飯田市川本喜八郎人形美術館 江東の群像 2015/06
六月五日、六日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は展示室を入つて入り口正面奥にあるケースについて書く。
このケースのテーマは「江東の群像」だ。
向かつて左側から黄蓋、甘寧、程普、周瑜、貞姫、孫権、魯粛、諸葛瑾、陸遜、呂蒙、徐盛の順に並んでゐる。
周瑜まででひとかたまり、諸葛瑾まででひとかたまり、徐盛まででひとかたまりといつたところか。
黄蓋はケースの奥の方に、甘寧はその手前に立つてゐる。
程普と周瑜とを取り巻いてゐるといつた感じだ。ふたりとも右側を向いてゐる。
人形劇の黄蓋は、赤壁の戦ひのときに矢を受けて倒れ、そのあとどうなつたかわからない。あの描き方では死んだのではないかといふ気がする。
でもこのやうすだと生きてゐたんだよね。多分。
人形劇の甘寧は印象が薄い。
甘寧はもつと日焼けした感じなんぢやないかなあ。
それとも日に焼けても赤くなるだけで色が黒くなつたりはしないのだらうか。
さういふタイプなのかもしれない。
程普は両肘を張つて片手のこぶしをもう片方の手でつつむ礼の形を取つてゐる。腰も若干低い。
背後に立つてゐる周瑜の方を向いてゐるので、程普をちやんと見るには斜めから見るやうにする。
程普をこんなに間近で見るのははじめてかもしれないなあ、やつがれは。
新宿高野やジャスコのときには見たのかもしれないけれど、すでに記憶にない。
以前の展示のときに、「甘寧と徐盛とは雰囲気がよく似てゐて、甘寧の方が色白で皮膚がピンク色」といふやうなことを書いた。
この二人に比べると程普は個性的だ。古株で人形劇にもかなり最初のうちから出てゐたからかもしれない。そのわりに出番が少ないのが残念だ。
程普を間近で見るのははじめてかも、と思ふ所以は、衣装にある。
荒磯が使はれてゐることに気がついたからだ。
荒磯については、以前この美術館で教へていただいた。後白河法皇の衣装に使はれてゐたと記憶する。
海の男といふか江の男にはふさはしい柄なのではあるまいか。
周瑜は少し高いところにゐて、程普を前にあらぬ方向を睨んでゐる。
程普からなにがしかの報告を受け、考へ込んでゐるといつた態だ。
前回のやさしさうなやうすから一変、策士の表情を浮かべてゐる。
人形劇の周瑜らしい表情だ。
あひかはらずいい男である。
周瑜は兜の色が金古美とでもいひたいやうな色になつてゐる。先祖伝来の兜なのかな。古めかしくて趣がある。
貞姫は、孫権の前でうなだれてゐる。
こちらには背を向けてゐるので顔はよく見えないけれど、ひどく力ないやうすだ。
どうしちやつたのよ、と云ひたくなる。
どういふ場面なのかね。
ひとたび嫁いで戻つてきたの図、かね。
貞姫のやうすはさうかもしれないが、その前にゐる孫権のやうすを見るとさうではないやうな気がしてくる。
といふのは、孫権は高いところにゐて椅子に座してゐるのだが、腰を浮かせて妹の方に身を乗り出してゐるからだ。
貞姫がなにごとが云つて、それに反応して思はず腰を浮かせた。
そんな風に見える。
貞姫を問ひつめてゐるやうには見えない。ひとまづ「なにっ?」と驚いてゐる、そんなやうすだ。
さらには、どこか貞姫を慮るやうすもうかがへる。
前回の展示では孫権は椅子の脇に立つてなにやら下知してゐるやうすで、これが実にいい男だつた。
失礼ながらも「孫権つてこんなにいい男だつたつけか」と思つたほどである。
今回の孫権もいい男だ。こんなによかつたかな。
なにかしら動きのある方が、孫権はいいのかもしれないなあ。
孫権に限らないか。
孫権のななめ右前には魯粛が立つてゐる。貞姫の方を見てゐる。
人形劇だと荊州から貞姫を連れ帰るのは魯粛だ。
ことの次第はよく理解してゐるのだらう。
この場面が、貞姫が荊州から戻つてきて以降のことだとして、だけど。
また、自分が口をはさむ問題ではない、とも思つてゐるのかもしれない。
それはその背後、孫権の隣に立つ諸葛瑾もおなじだ。
視線は貞姫に向いてゐるが、傍観してゐる感じがする。
躰の芯が若干傾いてゐるから、興味はひかれてゐるんだらうとは思ふ。
諸葛瑾は前回前々回と「失意の諸葛瑾」とでも名付けたいやうな趣であつた。
前回は孫権の前にひざまづいて頭を垂れ、見る角度によつては照明の加減で影ができる関係で、悲劇の人のやうに見えた。
前々回はなんだか力ないやうすで立つてゐて、なぜこんなに打ちひしがれたやうすでゐるのかと不思議でならなかつた。
今回はそんなことはないぞ。よかつたよかつた。
と思ひつつ、ちよつともの足りないやうな気もすることも否めない。
勝傑……ぢやなくて陸遜は右やや上に立つ呂蒙を見て立つてゐる。
陸遜ももしかしたら間近で見るのははじめてなのだらうか。
今回はじめて帯に祗園守のやうな模様が大きく入つてゐることに気がついた。腹側と背側と両方に入つてゐる。全体的に黒つぽいのでわかりづらいが。
思はず「成駒屋!」とか聲をかけたくなつてしまふ。
ケースの右端から見ると、真摯な表情で呂蒙を見上げてゐて、いい人のやうに見える。
呂蒙は、陸遜や徐盛よりちよつと高いところにゐて、悪だくみ中といつた表情で立つてゐる。
二年前の五月に見たときとは別人のやうだ。
二年前の五月の呂蒙は、人形劇のときとも別人のやうだつたからなあ。
人形劇の呂蒙といへば完璧にヒールで、その扱ひに方々から非難の声があがつたといふ話だ。
ひどすぎるもんね、やることが。
しかし、あらためて人形劇の「関羽の死」あたりを見返すと、この徹底的な悪であるところがいつそ清々しい。
いいぢやん、人形劇の呂蒙も。
さう思ふ。
二年前の五月の呂蒙は、左の方をわづかに見上げてゐて、まるで大洋に出て新天地を目指す船の船長とでもいひたいやうな意気揚々とした明るい表情を浮かべてゐた。
ヒール? とんでもない。
どこか夢見るやうな表情でもあつて、呂蒙にもこんな顔ができるんだなあ、と感じ入ることしきりだつた。
このときは呂蒙と夏侯惇とが「こんな表情もできるとは!」といふ趣で、この二人の前に何度も立つたものだつた。
人形劇に出てゐたときのことを考へたらあり得ないやうな表情もいいけれど、如何にも「らしい」表情もいい。
できれば両方見たいね。
徐盛も呂蒙を見上げてゐるが、ケースの右端に背を向けてゐるのでその表情をよく見やうとすると魯粛の前あたりから回り込むやうにして見ることになる。
呂蒙になにかことばをかけてゐるのだらうか。
それとも呂蒙がなにか云ふのを待つてゐるのか。
かういふ人形同士が話しあつてゐるかのやうな展示つて、自分が展示室に足を踏み入れるまでは実際にガヤガヤと話してゐたんぢやないかといふ気になる。
「人間が来た!」といふのでそのまま動きを止めてみました、みたやうな感じとでもいはうか。
ちよつと仲間に混ぜてほしいやうな気もするけど、さうはいかないところがなんだか切ない。
以下、つづく。
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