先行作品に似てゐても
「マッドマックス 怒りのデス・ロード(以下「怒りのデス・ロード」)」は見てゐるうちに「ペルシア親子(T^T)」と思つたのだが、「マーベル・アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン(以下「AOU」)」は予告篇を見たときに「なんだ、キャシャーンか」と思つてしまつた。
この違ひはなんだらうか。
「AOU」はまだ見てゐないので、見たら「おおおおお、キャシャーンだ!」と思ふのかなあ。
といふのは、「TIGER & BUNNY」を見てゐたときに「キャシャーンで「シメール」なのか!」と思つたからだ。
先行作品に似てゐることが悪いわけぢやあない。
取り入れ方次第だ。
だいたい先行作品に似てゐるのがダメだつたらお浄瑠璃や歌舞伎は見られないもんね。
現在歌舞伎座で「与話情浮名横櫛」といふ芝居がかかつてゐる。
通称「切られ与三」。
お富与三郎とも呼ばれるこの芝居の男女逆転版がある。
人呼んで「切られお富」。
そのまんまぢやん、と云はれればそのとほりなのだが、そこはそれなりに工夫がこらされてゐる。
あるいは「盟三五大切」といふ芝居がある。
これは「五大力恋緘」といふ芝居を元にした話を忠臣蔵の世界にぶちこんだ芝居である。
これを見て、「なーんだ、忠臣蔵かー」と思ふ人はたぶんゐない。
ゐても「え、忠臣蔵だつたの?」だらう。
「五大力恋緘」については「あの芝居をこんな風に変へちやつてまあ」と思ふに違ひない。
先月歌舞伎座で「新薄雪物語」がかかつた。
この芝居の「花見」の段をそのままもつてきたのが「青砥稿花紅彩画」だ。「青砥稿花紅彩画」は別名「白浪五人男」ともいふ。
「白浪五人男」には、「楼門五三桐」といふ芝居から石川五右衛門が南禅寺の山門に上つて「絶景かな絶景かな」とやらかすあの場面をそのまま持つてきた場面がある。
客は文句を言ふだらうか。
「新薄雪ぢやん!」だとか「五右衛門ぢやん!」とあげつらふだらうか。
さういふ人もゐるかもしれないが、大抵は「ああ、これはあの芝居のあの場面からとつてきたんだな」と思ふ。
その程度である。
先行作品に似てゐる、あるいは先行作品から設定を借りてくる、それは悪いことではない。
最近は著作権だのなんだのと喧しいけれど、昔からみんなやつてゐることだ。
「AOU」について云ふと、予告篇で「なーんだ、キャシャーンか」と思つてしまつた、といふのが大きい。
見る前からわかつてしまつてゐる。
そこが評価の低くなる所以なのだらう。
そこらへんは個人的な嗜好による部分も大きい。
たとへば「ドラゴンボールZ 神と神(以下「神と神」)」と「ドラゴンボールZ 復活のF(以下「復活のF」)」とではどちらがおもしろかつたか。
やつがれは圧倒的に「神と神」なんだな。
「復活のF」は見てゐて、「あ、これは伏線。あれも伏線。あれは回収したけどこつちはまだだなー」とか思ひながら見てしまつて、全然楽しめなかつた。
「神と神」はさういふことがなかつた。
伏線をあからさまに提示されると、物語に入り込みづらくなつてしまふんだよね。
一歩引いて読んでしまふ、といふか。
世の中には一歩引いて鑑賞した方がおもしろい物語もあるのだらうと思ふ。
あるいは一歩引いて鑑賞すべき物語もあるのかもしれない。
さういふ物語はあまり好きぢやないんだな。
「復活のF」は見たところ「おもしろかつた」といふ意見が多いので、きつとおもしろかつたのだらう。
フリーザさまはまちつと活躍すると思つてたんだけどなー。
そんなわけで、「AOU」を見に行く気はすつかりそげてゐる。
したがつて、やつがれの中では「AOU」は今後ずつと「なーんだ、キャシャーンか」でありつづけるやうな気がする。
それはそれでもつたいない気もするんだよなあ。
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