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Monday, 31 August 2015

心を込めるのは受け手の方

先週もあまり編めてゐない。
原因は、水曜日に赤坂ACTシアターで「五右衛門vs轟天」を見てきたから、だな、たぶん。
見たら「五右衛門vs轟天」ハイになつてしまつて、いまに至つてゐる。
どうしてももう一度見たくて、土曜日に当日券を求めて行つてきた。

バカかね。
バカだね。

現在もアクセントカラーのストールをちまちま編んでゐて、どうやら今年もこのまま放置して年を越しさうな予感がする。

よくよく思ひ返してみたら、去年は腱鞘炎のやうな症状が出てあまり編めなかつたことが判明した。
職場でマウスその他を使ひ過ぎ、指をのばしたり曲げたりすると痛かつたりして、な。

今年はそんなこともないのに編めてゐない。
いかんなあ。

ところで先日、Twitterでこんな内容のつぶやきを見かけた。
「合唱団に入つてゐて、管弦楽団と共演することになり、指揮者にどう歌へばいいか確認したところ、「感情は込めるな。感情を込めると音程が乱れる。観客を感動させるのは技術である」、と。」

そうなんだ。
するとテレビなんかで歌手が心を込めて歌つてゐるやうに見えるあれは、「心を込めて歌つてゐるやうに見せ聞かせする技術を駆使してゐるところ」、なんだらうか。
楽器の演奏でも感情豊かに演奏してゐるのを見かけるけれど、あれも「感情豊かに聞こえるやうな技術で演奏してゐる」のかな。
それともあるていどプロになると、感情を込めたくらゐで音程がずれたりはしないのだらうか。
しないのかもしれないな。

もとい。
これつて、あみものにも云へることなんぢやあるまいか。
冬場になると、クリスマスやとくにヴァレンタインズデイなどのイヴェントに合はせて贈り物用にマフラーなど編む女子が増える。
普段編んでゐないから、一針一針思ひを込めたりする。

や、それ、重たいつて。
そもそも手編みのマフラーといふ時点で物理的に重たいのである。
機械編みで細い糸を使つてできたマフラーならいざしらず、最低でも中細、大抵の場合は並太以上、ときに極太超極太糸で編まれる手編みのマフラーは、重たい。
まあ150gで済むことはないね、中細毛糸でもない限り。
超極太糸で編むとして、1玉50g換算で5玉は使ふと思ふんだよね。超極太だと5玉ぢやたいして長くならないかなあ。

そこに「一針一針思ひが込め」られてゐたりする。
そりや重たいでせう。
だつたら軽くてあたたかい市販のマフラーをあげた方がまだましだ。

まあ、いいですよ。
相手もその「一針一針思ひが込め」られたマフラーを受け取めてくれるのならね。
さういふこともあるだらう。

これも、技術なのだ。
寒い冬に気になる相手の襟元をあたためてくれるやうなものを編む技術。
細くて軽い糸でふんはりあたたかく編む技術。
或は重たい糸でもあまり重くならないやうに編む技術(そんな技術あるのかどうか知らんが)。

編む方は、淡々と編むだけ。
編めたもの、たとへばマフラーに感情を込めるのは、もらつた方または身につける方だ。
さういふものなのではあるまいか。

上記のつぶやきにしてもさうだ。
歌ひ手は感情はこめずに技術で歌ひ、聞き手がそこに感情を見いだして込める。
さういふことなんぢやないかな。

無味乾燥すぎる?
でもただ編んでゐるときつてそんな感じぢやないかなあ。
淡々とただ黙々と編む。
さうかうするうちになにかできあがる。
そこに感情を見つけるのは、身につける人だ。
まあ、身につけるのは編んだ本人かもしれないけどさ。

送り手や作り手が感情を込めて酔つてはいけない。
それをするのは受け手の方だ。
そして、受け手が感情を込めやうが見いだせずに終はらうが、それは受け手の自由なのである。

さういふことなんだと理解してゐる。

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Friday, 28 August 2015

何かが間違つてゐる

最近、「人生踏み誤つたな」と思ふことがある。
多分、六月の「新薄雪物語」が転機だつた。

これまで芝居を見て来て、一月に二度以上見に行くといふことはほとんどなかつた。
八十助(当時)が納涼歌舞伎で丸本の大役を初役でやる、といふときに初日近くに一度行き、楽の近くにもう一度行つてゐたことがあるのと、孝夫(当時)が大病の後に復帰したときに初日に行つてその後もう一度行つたくらゐかな。
いや、歌右衛門の梅の方を二度見たかな。そんな気がする。
劇団☆新感線は一時職場に大変お好きな先輩がゐて、行けなくなつたチケットをゆづつてくれたことがあつて、二度見たことがあるものもある。

まあ、そんな感じだつたわけだ、長いこと。

六月の「新薄雪物語」は、吉右衛門演じる団九郎と仁左衛門演じる大膳との場面が見たかつた。
それで昼の部は二度行くことに最初から決めてゐた。
まさかねえ、夜の部ももう一度行くことにならうとはねえ。
それも千秋楽に、二階席最前列を取つて、だ。

夜の部は仁左衛門の園部左衛門とその妻梅の方を演じる魁春が見たくて行つたやうなものだつた。
又五郎もよかつたしねえ。
あと、一度見たときにはあまり感心しなかつた団九郎がよかつたんだよ。
だいたい、こんな素晴らしい芝居がかかつてゐるのに、客の入りが薄いつてどーゆーことよ。
さういふ思ひもあつた。

七月はさらに歯止めがかからなくなつてゐた。
大阪松竹座に二度も行つてしまつた。
遠征二度なんて贅沢、生まれてはじめてだよ。
これも、入りが薄いのが気になつてゐたといふのもある。
でも「絵本合法衢」をこんな形で見るのはこれで最後だらうと思つてしまつたんだよね。
ほんとは「ぢいさんばあさん」も見たかつたがそれはあきらめた、といふ話は以前書いた

で、今月は「2015年劇団☆新感線35周年 オールスターチャンピオンまつり「五右衛門vs轟天」(以下、「五右衛門vs轟天」)」だ。
「五右衛門vs轟天」は客の入りは薄くない。むしろ超満員といつたところだ。
手に入りにくいゆゑに行きたい。
そんな気持ちだ。

どこまで天邪鬼かね。
わかつてゐたことではあるけれども。

この六月・七月・八月の共通点は、「魅力的な悪役しかも複数」といふところだ。

六月の「新薄雪物語」は団九郎と大膳、七月の松竹座は見なかつたものの「ぢいさんばあさん」の下嶋と、見た大学之助さまと太平次、八月は……八月は「悪役」といつてしまつていいのかよくわかんないけど、まあ敵役が何人かゐるよね。

をかしいなあ。
いつからこんなに悪役好きになつてしまつたのか。
昔からか。
考へてみたらその昔一度だけ買つた歌舞伎役者のカレンダーは片岡孝夫のもので、六月の仁木弾正がとてもよかつたからだし。
さういへば吉右衛門も玉三郎と「かさね」をやつたときに、「うはー、播磨屋さん、色悪もいいんだー」とか異様に盛り上がつたし。

お芝居とか演奏会とかは、一度行けばいい。
さう思つてゐる。
さう思ふやうにしてゐる、といふべきか。

来月は歌舞伎座で「伽羅先代萩」がかかる。
これも「魅力的な悪役しかも複数」な芝居なんだよなあ。
仁木弾正と八汐。今回は吉右衛門と歌六である。
一緒に舞台にあらはれることがないのが残念だ。
あと小ワルに山名宗全とか鬼貫とかがゐる。
楽しみだろー?
これは、しかし、もう通はないことに決めてゐる。
休みの日に予定がつまつてゐて行かうにも行けないからだ。
一度だけ見て、できるだけ記憶に刻み付ける所存だ。

ああ、しかし、そんなことができるだらうか。
六月からこの方二度見るのが当たり前になりつつあるところにきて。

まあ物理的にムリなんだから大丈夫かな。

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Thursday, 27 August 2015

飾り原稿用紙を使ふ

8/1(土)、あたぼうステーショナリーの飾り原稿用紙に関する催しに参加した。

飾り原稿用紙

飾り原稿用紙とは、罫線が飾り枠になつてゐる原稿用紙だ。
枠の模様は四種類あつて、それぞれ色も異なる。

原稿用紙なんて使はない?
最初はやつがれもさう思つてゐた。
以前なつかしくてコクヨの原稿用紙を買つたことがあるけれど、なつかしいだけなんだよね。使ひ道がわからない。
飾り原稿用紙はおもしろさうだといふので、KITTEにあるマルノウチリーディングスタイルで期間限定で販売されてゐたときに四種類全部入つたアソートを手に入れてはゐた。
時折、気になる漢詩を書いてみたり、これと思つた小説を書き写してみたりはして、それくらゐだつた。

8/1のイヴェントでは、小日向京が飾り原稿用紙のついていろいろ語ってくれた。
なかで、原稿用紙一枚に一内容を書く、といふやうな話があつた。
400字におさまるものはそのまま書き、おさまりさうにないものは罫線を無視してもいい、裏に書いてもいい、といふやうな話だつたと理解してゐる。
さうすると、原稿用紙を大きいカードのやうに使へるのだ。

ちよつと、それ、いいんぢやない?
#……は、まだ轟天入つてるよ。

カードは5×3を愛用してゐる。
最初に使ひ方を習つたのがそのサイズだつたからだ。
高校生のとき授業で論文を書く準備段階を習つて、そのときにカードの使ひ方も教はつた。

京大カードのことは当時は知らなかつた。
後に、さういふものもあり、5×3カードより大きくていろいろもつとたくさん書けるといふことを知つた。
一時京大カードも使つたこともあるけれど、なんとなく5×3カードに戻つてきてしまつた。
サイズ、かな。
京大カードはB6くらゐかと思ふ。ちよつと大きいんだよね。
5×3カードはちいさいので持ち歩きやすいのだ。
その分書ける分量は限られてゐるけれどもね。

5×3カードを使つてゐて、不満があるとしたらそこだ。
分量が限られてゐる。
裏は使はないやうにしてゐるけれど、たとへ裏を使つたとしてもたいした量は書けない。
でもそれつて京大カードもおなじだと思ふんだよね。
すくなくとも、京大カードをはじめて使ひはじめたときはさうだつた。
「たくさん書ける!」と思つて、でも書きたい内容がおさまらないことが多かつた。

