川本喜八郎人形ギャラリー 義仲上洛
四月二十四日(土)、渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーに行つてきた。展示替へ後初である。
今回の展示は曹操と周瑜でせう、といふ話は追ひ追ひするとして、まづは順番にいかう。
入口を入つて左側のケースは「義仲上洛」といふ主題の展示である。
入口に近い方、左から実盛、名も無き公家、資時、義仲、冬姫、基房の順に並んでゐる。
実盛は、右を向いて座し、いままさに髪を染めやうとしてゐるところだ。
手には鏡を持つてゐて、角度によつてはこの鏡に実盛の顔が映つてゐるのが見える。
鏡を覗き込むやうにしてゐるので、やや俯きがちであり、ゆゑにかそこはかとなく哀愁が漂つてゐる。
傍らに鎧兜が飾られてゐる。これが目にも鮮やかな赤い鎧だ。
実盛は身につけてゐる衣装も朱色で、若やいだ色だ。
白髪頭の皺の深い老人が若作りをしてゐるから哀愁を感じるのかといふと、さうとも言ひ切れないところがある。
実盛は、前回の展示のときにはまだ髪も黒々とした若い姿で、駒王丸を背負ふて立つてゐた。このときのちよつと困つたやうな表情を見て「いい人なんだらうなぁ」と思つたものだつた。
いい人、といふか、気持ちのいい人、心持ちのいい人、といふかね。
さういふ人が齢を重ねると、かうなるんだらうなあ、といつた表情をしてゐるやうに思ふ。
「年寄りだからと見下されたくない」といふ負けん気よりも、身嗜みのために染めてゐるといふ品の良さがある、といふかね。
「いい年してみつともないけど、自分は武士なのだから」といふか。
そこに哀愁を感じるんだと思ふてゐる。
いままでの展示で鎧姿で兜も身に付けてゐたのは清盛だけだつた。
今回は実盛の飾つてある鎧兜をはじめ、鎧姿の人は兜を背負つてゐる。
その隣には、名も無き公家と資時とが、なにかよからぬことをひそひそ話してゐるやうな感じで立つてゐる。
名も無き公家のカシラは、いかにも「その他大勢」のカシラで、そのまま髪型と衣装を変へて「人形劇三国志」に出てきてもおそらくそれほど違和感はない。
これが資時だとダメなところがおもしろい。
資時の衣装は緑色で、サテンのやうな光沢がある。これ、なんていふ模様なのかなあ。
都から平家がゐなくなつてやれやれ、といつたところに義仲がやつてきた。
平家よりひどい。
さて、どうやつて陥れてやらうか。
資時と公家とはそんなことを話してゐるんだらうなあ。
あるいは単に「義仲が如何にひどいか」について愚痴をこぼしあつてゐるのかも。
そんな資時の視線の先には義仲がゐる。
義仲は衣冠束帯の出で立ちだ。
去年のいまごろの展示で重盛が身に付けてゐたものと似てゐる。
重盛の衣装は黒地に黒い龍の模様だつたけれど、義仲の衣装はもつと抽象的な模様だ。
そして、義仲の衣装は模様部分だけ別珍のやうな感じがする。
重盛もさうだつたか知らん。
下襲の裾は白地に白く唐草模様、かな。
義仲の躰はかなり右の方を向いてゐて、その顔は、右上方にゐる冬姫を見てゐる。
目が真正面ではなくて右に寄つてゐるところに卑屈さを、下から見上げてゐるといふところに冬姫との距離を感じる。
これまた今回の平家物語は「高低差の距離感」がとても感じられる展示になつてゐる。
この件についてはまた次回書きたい。
冬姫は高いところに座して義仲に背を向けるやうな感じで文に目を落としてゐる。
俯いてゐるのでその表情はよくわからないけれど、ちよつと冷たい感じがする。なぜといつて、とても理知的だからだ。
この展開からいつて、手にしてゐるのは義仲からの文なんだらうけれども、手跡はやはらかく流麗に見える。
賢さうなのは、世間を知らないゆゑにみづからの考へで判断を下せるからなのかな。
藤原北家のお姫さまだしね。
冬姫の隣にはやや俯きがちに父・基房が立つてゐる。
憂ひ顔の所以は娘と義仲との仲のことを悩んでゐるからなのか。
世間的には基房から義仲に娘を差し出したことになつてゐるから、違ふかな。
義仲やその配下のものたちの素行の悪さを嘆いてゐるのかも。
基房は衣装が素敵だ。上品な餡子を淡くしたやうな色に銀色の梅の花丸を散らした模様がいい。
父・忠通と似たところはないやうに思ふ。
名も無き公家や資時よりずつと品があるやうす。
以下、つづく。
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