老いも若きも
六月歌舞伎座で「新薄雪物語」がかかるといふ。
「新薄雪物語」が好き、といふ話は以前書いた。
前回の「新薄雪物語」は花形だけだつたらうか。
残念ながらこの月は見にいけなかつた。存外「合腹」がよかつたとの噂なので、よけいに残念である。
六月の「新薄雪物語」の問題は、昼夜にわけての通しといふことだ。
昼の部の一幕めから大幹部を出すわけにはいかない、といふ配慮なのかなあ。
だつたら「花見」は若手でまとめてもよかつたのに。
「新薄雪物語」がなかなかかからない理由として、外題に「薄」といふ文字が入つてゐるからといはれることがある。
客の入りが薄くなるのを心配してのことだといふのだ。
それともうひとつ、役者がそろはないと上演できないから、といふのも理由のひとつだといふ。
こつちの方が納得いくな。
うまいこと配役できないこともある、といふことでせう。
登場人物も多いし、世代の切れ目なんかでは役者が足りないといふこともあるだらう。
登場人物が多くて配役がむづかしいといふことは、劇団や世代の枠を越えた顔合はせが必要といふことだ。
それつて、見る側には楽しみも多いといふことだよね。
普段はあまり見ることのない顔合はせを見ることができる。
しかも、大幹部と若手との共演(競演も、かな)も見られる。
いいぢやあないか。
さう思ふのだが、前回は花形でかためてしまつたし、今回はいまのところ判明してゐる配役は大幹部ばかりだ。
大幹部で「新薄雪物語」をいまのうちに、といふ気持ちはわかるし、それはこちらも望むところだが、うーん、まちつと若手が混ぢつてもいいんぢやないかなあ。
まあ、全体的な配役を知つてゐるわけではないのでそこのところはまだ期待してゐるのだが。
歌舞伎座のさよなら公演からこちら、大幹部の大顔合はせはやはりいい、といふことをいたく実感してゐる。
あたりまへぢやん、と思はれるかもしれないが、実際に見ると「やつぱりいいねえ」と思つてしまふ。
とくに今の幹部は花形のころから見てゐるので、感動もひとしほ、といふこともあるのかもしれない。
最近おなじ芝居ばかりがかかるやうになつてゐるから、つひ見比べてしまつてさう思ふといふこともあらう。
でも、若手も混ぢつた方がいいと思ふのだ。
これまたここのところ、大幹部のみか花形のみかといつた公演が増えてゐるやうに思ふ。
大幹部と花形とのあひだの世代の層が薄くなつてゐるから、といふ原因もある。
だが、松竹がさういふ売り方をしたいといふか、役者自体がさうしたいといふか、そんな理由があるんぢやないかといふ気がしてしまふんだよねえ。
去年の秀山祭の「絵本太功記」とか、先月歌舞伎座の「筆法伝授」とかのやうに、若手に活躍の場を与へつつ、大幹部も本領を発揮する、といふやうな、さういふ風にはできないのかなあ。
むづかしいのかなあ。
さういふのが見たいんだけどなあ。
それとも、さういふのが見たい、と思ふのはやつがれくらゐなのだらうか。
ほかのお客さんは、「きれいな花形だけ見てゐたい」とか「うまい役者しか見たくない」とか思つてゐるのだらうか。
うーん、それはあるのかもしれない。
いづれにしても、六月の「新薄雪物語」のまだ役者の公開されてゐない役には若手が配されるといいなあ、と思つてゐる。
「新薄雪物語」は、さういふ演目だと信じてゐる。
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