タティング・ロボット
The Twirly をつなぐプロジェクトは、先週からあまり進んでゐない。
昼休みに時間がなかつたのが原因である。
いつもの説明だが、The Twirly は Jon Yusoff のデザインしたタティングレースのモチーフである。六角形で、ちよつと風車めいた感じのモチーフだ。
家では昨日も書いた Weaver's Wool Mini Shawl を編んでゐる。
一段に四百目はあるんぢやないかな。まだ目は増殖中だ。
模様編みの段もあるので、最近一段編むのに十分以上かかるやうになつてきたやうに思ふ。
それでも編みはじめるとなかなか止まらない。
裏メリヤス編みとか、ほんと、苦行でしかなかつたのになあ。
慣れるつて、ステキなことね。
手作業などで慣れることを、「ロボットを育てる」といふのらしい。
たとへば車の運転だ。
運転をはじめたばかりのころは、なにをするにもぎこちない。
まづエンジンを始動するところからしてドキドキする。
走りはじめてからも、周囲のことが気になつてやたらと疲れる。
ウィンカーひとつ出すにも気を使ふ。
これが、慣れてくると、なんにも考へずに運転して目的地にたどりつけるやうになる。
この状態を運転のロボットのある状態、といふのらしい。
うーん、日本語として座りが悪いなあ。
いづれにしても、考へなくても自動的にできるやうになることを「ロボットがある」とか「ロボットがゐる」とかいふのらしい。
あみものやタティングレースも完全にこれである。
なにも考へなくても手が動く。
とくにあみものの往復編みでガーター編みばかりとか輪編みでメリヤス編みばかりの作品を称して「Mindless Knitting」といふが、ロボットを育てるといふことは「mindless」にできるやうになるといふことと同義なのらしい。
やつがれのあみものやタティングレースの腕前は、せいぜいそれ止まりである。
すなはち、ロボットは育てた。
なにも考へずに編んだり結んだりできる。
しかし、その先にいけない。
不器用だからである。
以前も書いたやうに、たまに手芸系のイヴェントなどでそれまでやつたことのない手芸を試してみたりすると、もう如実にそれがわかる。
不器用なのである。
まはりの人は、手芸を愛好するくらゐだから、みな手先が器用で飲み込みのいい人が多い。
やつがれはといふと、どうもこつを飲み込めずにできあがるものも「これはいつたいなんぢやろか」といふやうなものができてしまふ。
あみものやタティングレースができるのは、単にそれなりに時間をかけてゐるからに過ぎない。
みづからの中にロボットを育成し、mindless にできることを増やしてゐるからに過ぎない。
時間をかけてゐるといふことは、やりたいことなわけだけど、やりたいこと即ち得意なこととは限らない。
育てるロボットによつては、無駄なものもあるのださうである。
まあ、さうだらうな。
やつがれの育てたあみものやタティングレースのロボットは、無駄なのかもしれない。
無用の用、といふものが世の中にはある。
たぶん、それだ。
といふか、さう思ひたい。
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