飯田市川本喜八郎人形美術館 許昌の都と漢中・蜀・南蛮
六月五日、六日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今日は「許昌の都と漢中・蜀・南蛮」について書く。
このケースはメインのケースの先にある。
入口に近い方左から、張魯、華佗、張松、献帝、伏皇后、穆順、普浄、峠の居酒屋の女将、孟獲の順に並んでゐる。
ケースの題名からわかるとほり、いろんな人が並んでゐる、雑居ケースだ。
張魯は五斗米道の教祖にふさはしい派手な出で立ちで左側を睨んで立つてゐる。
教祖として信者たちにあがめ奉られる人としてはふさはしい衣装を身につけてゐる。
しかし、どうもこの張魯はこの場所にしつくりとおさまつてゐるやうには見えない。
衣装のせゐかなあ。
ぱつと見たときに、「舞台袖で相方の来るのを待つてゐるお笑ひ芸人のやうだ」と思つてしまつた。
待つてゐるだけだから、なんとなく手持ち無沙汰だ。
相方がゐるといふことは、ピンでは舞台に立つことはない。
実際はそんなことはなかつたらうと思ふのだが、でもまあ、人形劇の張魯だからなあ。
張魯のやや後方、すこし高いところに華佗がゐる。
水墨画の趣の衣装がいつもいいなあと思ふ。
こちらを見て立つてゐて、いつ見ても福々しい。見てゐるとなんだか穏やかな心持ちになつてくる。
華佗先生にも関羽の大手術を行つてゐるところみたやうな見せ場の展示があつてもいいのに、とも思ふが、かうしてにこにことしたやうすで立つてゐるのが一番華佗らしいのかもしれない。
華佗の手前に張松がゐる。
両腕を広げて手を胸よりやや低い位置まであげて立ち、なにごとか訴へてゐるやうに見える。
張松の衣装の一部がほつれてゐて、「曹操のところで痛い目にあはされた時にできたものか知らん」などと思つてしまふ。
張松は人形劇での出番もここで展示されることもそんなに多くはないからだ。
前回見たときは華佗とさう変はらないやうな地味な出で立ちだつたやうな気がしたが、今回はそれなりにきらびやかなところもある衣装を身につけてゐる。
張松は、しかし、ここにゐる人ぢやないな。
法正あたりと一緒にしてあげればいいのに。
とはいへ「玄徳の周辺」に入るべき人でもないしなあ。
不遇の人、といふことなのかもしれん。
ケース中央後方高いところに献帝と伏皇后が向かひあつて立つてゐる。
献帝の表情はビーズびらびらの向かうにあつてよくわからないけれど、このふたりはいつ見ても薄倖さうだ。
伏皇后の顔立ちがそもそも幸薄さうだもんなあ。
顔自体が小さめで、眉根が寄つてゐて、この世の不幸を一身に背負つてゐる。
そんなカシラに見える。
伏皇后は献帝になにごとか不安を訴へてゐるやうすだ。
献帝はそんな伏皇后を安心させるやうなことばを持たないのだらう。
「かうしやう」と思つても、必ず曹操に邪魔されてしまふし。
時折、董卓はどうして献帝を立てやうとしたのか不思議に思ふことがある。
少帝の方が暗愚だつたんでせう。
「三国志演義」などでは陳留王はえらく賢いこどもだ。
だつたら少帝の方が操りやすいのぢやあないか。
何后を排除したかつたのかもしれないけど、だつたら少帝を母親から引き離してしまへばよかつたのに。
あるいは何進残党がまだたくさんはびこつてゐたのか。
そんなところなのかな、と思つてゐるのだが、かうして献帝を見てゐると、賢くはあつても結局最後には折れる性質だつたからなのかなあ、と思はないでもない。
賢いから我を張らないのか。
そんな献帝と伏皇后との前には穆順がゐる。
荒々しく引き回されたのか、腰をつき、片足からはくつが脱げてゐる。
髪は乱れ、やや伏せた顔は恨めしさうに右上の方を睨んでゐる。
今回のヒカリエの展示では、初日は程昱がやはり腰をつき、文官にはめづらしく足を見せてゐた。くつとか、かうなつてるんだ、とえらくもりあがつたものだ。
それが何日か後に行くと、今のやうな状態になつてゐて、ちよつとがつかりした。
「また見られるから」といふ甘えを許してはくれないんだなー。
今回の穆順はどことなくその程昱のリヴェンジ的な感じで見てしまふ。
リヴェンジつて何に対してのだよ、とは思ふがな。
くつがちやんと脱着できることがはつきりわかるのもおもしろい。
穆順の隣、すこしはなれたところに普浄が立つてゐる。
人形劇には出てこなかつた。
関羽の千里行のときに出てきて、その後関羽の菩提を弔ふ(と当時云つたのかどうかわからないが)人、と認識してゐる。
普浄は川を挟んで関羽の家の向かひに住んでゐたことになつてゐる。
飯田の普浄は実によい顔をしてゐる。
滋味があるといふかね。お坊さんだしね。
それでゐて、きつと笑ひも理解してゐる人なんだらうなあ。
どことなく微笑んでゐるやうに見えるカシラのせゐかさうも思ふ。
「ビルマの竪琴」の水島安彦を思はせるやうな衣装を身につけてゐるのも関係あるかも。
「三国志演義」なり吉川英治の「三国志」なりを読んだだけで、こんなに具体的に顔が思ひ浮かぶものなのか。
はじめて見たときにさう思つた。
それは普浄に限らないわけだが、人形劇に出てこなかつたことも考へると、つひ、さう思つてしまふ。
動いてゐるところを見てみたかつたねえ。
普浄の隣に峠の居酒屋の女将が立つてゐる。
山賊の女首領といふべきか。
人形劇オリジナルの話である「張飛の虎退治」の回に出てきた、派手な出で立ちのおばあさんだ。
孟獲の派手さに立ち向かへるのはこのばあさんだらうなあ。
足をやや前後に開き、腰をひねつて両の拳を腰にあてて肘を張り、「どーだい」とでも云ひたげなやうすでこちらに迫つてくるやうな恰好で立つてゐる。
「ヤッターマン」のドロンジョが年を経たらこんな感じになるのぢやあるまいか。
孟獲は、ややジョジョ立ちな趣ですこし高いところに立つて左の方を見てゐる。
いつ見ても派手だし、衣装がデカいよね。
このまま宝塚の衣装にしてもいいんぢやあるまいか。オストリッチの羽根も使つてるしさ。
まあ、宝塚の羽根の方が華やかかもしれないけれど。といふか、宝塚の羽根は年々盛りが増えていくばかりな気がするけれど。
この衣装だと立つ以外のポーズはむづかしいのかもしれないなあ。
そんなわけで、やつがれ勝手の心眼で見たときに「ジョジョ立ちつぽい」とか思つてしまふのかもしれない。
以下、つづく。
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