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« 唐草模様が好きである | Main | 飯田市川本喜八郎人形美術館 江東の群像 2015/06 »

Wednesday, 10 June 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 諸葛亮と特異なキャラクター

六月五日、六日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
五月三十日に展示替へがあつた。新展示を見るのが目的である。
今回三国志は「三国鼎立~五丈原」、平家物語は「女人平家」、人形アニメーションは「いばら姫またはねむり姫」「道成寺」「鬼」「冬の日」「火宅」。特別展示が終はつたのでホワイエでの展示が増えてゐる。

展示室に入つてまづ出迎へてくれるのが孔明である。
うわ、丞相閣下御みづからお出迎へだよ。
さう思つてしまふのは、白い衣装だからだ。
衣装がふはりと風に吹かれてふくらんでゐる。
川本喜八郎の人形アニメーションといふと、風を感じる作品だ、といふ印象がある。
実際は無風状態で撮つてゐるんだけれど、また無風でなければ撮れないけれど、そこには明らかに風が吹いてゐる。
「道成寺」や「火宅」、「死者の書」で囂々と吹き付ける風に女や菟名日処女、郎女がなぶられてゐるところはもちろん、今回「火宅」を見て、菜つみをする女たちのあひだにも早春の風がほのかに漂つてゐる感じがした。
さういや「人形劇三国志」でもよく風が吹いてゐたな。
関羽の頭巾や髯が風に揺れてゐる場面がよくあつた。

風と孔明といふのはなぜだかとても似つかはしい。
ほぼ真正面から風を受けてゐる姿は、入口の戸が開いて、それで風が吹いてきた、といふ風にも見える。
二年前の五月にはじめてこの美術館に来たときも、三国志の展示内容は「三国鼎立~五丈原」で、孔明は白い衣装を身につけてメインのケースの奥やや左よりの位置で空を見上げて佇んでゐた。
そのときははかない印象しかなくて、白い衣装で「死に態」だからかな、などと思うたものだつた。
この白い衣装が、間近で見るととてもいい。
白といふよりは上品なクリーム色の地で、龍丸が散らしてある。龍は桃色の勝つた淡い紫色で、指は三本。龍丸の周りには地模様の凹凸で雲が表現されてゐる。
人形劇を見てゐるときは、画面もそんなに大きくないし、どんな柄の衣装を着てゐるのかはあまり気にしてゐなかつた。
からうじて陳宮の袖の内側の縞模様はステキだなあ、などと思つてゐたくらゐだ。
白は喪の色といふことで、これまで「出師の表」以降の孔明はあまり好きではなかつたが、すつかり認識を改めた。
今回も孔明は360度ぐるりと見ることができる。
展示室の電気が消へてゐるときに中に入ると、戸が開いた直後は真つ暗闇だ。躊躇してゐると、そのうちふつと明かりがつく。その瞬間、ぱつと視界に入るのが白い孔明、といふのもいい。

その孔明の左側のケースは「特異なキャラクター」といふテーマで、入り口に近い方から紫虚上人、龐統、管輅、左慈の順で並んでゐる。

紫虚上人が立つてるよ!
といふのが、まづ驚きだ。
紫虚上人が立つてゐたことなどあつたらうか。
あつたのかもしれないが、記憶にない。
帯などにところどころほつれてゐる部分があるが、これはもともとさうなんだらうな。
人形劇を見返してはゐないけれど。
だつて人形劇の紫虚上人の出てくるくだりつてちよつと悲しいでせう。
縮緬の皮膚はもちろん、光線の具合で光る爪も魅力的である。

龐統を「特異なキャラクター」に置くのはどうなのよ。
さうも思ふが、紫虚上人との並びなんだらう。
二年前の五月に見に行つたときは、メインのケースの右寄りの位置にゐた。左側にゐる孔明と呼応する位置だつた。
前回の展示のときは、うつむいてゐるやうに見えて実は孔明を見据ゑてゐた龐統だが、今回もうつむいてゐる。沈思黙考の態だ。
くどいほど確認してしまつたけれど、今回はおそらく孔明を見てはゐない。
龐統も孔明も、半分彼岸に行つてしまつた人、といふ感じなのかもなあ。
管輅や左慈の前あたりから見ると、龐統は実に凛々しく見える。

管輅と左慈とはおとなしく立つてゐる。
といふのも、管輅は以前見たときは片腕をさしのべて「悔い改めよ!」と迫るルネサンスの宗教家(もちろんキリスト教系)のやうに見えたし、左慈は髯や衣装が風に舞つてジェダイ・マスター(もちろんダーク・フォース)のやうに見えたからだ。
人形劇の管輅は左慈をやつつける人、といふ趣だつた。
かうして見ると、管輅の方がアヤシい人に見える。
なぜといつて髪を結つてゐないし頭巾もかぶつてゐないからだ。
さういふ意味では左慈の方がよほどちやんとしてゐる……ともいへないか。
もとい。
管輅のなにがおもしろいかといふと、衣装だ。
上に羽織つてゐるものの裾にミシンがかけてある。
帯地を使つてゐるとおぼしき衣装は大抵のりで裾が押さへてあるし、綿地の場合はまつり縫ひだから手縫ひだらう。
ミシンの縫ひ目が見える衣装はめづらしい。

左慈は右手に杖を持ち、左手は髯をつかんで立つてゐる。
おとなしげなやうすが返つてブキミかもしれない。
杖は二年前の六月の展示替へのときに持つてゐたものとおなじもののやうだ。五月に持つてゐたのがどうだつたかはチトわからない。
左慈のカシラにはちよつとしたギミックが仕掛けられてゐる。
是非行つて見てね。

以下、つづく。

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