いたづらに馬齢ばかりを重ねつつ
先々週から芝居のことを書いてゐて、週末にいろいろあつて、なんとなく芝居脳のままになつてゐる。
思ひ出すことといへば、大抵は前世紀末のことだ。
「え、あれつて、20世紀のこと?」みたやうなことが続いてゐる。
やつがれとしては、つい四五年前に見たつもりでゐるのに、だ。
最近のうつかり物忘れの多いこともうなづける。
思ひ出すといつて、たいしたことは覚えてゐない。
せいぜい配役を覚えてゐるくらゐで、あとのことはぼんやりとしか思ひ出せない。
「蘭蝶」こと「若木仇名草」も長いこと見逃した芝居と思つてゐたが、坂東八十助が紀伊国屋文左衛門だつた、と聞いて「あれか!」と思ひ出した。
そんな感じだ。
配役なんて、調べればわかる。
最近ではWebで検索できるやうになつてゐるから、芝居の題名さへ覚えてゐれば即調べることができる。
……といつて、見たはずの芝居が出てこないのが時々不思議だ。
やつがれの記憶が間違つてゐるのだらうか。
それとも結果を見落としたのかな。
やつがれの記憶では、我當の伊左衛門に秀太郎の夕霧で「廓文章」を見たことがある。十二月か一月だつた。
それが出てこなかつたんだよなあ。
「廓文章」は上演回数が多いので見落とした可能性が高い。
あるいは「廓文章」とか「吉田屋」といふ外題ではなかつたのかもしれない。
我當の伊左衛門が可愛くてよかつたのに。
それともそれは夢だつたのだらうか。
夢だつたのかも。
たぶん、重要なのは、配役よりも「我當の伊左衛門が可愛くてよかつたのに」といふ部分なんだらう。
残念ながら、さういふ記憶があまりない。
今月歌舞伎座でかかつてゐる「陣門・組討」は、だいぶ前にも、すなはち前世紀末にやはり中村吉右衛門で見たことがある。
敦盛は勘九郎当時の中村勘三郎だつた。
いつものやうに三階席から見てゐたけれど、揚幕の向かうから「おーい、おーい」といふ呼び聲のするだけで「ああ、この芝居を見に来てよかつた」としみじみ思つたものだつた。
今回も揚幕の向かうから聞こえてくる呼び聲にあのときとおなじ感覚を覚えつつ、敦盛(とここでは書いておく)と玉織姫との死骸を丁寧に送り、陣屋に帰る支度をする姿、その一挙手一投足に見入つてしまつた。
あのときもこんな風だつたらうか。
残念ながら記憶にない。
かういふWebで検索しても出てこない記憶が、ひどく少ない。
あつても、上に書いたやうな「可愛かつた」とか「この芝居を見に来てよかつた」みたやうな、「それつていい芝居の場合は大抵さうだよね」といふ感想しか出てこない。
記憶より記録、といふ話を聞く。
記憶などあてにならないし、覚えておくことで脳に負担がかかる。
それよりは記録しておいて、脳には古いことを覚えておくことよりも新たなことを考へたりする余力を残しておいた方がいい。
さういふ話なのらしい。
また、記録するなら、ちよつと調べればわかるやうなことよりも、感動したこと、なぜか記録せずにはゐられなかつたことを書いておくのがいい、といふ話もある。
感動したことについても、どう感動したのか、なにがよかつたのかを書いておくといいのらしい。
そこでやつがれなぞはつまづいてしまふ。
たとへば芝居を見て「いい!」と思つて、それをどうことばで表現すればいいのか、わからないのだ。
ことばで表現すると、落ちていく情報が多い。
それも確かなのだけれども、単に適切なことばを知らないだけなんだらう。
また、表層的な部分しか見てゐない、といふこともある。
ゆゑになにか深い感想などを抱けない、よつて表現することもできないといふわけだ。
こんな人間が芝居なんぞ見に行つていいのかなあ、と時折思ふ。
世の中には自分よりもこの芝居を見るにふさはしい人間がたくさんゐるだらうに。
芝居見物歴だけは重ねて、まつたく成長してゐない。
馬齢を重ねるとはまさにこのことだらう。
記録については、しかし、つけるやうにはしてゐる。
「可愛かつた」と書いてあるのをあとで見て、その可愛さを自分で思ひ出せればそれでいいのだ。
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