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Friday, 27 February 2015

飯田市川本喜八郎人形美術館に行くとして

そろそろ飯田市川本喜八郎人形美術館に行かうかと思つてゐる。

行くやうになつて、まだ三年くらゐかな。
はじめて行つたときから、だいたい年に四度くらゐの頻度で行つてゐる。
半年に一度の展示替へ後に行くのと、それからだいたい三ヶ月くらゐたつたころに一度、計四度だ。
ほんたうはもうちよつと増やしたいところなんだけれどもね。

行くときは大抵新宿から高速バスに乗つて行く。
去年、美術館のすぐそばに高速バスの停留所ができた。
以前もすぐそばにあつて、廃止になつたのらしいと聞いてゐた。

高速バスの停留所と美術館とのあひだにはキング堂といふ文房具店がある。
それまでも機会のあるごとにキング堂には立ち寄つてゐた。
「これでキング堂に行きやすくなるなー」と思つてゐたらこは如何に。

停留所ができてから、キング堂に行けた試しがない。
飯田に着くのは午後五時半くらゐ。
まづ美術館に直行して一時間弱見て回る。
翌日は朝から美術館に行く。
ギリギリまで見てゐると、キング堂に寄る時間がない。

さて。

なくなつたのは、キング堂に寄る時間だけではない。
おみやげを買ふ時間もなくなりつつある。

停留所のできる前は、飯田駅前の停留所で降りてゐた。
ここから美術館までは徒歩12分、とWebサイトの案内にはある。
そのころは帰るときには余裕を見て30分前には美術館を出るやうにしてゐた。

新たな停留所との距離は徒歩3分。
ギリギリまでゐるよねー、そりやあ。

おみやげについては、美術館のある建物の一階で調達できるのでいまのところなんとかなつてはゐる。
一階には観光案内所と、その手前にそば屋兼みやげもの屋がある。
このみやげもの屋で売つてゐるパウンドケーキが気に入つてゐる。
りんご、洋なし、くるみ、ブルーベリーの四種類を見たことがある。たぶん生地自体はいづれもおなじもので、ケーキの上にりんごや洋なしなどをのせたケーキだ。
りんごとくるみとがとくに気に入つてゐる。
あと、善光寺の七味唐辛子を買つて帰ることもある。
以前おみやげでいただいて、おいしいし香りもよいのでこれまた気に入つてゐるのだつた。

問題はキング堂か。
むー。

一応、美術館以外のところにも行つてみやうと思つてはゐる。
去年、大雪の合間を見つけて行つたときには、飯田線に乗つて鼎駅で降り、そこから延々高速道路の出口につながる道のあたりまで歩いたことがあつた。
お茶を飲まうと思つてのことだつた。
着いたら、喫茶部は十一時からと書いてある。
十一時からお茶をして、それから美術館に戻つてもなにも見ることができない。
さう思つて、そこからまた延々美術館まで歩いたのだつた。
その時間帯には飯田線の電車は走つてゐなかつたし、タクシーといふ選択肢はやつがれにはない。
タクシーつて、なんだか密室つぽい気がして好きになれないんだもん。

そんなわけで、「ここで育つたら、さぞかしすばらしい陸上選手になるのではあるまいか」と思ひつつ坂をくだつたりのぼつたりしたのであつた。

それ以来、無理してあちこち回らなくてもいいかな、と思ふやうになつた。
だいたい、美術館には一日ゐても飽きないしね。
飽きたかもと思つたら、それこそキング堂に行けばいいのだし。
あるいは一階でおそば食べたりおみやげ買つたりしてもいい。
そんなことはしたことないけれどもね。

飯田市にはなにかしらお礼をしたい。
それで普段は滅多に買はないおみやげなども買つて帰るのだけれども、それでお礼になつてゐるのか、疑問だ。
あとはもうちよつと観光できたらなあ、と思ひつつ、美術館に籠もるのであつた。

次に行つたときは、日本酒でも買つて帰らうか知らん。

Thursday, 26 February 2015

いたづらに馬齢ばかりを重ねつつ

先々週から芝居のことを書いてゐて、週末にいろいろあつて、なんとなく芝居脳のままになつてゐる。
思ひ出すことといへば、大抵は前世紀末のことだ。
「え、あれつて、20世紀のこと?」みたやうなことが続いてゐる。
やつがれとしては、つい四五年前に見たつもりでゐるのに、だ。
最近のうつかり物忘れの多いこともうなづける。

