年度も改まつたことではあるし
今月から、渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーには毎日、長野県は飯田市川本喜八郎人形美術館には月に二回は行くことにしたい。
ヒカリエのギャラリーは、今月十四日から二十三日まで休館する。
展示替へのためだ。
十四日になつたら、もう、いまゐる義経には会へない。
駒王丸姿の義仲にも、馬上の義仲にも会へない。
その馬上の義仲を見据ゑる心の頼朝にも、だ。
天上人の憂ひとそこはかとない冷たさを思はせる表情の以仁王も然り。
そのとなりでどこか達観してゐるやうな頼政にも。
……と書いていくと、全員書くことになつてしまふな。
来館一番にこちらを驚かせてくれる親雅とか、ダンディな妹尾とか、「あんたらそんなことしてゐる場合かよ」な資盛と右京太夫とか。
この資盛の左奥にある翡翠(だらう)の香炉がまたよくてね。
いや、だから、最初から全員書くつもりはないんだつてば。
ここには書かないけれど、おそらく自分の手帳には書くのだらう。
展示替へ直後に書いてはゐるけれどね。
手帳をぱつと開くと、「ああ、ここにはギャラリーか美術館で見てきたことが書いてある」とすぐにわかる調子で、ね。
「二人義経」とか、いいよね。
あらためて見ると、左右の時忠と新宮十郎が中央をにらんでるあたりとかが、またいい。
両者で趣が違ふあたりもね。
時忠はどこか余裕の表情を浮かべてゐるやうに見えるけれど、行家はもつと悪いこと考へてさうな表情でゐるところとかね。
時忠は、おそらくは義経を見てゐる心なのだらう。己が娘夕花が義経を助けやうとしてゐることも、なんとなく察してゐるのかもしれない。ちよつと楽しげな表情なんだよね、時忠。
行家も、たぶん見込んでゐるのは義経で、でも息子の行宗を見てゐるやうでもある。
まあでも、このケースの主役は夕花と義経でせう。
以前も書いた。
義経の、白い脚に赤い鼻緒の女物の下駄といふ取り合はせがなんともエロティックである、と。
その前に脱いだ草鞋があつて、その履きつぶされたやうすが真に迫ってゐるのもいい。
隣でしりもちをついてゐる偽・義経の行宗の草鞋との対比がまたいい。行宗の草鞋は新しい。履きつぶす必要もないのだらう。
書きはじめると書いてしまふ。
業である。
渋谷に毎日通へるのか、といふ懸念はある。
行くだけなら行けても、ギャラリーの開館時間中に行くのは無理なんぢやあるまいか。
でもそれならギャラリーの外のケースにゐる義高と大姫とに会つて帰ればいいか。
義高が凛々しくてねえ、といふ話はここでも何度か書いてゐる。
この二人を見てゐると、なんとも切ない心持ちになつてくる。
いいなあ。
飯田の美術館も、できれば毎日、と書きたいところだし、せめて週に一度と書きたいところだが、それはちよつと無理かな。
月に二回もむづかしさうだ。
飯田に行くときは、新宿から高速バスで行く。
ところが最近、高速バスで行くのと千円も変はらないくらゐの運賃で飯田に行く方法があることに気がついた。
これは試してみる価値があるのぢやあるまいか。
途中までは通勤通学時間帯なので込み合ふだらうが、途中からは通勤の流れとは反対方向に向かふことになるので、そんなに大混雑といふことにはならないと思はれる。
特急は使はないのでそれなりの時間はかかるし、場合によつては途中乗り継ぎで三十分以上待たされるやうだけれども、それもまたよし、だらう。
あとは電車に乗つてゐるだけで疲れきつてしまふのではなからうかといふ心配もあるけれど、バスで渋滞に巻きこまれていつ着くかもわからない状況よりはいいのではあるまいか。
そんなわけで、この経路は一度試してみやうと思つてゐる。
三月は、なんだかんだで「川本喜八郎月間」であつた。
六日七日と飯田に行つたのを皮切りに、八日に渋谷区防災センターの「芝居の中の三国志」に行つたところ、月末に国立近代フィルムセンターで「フィルムで見る川本アニメーション作品鑑賞会」があることを知つた。
行くでせう、さうしたら。
十日には東京藝術大学で「川本喜八郎 その人と作品」といふ講演会があつた。
鑑賞会の日には水戸に行くつもりでゐたが、これは見送つた。でもまだ水戸行きをあきらめたわけではないがな。
先月は歌舞伎座で「菅丞相月間」でもあつて、「道明寺」にあはせて体力を温存してゐたつもりだつたけれど、それもなかなかむづかしいことになつてしまつた。
それだけ充実してゐた。
この勢ひで今月は、とりあへず展示替へ期間に入るまでは渋谷に通ひ、飯田にも月に二回は行きたいと思つてゐる。
四月一日の誓ひである。
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