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Friday, 19 June 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館 女人平家 2015/06

六月五日、六日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は「女人平家」のケースについて書く。
このケースは入口から一番遠いところにある。
入口に近い左側から、政子、静、麻丸、蓬子、円、徳子、二位の尼、山吹、巴、葵の順に並んでゐる。

政子の衣装は前回前々回とおなじなのかな。
ケースの左端奥に立つてゐる。
照明の加減で左半身に影ができてをり、見る角度によつて変はる陰翳の加減がおもしろい。
顔の左側に影が落ちてよからぬことを考へてゐるやうにも見えるし、ちよつとさみしげなやうすにも見える。
前回の展示では政子は頼朝と向かひあつて立つてゐて、「顔もえ上げず」といつたやうすが大変に新鮮だつた。
はぢらふ政子。
もちろん、長い人生のあひだにはさういふこともあつたらう。
でも北条政子とはぢらひと、といふ風に考へると、なんとなくしつくりこない。
でも実際に目の当たりにしちやふとね、「ああ、こんな感じになるんだー」といふのがよくわかる。
今回の展示ではさらにいろんな面を見ることができるんぢやないかな。

政子の隣に静がゐる。
飯田では白拍子姿しか見たことのなかつた静だが、今回は袿など着て立つてゐる。
これまでの印象は、なんとなく大味な感じ、だつた。
とらへどころがなかつたのかもしれない。
とくにものすごく美しいといふわけでもなく(失礼)、白拍子姿で舞ふてゐる途中といつたやうすなどはどこを見てゐるのかよくわからず、ゆゑになにを考へてゐるのかもよくわからない。
やつがれの受けた印象はそんな感じだつたのだが、今回は違ふ。
なんだかこれまでよりのびのびして見える。賢さうでもある。
小首をちよつと傾げたやうすなどは、まるでこちらに「なにか?」と語りかけてゐるかのやうだ。
衣装は楓模様の下に水の流れる模様に桜の花、かな。

政子と静との手前に、蓬子親子がゐる。
「女人」平家といひながら、麻丸はこの中では緑一点だ。ぢつと己が両手を見てゐる。
手を見てゐるといふのはなんなのだらうか。自分の来し方行く末を考へてでもゐるのだらうか。
そんな兄を、円は右の方少しはなれた位置から見守つてゐる。
そして、そんな麻丸と円とのあひだに、蓬子がゐる。
麻丸と円とを抱くやうにしてゐて、ちよつと前屈みになつてゐる。
さういや以前ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリー外のケースに、麻鳥と麻丸、円がゐたことがあつた。
このときは「蓬子はゐないのかー」と思つた。
今回は「麻鳥はゐないのかー」だな。
「女人」平家だからだけど。
この三人のやうすの微笑ましさは、「玄徳の周辺」のケースの美芳と玲々とに通じるものがある。
動乱の世といつても、戦争ばかりやつてるわけぢやないし、戦に従事してゐる人ばかりぢやない。
あたりまへなんだけれども、小説やTV番組を見てゐるばかりだとうつかり忘れてしまふ。
美芳親子や蓬子親子を見ると、さうしたことを思ひ出す。

通じるものがある、といへば、ケース中央やや高いところにゐる徳子と二位の尼とにもある。
このふたりと、「玄徳の周辺」のケースの玄徳と劉禅とに、どことなく相通ずるものがある。
「女人平家」のケースでは徳子は座つて母を見上げ、二位の尼は厳しい表情で徳子を見下ろしてゐる。
この二位の尼の表情の厳しいところが玄徳と似通つてゐる気がする。
徳子は、前回の展示では今にも倒れ伏さんとする清盛の隣に座つてゐた。「父の娘」といふ感じだつた。
今回は「母の娘」だな。
劉禅にはどこかしら父にくつてかかるやうすが見受けられるけれど、徳子にはさうしたやうすはない。
従順に母の云ふことを聞いてゐる。
あるいは母のことばを聞くことでなにか悟るところがあつたのかもしれない。

対する二位の尼は、「こんなに厳しい表情もできるのか」といつたやうすだ。
飯田の二位の尼といふと、観音様か聖母マリアかといつた風情で佇んでゐるのを見てきた。
その表情は慈悲に満ちてゐる。
それでゐてどこか衆生を眺め心痛める憂ひもある。
そんな二位の尼も、我が子相手には眦をきつとあげるのだなあ。
ますます惚れてまうやんか。

時子・徳子母子の右側には、山吹、巴、葵がゐる。
山吹は膝をつき、腰を浮かせた体勢で、葵の方を睨んでゐる。
飯田の山吹は恨みの最大級につのつたやうすが印象的だ。
恨み以外の感情を抱くことはないのだらうか、とさへ思ふ。
そこはちよつとした顔の角度や写し方などで、熟練した人の手にかかればなんとでもなるのかもしれない。
でも見るたびに「恨むために生まれてきたわけぢやないのにね」とちよつと悲しい気持ちになる。

巴と葵とはどちらも今回は鎧を脱いだ普段の装ひでその場にゐる。
巴は座つてこちらを見てゐる。
こちらから訪ねて行つたところ、玄関先で待つてゐて「ようお出でなされました」とかなんとか云つてにつこと微笑んだところ、といふやうにも見える。
人形劇以外でこんな出で立ちの巴を見るのははじめてだな。
これが、とても強さうなのだ。
もしかすると鎧姿のときよりも強さうかもしれない。
着てゐるものは静とさう変はらない。
普通におとなしやかに座してゐて、なにか荒つぽい所行に及んでゐるわけでもないし及ばうとしてゐるわけでもない。
なのに、なぜだかとても強そうなのだ。
芯が強い、といふのはあるとは思ふ。
でもそれだけではなくて、見るからになにか武芸の心得のある人、といふ風に見えるのである。
なぜだかは何度も見てみたがわからなかつた。
柔術とかやつてさうな感じなんだよね。
時代は違へど「女三四郎」といつたやうすだ。

葵は全然そんなことないのにね。
葵はすつと立つてゐて、山吹の方に視線を向けてゐる。
余裕にあふれた表情で、「ふふん」といふ聲すら聞こえてきさうなほどだ。
そんなに余裕がある状況でもないだらうに。
葵にはそれがわからないのだらう。
だから山吹から報復を受けることになる。
さう思ふと、また葵もあはれなんだよな。

以下、もうちよつとだけつづく。

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