あふげあふげ あふぐぞあふぐぞ
字を書けるやうになつてからの年月といまのやうなかな遣ひをするやうになつてからの年月を考へると、もう半分以上はかうして書いてゐることになる。
「旧かな遣ひ」とか「歴史的かな遣ひ」といふのだらうけれど、ちやんと習つたわけではないのでいつもどこか間違へてゐる。
知らずにやつてゐることもあるので、気づけばなほし、わかればなほしでここまで来たけれど、いまだに「ちやんと書ける」といふ自信はない。
それは現代かな遣ひでもおなじことで、どういふときに「づ」や「ぢ」を遣ふのかが未だによくわからない。
みかずき? いなづま? はなじ?
悩むでせう?
かういふかな遣ひをするやうになつた理由は、旧かな旧漢字の書物を忌避してゐたからだ、とはここにも何度か書いてゐる。
読みたくなかつたのね、さういふ本は。
読みづらかつたし。
でもあるとき、「それではいかん!」と一念発起してはじめたのだつた。
はじめて幾星霜。
いまでは旧かな旧漢字の本でもそんなに恐れることなく読めるやうになつた。
当初の目的は果たせたわけだ。
といふわけで、たとへば職場ではかういふ書き方をするわけにもいかないし、そろそろ元に戻さうか、と時折考へる。
戻せずにゐるのは、これも以前書いたやうに「ゐ」の字が好きだからだ。
いいよね、「ゐ」。
丸みをおびてゐながらどこか三角形な趣。
「る」とも「み」と違ふ。
「くるくるりん」といつた印象の書き心地。
こんな字、ちよつとないよ。
「くるくるりん」は「ぬ」にもあるけれど、「ぬ」はどちらかといふと長方形のイメージだからなあ。
この「くるくるりん」といふ感覚は、Twisted German Cast-onに通ずるものがある。
そんなわけで、「いい加減、現代かな遣ひに戻さうかな」と思ひつつも踏み切れずにゐるわけだ。
ついでに云ふと、「仰ぐ」とか「放る」を「あおぐ」「ほうる」と書くよりは「あふぐ」「はふる」と書く方が好き、といふのもある。
あと「てふ」ね。「といふ」とか「ちょう」とか書くよりも手早くていいやね。
完全に好きか嫌ひか、といふ話だ。
だからもちろん現代かな遣ひの方が好きな書き方もあつて……と考へてみたがぱつと思ひ浮かばない。
うーん……あつたはずなんだが。
ま、いいか。
そのうち思ひ出すだらう。
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