思ひ出すといつて、たいしたことは覚えてゐない。
せいぜい配役を覚えてゐるくらゐで、あとのことはぼんやりとしか思ひ出せない。
「蘭蝶」こと「若木仇名草」も長いこと見逃した芝居と思つてゐたが、坂東八十助が紀伊国屋文左衛門だつた、と聞いて「あれか!」と思ひ出した。
そんな感じだ。

配役なんて、調べればわかる。
最近ではWebで検索できるやうになつてゐるから、芝居の題名さへ覚えてゐれば即調べることができる。

……といつて、見たはずの芝居が出てこないのが時々不思議だ。
やつがれの記憶が間違つてゐるのだらうか。
それとも結果を見落としたのかな。
やつがれの記憶では、我當の伊左衛門に秀太郎の夕霧で「廓文章」を見たことがある。十二月か一月だつた。
それが出てこなかつたんだよなあ。
「廓文章」は上演回数が多いので見落とした可能性が高い。
あるいは「廓文章」とか「吉田屋」といふ外題ではなかつたのかもしれない。
我當の伊左衛門が可愛くてよかつたのに。
それともそれは夢だつたのだらうか。
夢だつたのかも。

たぶん、重要なのは、配役よりも「我當の伊左衛門が可愛くてよかつたのに」といふ部分なんだらう。
残念ながら、さういふ記憶があまりない。

今月歌舞伎座でかかつてゐる「陣門・組討」は、だいぶ前にも、すなはち前世紀末にやはり中村吉右衛門で見たことがある。
敦盛は勘九郎当時の中村勘三郎だつた。
いつものやうに三階席から見てゐたけれど、揚幕の向かうから「おーい、おーい」といふ呼び聲のするだけで「ああ、この芝居を見に来てよかつた」としみじみ思つたものだつた。

今回も揚幕の向かうから聞こえてくる呼び聲にあのときとおなじ感覚を覚えつつ、敦盛(とここでは書いておく)と玉織姫との死骸を丁寧に送り、陣屋に帰る支度をする姿、その一挙手一投足に見入つてしまつた。
あのときもこんな風だつたらうか。
残念ながら記憶にない。

かういふWebで検索しても出てこない記憶が、ひどく少ない。
あつても、上に書いたやうな「可愛かつた」とか「この芝居を見に来てよかつた」みたやうな、「それつていい芝居の場合は大抵さうだよね」といふ感想しか出てこない。

記憶より記録、といふ話を聞く。
記憶などあてにならないし、覚えておくことで脳に負担がかかる。
それよりは記録しておいて、脳には古いことを覚えておくことよりも新たなことを考へたりする余力を残しておいた方がいい。
さういふ話なのらしい。

また、記録するなら、ちよつと調べればわかるやうなことよりも、感動したこと、なぜか記録せずにはゐられなかつたことを書いておくのがいい、といふ話もある。
感動したことについても、どう感動したのか、なにがよかつたのかを書いておくといいのらしい。

そこでやつがれなぞはつまづいてしまふ。
たとへば芝居を見て「いい!」と思つて、それをどうことばで表現すればいいのか、わからないのだ。

ことばで表現すると、落ちていく情報が多い。
それも確かなのだけれども、単に適切なことばを知らないだけなんだらう。
また、表層的な部分しか見てゐない、といふこともある。
ゆゑになにか深い感想などを抱けない、よつて表現することもできないといふわけだ。

こんな人間が芝居なんぞ見に行つていいのかなあ、と時折思ふ。
世の中には自分よりもこの芝居を見るにふさはしい人間がたくさんゐるだらうに。

芝居見物歴だけは重ねて、まつたく成長してゐない。
馬齢を重ねるとはまさにこのことだらう。

記録については、しかし、つけるやうにはしてゐる。
「可愛かつた」と書いてあるのをあとで見て、その可愛さを自分で思ひ出せればそれでいいのだ。

Wednesday, 25 February 2015

明日のことだけ考へる

10 Things Highly Creative People Do Differentlyといふ記事を読んだ。
読んだ、といつてもざつと目を通したくらゐだけれども。

最初に、ル・コルビジェの話が出てくる。
ル・コルビジェは、午前中はひとりで絵を描いたりアイディアなどを熟考する時間にあて、午後は熟練した従業員や製図者たちからなる自分のチームとの共同作業にあててゐた、といふ。

Highly creative people は、自分自身を知つてゐる、とつづく。

なにをどうすれば自分のやりたいことがうまくいくのかわかつてゐる、といふのだ。

ル・コルビジェの場合は、午前中はひとりでアイディアをふくらませ、午後は仲間と共同作業をするのが一番向いてゐた、といふことだ。

ここまでは、「なるほど」と思ふ。
でも、「世界的にcreativeな人々は、9to5にこだはらない」といふのにちよつとつまづく。
たとへばカントは毎朝五時に起きて仕事をしてゐた、とかね。