結局、綴じノートを使ふしかない。
それがこれまでのやつがれの結論だつた。

そこに400字詰原稿用紙である。

実は綴じノートを使つてゐても、書いてゐる分量といふのはたいしたことがない場合が多い。
綴じノートでも、気がつくと一ページ一内容になつてゐることも多い。
以前も書いたやうに思ふけれど、MoleskineのRuled Pocket Size一ページにだいたい原稿用紙1枚分くらゐの文字を書く。
だつたらさ、原稿用紙でいいんぢやない?
#あ、また轟天が……

そんなわけで、早速8/2から一枚一内容で飾り原稿用紙にあれこれ書くやうになつた。
一日一枚、たまに二枚といつたペースで書いてゐる。
不思議なことに、一枚におさまるんだよね。まあ、不要な接続詞とかが入り込んでゐるからだらうけどさ。
或は、単に一枚でおさまりさうな内容のことを無意識のうちに選んでゐるのかもしれない。

MONOKAKI の B6サイズも使つてゐるけれど、ここに書き込む内容は長くなりがちだからだ。

飾り原稿用紙に書いてゐる内容は、別段日記といふわけでもなく、相互に関係のあることでもない。
ちよつとこれ書いておかう、と思つたことを書いてゐる。
あとでblogに書いてもいいなと思ふこともあるし、あとで綴じノートにもうちよつと長く書いておきたいやうな内容もある。
一枚一枚バラバラなので、並び替へをするのも容易だ。一応日付を入れてゐるので、日付順にも並べられるしね。

ほかの人がすでに書いてゐることではあるけれど、飾り原稿用紙は書き心地もいい。
基本的には万年筆で書いてゐる。でも鉛筆もいい。ボールペンとしてはめづらしく愛用してゐるデュポンのJet8でもいい感じで書ける。
書くときはA4横のクリップボードを使つてゐる。
これが画板のやうな使ひ心地で、これがまたいい。
書き心地がいいので毎日つづいてゐるともいへる。

そんなんで四週間使つてきて、30枚くらゐになつた使用済原稿用紙をどうするかが現在の課題になつてゐる。
バインダに綴じたらいいのでは、といふのはイヴェントのときにも聞いたし、あたぼうステーショナリーの方からもアドヴァイスを受けた。
そのバインダだが、なかなか気に入つたものが見つからない。
まあ、最近文房具屋でのんびりする機会があまりないから、といふこともあるけれどもね。

あと、綴じないでこのままバラバラにできる状態にしておきたい、と思つてゐることもあるのかな。
でもそれだと早晩収集がつかなくなる。
いまはA4クリアファイルに入れてゐる。
それでもいいかなあ。
もうちよつと考へてみん。

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Wednesday, 26 August 2015

「わかる奴だけわかればいい」

以前、「俺の発言がなにを踏まえているかわかる奴がきっといる」に関するエントリを書いた。
自分が好きなものはたいていさういふものだ、といふ話だ。

たとへば「びじゅチューン!」だ。
「びじゅチューン!」は古今東西の藝術作品を題材にしてゐる。
そして、歌や絵の中にその藝術作品にちなんだ情報がいろいろ埋まつてゐる。
「お局のモナリザさん」なら「株式会社ジョコンダ」とかね。
「保健室に太陽の塔」ならコーラスの「バンパクバンパク」とか「びーべらぼー」とか。

歌舞伎や文楽もさういふものだし、「史記」を読んでゐるのは踏まへられてゐる方の話を知りたいからだらう。

今日見て来た「2015年劇団☆新感線35周年 オールスターチャンピオンまつり 「五右衛門vs轟天」」もまさにそれで、登場人物は過去にどこかに出てきた人々ばかりだし、飛竜三段蹴り(だらう、多分)のもぢりや「未来から来たからスーパージェッターなのね」みたやうな小ネタがてんこ盛りだ。
もちろん、わからないネタの方が多いんだらうけど、いいのいいの、楽しければそれで。

あまり書くとネタバレになつてしまふので、今回はこのくらゐで。

思へば、はじめて見た劇団☆新感線の舞台はネタものだつた。
だからだらうか、ネタもの・おポンチものと呼ばれる演目が異様に好きだ。
いや、はじめてかどうかは関係ない。
もともとネタものが好きなんだな。

あー、通ひたいなー、「五右衛門vs轟天」。
もうあとそんなに上演回数もないけれど。
それに、通へるやうな金額でもないけれど。

先月足りなかつたものが、つまつてゐたからなあ。

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Tuesday, 25 August 2015

燃え尽きたやうで尽きてない

タティングレースをしてゐると、時に「なんでこんなに楽しいのかよ」と昔流行つた演歌のひとくさりも歌つてしまふことがある。

なにが楽しいのかについては、ここに幾度か書いてゐる。
手の動きが楽しい。
シャトルを糸のあひだにくぐらせる、この動きがたまらないのだ。
ニードルもさうで、針に糸をかける動作がこれまたたまらない。

ニードルタティングとはご無沙汰してゐるが、シャトルタティングは平日は毎日やつてゐる。

昨日、「エキスパートになるには一万時間、とりあへず得意になるには一千時間かかる」といふ話を書いた。
「かかる」と書いたが、「かける」のだらう。
時間をかける、その源となるのはなにか。
情熱か。
燃えさかるやうな情熱が、厳しい修行をつづけさせるのだらうか。
情熱つて、十年間も燃え続けるものなんだらうか。

千野帽子が「毎日が日直。「働く大人」の文学ガイド」にこんなことを書いてゐる。

4月病とは、新年度を迎えてハイになった人が、妙なやる気を出して新しいことに手を出してみる現象のことを言う。
<中略>
 もちろん、多くの人がゴールデンウィークにはこのハイな気持ちを失ってしまうだろう。
<中略>
 4月病患者のなかでも少数の人だけは、始めたことを続けるのである。

 5月を過ぎたとき、その人たちの胸中には、4月の燃え上がるような情熱はもはやないであろう。惰性かもしれない。払っちゃった受講料や年間使用料が勿体ないという気持ちかもしれない。それでも続ける。

 それは燃えさかる4月の情熱ではなく、燠〔おき〕である。

 薪を燃やした人はご存じだろう。ぼーぼー燃えているときよりも、火がおさまって炭火のように赤くなっているときの方が、温度もずっと高いし、長時間安定しているものだ。

、と。

長年ひとつのことを続けられる人の内部で燃えてゐるのは薪ではなくて、燠なのではあるまいか。
ゆゑに安定して長いことひとつ(或は複数の人もゐるかもしれないが)のことに精進できるのぢやああるまいか。
それとも、続けられる人といふのは常人とは違つて長いこと薪を燃やし続けられるのかなあ。

タティングレースやあみものに限らず、やつがれはあまり熱くなる方ではない。
情熱とか、あんまり感じたことがない。
歌舞伎もずつと見てゐるけれど、熱狂するやうなことはあまりない。
でも、だから続いてゐるのではないか、とは云へる。

炎はいづれ消へる。
つねに燃料を足し、酸素のある状況にしておかなければ、自然と消へる。
何日も続く山火事は、太古の昔もあつたらう。
消火する人がゐなくても、いつのまにか消へてゐたのに違ひない。
薪をくべ、新鮮な空気を送り込んでゐても、雨が降れば火は消へる。
湿つてゐる木に火はつかない。

ずつと情熱を燃やし続けられる人といふのは、つねに乾燥した状態を保ち、燃料を足し、新鮮な空気を送り続けられる人だ。
情熱を燃やすだけで相当な労力が必要だと思はれる。

長いこと、「自分に欠けてゐるのは情熱だ」と思つてきた。
まあ、ほかにもいろいろあるけれど、なにかを行う推進力となるやうな熱い心が自分にはないんだよなあ。

でも、なにかを行う原動力や推進力となるものは、なにも燃えさかる炎のやうな情熱だけではないのかもしれない。
むしろ、炭火になつてからの方が長くつづくのかも。
そして、自分の「なにかをしやうとする力」はさういふものを源にしてゐるのかもしれないなあ。

などと、編んだり結んだりしながらぼんやり思つたりしてゐる。

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Monday, 24 August 2015

一千時間やる

先週は編めたり編めなかつたりする一週間だつた。

土曜日は仕事の関係でとあるワークショップに参加してきた。
ある道のエキスパートになるには十年間は修行をつづける必要がある、だとか、なにかをうまくできるやうになるには最低一千時間はかかる、だとか、さういふ話を聞いた。

十年間の内訳は、毎日三時間厳しい修行や練習をする、すると十年間でだいたい一万時間になる、といふことなのらしい。
なるほど、世の中に「エキスパート」が少ないわけだ。
歌舞伎役者もこの伝なのかな。
梨園の御曹司たちはこどものころからずつとお稽古をつづけて来て、舞台で主な役をやるころにはお稽古にかけた時間はとつくに一万時間を超えてゐるだらう。
それでもおなじやうにお稽古をしてきた役者の中にも差はあるものなのだから、世の中やつぱり厳しい。

ところでやつがれはとにかく不器用である。
今年も上記ワークショップのつづきがあるので行かれないが、スピニング・パーティーなどでまつたくやつたことのない手芸などをやつたりすると即わかる。
周囲の人々はすぐにコツを理解するのか初めてでもそれなりにきれいなものが作れたりするのに、やつがれの作るものはなぜかぐちやぐちやなのだ。
なぜつて、不器用だからだけどさ。
不器用といふよりは、要領が悪いのだらうか。おなじやうなものか。
鈍くさい。うむ。それもあるかもしれん。

しかし、そんなやつがれでもそれなりに編みものはしてゐる。
こどものころから、といきたいところだが、途中ブランクは結構あつて、日々編むやうになつたのはここ数年、いや、考へてみたら世紀の変はる前からだから、かれこれ二十年近くは編んでゐるのだらうか。編まない日もあるけれども。
タティングレースはそれよりもちよつと短いくらゐだと思ふ。
一万時間は無理でも、一千時間くらゐは編んだり結んだりしてゐるんぢやないかなあ。

それで、出来はともかく、まがりなりにも履けるくつ下を編めたり、タティングレースの栞を作れたりするのではないか。
個人的にはそんな感じである。

では、なぜつづけられてゐるのか。
といふ話を明日しやうと思ふ。

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Friday, 21 August 2015

横浜人形の家赤いくつ劇場 平松加奈ミニライブを聞く

8/16(日)、横浜人形の家の赤いくつ劇場で平松加奈ミニライブを聞いてきた。
横浜人形の家では9/6(日)まで「ホームズ&ワトソン 推理の部屋」展を開催してゐる。
NHK教育TV(とはもう云はないのかもしれないがやつがれは云ふ)で放映されてゐた「パペットエンターテインメント シャーロックホームズ(以下「人形劇シャーロックホームズ」)」の人形や大道具小道具が展示されてゐる。
ミニライブはこの展覧会の一環として開催された。

