初ゲキ×シネ後の「花水橋」
9月18日(金)、シネクイントで初ゲキ×シネを見に行つてきた。
もとの舞台は「五右衛門ロックIII ZIPANG PUNK (以下、「ZIPANG PUNK」)だ。
シアターオーブで一度だけ見た。
ほんたうは「鋼鉄番長」も見たかつたけれど、買ひそびれてしまつた。
シネマ歌舞伎も見たことがない。
映画館に行くといふ習慣がないせゐだらうか。
舞台で見ればいいぢやない、と思ふからか。
或は以前初春興行を中継しに来たカメラマンが舞台のことをさほど知らないやうすだつたせゐで不信感があるのか。
いや、さすがに映画館でかけるのだから、そんなもののわからない人がカメラを操作することはあるまい。
単にめんどくさいといふだけかな。
そんなわけで、舞台を映像化したものを映画館で見るのははじめてだつた。
TVではしばしば見てゐる。
記録として貴重かとは思ふ。
「いまそこを写してほしいわけぢやないんだよね」といふこともあるけれど、概ね文句はない。
「ZIPANG PUNK」を見に行つた翌々日、歌舞伎座に秀山祭の夜の部を見に行つた。
夜の部は「伽羅先代萩」の通しだ。
「花水橋」を見て、自分の好きなやうに見られることに喜びを覚えた。
なにしろ、見たいところが見られるのである。
「花水橋」といふのは、遊び呆けた殿様である足利頼兼が往来でお家のつとりをたくらむ悪人の手下に命を狙はれる場面である。
月明かりもない夜とて、頼兼も悪人の手下たちも手探り状態だ。
舞台一面に手下たちが散らばり、時折ほぼ舞台中央にゐる頼兼に切りかかる。
おそらく、映像にしてしまつたら、このときカメラが追ふのは頼兼で、そこに写るのは頼兼と頼兼に襲ひかからうとしてゐる人ばかりだ。
その他の舞台上をうろうろと頼兼を探してゐる人々はゐないことになつてしまふ。
カメラに写つてゐないからだ。
このあと花道から絹川谷蔵といふ相撲取りが出てくる。
絹川は頼兼に忠誠を尽くす。
ゆゑにここからは絹川と悪人の手下たちとの立ち回りになる。
舞台中央で絹川は悪人の手下たちをばつたばつたと投げ倒す。
頼兼はといふと、上手後方の「花水橋」と書かれた欄干の傍らにただ立ち尽くしてゐるだけだ。
ここも、たぶんカメラは絹川を写すのだらう。
そして佇んでゐるだけの頼兼はフレームからはづれてしまふ。
それつて、楽しくなくない?
とにかく、この日やつがれは「見たいところが見られる幸せ」といふものがあることを思ひ知つたのだつた。
ゲキ×シネがダメだ、といふわけではない。
見てゐて楽しかつたしね。
「こんな場面あつたつけか」のオンパレードだつたけれど、それもまた記憶を新たにするといふ意味でおもしろかつた。
目が悪いのでシアターオーブのときはよくわからなかつたのだが、猫の目お銀を演じる蒼井優がとにかく可愛い。
うわー、可愛い。
こんなに可愛かつたんだー。
と、見てゐて思はずにこにこしてしまふ。
これはゲキ×シネで得た収穫だ。
可愛いといふと、シャルルを演じる浦井健治の頬がふつくらしてゐるといふのも舞台を見てゐるときは気がつかなかつたなあ。
太つてゐるわけぢやないし、素顔もそんなに頬が目立つといふことはないと思ふのだが、シャルルはなぜか頬がふつくらとして見えて、妙に可愛かつた。
一方、春来尼を演じる高橋由美子は、存在自体が可愛いのでシアターオーブで見たときも可愛かつたし、映画館で見ても可愛かつた。
佇まひつて大事。とくに舞台では。
これもゲキ×シネで得た収穫のひとつだ。
しかし、ゲキ×シネで不自由を感じないわけでもなかつた。
「ZIPANG PUNK」で一番記憶に残つてゐる場面が、なんだかひどくあつさりして見えた。
麿赤兒演じる秀吉、古田新太演じる五右衛門、橋本じゆん演じる慶次郎、粟根まこと演じる三成の四人が対峙する場面がそれである。
劇場で見たときは、この場面の緊迫したやうすに「うわー、濃いー」と思ひ、「この場面だけでおなか一杯だー」と思つた。
とくにアクションとかあるわけぢやないのにね。
これが、ゲキ×シネで見ると、あのときの緊迫感に欠ける。
なんだかさらさらと進んでしまふ。
「五右衛門ロック」といひながら、この芝居の主役は三浦春馬演じる明智心九郎と蒼井優演じる猫の目お銀だ。
「五右衛門ロック」における五右衛門は、「義経千本桜」における義経のやうなものだとやつがれは思つてゐる。
五右衛門は、義経よりはずつと見せ場もあるし目立つてゐるけれどもさ。
主役のゐない場面だから、あつさり済ませたのかなあ。
そんな気もする。
この四人の場面は、おそらくカメラを切り替へてはいけなかつたのだ。
四人全員が舞台装置も含めてずつと視界に入つてゐる状態で見るのが正しい。
長回しが正解だつた。
たぶん、さういふことなのだと思ふ。
これもまた、ゲキ×シネで得た収穫なのかな。なのだらう。
そもそも動物の目が動くものを追ひかけるんだらうな。
だとしたら、映画を撮るカメラが動くものを追ひかけるのは当然のことだ。
しかし、舞台全体が動いてゐるときに、一部分だけ止まつてゐる、そんなところがあつたら逆に目立つだらう。
「花水橋」の絹川の立ち回りのときの頼兼のやうに。
或は「ZIPANG PUNK」で大詰め開始直後、舞台前面でわーつとチャンバラの始まる中、やや下手寄り後方でつまんなそーなやうすで座つてゐる三成のやうに。
でも頼兼にしても三成にしても、カメラの枠からはづれてしまふ。
まあ、仕方がないといへば仕方がない。
ゲキ×シネつて、主役よりも脇役に注意が行つてしまふ人間には向かないんだな。
これは、ゲキ×シネを見に行く前からうすうす感じてゐたことではある。
主役や話の本筋だけ追ひかけてゐれば文句のない人にはとても向いてゐると思ふし、世の中の大半はさうなのだらう。
とはいへ、くどいやうだけれども、楽しかつたけどね、「ZIPANG PUNK」見て。
舞台を見たときは初見だからわからなかつたけれど、五右衛門が変装してゐるといふ前提の人物の、「バレちやあ仕方がねえな」の見顕しの部分が、今回はわかつてゐるから余裕をもつて見ることができたし。
粟根三成の五右衛門、右近アビラの五右衛門、麿秀吉の五右衛門、あらためて見るとそれぞれおもしろいんだわ、これが。
さうわかつて見ると、本来自分の演じてゐるときと微妙に違ふ部分もあつたりなかつたするしね。
それはゲキ×シネでなくても、舞台を二度見に行けばわかるんぢやない、といふ話もあるかもしれない。
さうなんだけれどもさ。
しかし舞台のチケットはなかなか手に入りにくいこともあるし、また少々お高いといふ話もある。
そこでゲキ×シネですよ、奥さん。
といふわけで、舞台のDVDなんかも一枚も持つてゐなかつたりするのだが、今後買つてしまふやうな気がしてならない。
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