飯田市川本喜八郎人形美術館 あらためてギャラリー中央
三月六日、七日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つて来た。
今回の展示再訪である。
今日は、ギャラリー中央について書く。
今回の展示ではギャラリー中央に孔明と龐統とがゐる。
それぞれ一人~二人用の小さなケースの中に立つてゐる。
ギャラリーの入り口から向かふと、手前に孔明、奥に龐統がゐる。
展示替へ後に行つたときも書いてゐる。
孔明は龐統に背を向けて立つてゐて、龐統は孔明の方を向いて立つてはゐるもののわづかにうつむいてゐる、と。
さう書きながらも、孔明のケース越しに見ると、龐統はこちらを見てゐるやうにも見える、と。
今回見て、やはり龐統は孔明を見てゐるな、と思つた。
そして、孔明の背中、とくに肩のあたりに走る緊張感は、背後から龐統が見てゐることをわかつてゐるつてことだな、とも思つた。
三月八日に講演「芝居の中の三国志」を聞きに行つた時に、いらしてゐた船塚洋子さんにも確認してしまつた。
孔明はともかく、龐統が孔明を見てゐるとはあんまり思ひたくなかつた。
孔明のことなんか意識しなくていいのに。
鳳雛先生は鳳雛先生でいいのになあ。
さう思つたからだ。
とはいへ、展示替へ直後にはこのふたりの「ケースのあひだに流れる緊張感が、実に楽し」い、などと書いてゐたりはするわけだけれども。
三国志演義から派生した物語(とここでは文字で書かれたものも静止画も動画もなにもかもひとつにくくつて呼ぶことにする)は数多ある。
中には孔明と龐統とは玄徳の下に集ふ前から仲がよかつた、とするものや、まつたく正反対のもの、そもそもふたりの関係など描いたりしないもの、などさまざまある。
やつがれはといふと、「別段これといつて仲がよかつたわけぢやないんぢやないかな」と思つてゐる。
陳寿が「諸葛亮伝」に崔州平と徐庶元直との名を記しながら、龐統の名前を書いてゐないのにはそれなりに理由があるんぢやあるまいか。
とはいへ、史書といふのは普通の交友関係についてはほとんど記さぬものである、といつてしまへばそれまでなのだが。
それに、「なあなあ」な関係つてあんまり好きぢやないんだよね。
あと、三国志に関してはなにしろ「まつさん版三国志英雄伝生まれ人形劇三国志育ち」だから、ふたりがもともと仲がいいとか、あんまり考へたことがなかつた、といふこともある。
人形劇三国志には、それでもひとつ、ちよつとした因縁話つぽい入れごとがあつたりはする。
赤壁の戦ひ前夜、曹操に連環の計を授けて立ち去る龐統に許攸(演義では徐庶)が追ひすがつて、今後の自分の身の振り方を問ふ場面がある。
ここで龐統は夜空の星を見上げながら告白する。
この歴史に残るだらう大戦さで、孔明だけに名を残さしめるのはちよつとヤだな、と。
自分もちよこつと関はつてゐたいな、と。
自分の名をあげたいはいいとして、「ああ、龐統は孔明を意識してゐるんだなあ」となんとなくさみしくさう思つた。
鳳雛先生にはさー、もつと飄々としてゐてほしかつたんだよねえ。
他人なんかどうでもいいぢやん。
云ふても詮無いことではあるが。
孔明と龐統との関係は、極淡泊なものであるといい。
さう思つてゐる、といふことを今回の展示で思ひ知つた。
淡泊であるといいとは思ひつつ、今回のギャラリー中央の展示を見ると、「やつぱり人間、いろいろあるよね」としみじみしてしまふ。
前回の展示では、このケースには朱鼻伴卜と金売り吉次とがゐた。
どちらもどつかと座し、互ひに相手のやうすをうかがつてゐるやうに見えた。
これがまたよかつたんだよね。
伴卜は清盛に吉次は秀衡について商ひで儲けやうとした商人だ。
平家でも源氏でもなければ武士でもない人々の対立の構図にとても惹かれた。
このふたりのケース間に流れる緊張感もまた、よかつた。
わざとあひだに立つたりして、伴卜を見ては吉次にふり向き、吉次を見てはまた伴卜をふり返るといふのを幾度もくり返した。
今回の展示では、このふたりのケースのあひだに立つてはいけない。
そんな気分になつてくる。
とはいへ、近くで見ると沈思黙考の態の龐統を見つめたり、普段はほぼ見ることのない孔明の背中なんぞを眺めたりしてしまふんだがね。
なんだかちよつと申し訳ない。
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