平松加奈は「人形劇シャーロックホームズ」の音楽を担当してゐた。
赤いくつ劇場でのライブといふことで赤い靴で来たのださう。

番組内では弦楽四重奏とパーカッションによる演奏だつたりときにオーケストラによる演奏だつたりしたBGMを、ヴァイオリン一本とパーカッションだけで演奏するといふ主旨のライブだつた。

「ガール・クレイジー」といふミュージカルに、「Bidin' My Time」といふ歌がある。
男声四部合唱の歌だ。
これが「クレイジー・フォー・ユー」といふミュージカルになると、なぜか男声三部合唱になつてゐる。
「ガール・クレイジー」に慣れてゐると、「クレイジー・フォー・ユー」の「Bindin' My Time」はなんとも薄つぺらで、聞いてゐられない。
ひとり欠けるだけでこんなに違ふなんて。
なんでひとり減らしたんだらう。それで得られる効果つてなに? 薄さ? 軽さ?
人件費を浮かせたやうにしか聞こえないなあ。

さう思つてゐたので、このミニライブもはじまる前はすこし不安だつた。
でもはじまつてみたらそれは杞憂だといふことがわかつた。
主旋律とリズムとのヴァージョンとして聞けたからだ。

赤いくつ劇場は、人形劇を上演するやうなちいさな劇場である。
そこにPAが入つてゐるといふのも最初のうちはチト不安だつたが、曲想からいくとこれまた問題ないことがわかつた。

幕が開くと、舞台一面に打楽器が並べられてゐた。
パーカッションは海沼正利が担当してゐて、ドラムやマリンバその他数多の楽器を演奏した。

ライブの内容は、番組内のBGMを演奏しつつ、時にイントロクイズが入つたり、客席から有志を募つて一緒に演奏に参加させたりしてゐた。

13時開演では、イントロクイズは三問あつて、最初の一問は正解者がゐなかつたけれど、あとの二問は即答者がゐた。最初の一問のときはみんな遠慮してたんぢやないかなあ。だつてほんのちよつと前に演奏してゐた曲だつたし。

客席の有志が演奏に参加した曲はラングデール・パイクのテーマだつた。
さきほどのイントロクイズ二曲目の即答者はじめ、いはゆるちいさいお友達が四人、マラカス、トライアングル、ウッドブロック、ヴィブラスラップをそれぞれ演奏した。
演奏前に海沼正利から指導があつて、この時点から四人ともよくできてゐた。
みんななにかしら音楽の素養があつたんぢやないか知らん。ピアノを習つてゐる、とかさ。
でもピアノはほぼ独奏の楽器だからな。
この試みは見てゐる方もおもしろかつた。
合奏つて楽しいな、とちよつと思つた。
楽隊にはもう戻らんと心に誓つてゐる他人と一緒に行動できないやつがれが云ふのもなんだけれどもな。

楽器といふと、やはり楽器つて不思議だなあ、と思ふ。
ヴァイオリンの演奏についていふと、弓の端から端まで使つたひろくゆたかな音が好きなんだけれども、さうでない演奏の仕方ももちろんいい。
ピチカートとか、聞いて楽しく見て楽しい。
「人形劇 シャーロックホームズ」のBGMといふことで、ユーモラスな音楽やちよつと恐ろしげな音楽が多いと思ふのだが、切ない曲もまたいいし。
それも、楽器からさういふ音が聞こえてくるのがおもしろい。旋律が、だけではなくて、音が、ね。

もうひとつ、楽器でいふと、開場前に緞帳の向かう側から調弦の音が聞こえてきてゐて、ヴァイオリンぢやないし、なんだらうと気になつてゐた。
音の正体はカーヌーンといふアラビアの楽器だつた。
弦が72本だか76本だかあつて、当然すべて調弦しなければならない。
そら大変だわ。
このときの説明では、チェンバロの祖先、ひいてはピアノの祖先といふことだつた。
右手に琴の爪のはたらきをするものをはめて、左手で弦を押さへたりして演奏するやうに見えた。
「転校しないで五絃琵琶」ぢやないけれど、「遠い国の音がしてどこか少しさみしくて」といふやうな感じだなあ、といふのが第一印象だ。
でもアイリッシュ風の曲に使ふとそれなりに楽しく聞こえてくるんだよなあ。
ちよつと興味あるなあ。

平松加奈も海沼正利も終始楽しさうだつた。
いいなあ、あんな風に楽しさうに演奏できるなんて。うらやましいやね。

いいなあ、「人形活劇 新三銃士」や「人形劇 シャーロックホームズ」にはサウンドトラックのCDが売られてゐて。
「人形劇三国志」とかにはないからねえ。
ただ、「人形劇三国志」の方がよかつたことがひとつだけある。
放映当時、NHKのスタジオで「音入れ」と称して各話のBGMを録音してゐて、これを見学することができたこと、である。
「人形活劇 新三銃士」や「人形劇 シャーロックホームズ」の方法だとこれはできなかつたんぢやないかな。
「人形劇三国志」の音入れ、聞きにいつたもの。
最初「音入れ」と云はれてもなんのことだかさつぱりわからなくて、でも「人形劇三国志」に関するなにかをするのらしい、といふだけでNHKセンターまで行つたんだよなあ。
いまはなにもかもなつかしい。

そんなわけで、ライブのあとは人形の展示を見て、それからミュージアムカフェで展示会にちなんだスペシャルメニューを食してみた。
これがスペシャルメニューのひとつ、Sherlock's Nose Dog Special である。

ホームズ&ワトソン 推理の部屋展

飲み物はクラフトビールかハートランド。
どこからどうみても大人向けだよな。

展覧会についてはまたあらためて書くつもり。

ホームズ&ワトソン 推理の部屋展

ひとこと云ふなら、ニャーロックホームズよりはノートン先生とかダグラスさんとか、人形劇に出てきた人々に会ひたかつたなあ。

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Thursday, 20 August 2015

非シャーロキアン、パブ・シャーロック・ホームズの帰還へ行く

8/14(金)、パブ・シャーロック・ホームズの帰還に行つてきた。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

去年は結局行かなかつた。
大変盛況で、列ができてゐると聞いてゐたからだ。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還は、早川書房の一階にあるカフェ・クリスティといふかサロン・クリスティを期間限定でパブに仕立てた店である。
「帰還」といふのは、去年もこの時期におなじやうにパブ・シャーロック・ホームズといふ店を展開してゐたからだ。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還は、昼の部と夜の部とでメニューが違ふ。
14:00から17:00まではアフタヌーンティーセットやパンケーキといつたコーヒー紅茶とともに楽しむもの、17:00から22:00まではお酒とともに楽しむものを頼むことができる。
土日祝日は11時から16時とのことなので、昼の部の内容になるんだらうな、たぶん。

ついたのはあと10分で17時といつた時間帯だつた。
店内には、二人連れの先客が三組ほどゐた。
これなら待つこともあるまいと入ると、でてきたのは夜のメニューだつた。
そこで、メスシリンダービールと「ワトスン先生のマドラス風フリッター」、それとミックスナッツを注文した。

店内の壁にはホームズ作品の映像化・舞台化したもののポスターの縮刷版が一面に貼られてゐるところがあつた。
ちやんとピーター・カッシングのホームズの隣にクリストファー・リーが出演した作品のポスターが貼られてゐる。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

わかつてるなー。
ちなみにクリストファー・リーのポスターの逆となりはレナード・ニモイがホームズに扮した写真のポスターだつた。「Shubert Theatre」とあるので舞台でやつたんだらう、おそらく。

そんなんでもりあがつてゐると、メスシリンダービールとミックスナッツがやつてきたので、まづ飲む。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

メスシリンダービールはその名の通りビールをメスシリンダーに注いだものである。味は普通にビールだ(あたりまへだ)。
メスシリンダーの効用は、摂取量をきちんとはかることができることにある。そんなわけで、ジョン結婚前夜にシャーロックとジョンとがメスシリンダーにビールを入れて飲む、といふ場面があるのらしい。それにちなんだものだといふ。

ミックスナッツも普通にミックスナッツだが、「KKK」といふ文字の書かれた封筒がついてくる。中には五粒のオレンジの種……ではなくてナッツ。やつがれのはちやんと一粒づつ違ふものが入つてゐた。芸が細かい。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

写真は敢へて撮らなかつた「ワトスン先生のマドラス風フリッター」は、ハムとチャツネをはさんだパニーニを揚げたものだといふ。結構おなかが一杯になるので二人でわけたいところだ。

メスシリンダービールでかなりいい心持ちになつたが、その後でシャーロックといふカクテルを頼んだ。スコッチウィスキーにドランブイとカルーアといふ甘いが強いといふカクテルである。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

確かにかなり甘い。
そして強い……んだらうし、お会計のときにお店の人にも「シャーロック、強いから回つてるでせう」といふやうなことを云はれたが、そこからoazoまで歩けたので問題なし、といふことにしたい。

去年は来てゐないので今年のことしかわからないが、今年はTVドラマ「SHERLOCK」をかなりfeatureしてゐるのらしい。
店の外にはマイクロフトの、店内入つてすぐにシャーロックの、店の奥にはジョンとモリアーティの等身大パネルが設置されてゐた。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

鹿打帽とインバネスのコートとを身につけて、パネルと記念撮影することもできる。たぶん、身につけなくてもできると思ふ。
三組くらゐ撮つてたかなー、ちやんと衣装を着て。インバネスのコートはいいねえ。なんだらう、あのケープがいいのかな。
どの人も、まづは看板……でなくてカンバーバッチのシャーロックと一緒に撮つて、中にはフリーマンのジョンと撮つてゐる人もゐた。

飲み物にはコースターがついてくる。

パブ・シャーロック・ホームズの帰還

おそらくはレザック66に「聖典」および作者の名言と絵とが印刷されたものだ。
カクテル・シャーロックを頼むとワトスンのコースターがもらへるといふ話もある。
実際、やつがれもシャーロックを頼んでもらつたのはワトスンのコースターだつた。
やはり芸が細かい。

店内には、大きなモニタもあつて、さまざまな写真や絵のスライドショーを写してゐた。
うつかり見たときにピーター・カッシングの似顔絵が出てきて思はず口に手を当ててしまつた。
やつぱりいいねえ、ピーター・カッシング。

