不器用といふ基本設定
どこにも明記してはゐないが、月曜日はあみものの話、火曜日はタティングレースの話を書くことにしてゐる。
全然違ふ話に流れていつてしまふことがあることは自覚してゐる。
土日に芝居を見に行くことが多いので、週明けは芝居のことなど書きたい。
さう思ふこともある。
現状だといまだに「五右衛門vs轟天」ハイがつづいてゐるので、なにかとこの芝居について書いてしまふ。
でも今日はやつぱりタティングレースの話。
あみものとタティングレースとは「自分の基本設定」だと思つてゐるからだらう。
まあ、そもそもこの「基本設定」といふのが「五右衛門vs轟天」に出てきたセリフからの引用なんだけれどもね。
アビラ・リマーニャといふ人物のセリフである。
アビラは「武器商人」であることが基本設定なのだつた。
やつがれ的にはアビラは「歌ふ人」が基本設定なのだが、「五右衛門vs轟天」ではソロはなかつたなー。残念。
そのせゐか、つひこの間「good old-fashioned」といふことばを耳にした途端、「lover boy」とつづけたくなつてしまつて、毎日「Good Old-Fashioned Lover Boy (邦題は「懐かしのラヴァー・ボーイ」だらうか)」となぜか「Play the Game」をくり返しくり返し聞いてしまふといふループに陥つてゐる。
もとい。
あみものとタティングレースとが基本設定である、といふのは、「不器用である」といふ基本設定の裏返しなんだと思つてゐる。
以前も書いた。
「自分は不器用ですから」といふセリフについて、「不器用であるといふことは、つらいことなんだよ!」と怒つてゐた友人について。
さう、不器用であるといふことは実につらいことである。
世の中の大抵の人は不器用ではないからだ。
針に糸を通すことひとつとつても、不器用な人間には世を嘆くほどつらい。
最近はデスクスレダーといふ超絶すぐれものがあるからいいけれど、でもデスクスレダーではタティングシャトルの穴に糸をとほすことはできないしね。
不器用だと、家事全般がつらい。
料理にしても掃除にしても洗濯、繕ひもの、なにもかも、つらい。
家事は、器用な人用にできてゐるとしか思へない。
料理にしたつて、ねぎひとつ切るのにも器用か不器用かで全然違ふ。
ねぎなんてのは日々切るものだから、手慣れてゐるかどうかなんてそんなに関係ない。
幸ひなことに、家事はあまり他人と比べられるものではない。
でもなー、小学校の家庭科の授業でお米を研いだとき、隣で研いでた子はほんたうにうまかつた。
なぜ自分はあんな風にお米を研げないのだらう。
その後しばし考へて、いまでもときどき「あの子のやうに研げたら」と思ふことがあるけれど、やはりあの同級生のやうにはお米は研げずにゐる。
記憶をうつくしく改竄してゐる面もあるんだらうけれどもね。
不器用だと、家庭科とか図画工作・美術とかいつた授業はつらい。
当然だけれども。
やつがれは、絵を描くのはそんなに嫌ひではないと思ふ。すくなくとも、過去には好きだつた。いまはすつかり描かなくなつてしまつた。
「お前は絵が下手だ」「お前は不器用だ」といふ無言のプレッシャをひしひしと感じるうち、段々描かなくなつてしまつた。
そんな気がする。
無論、プレッシャといふのは思ひ過ごしなのかもしれないけれど、学校で描く絵といふのはほかの子の作品と一緒に掲示されることがあるし、成績がつくし、なにより親はあまり子どもが絵に夢中になつたりするのを喜ばなかつたりする。
つまるところ、不器用かどうかといふのは、絶対的なものではなく、相対的なものであることが多い。
他人とくらべて器用か不器用か、といふことだ。
だつたら他人とくらべなければいいんぢやない。
さうも思ふ。
でもなー、これも以前も書いたやうに、たまに全然やつたことのない手芸に挑戦したりすると、如実にわかるんだよな、不器用さが。
あみものやタティングレースはそれなりに日々やつてゐることなので、さして不自由を感じることはない。
くつ下もさんざん編んだので、メリヤスはぎにも抵抗はないし、引き返し編みも同様だ。一目ゴム編みどめは考へごとをしながらでもできる。二目ゴム編みどめはちよつと無理だけど。
それで、錯覚してしまふんだよね。
もしかしたら、自分はそれほど不器用ではないのではないか、と。
それが、生まれてはじめての手芸に挑戦すると、「不器用」といふ基本設定が前面に出てしまふ。
道具なぞ使はうものなら、その道具をうまく取り扱ふことができない。
それはもう、泣きたくなるくらゐできない。
で、「でも自分にだつてできることはあるもん」といふので、あみものとタティングレースとに返つていく。
そんな感じなんぢやないかなあ。
これもまた以前も書いた。
ケーブルテレビを契約してゐたころ、日曜日の午後はスタートレックを見る時間帯だつた。
オリジナルといふよりは、「ディープ・スペース・ナイン」とか「ヴォイジャー」を放映してゐたやうに思ふ。
大抵二話か三話の連続放送だつた。
タティングレースをしながら見るのがつねだつた。
ガラックの大仰なセリフを聞き、オドーとクワークとの奇妙な関係を追ひ、ザ・ドクターのピノキオ的悩みを悩み、ジェインウェイ艦長にヘップバーンの面影を見つつ、タティングシャトルを動かす、あの至福の時。
「かうしてスタートレック見ながらタティングするのが一番楽しい」と語る相手のゐたあのころ。
たぶん、それがやつがれの基本設定なのだらう。
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