9to5にこだはらない、といふことは、すなはち会社勤めはしない、といふことだ。
最近ではフレックスタイム勤務制を導入する企業も増えてゐるから、必ずしもさうはいへないんぢやないか、といふ向きもあらう。
でも、あひかはらず東京では主要な駅から歩いて九時に着くとちやうどいいと考へられる時間に間に合ふ電車は異様に混んでゐる。金融業の多いところだと、それが三十分くらゐ早くなる。
それに、フレックスタイム勤務制などといひながら、結局十時には働きはじめなければならないといふところも多い。一時間ていどの差でどうしろといふのか。

会社勤めをしてゐるあひだは、会社の定めた時間にしたがはなければならない。
たとへば朝早いうちから仕事をした方が自分には向いてゐるとしても、朝の五時から出勤するわけにはいかない。
出勤したとして、その時間に働いたら時間外手当がつくことになり、上司にいやがられることになる。
また、自社ビルでない場合はとくに、午前五時には職場のドアが開いてゐない可能性も高い。
早く来たからには当然早く帰ることになると思ふが、それだと同僚や客と時間帯があはない。
やつがれの職場にも朝は始発で通勤してくる、などといふ人がゐた。普段はその分早めに帰宅してゐるが、客との打ち合はせが入つたりするとさうはいかない。それで「眠たい」などと云つてゐることがある。

自分に向いた仕事の仕方をするのはいいけれど、客にもあはせてもらはないといけないことになる。

それつて、できるものなのだらうか。
Highly creative people ならできるのか。
代へのきかない存在であるならば、客もこちらのいふことに従ふのか。あるいは上司も?
そこまでいきつくのに、自分のやり方ができなくてダメになりさうな気がするがなあ。

裏返して云ふと、9to5を従業員に強要する企業は、従業員に creative になることなど求めてゐない、といふことになる。
学校もおなじかな。
なんだ。creative でなくてもいいのか。
さういふ気になつてくる。
なんだか気も楽だ。

"10 Things Highly Creative People Do Differently" にはほかにもいろいろと書いてあつて、中にはこれなら自分でもできさうと思へるものもある。

でも、一日の暮らし方をすべて自分で制御するのは無理だなあ。
すくなくとも雇はれの身では、ね。
「せまじきものは宮仕へ」とはこのことかとも思ふ。

早起きといふことでいくと、やつがれも一時は朝五時半に起きてゐたことがある。
それまで帰宅後にやつてゐたことを朝やつてから出勤しやうとしたのだつた。
あるていど続けて、やめた。
朝五時半に起きるといふことは、夜もそれなりに早く寝るといふことである。
この生活をつづけていくと、歌舞伎座の夜の部に行けなくなつてしまふ。
夜の部はそれでもなんとかなることもあるけれど、ソワレの演奏会はとても無理だ。
帰り着く前に就寝時間が来てしまふ。
一日くらゐなら夜更かししてもいいぢやあないか、とも思ふが、万年寝不足の状態ではとても無理だ。

五時半だつたのは、帰宅して食事してから寝るまでに三時間おかうとすると、二十三時半より前に寝ることはできなかつたからだ。

まあ、いいかな。
どうせやつがれなぞは creative ではないのだし。
さうも思ふ。

最近、ちよつと思ひ出したのは、何年か前に「プロフェッショナル」系の番組で坂東玉三郎が云つてゐたことだ。
まさに「プロフェッショナル」そのものだつたかもしれないが、番組の名前は失念してしまつた。

若いころは、人気沸騰も相まつて、ギチギチにスケジュールがつまつてゐた、といふ。
毎月休みもないほどで、すつかり worn-out といつた状態だつたのらしい。

そこで考へ方を変へた。
明日のことだけ考へて暮らしてみやう。
明日、best performance を出すために、ちやんと食事をして、きちんと寝ることにしやう。
二ヶ月、三ヶ月先のことは考へない。
まづは、明日が大切だ。

そんなやうなことを云つてゐた。

そのときは「玉三郎だからできることだよね」などと思つてゐたけれど、「明日のことだけ考へる」といふのは、単純でいいかもしれない。
朝早く起きて creative なことをする、などといふことは考へない。
明日の best performance のためになるやうなことを今日やつておく。