ところで、8/14はもしかしたら混んでゐるのではあるまいかと危惧してゐた。
コミックマーケットの第一日目だつたからである。
コミケ目当てで近くまで来たついでに寄つていく、といふ人が多いのではないかと思つたのである。
どうやらこの推測ははづれたらしい。
をかしーなー、ヲタクやヲタク気質の人は一度ははまると思つたんだけどなー、シャーロック・ホームズには。
残念。
いや、幸運だつたのか。

ここにも何度か書いたとほり、やつがれは別段シャーロキアンといふわけではない。
思ひたつて去年の暮れからいはゆる「聖典」を「緋色の研究」からひととほり読み返してはみたくらゐだ。

そんなんで、しかもひとりで行つて楽しいところなのか、と訊かれると、うーん、まあそもそも、お酒を飲んだら楽しい気分になるよね。
それで壁一面に貼られたポスターとか店内のモニタとか、ほかのお客さんやお店の人のやうすを見てゐると、ますます楽しい気分になるんだよね。
としか云へない。
お店の人もみんなよくわかつてるやうすだつたし。

と、ここまで書いて思つたのだが。
店内の客は、みな二人連れもしくは三人連れだつた。
一人で来てゐたのはやつがれだけだつた。
もしかして、「ものすごーく濃ゆいマニア」とでも思はれたりしてゐただらうか。

いやー、それは、ないな、たぶん。

でも、これまた来店するともらへる「シャーロック・ホームズ・イラストクイズ」が解けなくて悔しかつたので「聖典」を読み返してゐるといふのは内緒である。

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Wednesday, 19 August 2015

2015 人形歴史スペクタクル 平家物語 上映会に行く

8/14(金)、渋谷ヒカリエにある渋谷区防災センターに行つて、「人形歴史スペクタクル 平家物語(以下「人形劇の「平家物語」」)」の上映会を見てきた。

2012年からこのかた毎年8月の中頃になると、この上映会が催される。
2012年は「人形劇三国志」から五話を選んで日替はりで上映してゐた。このときは朝からだつた。「ラ・マンチャの男」のマチネに行く前に「関羽の死」を見てから行つたから確かである。
2013年以降は、渋谷ヒカリエは川本喜八郎人形ギャラリーのそのときどきの展示に合はせて人形劇の「平家物語」を上映してゐる。

今回の「平家物語」の展示は「義仲入京」と「平家都落」だ。
今年の上映会では、人形劇の「平家物語」から第三部「乱」を上映した。
清盛はすでに亡い。第二部の最後で死んでしまつた。
第三部は、頼朝と義仲との都入りをめぐる駆け引きにはじまつて、義仲の死で終はる。
主役はほぼ義仲だ。

この義仲がねえ、どうしやうもない人間なんだけど、魅力的なんだよねえ。

いま川本喜八郎人形ギャラリーにゐる義仲は衣冠束帯姿だ。
前回の展示のときは、鎧を身につけ馬に乗つてゐた。
後ろ脚だけで立つ馬の上で、頼朝のゐる方角を見据ゑてゐた。
これがまあ実にやうすがよくてね。
衣装も鎧が緑色で籠手が赤地に金、鎧直垂がちよつとだけ明るめの紺地に金といふ、派手な色合ひなんだけど、これが似合ふんだよね、また。

四天王を従へた上、左右に巴と葵とを並べたところなんか、はた云ふべきにもあらず、といつた風情だつた。

その義仲が実際に動いてゐる姿を見ると、どうしやうもない人間であると思ひつつも、惹かれてしまふ部分もある。
有り態にいつて、「カッコいい」からだ。

などと云ひつつ、新宮十郎が出てくると、つい新宮十郎ばかり見てしまふんだがね。
新宮十郎は残念ながら今回の展示にはゐない。前回の展示にはゐて、このときは義経を困らせる(といふか)役回り、と説明されてゐたやうに思ふ。
こどものころの刷り込みで、新宮十郎は苦手なはずなんだけどなあ。
しかし、いろいろとこすつからい悪巧みをしてゐる姿を見ると、「ヤな奴」と思ひつつ、これまたなんだか惹かれてしまふ。

その新宮十郎も後白河院にはかなはないけどねー。
後白河院は去年のいまごろギャラリーにゐた。鹿が谷の陰謀の展示だつた。
この院がまたステキでねえ。
このときの展示では、ちよつと若いころの時忠と後白河院とがほんたうによかつた。
どちらもあらぬ方向を睨んでゐて、その目の鋭さがたまらなくてね。

人形劇の「平家物語」の後白河院の食へなさ、とらへどころのなさ、「悪党」とはいはないがそれでゐて「いい人」といふ感じは一切ないところなんかがいいんだよねえ。
義仲はもとより、新宮十郎なんか眼中にない。
さういふやうすもいい。

この院に勝るとはいへないが負けじと余裕なのが頼朝で、そんな頼朝の下で無聊をかこつてゐるのが義経である。

今回の上映分では、義仲の子・義高と頼朝の子・大姫とのそこはかとない交流が描かれてゐる。
好いたの惚れたのにはほとんど興味がないので、義仲と巴・葵・山吹の四角関係なんかは見てても「あー、はいはい。わかつたから話を先に進めてー」とか思つてしまふのだが、義高と大姫とはちよつと別だ。
なんといふか、切ない。
義高は凛々しく、大姫はどこかおほどかでおつとりかまへてゐる。
戀人といふよりは同志といつた趣が切ないのかもしれないなあ。
義仲と巴・葵・山吹には「同志」といふ趣はないものね。

人質同然に鎌倉によこされた義高は一瞬失言をしたりもするものの凛と健気に暮らしてゐる。
そんな義高を、鞍馬山にあづれられたときの自分と似てゐるといつてなにくれとなく面倒を見てゐる義経もいい。
義経の周りには弁慶、政近、伊勢三郎がゐて、いづれもそれほど智恵がなさそーなのがこのあと不安だぞ。

あと伴卜と吉次との腹のさぐり合ひも見応へあり。
去年のいまごろ飯田市川本喜八郎人形美術館でこの二人の展示があつて、これが実によかつたんだよねえ。
互ひに互ひを見やつてゐる、その緊張感が、さ。
飯田の平家物語の人形は人形劇に出てゐたものではないけれど、さういふことはあんまし関係ないな、と思つたものだつた。

さて、例年だと上映会に合はせて川本喜八郎人形ギャラリーでは実際に人形を目の前で遣つてみせてくれたり、人形を遣はせてくれたりするガイドが実施されるのだが、今回は中止になつた
保管庫の停電で空調が止まり、衣装にしみやカビのできてしまつた人形がゐるのだといふ。
その養生や確認を行ふため、ガイドは中止にしたのだといふ話だ。
その後どうなつてゐるのかのう。気になるのう。

それとは別に気になるのは、上映会はこれまでは五日間ほどだつたと思ふのだが、今回は三日間だつたことだ。
上映会も今後はなくなつてしまふのかな。
残念だが、例年お盆の時期に土日をはさんで行はれる上映会なので、担当の方もいろいろと大変なのだらうと思ふ。
「見たいのなら買へ!」といふ話もあるしな。

でも、見ることに集中できる場で見られるといふのが貴重なのだと思ふのであつた。
勝手は承知だけれども。

といふわけで、今年も「死者の書」を見に行くかなあ。
今年は午後三時上映で、帰る時間が遅くなる上翌日が月曜日といふのがネックなんだよなあ。
まあ、まちつと考へやう。

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Tuesday, 18 August 2015

行き先知れず

「The Twirly をつなぐプロジェクト」は進んではゐる。
モチーフも五十枚近くつなぐと、一枚二枚増へたところで見栄えが変はらない。
ゆゑに写真もなし、である。

The Twirly は Jon Yusoff のデザインしたタティングレースのモチーフである。六角形で風車のやうな形をしてゐる。
以前も書いたが、もしかしてこの世で一番 The Twirly を作つたことがあるのはやつがれなのではないかと思ふことがある。

とはいつても、まだ五十枚とちよつと。
間違へたといふので切つてしまつたものや、チェインが短すぎるといふので二十一枚つないだところでやめにしてしまつたものを合はせても、百枚にはとどかない。

百枚くらゐ、作つてゐる人もゐさうだよなあ。世間は広いもの。

昨日は、作りかけの Black Magic を少し進めてみた。
作りながら思つたことがある。
今後、どれくらゐタティングレースを作ることができるのか、といふことだ。

時々考へる。
手持ちの毛糸やレース糸をすべて使ひ尽くすことができるだらうか、と。
編みたい結びたいと思つてゐるものをすべて作ることができるだらうか、と。
なにかはあきらめないといけないのではあるまいか。
そんなわけで最近はあまり紡いでゐないわけだが。
毛もたくさんあるんだけどね。

たとへばあみものかタティングレースを選ぶとする。
あみものにしたとしやう。
あみものには棒針編みかかぎ針編みかがある。
どちらも、は時間的にむづかしい気がするんだよね。
かぎ針編みにはアフガン編みもあつたりするし。
変はつたところではストレッチ編みの針も持つてゐたりはする。

タティングレースにしてもシャトル・タティングとニードル・タティングとがある。
ニードル・タティングは久しくやつてゐないけれど、あの手の動きが好き、とはここにも何度か書いたとほりである。
シャトル・タティングも手の動きがいいんだよね。
だが、どちらも、がむづかしいのはあみものとおなじである。

時間の使ひ方が下手だからなあ、とも思ふ。
もつと時間を有効に使へるのなら、あみものもタティングレースもした上で紡ぎもできさうな気がするんだけどなあ。
それは時間の使ひ方が下手な者も妄想だらうか。妄想でなければ願望といふかさ。
自分がいまできてゐないのは時間の使ひ方が下手なせゐで、上手になれば両方ともうまくいくのではないか、といふ願望なのかもしれない。

タティングレースにしてもあみものにしても、ビーズを取り入れたものも作つてみたいしねえ。

とりあへず、タティングレースでは最近「仕上げる」といふことをしてゐないので、まづはあと少しでできあがる Black Magic をなんとかするかなあ。

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Monday, 17 August 2015

同好の士

アクセントカラーのストールは、もうちよつとで三百段といふところで止まつてゐる。
先週は帰宅後に編み棒を手にする日が少なかつたからだ。
なぜといつて……うーん、やはり暑いから、かなあ。

この週末といふか、金土日と、出かけまくつてゐた。
金曜日は、渋谷ヒカリエにある渋谷区防災センターで人形劇の「平家物語」の上映会に行つた。
ほんたうは防災センターとおなじ階にある川本喜八郎人形ギャラリーで川本プロダクションの方々が人形の遣ひ方を実演したり遣はせてくれたりするガイドがあつたはずなのだが、今年はなかつた。
緊急事態が発生したせゐである……いふ話はまたの機会に譲るか。
金曜日はその前後にタコベルに行つてみたり、早川書房に行つてパブ・シャーロック・ホームズの帰還に立ち寄つたりしてみた。

