやうにしてゐる本質を認めてしまふことになる。
それが怖い。
それに、なにかを書くといふことは、後に読み返すためだから、といふのもある。
もちろん書いたことすべてを読み返したりはしないけれど、なにかを書きつけるとき想定してゐる読者は未来の自分だ。
忘れたいのに。
どうしたら忘れられるだらう。
先日、ひとつだけ、過去のことを忘れられるできごとがあつた。
かつて、やつがれはある人からないがしろにされたことがある。
思ひ出すたびに、「自分にそれだけの価値がないからだな」と思ふのだつた。
自分に価値がないのはわかつてゐることだけれど、それと知らしめる事態に耐へられるかどうかはまた別の話だ。
「ああ、やつぱりさうなのだな」と思ひ、自分はまた自身のことを過大評価してゐたのだな、と思ひ知る。
なにかあるたびにその人から受けた仕打ちを思ひ出し、「さうだつた、自分には価値がないのだつた」と心に銘ずる。
そんなことを十年もひきずつてゐた。
先月のある日、その人に再会することがあつた。
その人が別の人々にある説明をしてゐて、説明してゐたものの実物を見せたいのに見つけられないといふ事態が発生してゐた。
たまたまそれを見たばかりだつたやつがれは、すぐそばにゐたこともあつて、「ここにあると思ひます」と、さがしものを指さした。
すると、「ああ、これだこれだ」とその指し示した方を見たあと、その人はわざわざこちらをふり返つて、「ありがたうございます」と云つたのだつた。
泣くかと思つた。
やつがれには「人前で泣く回路」が埋め込まれてゐない。
したがつて泣くこともなかつた。
いまに至るまで泣いてはゐない。
でも、なんかもう、忘れてもいいかな、と思つたのだつた。
完全には忘れ去ることはできないかもしれないけれど、「そんなこともあつたね」と数ある過去のできごとのひとつとして処理したい。
そんな気分になつた。
その人は、やつがれがずつとわだかまりを抱いてゐたことなど知るよしもないし、知つてゐたとしてもわだかまりを抱いてゐるのがいま自分が感謝の意を伝へた相手だとは知りもしない。
あれこれひとりで思ひ悩んでゐたのはやつがれだけだ。
愚かなことである。
愚かなことだけれど、仕方ないぢやんね。
そんなわけで、ひとつ忘れられぬ過去を清算した。
「エリック・アイドルさん、アーティストです」もなんとかして清算したい。
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