編み図を読む
あひかはらずくつ下を編んでゐる。
やつがれとしたことが、まだ片方編み終へてゐない。
もうつま先の減らし目には入つたので、今日明日中にはもう片方のくつ下に入れるのではあるまいか。
現在、A Knitted Sock Society といふ本の表紙にもなつてゐる Reginald といふくつ下を編んでゐる。
ねぢり一目ゴム編みと増やし目と減らし目とで作る縄編み模様のくつ下だ。
前回、模様部分の編み方を覚えてゐないので本を見ながら編んでゐる、と書いたが、覚えられたね、どーも。
先週の時点では「もうこれ、覚えられないよ」と思つてゐたんだけどな。
覚えられないよ、と思つた所以は、規則が覚えられなかつたからである。
あみものの模様編みにはほぼなにかしら規則性がある。
ここで減らしてここで増やすからかういふ模様になるつていふかね。
いや、かういふ模様にしたいから、ここで減らしてここで増やす、といふ方が正しいだらうか。
今回は、模様部分を二回くり返した時点では模様と編み方とのつながりを理解できてゐなかつたんだな。
情けない話である。
それが、三回目のくり返しに入るくらゐのときに「さうだつたのか」といふひらめきがあつた。
それ以降は編み方を見なくても編めるやうになつた。
感覚としては、「編み図を覚えた」といふよりは、「編み方を理解した」といふ方が正しい。
理解したので、覚えられた。
そんな感じかな。
ふしぎなもので、編み図を覚えると、といふよりは、編み方を理解すると、きれいに模様を編めるやうになる。
単に手が慣れただけといふ気もするけれど、編み方を理解したあとの方が編み目は断然きれいになる。
本のとほりに編んでゐるだけぢやだめなんだな。
編みはじめる前に編み図や編み方にはひととほり目を通せ、といふ話はもちろんある。
それをやらずに編みはじめて、あとで「at the same time」とかにやられた、と思ふこと一度ならず。
でもまあ、かうしてやつて自分で納得しないとなかなかできないものなんだよなあ。
それにしてもこの Reginald といふくつ下は編んでゐて楽しい。
いいくつ下を選んだと思つてゐる。
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