土曜日は歌舞伎座に行つて第二部を見てきた。「逆櫓」と「京人形」である。全三部の中で一番歌舞伎らしい演目が並んでゐる。
せつかくなので、歌舞伎座に行く前にヒカリエに行つたのはよしとして、その後、東京駅に出て昼食を取るつもりがいはゆる「昼食難民」になつてしまひ、そのまま歌舞伎座のそばまでさまよひ歩いてしまつた。
地下が多くて助かつたけどな。

日曜日は横浜人形の家に行き、赤いくつ劇場で平松加奈ミニライブを聞いてきた。
横浜人形の家では九月末日まで「ホームズ&ワトソン 推理の部屋」展を開催してゐる。
NHK教育(とは今は云はないのかもしれないがやつがれは云ふ)で放映された「パペットエンターテインメント シャーロックホームズ」の人形たちが展示されてゐる。
平松加奈はこの番組の音楽を担当してゐた。番組内では弦楽四重奏にパーカッションだつたり時にオーケストラだつたりしたBGMをヴァイオリン一本とパーカッションだけで演奏するといふライブだつた。

ひとつひとつについては機会を改めて書くつもりでゐる。
書かないかもしれないけど。

金土日と、同行者はゐなかつた。
ひとりで行つてきた。
誘ふ相手もゐないしね。

赤いくつ劇場で開演を待ちながらふと思ひ至つた。
人形劇の「シャーロックホームズ」は好きだけれど、同好の士はゐない。
放映当時も、「昨日のシャーマンは可愛かつたねー」だとか「ウィギンズをねづみにするとは……」とか語り合ふやうな相手はゐなかつた。

それを云つたら、歌舞伎以外はこの金土日に行つたものはみんなさうなのではなからうか。
なからうか、ぢやなくて、みんなさうだ。
歌舞伎だつて「一緒に行かう」はほとんどない。
ひとりで行つてひとりで見てひとりで帰る。
それが常態である。

考へてみたら、「平家物語」はその最たるものだ。
幼稚園のころ「牛若丸と弁慶」といふ本が好きだつた、といふ話はここでも何度か書いてゐる。
その後も三冊くらゐおなじやうな内容の本を買つてもらつた。
こども向けの「平家物語」とかね。
当時はものすごく好きで、でも周囲に同好の士はゐなかつた。
「いけずきとするすみがねー」だとか「維盛、ダメダメだよね」とか語り合ふ仲間がゐなかつた。
そのうち源平合戦の話が好きだつたことを忘れて、歌舞伎に出会つて思ひ出すことになる。

同好の士がゐたらどうだつたらう。
ずつと好きでゐて、ちやんと大人向けの本を読んだりしたらうか。
したんぢやないかな。
だつて話の種になるしさ。

つまり、やつがれの経験だとか知識だとかが広がらないのは同好の士がゐないままこれまでやつてきてしまつたからではないか。
同好の士を探すことも、周囲を巻き込んで同好の士を増やすこともせずにゐたからではあるまいか。

赤いくつ劇場の客席で、そんなことをぼんやり考へてゐた。

あみものはどうだらう。
あみものには同好の士がゐる。
ゐるけど、会つてあみものの話とか、そんなにしない気がする。
相手や自分が手編みのものを身につけてゐたらそれの話はするだらうし、「今年は細めの毛糸がはやつてるね」くらゐのことは云ふかもしれない。
でもほかにどんな話をするのか思ひつかないなー。
いま編んでゐるものの話はするか。
さうしたら Ravelry で人気のあるものの話とかもするかもしれない。
「次にこれ編むつもりなんだけど」「えー、それ、編んだよ」「え、糸はどうした? 色は?」「糸は指定糸だけど色は変へた。あと針も」とか、さういふ話はするかな。

編み物の同好の士と会ふことにしたら、ストールも少しは進むだらうか。
会ふときに羽織つて行かう、とかさ。
あー、でもあみものの同好の士は目が肥えてゐるから、さういふところにしていくのはちよつと気が引けるな。
やつぱり進まないかも。

それにあみものつてひとりでするものだしね。

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Friday, 14 August 2015

国立劇場でブリトーを

タコベルに来てゐる。
今年春に開店したころは大変な行列ができて何時間も待つといふ話だつた。

今日来てみたところ、待ち行列はなかつた。
カウンタでは二名ほど注文客がゐた。
あとはカウンタのちよつと手前にバーがあつて、そこからカウンタ上のメニューを眺めてゐる人が三人ほどゐたくらゐだつた。
この人々は、なにを食べやうか決めかねてゐる人々である。
一応、先に来店してゐる人々に遠慮をしてやうすを見てからカウンタに向かつた。
チージービーフブリトーとチージーチップス、あとドリンクバーを別々に頼んだら、「こちらのセットの方がおやすくなります」と云はれてそちらを選んだ。
セットだとチップスにチーズが付かないといふので、それは追加で頼んだ。

アミーゴセット@Tacobell

チージービーフブリトーを一口食べたとたん、懐かしい気がした。
日本用にだいぶメキシカン風味はマイルドになつてゐるやうに思ふけれど、「さうよだねえ。ブリトーつていつたらこれだよねえ」といふ味だ。
チージーブリトーとはその名のとほりフラワートルティーヤにビーフとチーズ、それにメキシカンライスをつつんだものである。
チーズの味がなんだか独特な感じなんだけれど、これも日本だから仕方がない。
だいたい「チージービーフブリトー」といふものを食べるのはこれがはじめてだ。
もともとかういふ味なのかもしれない。

チップスはコーンチップスだ。
あらかじめなにかしら香辛料がかかつてゐる。
チーズは別添へだ。
ナチョスをはじめとするすべてのチップスがさうなつてゐる。
話によると、日本人は手が汚れるのをいやがるのでチップスの上からチーズをかけたやうなものは好まないから、ディップ型にしたのださうだ。
うーん、上からかかつてる方がいいなあ。
せめて別添えのチーズがもうちよつとやはらかかつたら、自分で上からかけるのに。
しかし、ディップにはこれくらゐのかたさが必要なのであらう。
こちらのチーズもチージービーフブリトーのチーズとおなじやうな味がする。なんといつていいのかわからないけれど、どこか独特な味だ。
チリコンカーンといふわけではない。

カウンタで確認してくるのを忘れたけれど、チージービーフブリトーとチップス、ドリンクバーのセットはアミーゴセットといふのらしい。
セットの中では最小なのではあるまいか。
最小だけれども、これで十分おなかがいつぱいになる感じだ。

もうちよつと駅に近かつたら、国立劇場に行く前によつてテイクアウトしていくのになー。
劇場内で食べるのにはちよつと匂ひが気になるけど、それは外で食べればいい話だし。

もうだいぶ昔の話だけれど、国立劇場に行くときには、センター街のアービーズに寄つてサンドイッチをテイクアウトしてゐた。
Arby'sといつても今は通じないのかな。
米国のファーストフード店のひとつだ。
ハンバーガーに使ふやうなバンズに肉や野菜をはさんだサンドイッチを売つてゐた。
好きだつたんだけどなあ。
国立劇場の開場に間に合ふやうに行かうとすると、まだ開店前の店も多い。
アービーズなら開いてゐる。
当時は国立劇場の周りにはコンビニエンスストアのひとつもなかつたし、サンマルクカフェめいた店舗も皆無だつた。
麹町の方に行けばちよこつとなんかはあつたのかもしれないが、行つたことはなかつた。
劇場内の食事処は苦手だしね。最後に劇場内の食事処を利用したのは前・歌舞伎座のそば屋かカレー屋だ。それももうずいぶんと前の話だ。
歌舞伎の幕間は30分前後と長いけれど、食事をすることを考へるとそれでも短いくらゐだ。
その短い時間に食べに行つて食べてまた戻つてくる、と考へると、劇場内の食事処でさへあくせく焦つてしまふのである。
性格の問題だけれども。

ウェンディーズが帰つてきて、タコベルもしかり。
でもアービーズが戻つてくることはもうないんだらうな。
ウェンディーズも最初は表参道にあつたのに、いつの間にかなくなつてゐる。六本木に移つたのらしいが、そちらには行つたことはない。
表参道のウェンディーズは落ち着いてゐていい店だつたのにな。
だいたい「落ち着いてゐていい店」といふのはいつの間にかなくなつてしまふ。

タコベルは109から東急本店に向かふ途中、ヤマダ電機の先を左に入つたところにある。
昼間はいいけど、夜遅くなつたらどうかなあ、といつた感じのところだ。
まあ、曲がつてすぐある、といへないことはないけれど。
普段はどんな人が来てゐるのかなあ。
普段はもつと人が多いのだらうか。
お昼が近づいてくるにつれ、人が増えてきたやうには思ふ。

世に「Tex-Mex(テックスメックス)フード」といふ。
TexはTexas、MexはMexicoの略だ。
タコベルはメキシカンといつてゐるけれど、実際は「Tex-Mex Foods」だらう。
エル・パソで食べるブリトーとシューダッド・ファレスで食べるブリトーとは違ふ。
包まれてゐる中身がそもそも違ふのかもしれないが、味付けも違ふ。
それが渋谷に来れば、違つて当然とも思ふ。

次に来ることはあるだらうか。
気軽に来られるやうな場所ではないからなあ。
コクーン歌舞伎でもあれば来るかもしれない。
そんなところか。

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Thursday, 13 August 2015

英文を出力するなら(しないけどね)

以前、フィンランドでは学校で筆記体を教へなくなつた、といふ話を書いた。
筆記体を教へないいで、サインはどうするのかなあ、と思ふが、そこはなんとかするのだらう。

これまたちよつと前に、文を書くのに紙に書くのとキーボードで打つのとどちらが好きかといふ話を書いた。
思ふに、英語とかだつたら圧倒的にキーボード入力なんだらうな、といふ気がする。
日本語だから、漢字の変換とかあつたりするから、紙に書いた方がいいと思ふのだ。
あの、機嫌よく入力してゐていきなり出したい漢字が変換されないときの、あの不快な気分は、紙に書くときにはない。
漢字を知らなくて書けないといふことはあるけどもさ。
でも、キーボード入力をしてゐて思ふやうな漢字に変換されないのと漢字を知らなくて書けないのとを比べたら、圧倒的に前者の方が遭遇確率が高いんだよな。
キーボード入力する方が紙に字を書くよりも多い、といふことだとは思ふけれどもね。

