川本喜八郎人形ギャラリー 赤壁大戦 その二
四月二十四日(土)、展示替へに合はせて渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーに行つてきた。
今回は、入つて一番最初に目に入る大きなケースの向かつて右側について書く。
左側には曹操とその配下の人々がゐる。前回書いたとほりである。
曹操の先には、右から闞沢、黄蓋、周瑜、孫権、諸葛瑾、魯粛がゐる。魯粛の先、ケースとケースの合はせ目に孔明がゐる。
闞沢は、去年のいまごろの展示のときにもゐて、今月末までは飯田市川本喜八郎人形美術館にもゐる。
人形劇のときの闞沢は、どこかをばさんめいた風貌だつた、とは何度か書いた。
髭面なんだけどね。どこかをばさんつぽいんだよね。
くせのある髪の毛がをばさんパーマを思はせるといふこともあるし、大きな目やふつくらした頬がをばさんっぽいのかもしれない。
渋谷の闞沢はそんなことはなくて、前回の展示のときは、「人形つぽい顔だちになつたな」と思つた。人形劇のときの方がリアルな顔立ちだつた気がした。
たぶん、目の形が違ふんだと思ふ。
渋谷の闞沢の目はちよつと上がくぼんでゐて、三日月型が横になつて太つたやうな形をしてゐる。
これが人形つぽさの所以なんぢやないかと思ふ。
それが今回は、前回と印象が違ふ。
竹簡を右手に正面を切つて立つてゐて、なんだか凛々しいのだ。
人形は前回と変はらないはずなのにね。
たぶん、単身曹操を訪れて黄蓋が躰を張つた計略を実現せんといふところなんぢやないかな。
「きつとかういふ場面だらう」と自分で思ひ描くだけで、全然見え方が違つてくる。
やつがれは人間がぼんやりしてゐるので、展覧会の類に行つてもただぼんやりと眺めてしまふ質である。横にある説明なんかもあんまり読まないので、あとで「しまつた!」と思ふことが多い。
ヒカリエなんかでもつひさうなつてしまふのだが、ぼんやりしてゐるだけぢやダメなんだなあ。
と、闞沢に教へられた。
闞沢のやや右前に黄蓋と周瑜とがゐる。
黄蓋は周瑜に向かつて首を垂れてをり手を前でくんでゐる。
周瑜は黄蓋を向いて立つてはゐるものの、どこかあらぬ方向を見てゐる。
おそらく、黄蓋から苦肉の計の献策があり、その手しかないとは思ひつつも周瑜は逡巡してゐるところだ。
黄蓋は、こちらから見ると横を向いてゐて、しかも面を伏せてゐるので、その表情はよく見えない。
そのはずなんだけれども、忠義一徹、頭も切れて実行力もあるやうすが見てとれる。
黄蓋も、去年のいまごろの展示のときにゐて、闞沢とおなじやうに人形劇のときに比べてだいぶ人形めいた表情になつたな、と思つてゐた。
これまた黄蓋も今月末まで飯田の美術館にゐる。
人形劇の黄蓋はヒカリエに比べて凹凸に富んだ顔立ちをしてゐる。
あと、いまの飯田の黄蓋からはちよつとわかりにくいけれど、目にはガラスかアクリルかなにか光る素材が使はれてゐる。ほかの人形より目の印象が強い。
渋谷の黄蓋はといふと、皺は多いもののなんとなく平面的な顔をしてゐて、目は大きいがほかの人形とおなじやうな作りの目になつてゐる。大きい分、目の玉の塗りが平坦な感じがする。
いや、「した」といふべきだな。
自分でドラマを組み立てられると、おなじ人形でも見え方がまつたく違つてくる。
ぼんやりしてゐる場合ぢやない。
そして、黄蓋の向かひに立つ周瑜が今回とても素敵なのである。
「義仲上洛」について書いたとき、冒頭で「今回の展示は曹操か周瑜」と書いた、その周瑜である。
憂ひ顔なんだよ。
悩める周瑜。
つねづねいい男だとは思つてゐたけれど、こんなによかつたか知らん。
さう思ふくらゐ、いい。
周瑜も今月末まで飯田の美術館にゐる。
飯田の周瑜もこれまで見たことのなかつたやうなやうすで立つてゐる。
小喬の前に立ち、赤い牡丹の花を手にした姿のやさしさうなやうすといつたらどうだらう。
こんなやはらかな表情を浮かべることもできるんだねえ、と感じ入ることしきりであつた。
