歌舞伎を見るきつかけ(など存在しない)
歌舞伎に興味を持つたのは、小学校三年生のときである。
夏休みに虚弱体質児や喘息持ちの児童を各学校から集めて合宿を行ふ、といふ催しがあつた。
たしか、五、六年生は虚弱体質児、三、四年生は喘息持ちと決まつてゐた。おそらく市か都道府県か、どちらかの主催だつたのだらう。
三年生のときにたまたま行くことになつて、同室になつたうちのひとりにたいへん絵がうまく、宝塚歌劇団が大好きといふ人がゐた。
そこでなぜ「宝塚を見てみたい」にならなかつたのかが不思議だが、いづれにせよ、その人と話すうちに世の中には歌舞伎といふものがあつて、なんだかよくわからないけれどもとても美しい世界なのである、といふことを知つた。
帰宅後親に「歌舞伎に行きたい」といふと、「自分でお金を出せるやうになつてから行きなさい」と云はれた。
話はそこで終はつた。
親は歌舞伎になんぞまつたく興味がなかつた。
母はいはゆるミーハーだつたから、芸能界のことにはそれなりに興味もあつたやうで、ワイドショー的知識は豊富だつた。
でもそれだけだつた。
その後、小学校も高学年になつたときに、音楽の授業で音楽室を使ふやうになつた。
音楽室の隣にはちいさな音楽準備室といふ部屋があつて、たまに楽器を取りに入つたりした。
その部屋にはちよつとした本棚があつて、そこに音楽関連の本に混ぢつて歌舞伎の本があるのを発見した。
音楽の先生に頼んでしばらく貸してもらつた。
いまでいふムック本のやうなものだらうか。写真がたくさん載つてゐて、説明文は少々といふ作りだつた。
それまで歌舞伎役者の名前といつて、坂東玉三郎くらゐしか知らなかつたやつがれは、この本で中村歌右衛門と實川延若とを覚えた。
歌右衛門はとにかく写真が多かつたし、それにひどく特徴的だつた。
延若もしかり。まあ写真の数は歌右衛門には及ばなかつたけれども。
高校生になるころには、そろそろお小遣ひをためれば歌舞伎が見られるやうになる。
いまだつたらさういふ知識もあるが、当時はまつたくなかつた。
それに、土日や夏冬春の休みには部活動が忙しくてそれどころではなかつた。
そんなわけで、はじめて歌舞伎を見に行つたのは、さらにそののち、といふことになる。
たまたま一緒に行つてくれるといふ友人がゐて、そろつて歌舞伎座にくりだした。
歌舞伎座へは「切られ与三」がかかるといふので行くことにした。
なぜ「切られ与三」なのかといふと、ひとつには春日八郎の「お富さん」の印象があるからだ。
母から聞いた話によると、「お富さん」があんまり流行したので、母の通ふ学校では「「お富さん」を歌つてはいけない」といふ禁止令が出たのだといふ。
やつがれのこどものころにもずいぶん流行つた歌もあつたけれど、つひぞ学校で禁止されるやうな歌はなかつた。
あつたとしても、ドリフターズがコントで歌ふ童謡の替へ歌はあれはほんたうの歌詞ではないから歌つてはいけない、と禁じられるくらゐだつた。
どんだけ流行したんだよ、「お富さん」。
その「お富さん」の元ネタとはどんなものなのだらうか、と知りたかつたのがひとつ。
もうひとつは、上に書いた歌舞伎のムック本に出てゐた写真がとてもよかつたからだ。
ムック本には、雀右衛門のお富と玉三郎のお富とが載つてゐたやうに思ふ。
本を眺めてゐた当時は知らなかつたものの、湯上がりで髪を下ろしたお富さんの「あだな姿の洗ひ髪」にやられてしまつたんだね。
そんなわけで、「切られ与三」を見た。
予算の関係で三階席からだ。当日行つて、前から三列目が買へた。
与三郎は團十郎、お富は玉三郎、蝙蝠安が先代の市蔵で、籐八は弥五郎、多左衛門は左團次だつた。
これが、さつぱりわかんなくてねえ。
内容はわかる。
たいした内容ではない。
なにがわからないのかといふと、幕切れである。
多左衛門が、お富の実の兄とわかるところで終はる。
え、それで、どうなの?
だからなんなの?
友人とふたり、おいてけぼりにされた感じで、はじめての芝居見物は終はつた。
ここでくぢけないのが我ながら不思議なのだが、そのほぼ半年後、今度は梅幸の「藤娘」を見に行くことにした。
なんだらうね、「梅幸の「藤娘」は見ておかないと」と思つたんだね。
どこかでさういふ知識を仕入れてゐたのだらう。
仕入れもとは件のムック本ではないはずだ。
なぜといつて、件のムック本で「藤娘」の写真に写つてゐたのは玉三郎だつたからだ。
これがきれいでねえ、といふのはまた別の話である。
このときは幕見席を試してみた。
残念ながらこのときの梅幸の「藤娘」はたいしてよくなかつた。その後、あらためて見に行つたら別人のやうによかつたけどね。
忘れられないのは「鞘当」だ。
團十郎の不破に菊五郎の山三だつた。
幕見席から見てゐるから花道付近でなにをしてゐるのかよくわからない。
互ひに笠を深くかぶつた不破と山三とが舞台中央付近で出会つて、鞘が当たつたのなんのとやりとりをして、そして、笠を取つたときだ。
山三がぱあつと輝いたやうに見えた。
やつがれは目が悪くて、メガネをかけてゐてさへ三階席からでも役者の顔の見分けがつかないことがままある。
ましてや幕見席。
顔の見分けなどつくわけがないのだが、あのときは山三の顔が見えた気がした。
華があるといふのはかういふことか。
さうも思つた。
これで菊五郎の贔屓になつたか、といふと、さうでもないのがやはり世の中不思議なところである。
歌舞伎を見るやうになつたころのことを思ふと、かうした不思議がいくつかある。
まづは、最初に見たいと思つたときに見られなかつたのに、それでもなんとなく見たいと思つたことを忘れずにゐた不思議。
ほんとに見たかつたのなら、高校生になつたころに行つてゐるはずなのだ。当時は定期券も持つてゐたしね。
いろいろあつても、見たいと思ふ人間は見に行くといふことなのかなあ、などと思つたりする。
次に実際に見に行つて、「なんなんだこれは? 訳がわからん」と思つたにも関はらず、また見に行くといふ不思議。
普通、一度見て訳がわからなかつたら次はないのではなからうか。
でも最初のときについてきてくれた友人は次のときもついてきてくれたんだよね。
そして、見に行つて「うわー、すごい、きれい」と思つた役者に特別思ひ入れのない不思議。
いや、菊五郎、いい役者だと思ふよ。芝居を見てゐて、「いい男だなあ」と思ふのは大抵菊五郎だ。
でも特別好きといふわけではないんだよなあ。すくなくとも追つかけたりはしない。
然るに、いまだに芝居見物はつづいてゐるわけだ。
歌舞伎の良さは、「訳のわかる」ところでも「きれい」なことでもない。
それだけは確かである。
すくなくともやつがれの中ではね。
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