実写版映画も悪かない
この土曜日に「ドラゴンボールZ 復活のF(以下「復活のF」)」が公開される。
Fが復活するのなら、そのうちCも、と思ふのは、至極当然のことだらう。
さういふ展開が透けて見えるので、「映画? あーそー」的にかまへてゐる。
見には行くと思ふけれどもね。
映画の前作「ドラゴンボールZ 神と神(以下「神と神」)」のときもさうだつた。
「ドラゴンボールの新作? 見には行かないなー」と思つてゐた。
見に行つた人から、「すつごくいいから」と云はれて、見に行つたらそのとほりだつた。
なにしろ都合三回は見に行つたからね。
なにがよかつたのか、といふと、素の状態に戻つた孫悟空と破壊神ビルスとの戦闘場面だ。クライマックスである。
それまで控へ気味だつたスローモーションからはじまつて、これまたそれまで地上や上空が舞台だつたところを地下といふ閉息した状況にもつてきて、息をもつかせぬ大バトル、といふ、ほんの数分のシーンに毎度見入つてしまつた。
「これは大画面で見たい!」と最初に見たときに思つたので、その後二度も通ふことになつた。
あと細かいところでいふと、ピラフ一味がよかつたな。
きみら、ずーつと一緒でずーつとあーんなことやこーんなことをやつてきたんだね。
ピラフ、シュウ、マイの三人の息がぴつたりで、見てゐるこちらは一瞬「ドラゴンボール」がはじまつたばかりのころに戻つたやうな気分になる。
すこし遅れて、そのころから流れた時間と、その時間をともに過ごしてきたであらうピラフ一味を思ふ。
ピラフ一味、イカすわー。
「神と神」のパンフレットに寄せられた文章などを読むと、この映画が作られることになつたきつかけは、ハリウッドの実写版「ドラゴンボール」であるらしいことが、ぼんやりと見えてくる。
実写版「ドラゴンボール」は飛行機の中で見た。
機内のちいさなモニタで見たくらゐでものを語るな、といふ向きもあるので、絵については語らない。
実写版「ドラゴンボール」は、よくある話である。
いぢめられつ子だつたり極々平凡だつたりする主人公はひよんなことから特殊能力を得る。仲間とともに秘宝を探す旅に出て、邪悪な強敵と戦ふことになる。
ハリー・ポッター?
スターウォーズ?
ホビットの冒険?
こんな内容の話はいくらでもある。
「ドラゴンボール」だつて、多少アレンジはあるものの、大筋はこんなところだ。
そこに「学校ではいぢめられつ子」といふ詳細を付け足す必要はない。
少なくとも「ドラゴンボール」でそれをやる必要はない。
かうした細かい付け足しがことごとくうまくないんだよなあ。
実写版「ドラゴンボール」は、「ドラゴンボール」でなかつたとしてもおもしろいとは思へない。
「ドラゴンボール」といふ名前を冠してゐなかつたら公開されなかつたのではあるまいか。
なんだかよくわからないけれども世界的に人気のあるまんが/アニメーションの実写化だからこれでいいだらう。
そんな映画なのである。
そんな映画なのに、続篇を作る気満々といつたやうなエンディングが用意されてゐる。
見てゐる方はもうこれ以上シラケやうもない状態なのに、さらにシラケることを強要される。
実写版「ドラゴンボール」はそんな映画であつた。
ところが世の中わからないものだ。
この実写版「ドラゴンボール」が引き金となつて、「神と神」が世に出ることになつたといふのだから。
一昨年、「神と神」をはじめて見たときに、心の中で実写版「ドラゴンボール」にちよつとばかり感謝してゐた。
実写版「ドラゴンボール」があつたから、「神と神」が生まれた。
なんとありがたいことではないか。
まんがやアニメーションの実写版つて、悪いばかりでもないんだな、どんな出来であつたとしても。
さて、「復活のF」である。
Fことフリーザさまがすばらしいことは十二分に理解してゐるので、あとはなんか妙ちきりんなことをやらされたりしてゐないことを祈るばかりである。
なにを云つても、ともちやんだしね、フリーザさま。
見終はつて、「復活することなかつたのに」といふ感想を抱くことのないやうな出来でありますやうに。
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