散漫でもいい
「嶋浩一郎のアイデアのつくり方」を読んだ。
この本を読んで一番よかつたことは、「整理整頓できなくてもいい」「散漫力の持ち主でもいい」といふところかな。
幼いころからずつと自分ではダメだと思つてきた部分を「それでもいいんだよ」と云つてくれる。
まあ、ほんとはそれではダメだし、許されるのは嶋浩一郎レヴェルの人間だけなんだらうけれど、でもダメな自分を肯定してくれるといふ点では稀有な一冊である。
この本は、たまたま駅にある本屋に立ち寄つたところ、面陳されてゐた。
ぱらぱらとめくつてみたら、おもしろさうだつたので買つてみた。
と書けばかんたんなのだけれども、買ふまでには紆余曲折があつた。
面陳されてゐるくらゐだから、最近出版されたものだらうと思つたのが発端だ。
だからよく行く本屋で買はうと思つた。
ところがその本屋には在庫がない。
閉店されると困る本屋をほかにいくつか回つて、やはりない。
仕方なく駅の本屋で買つた。
奥付を見て納得した。
かなり以前に出版された本なのである。
2007年とあるから、8年は前の本だ。
なんでこれが面陳されてゐたのか。
謎は深まるばかりである。
おかげでこの本に出会ふことができた、ともいへるがね。
しかし、なぜ今まで知らなかつたのだらう。
8年前だつたらライフハック系のblogやサイトをすでに巡回してゐたはずだ。
それに、「アイデアのつくり方」といひながらこの本には、Moleskine(「モールスキン」と表記してゐるところが実に好ましい)やペリカーノJrへの愛が語られてゐる。
文房具系のblogやサイトで紹介されてゐてもをかしかなかつたはずだ。
Web検索をかけてみると、出版当時ライフハック系のサイトなどでもすこしは紹介されてゐたやうだ。
しかし、それほど大きくとりあげられてはゐない。
思ふに、ライフハック系のblogやサイトの主になるやうな人は、整理整頓が大好きなのに違ひない。
したがつて、本書のやうに散らかし放題を推奨し、「情報はラベルをつけたら死ぬ」といふやうな考へ方には組みしない人が多いのだらう。
やつがれはといふと、家の中は人をあげられないやうな状況だし、職場の机の上はさしてものがあるわけではないものの、なんとなく雑然としてゐる。引き出しの中も同様だ。
これではいけないとずつと思つてゐて、この本を読んだあともやはり「このままぢやいけないよね」と思つてはゐるのだが、しかし、「それでもいい」と云はれるとやはりなんだか安心する。
本書に出てくる「散漫力」といふことばも心強い。
やつがれにはとにかく集中力といふものがない。
……と書いて、ないのは集中力ではなくて根気だつた、といふ話は以前も書いたことを思ひ出す。
羽生善治が自著の中でさう書いてゐた。
将棋を指してゐるこどもは対局中でも隣の盤面を覗いたりして落ち着きがないが、それは根気がないからだ。集中はしてゐる。そのときどきで自分の盤面や隣の盤面に集中してゐる。ただその集中力を持続する根気がないのだ、と。
いづれにしても、集中力がない。
周囲からはさう見えるだらう。
自分だつてずつとさう思つてゐたのだから。
したがつて、散漫力ならある。
それを「力」ととらへるのなら。
散漫力があるといふことは、なにごとも拡散しやすいといふことだ。
すなはち、家の中のエントロピーが増大しやすい、といふことでもある。
マインドマップをかいてはすぐやめてしまふのもそのせゐだ。
かいて、拡散するだけ拡散する。
枝が四方八方に伸び、関連すると思へることはほぼすべて書き出すことができる。
だが、そこで止まつてしまふのだ。
そこから集約することができない。
散漫力の持ち主だからである。
そこで、役立つだらうと思はれるのが、この本に出てくる「情報の接着剤」の話だ。
ランダムにならんだ情報の共通項を見つけてひとくくりにしてみる。
それかー。
たとへば、週刊誌の車内吊り広告でもいい。
まつたく無関係な見出し同士の共通点を見つけてひとくくりにする。
さういふ訓練をする。
自分に足りなかつたのは、それかー。
といふわけで、情報の収集についてはそんなに一生懸命やつてはゐない。
ひとまづは「情報同士の接着」に注力してみるつもりである。
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