B6サイズぢやデカ過ぎる
月曜日からやつと「五右衛門vs轟天」の感想といふかメモといふかを書きはじめた。
千秋楽から四日。すでに記憶が薄れてきてゐる。
残つてゐるうちに、とノートに記しはじめて、なぜそれまで書かなかつたのかわかつた。
書いても書いても終はらないからだ。
現在のノートはMONOKAKIのB6サイズだ。
中谷さとみによる前説の話を書くだけで、一ページが終はつてしまつた。
「ま、まあ、三公演分あるから、仕方ないよね」と気を取りなほして書いていくと、Dr.チェンバレンの登場場面までで一ページ近く費やしてしまふ。
六ページめの半ばまできて、やつと轟天が登場して、その二ページ後に轟天の正体が判明した。
終はらんよ。
書いてゐてときに絶望におそはれ、うつかりセイント死神の滝口順平のものまねを書き落としてしまふし。
痛恨の大失態だ。
このやつがれとしたことが滝口順平のものまねを書き落とすだなんて。
書き落とすだなんて。
書き落とすだなんて。
ああ、やつがれのスカポンターン(滝口順平の声で是非。滝口順平のものまねをするセイント死神ならなほ良し)。
もちろんあとから追記したけれども。
おそらく、話が進むにつれて記憶の方も薄れていくはずなので、もつとあつさりした内容になつていくだらう。
それだけが現在の心の支へである。
書いてゐて思ふのだが、ノートもいけないんぢやないか。
MONOKAKIはとてもすばらしいノートである。
満寿屋の原稿用紙とおなじ紙を使つてゐる、とは以前も書いた。
七月からあらためて使ひはじめて、一度に書く量が異様に増えてゐる。
書いてゐて楽しいからだ。
ペンを選ばないし、Moleskineを使ふときには出番のないペンと実に相性がいい。
ただ、デカい。
B6版なんだけどなー。
荷物ミニマムにしたいときなど、「今日はいいか」といふのでかばんに入れるのをやめてしまふ。
さうすると、出先では書くことができない。
かういふときにどうしてゐるかといふと、Rhodia の No.11メモ帳に書き記してゐる。
しかし、メモ帳に書ける量はたかが知れてゐる。
どうしても忘れたくないことだけ、さらつと、といふ感じになつてしまふ。
と思つていまどんなことをメモしてゐるかと見てみたら「典膳さまはあのあとおリカにネチネチいぢめられたのに違ひない」とか書いてあつて、「お前の忘れたくないこととはそれかーっっ!」と軽く過去の自分に絶望してしまつた。吁噫。
メモは、しかし、有用だ。
考へといふのは、ランダムに浮かぶものだからだ。
いまかうして「五右衛門vs轟天」にはまりまくつてゐる状態でゐながら、一方で「寺子屋」の松王丸について考へてゐたりする。
去年のいまごろは銀座のGUCCIで中村吉右衛門の写真展が開かれてゐて、そのとき見た衣装のこととかを思ひ出したりもする。
それについて書きたい。
書き留めておきたい。
でもノートは「五右衛門vs轟天」の感想の途中だ。
メモ、でせう、ここは。
B6のノートは、やつがれの暮らしにはチト大きすぎるんだな。
芝居の幕間に取り出してちよこちよこ書けるやうなサイズぢやないしね。
MONOKAKIはとても気に入つてゐるけれど、「なんでも書く帳」には今後はならないだらう。
かばんを変へたらまた別かもしれないけれど。
結局、Moleskineのポケットサイズとか、Smythson の Panama とかに戻るんだらうな、このあとは。
預金通帳とほぼおなじ大きさのこのふたつの手帳なら、荷物ミニマムにしたいときでもかばんに入るし、幕間なんかにちよこつと書いたりもしやすい。
ただ、問題は、現在使つてゐるMONOKAKIが終はりかけてゐて、しかも「五右衛門vvs轟天」のメモは終はりさうにないといふことだ。
MONOKAKIは予備も買つてあるから、「五右衛門vs轟天」メモのつづきはそちらに書くことにして、MoleskineなりPanamaなりを「なんでも書く帳」にするかな。
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