日記帳の変遷
昨日はスケジュール帳について書いた。
今年これまで使つてきた手帳をふり返りつつ、来年の手帳をどうするか、といふ話である。
いままでは実績重視できたけれど、もうちよつと予定をしつかり管理したい。
そのために手帳の候補として、スライド手帳、yPad half S、「超」整理手帳の三つを考へてゐる。
それ以上のことはまだなにも考へてゐない。
今日は日記帳について書く。
小学校高学年から高校にかけて、日記はそれなりにつけてゐた。
小学生のときに文房具屋の女将からキョクトウのノートをすすめられたんだね。
日記を書くならこのノートがいいよつて。
CAMBRIDGE のA5変形にしたと思ふ。
これが確かに大層よくて、しばらくは日記にはこのノートを使つてゐた。
いまでも店頭でこのノートや Edinburgh などを見かけると、日記帳にしやうかなと思ふことがある。
それにしてもいまはずいぶんと高価になつてしまつたな。
当時はもつとお手軽な値段だつたと思ふんだけど……定かではない。
その後あまり日記をつけない日々があつて、またつけはじめたのがほぼ十五年前のことだ。
集文館の掌中三年手帳を買つた。
それ以前も掌中版の三年手帳を買つたことはあつたが、つづかなかつた。
集文館の手帳はつづいたね。六年二冊使つたもの。
二冊目の三年手帳を使つてゐる途中でほぼ日手帳を使ひはじめて、それ以降はほぼ日手帳に日記を書くやうになつた。これがだいたい十年くらゐ前のことだ。
最初は三年手帳で十分だつたものが、もつと書きたくなつてほぼ日手帳になり、さらにほぼ日手帳では足りなくなつて雑記用のノートを持ち歩くやうになつた。
そしていまに至る。
集文館の三年手帳を三年前にまた使ひはじめた。
あひかはらず欄は足りないことが多いけれど、三年手帳だとすくなくとも一年前や二年前に書いたことは見返すことができる。
ほぼ日手帳でそれをやらうとしたら、常に二冊三冊持ち歩かなければならない。
日記は三年手帳に集約しやうかなあ。
そんなことを考へてゐる。
記録は見返してナンボだと思ふからだ。
見返してばかりゐてはなにもできないんだけれどもね。
しかし、ほぼ日手帳はいい。
今年は MOTHER2 のカバーにしてゐて、見るたびになんとなく明るい気分になる。
十年も使つてきたのだから、使ひにくいはずがない。
でもなあ、三年手帳にもほぼ日手帳にもおなじやうなことを書くのはムダなんだよなあ。
といふわけで、以前は三年手帳をやめ、去年はほぼ日手帳をやめてみたわけだ。
ところで、CAMBRIDGE に日記を書いてゐたころ、書くことの大半は「そのとき考へてゐること」だつた。あるいは「感じたこと」だつたかもしれない。
なにをした、といふやうなことはあまり書かなかつたやうに思ふ。
どこに行つてなにをしたかよりも、それでなにを考へどう思つたかの方が、当時のやつがれにとつては重要だつた。
現在、「なにを考へどう感じたか」については、雑記用といふかなんでも用の手帳に書き記してゐる。いまだと Moleskine だ。
ほぼ日手帳やとくに三年手帳には「どこに行つてなにをしたか」を主に記してゐる。
それだけで一日の欄がいつばいになつてしまふからだ。
「どこに行つてなにをしたか」と「なにを考へどう感じたか」をわけて書く必要は、とくにない。
ほんとは一緒に書けばいいのだらう。
三年手帳を先に使ひはじめたゆゑに自然とさうなつてしまつた。
でもそれでずつとつづいてゐるのだから、それでいいのだらうと思つてゐる。
そんなわけで、来年は「どこに行つてなにをしたか」は三年手帳に、それ以外のことはひきつづき Moleskine だの Panama だの 場合によつてはトラベラーズノートやその他のノートなどに書いていかうかな。
いまはさう思つてゐる。
しかし、ほぼ日手帳も捨てがたい。
どうしたものかなあ。
といふわけで、急遽浮上したのが「ほぼ日手帳による易日記」なのだが、それはまた別の機会に。
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