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Wednesday, 04 March 2015

劇評の型

歌舞伎の劇評は、どれも似たやうな感じがする。

よくよく読めば書いた人によつて違ふのだらうけれども、どうも「歌舞伎の劇評とはかう書くもの」といふきまりがあつて、それにしたがつてゐるやうに思へてならない。

書評にはさういふところがない。
ジャンルをしぼつてみても、「日本の純文学の書評はかう」とか「アメリカのSF小説の書評はかう」といふ型はないやうに思ふ。

書評の方が歌舞伎の劇評にくらべてはるかに大勢の人によつて書かれ、はるかに大勢の人によつて読まれるからだらうか。

そんな気もする。

歌舞伎の劇評がどんな感じかといふと、
「誰某の義経は御曹司の気品が漂つてよし。ただしせりふにはもう少し憂ひがほしい。静御前は某誰」
つてな感じかなあ。

これね、誰が書いてもこんな感じなんだよね。
なんかもう、かういふ雛形があつて、「歌舞伎の劇評とはかう書くもの」ときまつてゐるかのやうにかうなのだ。

ちなみに「静御前は某誰」といふのは、紙幅の関係かはたまた書くに値するものがなかつたのかわからないが、配役だけ書いておくときによく見かける文体である。

いや、別にこれをくさしてゐるわけではない。
かういふものと思へば読みやすい。
でもさー、せつかく書くならさー、別にこの書き方にこだはることはないのに。
さう思つてしまふ。

これもまた歌舞伎の劇評の「型」なのだらうか。
なるほど、さうなのかも。

「型」なので、不特定多数の読み手を意識するとそれにしたがつてしまふのかもしれないなあ。

でもやつぱり、もつと違つた書き方があつてもいいと思ふ。
単にやつがれが知らないだけで、実際にはあるのだらうか。

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