見てきた映画のあらすじ語れば
映画を見たあと、三森ゆりかの「絵本で育てる情報分析力 論理的に考える力を引き出す<2>」にしたがつて、物語の分析をすることがある。
この本では、絵の見方とテキストを読む力の育て方を説明してゐる。
対象はこどもを指導する大人だ。
でも大丈夫。大人でも十分役に立つと思ふ。
この本を読んでから絵の展覧会に行くのが楽しくなつた。
まづどう見ればいいかがわかつたからだ。
ただし、やつがれの行くような展覧会ではそんなにゆつくり絵を見てゐる余裕はないことが多いのが難点だがなー。
テキストを読む力を育てるには、再話や物語の基本構造の分析などが役にたつのらしい。
そんなわけで、映画を見ては気が向いたときに再話をする心であらすじをまとめ、基本構造にあてはめてみたりしてゐる。
物語の基本構造とは、「冒頭」「発端」「最初」「次」「その次」「その次」「クライマックス」「結末」「終はり」だといふ。
「パシフィック・リム」でいふとこんな感じだ。
以下、「パシフィック・リム」のネタバレになるのでご注意。
冒頭は、2014年、太平洋の深い海溝から怪獣が出現し沿岸諸国を襲ふ。人間はイェーガーといふ二人乗りのロボットを作つて怪獣に対応する。
発端は、2020年、イェーガー乗りの主人公は兄と怪獣退治に行くが、兄が怪獣に殺されてしまひ、みづからもイェーガーに乗るのをやめる。
最初は、2025年、主人公は香港で独自路線を歩み始めたイェーガー部隊に呼ばれて、イェーガー乗りのパートナーと出会ふ。
次は、イェーガーの試運転時、パートナーが思ひ出したくない過去を思ひ出してイェーガーは暴走し、主人公とパートナーとはイェーガーに乗れなくなる。
その次は、それまで一頭でしか現れなかつた怪獣が二頭同時に現れ、四体あるうち二体のイェーガーがやられてしまふ。主人公とパートナーとは緊急発進し、怪獣を退治する。
その次は、怪獣が三頭同時に現れ、主人公と司令官とがイェーガーで怪獣の現れる海溝に核弾頭を沈めに行く。
クライマックスは、司令官の乗つたイェーガーが犠牲になり、主人公は気を失つたパートナーを先に逃がして海溝に潜り、イェーガーともども怪獣を爆破させる。
結末は、海溝にあつた怪獣の出入り口は閉ぢ、主人公は助かる。
終はりは、怪獣はもうやつて来ない(とりあへず、続篇ができるまでは)。
こんな感じだらうか。
なぜ「パシフィック・リム」を持ち出したのかといふと、いままでやつてみた中でこの映画の内容が一番きれいにまとまつたからだ。
登場人物の名前を出さなくてもあらすじを語れるのがいいんだと思ふ。
登場人物の名前を出すと、どうしても「あ、この人の話も入れないと話がつながらない」といふ事態になりがちな気がする。
「野崎村」は登場人物の名前を出してもうまくまとまつたので、よくできた芝居なのだらう。
あとは上川隆也主演の「真田十勇士」も自分的にはうまくまとめられた。さきほど見返してみて、「そんな内容だつたつけかー」と思つたけど。
え、勘九郎主演の「真田十勇士」? それは聞かない約束よ。
あらすじを書き出して物語の基本構造にあてはめてみたものを見直すと、「これつてこんな話だつたつけか」と思ふことがある。
自分の記憶にあるのはそんなところぢやないんだけどな、みたやうな、さ。
上川隆也主演の「真田十勇士」の記録を見ると、登場人物は幸村と家康、佐助と花しか出てこない。
それだけだと自分の中で抵抗があつたやうで、むりやり半蔵と才蔵・小介・甚八の名前を出してゐるが、いま見直すとそのくだりは基本構造には必要ない。
むりやり書いたことから明らかなやうに、基本構造に出てこないところばかりやつがれは記憶してゐる。
基本構造には出てこないところにしか興味がないといつてもいいくらゐだ。
先日「キングスマン」を見てきてあらすじを基本構造にあてはめてみたけれど、「そーゆーことが書きたいんぢやないんだけどなー」と思ひながらの作業になつてちよつとつらかつた。
ゆゑに、見てきた映画なり芝居なり或は読んだ本のあらすじをかうして基本構造にあてはめてみるのは、やつがれにとつては有意義なことなのだと思ふ。
「自分が見てゐるものは本質ではない」と思ひ知るきつかけになるからな。
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