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Thursday, 29 October 2015

手帳を見返して

昨日は、眠気対策にこれまで手帳に書いてきたことを見返してみてゐた。
現在使つてゐるのは Smythson の Panama で、九月十三日から使つてゐる。

一番多いのは芝居に関する内容かな。
薬物(アルコールだ)の力を借りたら即回答が出た「アテルイ/阿弖流為」問題を10ページ近くかけてあらためて考察したものや、芝居を見に行つて幕間にあれこれ書いた部分が多い。
幕間に書ききれなかつた分をあとで補足したりとかね。

あと、「言語技術」から派生した「好きとはどういふことか」とか「高文脈文化と低文脈文化」の話が一時多かつた。
今月の頭に「こどものころ育つたフランスでは相手の言外の意味を勝手に類推するなと教はつた。「云はなくてもわかるでせう」といふのは日本独特のことだと思ふ」といふやうな呟きがRTされてきた。
これが納得いかなくてね。
フランスではさうなんでせうよ。
あるいはもうちよつと範囲を広げて低文脈文化の国々ではさうなんだらう。
でも、高文脈文化の国ではさうぢやないんだつてば。
さう思つたんだよね、そのときに。

でもぢやあ高文脈文化にはどんな地域があつて、そもそも高文脈とか低文脈とか云ふけれどそれつてどういふことなの、といふことについては恥づかしながら具体的なことがわからない。
それで本を手には入れたんだが、まだ読んでゐないことに手帳を見返してゐて気づいた。

「言語技術」について抱いてゐた違和感も、おそらくはそこに帰結するのではないかと思つてゐる。

三森ゆりかの提唱する「言語技術」について文句があるわけぢやない。
ひつかかるのは、「言語技術」を知らない少数派であることがなぜそんなにいけないことのやうに云はれなければならないのか、といふことだ。
欧米(といふくくり方に既に違和感を覚えるのだが)の人々とつきあつていくには、そこんとこが重要なんだらうけれど、ぢやあ相手にはこちらの高文脈な文化のことを理解してくれやうといふ気はないの?
「舶来のものはすべて素晴らしい」といふ考へ方とどこが違ふの?
そこんとこがよくわからないのである。
本来は互ひに歩み寄るものなんぢやないの?
とかさ。

いづれにしてもよくわかつてゐるわけぢやあないので、とりあへず本を読むことにしやうと思つてゐる。
いま読んでゐる Thursday Next Series を読み終はつたらね。

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