いいんぢやないだらうか。

さう思つてはみたものの、実際は「明日なんかどーでもいいよ。来ないかもしれないし」と、飲んだくれて夜を過ごしたいこともあるんだがね。

ま、creative people でない身としてはそんなものか。

Tuesday, 24 February 2015

タティングレースとヲタク心

あみものではいくつか歌舞伎にちなんだものを編んだことがあるけれど、タティングレースではない。
突如、そんなことに気がついた。

あみものに関しては以前も書いた
このときは中村座の定式幕を元にしたリストウォーマについて書いてゐる。
黄色いくつ下を編んだときは、「助六くつ下」と呼んでゐた。
助六といへば、黒を基調に浅葱色と赤と黄色と紫をちよこつとづつさし色に使つて編んだものなども「助六もの」と呼んだりしてゐる。

でもタティングレースではないなあ。
タティングレースで芝居関係といふと、以前極細毛糸で作つたスカーフは南座の顔見世にあはせて作つた、くらゐだ。
中村座の定式幕をイメージしたタティングレース作品だとか、助六さんをモチーフにしたタティングレースものとか、考へたことはないなあ。

何度も書いてゐるやうに、現在は The Twirly をつなぐプロジェクトを遂行中である。
The Twirly は Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフで、これをいくつもつないでちよつと壊れた大きな六角形のものを作らうとしてゐる。
このプロジェクトの最中にほかのタティングレース作品のことを考へるのは無謀だ。
わかつてはゐるが、でも、栞くらゐならどうだらうか。
色のとりあはせで、助六さん風、とかさ。あるいは歌舞伎座の定式幕カラーとかでもいいかもしれない。

それとも浅葱色に近い色で、前髪の若衆を思ひながらタティングするとかどうだらう。

つひ、そんなことばかり考へてしまふ。

Monday, 23 February 2015

今月来月の芝居からの連想など

来月京都南座で「流星」といふ踊りがかかる。
昔、大阪中座で見た。
坂東八十助、後の十代目坂東三津五郎の「流星」だつた。
そのまへに歌舞伎座で当時猿之助を名乗つてゐたいまの猿翁が踊るのを見たことがある。

「流星」は七夕の日、年に一度の逢瀬を喜ぶ織姫と彦星のもとに、「ご注進ご注進!」と流星が飛び込んでくる、といふ内容である。
ご注進の内容は、雷一家のけんか騒ぎだ。
雷さまとその奥さん、赤ちやんからおばあさんまでを、お面をつけかへながら踊り分けるのが眼目である。

猿之助の流星は、夏の芝居らしく(といつて、旧暦七月は秋だけれども)、スケスケでちよつと目のやり場に困るやうな衣装だつた。
衣装とおなじやうに軽快に踊り分けてゐた。

夏の中座で見た流星は、唐風の重たさうな衣装であつた。
でも、揚げ幕の向かうから聞こえる「ご注進、ご注進」の聲からして、なにかこれからいいものが見られるぞ、と期待させるやうな、うきうきした聲だつた。

おもしろかつたねえ。
いまに至るまで所作事の楽しみ方のわからぬやつがれではあるが、中座で見た「流星」はいまだに忘れられない舞台のひとつだ。
見てゐるうちにお面をつけかへてゐることさへ忘れて、ただただ無心に「おもしろいなあ」と思ひながら見てゐた。

踊りのわからない人間を夢中にさせる。
そんなところが八十助/三津五郎にはある。


今月歌舞伎座の夜の部で、「陣門・組討」がかかつてゐる。
今後、もうこんなすごくてすばらしい「陣門・組討」が果たして見られることがあるのだらうか。
そんな芝居である。

この「陣門・組討」の小次郎と敦盛とを、かつて勘九郎と名乗つてゐた当時の中村勘三郎と、ちよつと間をおいて坂東八十助とで見たことがある。
劇評はどちらかといふと勘九郎の方がよかつたやうに記憶してゐる。

勘三郎は、かういふ前髪の二枚目が實にいい役者だつた。
いまの勘九郎の襲名披露興業で勘三郎の白井権八を見た人なら大きくうなづいてゐることだらう。
前髪の二枚目には、どこか冷めたところがある。
自分のこと以外にほとんど関心がない。
戀人に対してもちよつとつれなかつたりする。
それでゐて、なんともいへない甘さのあるところが、勘三郎の二枚目はよかつた。
小次郎/敦盛もそんな感じだつた。

