川本喜八郎人形ギャラリー 平家都落ち
四月二十四日(土)、展示替へに合はせて渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーに行つてきた。
今回はそのうちの「平家都落ち」のケースについて書く。
「平家都落ち」は、入口から入つて左側にある。
このケースでは都落ちによる三種類の別れが描かれてゐる。
左側から惟盛と妻子との別れ、経正と琵琶「青山」との別れ、忠度と歌集、俊成との別れだ。
人形は左から惟盛の妻、惟盛の娘、六代、惟盛、経正、守覚法親王、忠度、俊成の順に並んでゐる。
惟盛の妻は、惟盛の北の方とはちよつと思へないやうな質素な衣装で佇んでゐる。
憂ひ顔で、惟盛をぢつと見てゐる。
なにか云ひたい。でも云へない。
こどもたちの手前、不安をあふるやうなことは云へないし。
そんなやうすである。
衣装はくすんだ白が基調になつてゐるので質素に見えるだけで、よくよく見たらいいものなのかもしれない。これは今後よく見ることにしたい。
一門のものが都落ちしていく中で、豪奢なものを身につけてゐるわけにもいかないといふこともあらう。
惟盛の娘(だらう)は緑色の衣装を着て、父を見上げて立つてゐる。
わかつてゐるのかゐないのか、その表情からはよくわからない。
周囲のやうすから、なんとなく重大なことが起こつてゐるのはわかつてゐるのかもしれない。
でもこれが父との最後の別れとは思つてゐないんぢやあるまいか。
そんな気がする。
そんな妹の肩を抱くやうにして、六代が立つてゐる。
白地に白く紗綾模様の衣装を着てゐる。
幼くはあつても六代にはこの場の状況がわかつてゐるのだらう。
だから妹を支へるやうにしてゐるし、表情もどこか凛々しい。
それでもやはり、これが最後の別れとは思つてゐないんぢやないかなあ。
ここで「これが最後の別れ」と理解してゐるのは、ふたりの親ばかりだ。
惟盛は、展示の説明には倶利伽羅峠で破れたことが feature されてゐる。
個人的には富士川の合戦が思ひ出深い。
水鳥の羽音に驚いて敗走した群の総大勝といふ印象が抜きがたい。
惟盛は、鎧姿で立つてこどもの顔を見つめてゐる。
鎧は teal といふには青のかつた色で、兜はうすい teal のやうな色だ。
この色の取り合はせが、麗しくも雅やかな人といふ印象を与へる。
横を向いてうつむいてゐるので、しやがんでもその表情をしかと見るのはむづかしい。
ただその憂愁の色の濃い横顔が、なんとも魅力的である。
自分が二度も大敗したせゐで、といふ自責の念もあるのかな。
惟盛をこんなにいいと思つたのははじめてだ。
経正は、ひざまづいて琵琶「青山」を掲げ、頭を下げてゐる。
とても神妙さうだ。
青山をかかげる先には守覚法親王がゐる。
守覚法親王は、展示の説明にもあるとほり後白河院の皇子であつた。
高貴の方である。
ゆゑに高い位置にゐる。
経正はその御顔を直視することはない。
いいねえ。
惟盛とその妻子とはおなじ高さのところに立つてゐる。
忠度と俊成ともおなじ高さのところに座つてゐる。
経正と守覚法親王だけ、ゐる場所の高さが違ふ。
身分の違ひと相手との距離感が高低差で示されてゐて、とてもおもしろい。
経正もほぼ横顔しか見ることはできない。横顔からは謹厳なやうすがよく見てとれる。
鎧兜は赤みのある紫の濃淡だ。
守覚法親王は、高いところに座して青山を差し出す経正を見つめてゐる。
やや細面で面長で、経正の行為に感じ入つた、といふやうすだ。
去年のいまごろ、東京国立博物館の「建仁寺と栄西展」に行つた。
栄西のころの九条袈裟が二点ほど展示されてゐた。
一点はなにも書かれてゐなかつたので、国内で作られたものだらう。
もう一点には中国から渡つてきたものといふ説明書きがついてゐた。当時だから宋のものだ。
宋からきたといふ九条袈裟はターコイズブルーの色も鮮やかなものだつた。いまでも鮮明に色が残つてゐることにまづ目を引かれた。
非常に細い糸でできてゐるにも関はらず、織りで模様を出してゐる部分があつて、「これだけ細い糸を紡いで織り、さらには模様までつける。人間の手でここまでできるとは」と内心うなつたものだつた。
この国内のものと宋からきたものと、ふたつの九条袈裟から考へるに、守覚法親王の身につけてゐる九条袈裟は、国内産の中でもとくに上等なもの、といつた感じがする。
その右側に、忠度が座して俊成に巻物を差し出してゐる。
鎧兜は深い緑と紫、あとは白が少々といつた色合ひだ。
きりりとした表情で、まつすぐ俊成を見つめてゐる。
肩にまで力が入つてゐるやうすだ。
一旦は落ち延びて行かうとしたけれど、命を賭して戻つてきた。
俊成と、相見えることはもうないだらう。
せめて自分の作つた歌を勅撰和歌集に採つてもらへたら。
いろんな覚悟がないまぜになつたやうな表情だ。
人形劇の忠度は、このきりっとしたやうすがいいな。
相対する俊成は、どこか困り顔のやうにも見える。
歌の道の弟子である忠度の行く末を案じてゐる、そんな顔なのかもしれない。
案じてもどうしやうもないのだけれども。
どこかくつろいだ感じの衣装を身につけてゐる。自宅で夜を過ごしてゐた、といつたところかな。
このとき俊成は69歳。今回の展示からはそれほど老けてゐるやうには見えない。この先まだ20年以上生きるからかな。
以下、つづく。
義仲上洛についてはこちら。
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