しかし、これが英語だつたらどうだらう。
前回書いたときにもちよこつと書いたけれど、英語だつたら圧倒的にキーボード入力がいいと思ふんぢやないかなあ。
なにしろ変換する必要がない。
ひたすら打てばいいのだ。
いいなあ。

いつだれが書いたものだか忘れたが、沙漠を行く米国人の記者はジープで疾走するあひだにもタイプライターで記事を打つてゐた、うらやましい、といふやうな話を読んだことがある。
日本語ぢやあさうはいかないものね。
ジープに乗つて道無き道を行くあひだに字を書かうものなら、あとで読めなくなつてしまふ。
やつがれなんか電車の中でさへ字は書けないものなあ。絶対あとで読めない。電車でなにかを書き記すなら、iPhone……と書きかけて、いまはそれもできないのだつた、と、チト昨日のエントリに思ひを馳せてしまふ。
実際に走りながら書いたら、臨場感が違ふんだらう。

と、当時はさう思つたわけだが。
んー、でもどうなんだらうな。
案外、その場ではメモていどにとどめておいて、落ち着いた場所で記憶を頼りに書いた方が臨場感のあるものを書けたりはしないだらうか。
そこは書き手の力量次第な気がする。

さう考へると、ジープで疾走するあひだにタイプライターを打つ、といふのは、そんなにいいことでもないのかもしれない。

だけど疾走するやうにキーボードに入力するつていいんぢやないかなあ。
一種、自動筆記のやうな、さ。
あまり考へないで手とか指とかが勝手に動く感覚。
改行したりページをめくつたりといつたわづらはしさなしにひたすら文章を出力し続ける感覚。

でもそれも、「これに変換したかつたわけぢやないんだつてば」とか思ひながら打つてゐたら我に返つてしまつて自動筆記にならないやうな気もするなあ。

結局、やつがれは手書きが好きなんだらう。
それにしても自動筆記、か。久しぶりにやつてみるかな。

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Wednesday, 12 August 2015

iPhoneを捨てる日

最近、iPhoneを使つてゐてイライラすることがある。

以前はそんなことはなかつた。
とくにiPhone 4やiPhone 5を使ふやうになつてから、メモや写真をはじめとしていろんな記録を取るようになり、「iPhoneのない生活なんて考へられない」と思ふこともあつたほどだ。

現在使つてゐるのはiPhone 6である。

いつたいどういふ場面でイラつくのか。
ひとつには、自分がタップしたと思つた場所をタップできてゐないとき、といふのがあげられる。
iPhone 3のころから、タップの精度にはほぼ満足してゐた。
普通、タッチパネルの機器には位置補正の機能が組み込まれてゐる。
Nintendo DSなどでも、購入して一番最初に使ふときに画面上の十字のしるしをタップするやうになつてゐる。
それで使用する人のタップの癖を取り込んでゐるのだらう。
しばらく使用してゐるとタップした位置と機械が反応する位置とが微妙にずれてくることがある。
さうしたらまた位置補正をする。

iPhoneにはこの機能がない。
なくても快適に使へてきた。
それがiPhone 6ではずれるのである。
これまでは問題なくタップできてゐた細かい部分、たとへばSafari上のリンクの張られた小さな文字などをタップするとその上下の違ふ部分をタップしたことになつたりする。
イライラするでせう。

iPhoneにも位置補正の機能が必要なんぢやないの?

位置補正にもいろいろ問題がある。
立つて片手で持つておなじ手の指でタップするときの位置と別の手の指でタップするときの位置は異なる。
座つてゐても違つてくるだらう。
状況ごとに一々補正するのか。
どうやつて情報を持つ。
そして、今現在どういふ状況で使つてゐるのかどうやつて判断するのか。
使ふ側が考へることではないけれどもね。

もうひとつは、とにかくデカ過ぎる、といふことだ。
iPhone 6 Plusの話ではない。
iPhone 6の話だ。
片手で操作できる大きさではない。

メールを確認する、とか、TwitterのTLを見る、とかなら片手でもできる。
しかし、ちよつと左側の方、とくに左下をタップする必要がある場合、右手の親指がそこまで届かない。
左上ならホームボタンのダブルタップで画面の真ん中ちよい上まで下がつてくる。
それでも「えいやっ」と頑張らないと右手の親指が届かない。

また、ホームダウンのダブルタップで画面を下げた場合、そのあとの挙動がアプリケーションによつて異なるものイラつく原因のひとつだ。
アプリケーションの中で画面が切り替はる度に画面の位置が元に戻つたり、画面が切り替はつても一定時間はそのままだつたり、アプリケーションによつて異なるのである。
イラっとするわー。

ほんたうは、画面を下げる機能なんぞ不要なのだ。
そんな余分なことをしなくても届くやうなサイズにしておけばいいだけの話なのである。
ホームボタンをダブルタップして画面を下げる機能を「簡易アクセス」といふのらしいが、どう考へても「イラつくアクセス」だ。
しかも、上にも書いたとほり、左上にしか使へない機能なのである。
左下は押せないままだ。

そんな状態なので、画面下部に出るキーボードも大変押しにくい。
フリック入力にしてもさう。
左手でiPhoneを持つて右手で入力するやうにしないといけない。
といふことは、つまり電車の中で立つてゐるときは入力できないといふことだ。
電車の中で立つてゐるときは、吊革なり手すりなりにつかまるからだ。さうするやう車内アナウンスもある。
無論、つかまれないときもあるけれど、さういふときはスマートフォンを見るやうなスペースすらないときだ。

実際、電車の中を見回してみると、吊革につかまらずに片手でスマートフォンを持つてもう片方の手で操作してゐる人が多い。そして、電車が揺れるたびに前後左右の人に迷惑をかけてゐる。
いいのか、それで。
「使用する人の意思だから我々は関係ない」とスマートフォンを作つてゐる会社の人はいふのかもしれない。
でもさうさせてゐるのはその会社の作つたスマートフォンだ。
もつと云ふと、そのやうにスマートフォンを作つた会社のせゐである。
片手で使へるやうに作つてゐたらこんなことにはならないのだから。

さらに座つてゐても周囲に迷惑をかけてゐる人はたくさんゐる。
片手でスマートフォンを持ちもう片方の手で操作をするといふことは、両肘を曲げるといふことだ。
つまり、肘の分スペースを取る。
さらに、操作する方の手の肘は動くスペースも必要とする。
その結果、隣の人に肘をぶつけまくつて平気な顔をしてゐる人もゐるのだ。
仕方ないね。
スマートフォンのアフォーダンスがさうし向けるのだから。

そんなわけで、最近では電車内ではほとんどiPhoneを取り出さなくなつた。
周囲の邪魔になるからといふのがひとつ。
大きすぎて取り落としさうになるのが怖いからといふのがひとつ。
片手での操作がむづかしいからといふのがひとつ。
ほんとに使へない。

大きい画面が見たいのならタブレット端末を使へばいいのである。
スマートフォンは必要最小限の大きさでいい。
やつがれにしてみたらiPhone 5だつてちよつと大きいくらゐなのだ。
スマートフォンを大きくすると、入力しづらくなり、用途は閲覧に限られるやうになる。
テレビの代替品を持ち歩いてゐるやうなものだ。
そしてそれはやつがれの求めるスマートフォンの使ひ方ではない。

このまま、単にサイズが大きくなつていくだけなのだつたら、早晩iPhoneを使はない日がやつてくる。
イライラしながらさう思ふ。

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Tuesday, 11 August 2015

タティングレースは糸を選ぶ

タティングレースの話をすると、Black Magic はまだ完成にこぎつけてゐない。
先週は暑さに負けてしまつた。
「The Twirly をつなぐプロジェクト」はつなぐ場所を間違へてしまつてあまり進んでゐない。
さうかうするうちに昨日も書いたとほり風工房の「アクセントカラーのストール」を再開してしまつたので、Black Magic はしばらく放置かもしれないなあ。
「The Twirly をつなぐプロジェクト」はちまちま進める予定だ。

ところで、「アクセントカラーのストール」は、ハマナカのフラックスCといふ糸で編んでゐる。
フラックスCは麻が八割強綿が二割弱の混紡糸だ。
麻の糸にしては編みやすい。
CはcrochetのCなので、棒針編みで使ふのはどうかと思ふが、レース模様は比較的撚りの弱い方がきれいに出るはずなので、問題ないと思つてゐる。
撚りの弱い方がいい所以は、撚りの弱い方が編み地が平らになるからだ。
まあ、一度試してみんしやい。

棒針編みはS撚り、かぎ針編みはZ撚りの糸の方が編みやすいといはれてゐる。
S撚りとZ撚りは撚りの入つてゐる方向の話で、糸を側面から見たときに、撚りの方向がSの字とおなじだつたらS撚り、Zの字とおなじだつたらZ撚りといふ。
手縫ひ糸がSでミシン糸がZだつたかな。逆だつたかもしれないが、なんかそんな違ひもある。

棒針編みでもトゥヴォーエンヅスティカット(Tvaandsstickat)といふ北欧の二重編みはZ撚りの糸を使ふといふ話だ。

市販の手編み糸は大抵はS撚りだ。
「かぎ針編み用」と称してゐる糸にはZ撚りが多い。
あとまれになんにも書いてないけれどZ撚りだつたりする糸もある。

撚りの話をするつもりではなかつた。

ハマナカのフラックスCは麻綿混紡糸なのに編みやすい。
編みやすいのだが、しかし、編んでゐると「やつぱり毛糸で編みたいなあ」と思ふ。

毛糸。
できれば羊毛がいい。
羊毛も、できればメリノかなあ。

近年、アルパカの毛の毛糸だとかカシミヤの毛の毛糸だとかを贅沢にも使ふことがあつた。
麝香牛の毛の毛糸を使つたこともある。
でも、羊毛の毛糸が一番編みやすい。
そんな気がするんだよなあ。

恵糸やさんが云つてゐた。
羊毛の毛糸で編んだマフラーだと、暖房の入つた電車内などでは突然かーっと暑くなつてきてたまらないことがある。でも、カシミヤの毛の毛糸で編んだマフラーならそんなことにはならない。
云はれて試してみると、なるほど、そんな気はする。
カシミヤがさうなら麝香牛もさうだらう。

さうは思ふのだが、やつぱり羊毛の毛糸の方が圧倒的に編みやすいんだよなあ。
弾力が違ふし、繊維も強い。
羊毛は編むために生まれてきたんぢやあるまいか。
あるいは編みもの自体が羊毛の糸に合ふやうに作られてゐるぢやあるまいか。
それは大げさか。

