見えないものが見えるとき
藤間の宗家(いまの宗家の祖父)が、あるとき船頭の踊りを踊つた。
見てゐた弟子たちは「船が見えました」と口々に褒めそやした。
すると、宗家はぽつりと「川は見えなかつたかい」と云つた。
こんな話を聞いたことがある。
この場合、問題なのはどれだらう。
- 踊り手に川を表現するだけの力がない
- 見る側に川を見るだけの力がない
- 踊り手にも見る側にも力が欠けてゐる
- その他
球技では、悪送球は捕り手ではなく投げる側/蹴る側が悪いとされる。
そこからいくと、この場合は踊り手に力がなかつた、といふことにならう。
でも、ほんたうにさうなのだらうか。
お弟子さんたちは、船が見えたやうな気分になつて、そこで満足してしまつたのではあるまいか。
満足さへしなければ、川もまた見えてゐたのではないだらうか。
この話を思ひ出すたびにさう思ふ。
くどく書くやうで恐縮ながら、坂東八十助/三津五郎のセリフを耳にして思はず指し示す方を見てしまつたり真剣にうなづいてしまつたりしてゐた、ほかの役者ではつひぞないことである、といふ話にしても、だ。
もしかしたらほかの役者にもさうした力があるのかもしれない。
こちらに受け取るだけの力がないだけで。
あるいは、そんなことがあるのは八十助/三津五郎だけといふ思ひこみのせゐなのかもしれない。
はたまた、たまたまさういふ機会に出くはさないだけで、自分が見に行つてゐない上演回ではさういふこともあるのかもしれない。
今年の一月、歌舞伎座で「金閣寺」がかかつて、中村勘九郎演じる此下東吉が屋根の上からすこし離れたところにゐることになつてゐる配下の兵に合図をする、といふ場面を見た。
見てゐてわかるんだよね。
どのあたりに兵がゐて、その兵たちも東吉を見てゐる、といふのが。
「金閣寺」は何度か見てゐるけれど、そんな風に感じたのははじめてだつた。
勘九郎でいふと「阿弖流為」で、勘九郎演じる坂上田村麻呂が夜空を見上げる場面がある。
これも、田村麻呂の視線の先に星がある、といふのが、ちやんとわかる。
下手すると、田村麻呂の見てゐる星を客席にゐる自分も見てゐるやうな、そんな気にすらなつてくる。
ちやうど、ないはずの船をあらはした藤間の宗家と、その船を見たお弟子さんとのやうな感じだ。
そこで思ふわけだ。
もし自分に見る力があつたら、東吉の兵たちが何人ゐるのかもだいたいのところは見えたのではないだらうか、とか。
星だけでなく星空が見えたのではないだらうか、とか。
そして、さうやつて見えるやうになるのはなにも勘九郎のときだけではなくて、ほかの役者のときにも見えるのではあるまいか、とか。
これもあんまりやり過ぎると単なる思ひ込みになつてしまふので気をつけなければいかんな、と思ひつつ、見えないものが見える感覚が楽しくて、つひ考へてしまふんだよねえ。
ところで、冒頭の藤間の宗家の話は、見える見えないの話ではなくてどこまでも芸を追求する人の話と受け取ることもできる。
一般的にはさうなのだらう。
すまぬ。
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