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Tuesday, 25 August 2015

燃え尽きたやうで尽きてない

タティングレースをしてゐると、時に「なんでこんなに楽しいのかよ」と昔流行つた演歌のひとくさりも歌つてしまふことがある。

なにが楽しいのかについては、ここに幾度か書いてゐる。
手の動きが楽しい。
シャトルを糸のあひだにくぐらせる、この動きがたまらないのだ。
ニードルもさうで、針に糸をかける動作がこれまたたまらない。

ニードルタティングとはご無沙汰してゐるが、シャトルタティングは平日は毎日やつてゐる。

昨日、「エキスパートになるには一万時間、とりあへず得意になるには一千時間かかる」といふ話を書いた。
「かかる」と書いたが、「かける」のだらう。
時間をかける、その源となるのはなにか。
情熱か。
燃えさかるやうな情熱が、厳しい修行をつづけさせるのだらうか。
情熱つて、十年間も燃え続けるものなんだらうか。

千野帽子が「毎日が日直。「働く大人」の文学ガイド」にこんなことを書いてゐる。

4月病とは、新年度を迎えてハイになった人が、妙なやる気を出して新しいことに手を出してみる現象のことを言う。
<中略>
 もちろん、多くの人がゴールデンウィークにはこのハイな気持ちを失ってしまうだろう。
<中略>
 4月病患者のなかでも少数の人だけは、始めたことを続けるのである。

 5月を過ぎたとき、その人たちの胸中には、4月の燃え上がるような情熱はもはやないであろう。惰性かもしれない。払っちゃった受講料や年間使用料が勿体ないという気持ちかもしれない。それでも続ける。

 それは燃えさかる4月の情熱ではなく、燠〔おき〕である。

 薪を燃やした人はご存じだろう。ぼーぼー燃えているときよりも、火がおさまって炭火のように赤くなっているときの方が、温度もずっと高いし、長時間安定しているものだ。

、と。

長年ひとつのことを続けられる人の内部で燃えてゐるのは薪ではなくて、燠なのではあるまいか。
ゆゑに安定して長いことひとつ(或は複数の人もゐるかもしれないが)のことに精進できるのぢやああるまいか。
それとも、続けられる人といふのは常人とは違つて長いこと薪を燃やし続けられるのかなあ。

タティングレースやあみものに限らず、やつがれはあまり熱くなる方ではない。
情熱とか、あんまり感じたことがない。
歌舞伎もずつと見てゐるけれど、熱狂するやうなことはあまりない。
でも、だから続いてゐるのではないか、とは云へる。

炎はいづれ消へる。
つねに燃料を足し、酸素のある状況にしておかなければ、自然と消へる。
何日も続く山火事は、太古の昔もあつたらう。
消火する人がゐなくても、いつのまにか消へてゐたのに違ひない。
薪をくべ、新鮮な空気を送り込んでゐても、雨が降れば火は消へる。
湿つてゐる木に火はつかない。

ずつと情熱を燃やし続けられる人といふのは、つねに乾燥した状態を保ち、燃料を足し、新鮮な空気を送り続けられる人だ。
情熱を燃やすだけで相当な労力が必要だと思はれる。

長いこと、「自分に欠けてゐるのは情熱だ」と思つてきた。
まあ、ほかにもいろいろあるけれど、なにかを行う推進力となるやうな熱い心が自分にはないんだよなあ。

でも、なにかを行う原動力や推進力となるものは、なにも燃えさかる炎のやうな情熱だけではないのかもしれない。
むしろ、炭火になつてからの方が長くつづくのかも。
そして、自分の「なにかをしやうとする力」はさういふものを源にしてゐるのかもしれないなあ。

などと、編んだり結んだりしながらぼんやり思つたりしてゐる。

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