それで云ふと、タティングレースは綿の糸がいい。
それも mercerized cotton ね。シルケット加工した綿とも云ふか。
マーセライズ加工自体はもともとは光沢を出すためのものなのだらうけれど、糸の滑りもよくなるんだと思ふ。
この加工の施されてゐない綿の糸でタティングをするのはかなり苦痛だ。

タティングレースなら絹糸もいいんぢやない、といふ向きもあらう。
それはそのとほりなのだけれども、芯糸をかなりしつかり引かないといけないし、糸によつてはスティッチがゆるみやすかつたりするものもある。

やつぱり綿だなあ。タティングするなら。

で、最初に「レース編みに使ふ糸は撚りが比較的弱い方がいい」とか書いておいてなんだけれども、タティングレースに使ふ場合は撚りは強い方がいいやうに思ふ。
ここでいふ「撚りが弱い」「強い」といふのは「どちらかといへば」といふ話で、実際にものすごーく撚りが弱い糸は編んだり結んだりするのには使ひづらいし、強くても同様だ。
あ、無撚糸はまた別の話ね。

タティングレースは糸の撚りが弱いとスティッチがきれいな形にならない。
かといつて強すぎてもいけないんだけど……そこの加減がむづかしい。
シャトルに糸を巻いた時点で糸に余分な撚りが加はつたり、逆に取れたりしてしまふし、その状態で結び始めると、さらに糸の撚りが変はつてきたりすることがある。
ここをうまく制御できるといいんだけれどねえ。

Burdaによると、シャトルに糸を巻くときはシャトル自体を回しながら巻くといいのらしいが……
ほんとかな。

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Monday, 10 August 2015

涼しかつたので再開

涼しいといふのは重要なことだな。

昨日、去年着手して編みかけのままはふつておいたストールを再開した。
11目20段一模様の編み方を覚えてゐるわけがないので、本を探すところからはじめた。
以前片づけたときに本は「これはそのうち使ふから」といふのでわかるところに置いておいた。
そのはずなのだが見つからない。
書籍流が起きたりして積み替へたりしたからだらう。

いつもならここでくぢけてしまふところだ。
「本が見つからないしー、ま、いいか」つてな具合に、な。
しかし昨日は違つた。
「本はわかりやすいところに置いてゐたはず」といふので、なんとか見つけだすことができた。

暑かつたらできてゐない。
金曜の夜から北東からの風が家の中を吹き抜けていくやうになつた。
風はありがたいねえ。
その前の十日ほどで室内にこもつた熱気をすべて追ひ出すには至らなかつたものの、久しぶりによく眠れた。
日曜日も朝から風が吹き抜けてゐた。
暑くないといつたらウソになる。ちよつと動いたら汗だくだ。
でもこれまでよりはマシだ。

といふわけで、久しぶりに「風工房のシンプル夏ニット、こもの」に掲載されてゐるアクセントカラーのストールを編んでゐる。

アクセントカラーのストール

本では赤い糸で編んでゐるが、やつがれはマスタードとでも呼びたいやうな黄色で編んでゐる。
いい色だと思ふんだよなあ。
黄色はもともとはそんなに好きな色でもなかつた。
あみものをするやうになつて、使ふ色が増えた。
黄色もそのうちの一色だ。
本の赤もいい色なんだけど、暑いときにはつらい色かな、と思つたんだよね。
黄色ならまだマシなのではあるまいか。
ものすごい原色のやうな黄色といふわけでもないし。

現在265段目付近にゐる。
本に従へば410段編むのださうだから、まだ先は長いなー。
このストールの模様は、裏側を編むときにも減らし目があるのが難点といへば難点ではある。
裏側を見て編んでゐると、正しい位置で減らしてゐるかどうか、よくわからないからね。
数へながら編むわけだけど、ときどき数を忘れてしまふことがある。
危険だなー。
調子よくさくさく編めてゐるときはいいんだけれどもね。

なんとかしてこの夏はこのストールを仕上げたい。
と、書いておけばするだらう。
たぶん。

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Friday, 07 August 2015

あふげあふげ あふぐぞあふぐぞ

字を書けるやうになつてからの年月といまのやうなかな遣ひをするやうになつてからの年月を考へると、もう半分以上はかうして書いてゐることになる。

「旧かな遣ひ」とか「歴史的かな遣ひ」といふのだらうけれど、ちやんと習つたわけではないのでいつもどこか間違へてゐる。
知らずにやつてゐることもあるので、気づけばなほし、わかればなほしでここまで来たけれど、いまだに「ちやんと書ける」といふ自信はない。

それは現代かな遣ひでもおなじことで、どういふときに「づ」や「ぢ」を遣ふのかが未だによくわからない。
みかずき? いなづま? はなじ?
悩むでせう?

かういふかな遣ひをするやうになつた理由は、旧かな旧漢字の書物を忌避してゐたからだ、とはここにも何度か書いてゐる。
読みたくなかつたのね、さういふ本は。
読みづらかつたし。
でもあるとき、「それではいかん!」と一念発起してはじめたのだつた。

はじめて幾星霜。
いまでは旧かな旧漢字の本でもそんなに恐れることなく読めるやうになつた。
当初の目的は果たせたわけだ。

といふわけで、たとへば職場ではかういふ書き方をするわけにもいかないし、そろそろ元に戻さうか、と時折考へる。
戻せずにゐるのは、これも以前書いたやうに「ゐ」の字が好きだからだ。

いいよね、「ゐ」。
丸みをおびてゐながらどこか三角形な趣。
「る」とも「み」と違ふ。
「くるくるりん」といつた印象の書き心地。
こんな字、ちよつとないよ。
「くるくるりん」は「ぬ」にもあるけれど、「ぬ」はどちらかといふと長方形のイメージだからなあ。
この「くるくるりん」といふ感覚は、Twisted German Cast-onに通ずるものがある。

そんなわけで、「いい加減、現代かな遣ひに戻さうかな」と思ひつつも踏み切れずにゐるわけだ。

ついでに云ふと、「仰ぐ」とか「放る」を「あおぐ」「ほうる」と書くよりは「あふぐ」「はふる」と書く方が好き、といふのもある。
あと「てふ」ね。「といふ」とか「ちょう」とか書くよりも手早くていいやね。
完全に好きか嫌ひか、といふ話だ。

だからもちろん現代かな遣ひの方が好きな書き方もあつて……と考へてみたがぱつと思ひ浮かばない。
うーん……あつたはずなんだが。

ま、いいか。
そのうち思ひ出すだらう。

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Thursday, 06 August 2015

手書きなら「死霊を添付します」は起こり得ない 多分

手書きとキーボード入力とどちらがいいか。

十年くらゐ前なら「キーボード入力」と云つてゐたと思ふ。
いまは手書きかな。
時と場合とにもよるけれど。

手書きのなにがいいかといふと、漢字変換ミスがないことだ。
みづからの能力が低いため、誤字脱字が発生するのは仕方がない。
でも「死霊を添付します」なんてな間違ひは、手書きならまづ発生しない。
「漢字」と「感じ」とだつてまづ間違へない。
「死霊を添付します」はそれはそれで職場での一瞬のオアシスにはなるんだけれどもね。

また、送りがなの送りかたも手書きの方が一定にしやすい。
一定といふか、内閣訓令の送りがなのつけかたに従はうとしてなんだか妙なことになつてゐるきまりに従はうとしたら、IMEでは対応できない。

たとへば、こんな感じだ。

複合語は、動詞として使用する場合はすべての漢字に送りがなをつける。
例 受け付け
名詞として使ふ場合は、最後だけ送りがなをつける。
例 受付け
他の単語と連結して使ふ場合は送りがなをつけない。
例 入会受付
これ、できる? ATOKとかならできるのだらうか。
さらに「慣用が固定してゐると認められる次のやうな語は、原則として送りがなをつけない」などといふ例もある。
上の例に従ふなら、「振込み」が正しい場合でも、社内では慣用的に「振込」を使つてゐるから、などといふことも起こる。

漢字変換だと前に変換した候補やよく使ふ候補にひきずられて、「受け付け」にしたいのに「受付け」になつてしまつたり「受付」になつてしまつたりといふことは起こり得る。
手書きなら、「ここは動詞だから」とか「ここは名詞として使ふから」とか「ここは複合語だから」と、自分の判断で送りがなを送ることが可能だ。

「それは送りがなの決まりが悪い」といふのは簡単で、なんだかわからない社内のえらいところから「かうせよ」と来たら、さうせざるを得ない。
相手が客ならなほさらだ。

ほかにも、「ここは旧漢字を使ひたいんだよねえ」と思つたら一々スペースキーを何度も押さなくてもいいとか、「ゆゑに」と打ちたいときに「ゆ」と「ゑ」と「に」とをそれぞれ無変換・変換・無変換とかにしなくていい、とか、手書きにはいいことがいろいろある。
やつがれにとつては。

キーボード入力の方がいいことももちろんある。
たとへば、いま打つてゐるのはblogのエントリなので、最初からPC(やつがれの場合はポメラ)に打ち込んだ方が早い。

おなじやうな文言が何度も出てくるものもキーボード入力の方がいい。コピー&ペーストがきくからね。

また、打つ内容が決まつてゐるものもさうだ。
悩まずに文章が出てくるやうなときはキーボード入力の方がいい。
書きながら迷ひ、すでに書いた部分を何度も見返すやうな場合は手書きの方が向いてゐる。
長い巻物をたどつて見るよりは、ページをぺらぺらめくる方が確認しやすい。

以上は、現在のやつがれの個人的な見解である。
以前は「絶対キーボード入力」と思つてゐた時期もあるので、今後また意見の変はることもあるだらう。
英語でものを書くやうになつたとしたら、圧倒的にキーボード入力がいいと思ふやうになるだらうしね。

英語でものを書くやうになる日などやつてこないとは思ふけどね。

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Wednesday, 05 August 2015

かばんと文房具

今日どのかばんを持つて行くか。
毎日悩んでゐる。

ここ三日ほどは、ル・ボナーのミセスとヨハンナ・グリクセンの手提げを持ち歩いてゐる。

Johanna Gullichsen

ミセスには定期券入れだとかお財布だとかiPhoneだとかのあれこれを入れ、ヨハンナ・グリクセンには文房具を入れてゐる。

ヨハンナ・グリクセンの手提げは、去年ヘルシンキに行つたときに買つた。
旅行日程には「ヘルシンキの郊外車で二時間」といふところにある裂き織り工房に行つたとき、ツアーガイドの方がすてきなポーチを持つてゐた。
それがヨハンナ・グリクセンだつた。
ガイドの方のポーチは、白に灰色の格子模様で黄色がアクセントになつてゐた。

