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Thursday, 13 August 2015

英文を出力するなら(しないけどね)

以前、フィンランドでは学校で筆記体を教へなくなつた、といふ話を書いた。
筆記体を教へないいで、サインはどうするのかなあ、と思ふが、そこはなんとかするのだらう。

これまたちよつと前に、文を書くのに紙に書くのとキーボードで打つのとどちらが好きかといふ話を書いた。
思ふに、英語とかだつたら圧倒的にキーボード入力なんだらうな、といふ気がする。
日本語だから、漢字の変換とかあつたりするから、紙に書いた方がいいと思ふのだ。
あの、機嫌よく入力してゐていきなり出したい漢字が変換されないときの、あの不快な気分は、紙に書くときにはない。
漢字を知らなくて書けないといふことはあるけどもさ。
でも、キーボード入力をしてゐて思ふやうな漢字に変換されないのと漢字を知らなくて書けないのとを比べたら、圧倒的に前者の方が遭遇確率が高いんだよな。
キーボード入力する方が紙に字を書くよりも多い、といふことだとは思ふけれどもね。

しかし、これが英語だつたらどうだらう。
前回書いたときにもちよこつと書いたけれど、英語だつたら圧倒的にキーボード入力がいいと思ふんぢやないかなあ。
なにしろ変換する必要がない。
ひたすら打てばいいのだ。
いいなあ。

いつだれが書いたものだか忘れたが、沙漠を行く米国人の記者はジープで疾走するあひだにもタイプライターで記事を打つてゐた、うらやましい、といふやうな話を読んだことがある。
日本語ぢやあさうはいかないものね。
ジープに乗つて道無き道を行くあひだに字を書かうものなら、あとで読めなくなつてしまふ。
やつがれなんか電車の中でさへ字は書けないものなあ。絶対あとで読めない。電車でなにかを書き記すなら、iPhone……と書きかけて、いまはそれもできないのだつた、と、チト昨日のエントリに思ひを馳せてしまふ。
実際に走りながら書いたら、臨場感が違ふんだらう。

と、当時はさう思つたわけだが。
んー、でもどうなんだらうな。
案外、その場ではメモていどにとどめておいて、落ち着いた場所で記憶を頼りに書いた方が臨場感のあるものを書けたりはしないだらうか。
そこは書き手の力量次第な気がする。

さう考へると、ジープで疾走するあひだにタイプライターを打つ、といふのは、そんなにいいことでもないのかもしれない。

だけど疾走するやうにキーボードに入力するつていいんぢやないかなあ。
一種、自動筆記のやうな、さ。
あまり考へないで手とか指とかが勝手に動く感覚。
改行したりページをめくつたりといつたわづらはしさなしにひたすら文章を出力し続ける感覚。

でもそれも、「これに変換したかつたわけぢやないんだつてば」とか思ひながら打つてゐたら我に返つてしまつて自動筆記にならないやうな気もするなあ。

結局、やつがれは手書きが好きなんだらう。
それにしても自動筆記、か。久しぶりにやつてみるかな。

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