渋谷の周瑜には、悩みを抱へる人の色気に満ちてゐる。満ちすぎてじわじわとあたりにその色気が流れ出てゐる。
さういへば、人形劇でもあつたな。
孔明に「二喬を差し出せば曹操との戦は避けられる」と云はれて逆上し、開戦派に転じて孫権から大都督に命ぜられ剣を受け取つた後、その剣をかるく鞘から出してまたおさめ、「やられた」とうめく、といふ場面が周瑜にはある。
この「やられた」とうめいて壁によりかかる、その姿が好きでね。
一瞬弱さを見せる場面なのだと思ふ。
そこに色気を感じたんだな。
今回の渋谷の周瑜もちよつとそんな感じだ。
黄蓋と周瑜との背後には孫権と諸葛瑾とがゐる。
孫権は椅子の脇に立つてゐて、諸葛瑾を見てゐる。話をしてゐるのか、なにごとか命じてゐるのか、はたまた諸葛瑾がなにか云ふてゐるのか、そんな感じだ。
このふたりも今月末まで飯田にゐる。
いまの飯田の孫権が実に素敵でね。
孫権つてこんなにいい男だつたつけか、とは、以前も書いてゐる。
孫権といふと、圧倒的に座つてゐる展示が多い。
今回は渋谷でも立つてゐる。
横を向いてゐるといふのもめづらしいかも。孫権は正面を向いて座つてゐるといふ印象が強い。ただその目が横を見てゐたりすることがあるくらゐで。
さういや、飯田の展示でも孫権は諸葛瑾になにごとか命じてゐる、といつた雰囲気なんだよな。
渋谷のふたりはもうちよつとおだやかに話をしてゐる感じだ。
渋谷の諸葛瑾はちよつと爽やかな印象がある、とは、以前も書いた。
衣装に緑色が入つてゐるのと、顔立ちからさういふ印象を受けるのだと思ふ。
人形劇のときの諸葛瑾は、謹厳実直、一身に苦悩を背負つてゐるやうな困り顔の印象が強くてな。
いま飯田の展示でも、ケースの脇、闞沢と徐盛とのあひだから諸葛瑾を見ると、照明のあたり具合で影ができて、しかも右肩の方がわづかに下がつてゐて、「失意の諸葛瑾」といふやうに見える。
ヒカリエの諸葛瑾には苦悩の人といつたやうすはない。
また、ヒカリエの諸葛瑾と孔明とは顔立ちがなんとなく似てゐる。人形劇のときにはそんなことはなかつた。
そんなわけで人形劇のときより「エラそー」に見えるのかもしれない。
諸葛瑾の前には魯粛がゐて、右上方を見てゐる。
視線の先には孔明がゐる。
闞沢はひとり、あとは黄蓋と周瑜、孫権と諸葛瑾、魯粛と孔明といふ感じでそれぞれ物語が展開されてゐるといつたところだ。
見上げてゐるといふところに魯粛の立場があらはれてゐる、と書くとちよつといぢわるだらうか。
見上げてゐる所以は、おそらく孔明は七星壇にゐて東南の風を祈つてゐるところだからなのだらうとは思ふ。
でも「平家物語」の展示から行くと、高低差は重要な気がして、な。
さういや、孫権と魯粛とはふたりともくつの先が両方とも見えてゐる。
文官系の人はたいてい片方のくつの先だけが見えてゐることが多い。
孫権も魯粛もくつの先がほかの人々に比べて飾りが多いので両方見せてゐるのかもしれない。
孔明は今回も「三国志」といふ垂れ幕を背負つて立つてゐる。
白羽扇を掲げ、やや天をあふぐやうなやうすで、いままで見たことのある孔明の中ではもつとも動きのある姿である。
孔明は展示のときも動きが少ないので、「今回はちよつと前かがみだな」とか「どことなく風の吹いてゐる感じがするな」とかさういふ印象を持つことが多い。
今月末までの飯田の展示だと、「なんとなく背中に緊張感が走つてゐるな」だとかね。
その飯田の孔明も、今回はちよつと動きがあるかな、と思つて背中を見て「このせゐかな」と思ふことがあつた。
下に着てゐる白い衣装の背中の中心は躰の中心とあつてゐるのだが、上に着てゐる黒い薄地の服は背中の中心が下に向かつて少しづつ右側にずれてゐるのだ。
そのせゐで、動いて止まつた直後のやうに見えるのだと思ふ。
動きの少ない人だからこその演出かとも思はれる。
孔明のくつの先は片方だけ見えてゐる。
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