いい。
これはほしい。

普段ブランドものにはあまり興味のないやつがれだが、そのときはくるほしくさう思つた。

ヘルシンキでヨハンナ・グリクセンの店に行つて、この手提げを見つけた。
白に灰色に黄色のやはらかさはないが、はつきりきつぱりした中にも白い部分には白と灰色との糸が使はれてゐたりして、なんだかいい。
形に不安はあつたものの、買つてしまつた。

形への不安は現実となり、帰国後は使つてはしまひ、使つてはしまひのくり返しだつた。
とくに最近は「荷物はひとつにまとめたい」といふ気持ちが強く、荷物をわけて手提げを持つことはあまりしたくなかつた。

しかし、荷物をひとつにまとめるといふことは、一局集中型で重みがかかるといふことである。

たとへばブロガーズトートとかル・ボナーのタンクトートとか、それひとつでなんでも入つてしまふ安心感はある。
だが、肩にかけたりしたときの重さが、ね。
電車の中で立ちつぱなしとかだと実にこの重さがこたへる。

しかも、大きいので通勤電車の中では邪魔になる。
なんでも入つてゐるので、網棚に載せるのは気が引ける。
気が引ける、といふよりは、不安だ。
あの中に財布も定期入れも鍵も入つてゐる。
それを網棚の上に載せる? 手元からはなして?
ないな。
ない。

それでも「これひとつ持つたら忘れものなし」といふ安心感にはかへられぬ。

などといろいろ悩んでゐたが、腰痛には勝てず、荷物をわけて持つことにした。
ヨハンナ・グリクセンには、文房具だけ入れてみたらどうだらうか。
そのときさう思つた。

といふわけで、いまはこんな感じで中身を入れてゐる。

Johanna Gullichsen

Wildswans の Owl B6 サイズがギリギリ入る。
その両脇にスケジュール帳とペンケースを入れてゐる。
これで結構いつぱいなんだけど、ペンケースならあともうひとつくらゐ入るかな。

持つてみると、これが案外いい感じである。
持ち歩きたい文房具が全部入つてゐる、といふのがまづいい。
いまはミセスと一緒に持ち歩いてゐるが、別のかばんに変へてもこの手提げを持つて行けば文房具はすべて入つてゐる。
帰宅後も、この手提げを手元においておけばいい。ノートでも萬年筆でも使ひたいものがさつと出てくる。
必要なものがすべて入つてゐるわけではないのだが、でもまあ、一応これで忘れものはなくなるから、さ。文房具の、だけだけど。

かうやつて考へてみると、一番いいのはブリーフケースを持つて、こものをこぶりなショルダーバッグに入れる、とかなのかなあ。
ブリーフケースならA4サイズでも入るだらうし。
ブリーフケースなんぞ持つてはゐないから、そこはブロガーズトートとかタンクトートに置き換へるんだらうけども。

悩みは尽きない。

ところで「車で二時間」つていつたらもう「ヘルシンキの」郊外ぢやないよね。
新宿から車で二時間つて中央道でいつたら双葉インターだぜ。
双葉は「東京の郊外」なんだらうか。

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Tuesday, 04 August 2015

How Dainty

編まないかはりといつてはなんだが、タティングレースの栞をちまちま作つてゐる。

ものは先週も書いた Mary Konior の Black Magicだ。
糸は Lisbeth #40 の牡丹色。
おりがみの牡丹色によく似た赤紫色である。
いい色だ。この酷暑の季節でなければ。

「The Twilry をつなぐプロジェクト」で使つてゐるのも Lisbeth #40 の、こちらは蔓日々草色の糸だ。
ふしぎなもので、Black Magic に使つてゐる牡丹色の糸の方が仕上がりが細いやうな気がする。
ダブルスティッチひとつとつても、牡丹色の糸の方がそこはかとなく繊細にできてゐる気がするのだ。

色によつて糸の太さが違ふ、といふことはあるやうだ。
毛糸だと黒より白の方が若干細くできてゐるものもある、といふ話を聞いたことがある。
膨張色か否かでおなじ太さだと見た目に違つて見えるからだらうか。
それともこれも染料のせゐだつたりするのかな。

栞の場合は、しつかり作りたいといふこともあつて、手加減も糸の引き加減もいつもよりは心持ちきつくしてゐるつもりである。
それで「The Twirly を結ぶプロジェクト」に比べてスティッチが小さく見えるといふこともあるかもしれない。

牡丹色のダブルスティッチのちいささを見るにつけ、「よくぞまあこんなものが作れるもんだねえ」と我ながら感心する。
家庭科は努力点しかもらへなかつたやつがれが、である。
タティングレースは家庭科ではやらないからだらうけれどもね。
もし家庭科で習つてゐたら、こんなにはまることはなかつたんぢやあるまいか。
さう思ふ。

さうかうするうちに Black Magic も今日明日中にはできあがりさうだ。
次はなにをするかな。
最近流行りの「おとなのブレスレット」的なものでも作つてみるかね、タティングレースで。

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Monday, 03 August 2015

暑さゆゑ

編んでゐない。

このまま編まなくなつてしまふのだらうか。
そんな気もする。
暑すぎるのだらう。
涼しいところに行くと「あんなものを編みたいなあ」と思つたりするからだ。

このまま編まなくなつたらどうなるのか。
去年編みはじめて途中ではふつてあるストールをはじめとして編みかけのものはおそらくゴミになるのだらう。
買つたはいいもののしまひこまれた毛糸もしかり。
全部捨てたら、すつきりするかなあ。

一方、涼しいところにゐると、「いい加減、茶羽織を編むかなあ」と思つたりする。
もう長いこと「茶羽織を編みたい」と思つてゐるのだが、着手したことはない。毛糸もないしな。
毛糸は、あまり毛糸をかきあつめて編んでもいいかなあ、と思はないでもない。

問題は編み方がわからないといふことだけれども、おそらく長方形に編めばいいのだらう。
1960年代のあみものの本などを見ると、グラニースクエアをつないだ羽織が載つてゐたりするので、そんな感じでいいんだと思ふ。
ドミノ編みの茶羽織とか、いいかもしれない。

六月に歌舞伎座で「新薄雪物語」を見たときに、「中村吉右衛門は格子柄の衣装の役が似合ふなあ」と思つた。
このときの団九郎もさうだし、「すし屋」の権太とか、弁慶とか、いづれもいい。
「車引」で梅王丸と桜丸との衣装の柄もいいよなあ。あれだつたらドミノ編みでいけるし。

しかし、それには新たに毛糸を買はねばならない。
できれば手持ちの糸で編みたいんだよね。
さうしたらドミノ編みの茶羽織とか、いいんぢやあるまいか。
問題は、センスがないから滅茶苦茶な色柄の羽織になるだらうといふことだけれども。

いま外で「高温注意報」の放送をしてゐるやうだ。
まだ午前十時でこれだよ。
そらあ編む気ばかりでなく、なにかやる気が失せても仕方がないよなあ。

あと狂ほしくエミーグランデでかぎ針編みをしたいといふ思ひにかられることもある。
残念ながらエミーグランデは手持ちにない。
そして、家に帰ると暑い。

最低あと二ヶ月はこんな調子かねえ。

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Saturday, 01 August 2015

2015年7月の読書メーター

2015年7月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2516ページ
ナイス数:14ナイス

史記 8 列伝 1 新釈漢文大系 (88)史記 8 列伝 1 新釈漢文大系 (88)感想
管仲は得難いけれど鮑叔はもつと得難い。商君列伝の司馬遷の評、白起王翦列伝の王翦の始皇帝評、それと王離の評とを書き出してゐる。「天資刻薄の人」といふのが他人事とは思へなかつたのと、始皇帝の為人がものすごくよくわかるのと、やつぱり人殺しはいけないよね。と思うたんだらう。多分。
読了日:7月3日 著者:水沢利忠
雨降りだからミステリーでも勉強しよう (ちくま文庫)雨降りだからミステリーでも勉強しよう (ちくま文庫)感想
「寒い国から帰つてきたスパイ」だとか「藁の女」だとか、出たばかりのころに読んでゐるといふのがなぜだか無性に羨ましい。ここで紹介されたのがきつかけで実際に翻訳された本つてどれくらゐあるんだらう。これまた無性に未訳の洋書とか読みたくなつてくる一冊。
読了日:7月4日 著者:植草甚一
嶋浩一郎のアイデアのつくり方 (ディスカヴァー携書 3)嶋浩一郎のアイデアのつくり方 (ディスカヴァー携書 3)感想
おそらく世の中のlifehackers的な人々は整理整頓が好きなんだらうな。散漫力では余人に負けないと思ふけど、ゆゑにメモや本を一ヶ月寝かせておく自信はないなあ。一ヶ月たつたらどこに行つたかわからなくなるもの。肝は「情報の接着剤」なのだらう。情報を発散・展開させていくことは案外かんたんだけど、問題はそれを如何に集約するかだ。そこは役立つかなあ。
読了日:7月4日 著者:嶋浩一郎
句集 月魄句集 月魄感想
傀儡の句に人形浄瑠璃の人形を重ねてしまふ。
読了日:7月11日 著者:真鍋呉夫
Lock InLock In感想
初スコルジー。誰かのblogに紹介されてゐたのを見て読んでみた。犯人はわかつてゐて、どう追ひつめていくかといふ話。スコルジーにしてはそんなにおもしろくないといふ評もあるやうで、これがおもしろくないのだつたらおもしろいのはどんなにおもしろいんだらうと気になる。翻訳されてゐる本を探すか。
読了日:7月12日 著者:JohnScalzi
七時間半 (ちくま文庫)七時間半 (ちくま文庫)感想
懐かしいことばがたくさん出てくる。電停。BG。電笛。湘南電車なんていまどき誰も云はない。でも藤沢を過ぎるあたりまではまだ町のうち、なんだなあ。熱海の存在意義もいまと違ふ気がする。でも浜名湖あたりが車窓の風景の切替地点といふのはいまもさうかな。身近な人に著名人の仇名をつけるといふのもちよつと古風かも。それにならつてしつかりものつぽくてちよつと可愛い店員さんを秘かに「藤倉さん」と呼ぶことにした。
読了日:7月14日 著者:獅子文六
The Big Over Easy: A Nursery CrimeThe Big Over Easy: A Nursery Crime感想
なぜこれが翻訳されないのかと思ふくらゐおもしろい。サーズデー・ネクスト・シリーズありきだからかなあ。Nursery Rhymes といふか Mother Goose 好き、モンティ・パイソン好きにすすめたい。
読了日:7月30日 著者:JasperFforde

読書メーター

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