三津五郎の二枚目はといふと、非常に清々しい印象が強い。
甘さ控へめさつぱりすつきり。
それでゐて薄情な感じはあまりしない。

「鎌倉三代記」の三浦之助なども、もうそのまま人形にしたいやうな二枚目ぶりだつた。
当時、十二月の公演といふと、どこの劇場でも歳末助け合ひ運動がさかんだつた。一月にも引き続きおこなつてゐる場合があつた。
南座などだと、幕間に役者が並んで色紙にサインを書いてくれたりしてゐた。
「鎌倉三代記」は国立劇場だつた。
幕間に、芝居を終へてこしらへをしたままの中村福助の時姫と八十助の三浦之助がロビーに出てきて募金を呼びかけた。
福助の時姫がうつくしいのは当然として、八十助の三浦之助の麗しかつたこと。
やつがれは、舞台が終はつたらそれまで、と考へてゐる。
カーテンコールでこしらへをしたままの役者が出てくるのは、わけがわからない。
役のままなのか、あるいは役者として出てきてゐるのか。
役者として出てきてゐるのなら、そのけばけばしい化粧や現実の生活にはそぐはない衣装はなんなのか。
さう考へるたちである。

それが、このときはちがつたんだなあ。
こんなことは、それ以前にもそれ以降もない。


今月大阪松竹座で「吃又」がかかつてゐる。
見に行きたいが見に行けてはゐない。
「吃又」とは、せりふと踊りとを取り上げられた役者の縛られた演技を楽しむ芝居である。
その楽しさを存分に味ははせてくれたのは、中村富十郎と坂東三津五郎とであつたらう。
三津五郎は、ウソのせりふをほんたうにする役者である。
舞台の上で八十助の殿様が「あれを見よ」となにもない方を指さすと、自然とそちらを見てしまふ。
河内山の名ぜりふも、三津五郎が口にすると単なる名ぜりふの域を超えて、「ああ、さうさう。さうだよねえ」といちいちうなづけるものになる。
その三津五郎がせりふも踊りも取り上げられて演じる吃りの又兵衛のよいことといつたらない。


踊りはほんとによくわからない。
中幕は寝落ちの幕になりがちだ。
でもなあ、襲名披露の「越後獅子」とか、よかつたよなあ。
筋書には「浜踊りでお客さまにゆつたりした気分になつてもらへれば」といふやうなことが書かれてゐた。
實に實に、まさにそのとほりの踊りだつた。
さらしを両手に春風駘蕩、ふんはりと浜風が客席にまで流れてくるかのやうな、襲名披露の演目とは思はれぬほど力の抜けた踊りだつた。
いつまでも見てゐたい。
今度いつ見られるのかな。
そんな一幕だつた。


十一年前の拙blogでおなじやうなことを書いてゐる
今後もおなじことを書くつもりでゐた。
多分今後も書くだらう。

Friday, 20 February 2015

温故知新の名のもとに

ここのところ、昔読んだ本ばかり読み返してゐる。
たとへば、シャーロック・ホームズものだ。
Kindleで無料になつてゐるものや、プロジェクト・グーテンベルクから落としてきて読んでゐる。
「緋色の研究」「シャーロック・ホームズの冒険」「四つの署名」「シャーロック・ホームズの思い出」「バスカヴィル家の犬」と順序はバラバラだがここまで読んだ。

いまのところ「バスカヴィル家の犬」が一番おもしろかつたなあ。
これは明らかに読んだことがある本だ。
なぜといつて、小学生のときに学級文庫にあつたからである。
ほかは、なー……たとへば、「思い出」などは、読んでないかもしれない。
でも、「最後の事件」は記憶にある。
ホームズがワトソンに残したメモが、机の上で書いたかのやうに整然とした文字で書かれてゐた、といふのが忘れられないのだ。やつがれなんか机の上で書いたつてものすごい字になつてしまふといふのに。

こども向けのホームズ本には、あちこちから短編をかき集めてきた、といふやうな体裁のものが結構あつた。
たとへば、はじめて読んだホームズものは「まだらの紐」といふ題名で、「まだらの紐」と「赤毛連盟」と「銀星号事件」とが入つてゐた。もう一作くらゐなにか入つてゐたかもしれない。
また、こども向けの文学全集には「冒険」からいくつか話が入つてゐたやうに思ふ。「青いルビー」とか「五つのオレンジの種」とか。
ここに書いた題名はやつがれがそれと覚えてゐた題名なので、世に通つてゐる名前とは違ふかもしれない。

「緋色の研究」や「四つの署名」、「バスカヴィル家の犬」と「恐怖の谷」の四つは一冊の本になつてゐたからそれぞれ読んでゐるはず……なのだが、読み返してみるとあれもこれも忘れてゐる。
忘れてゐるから楽しめる。
さうもいへるかもしれない。

ホームズものを読み返さうと思つた所以は、「パペット・エンターテインメント シャーロックホームズ(以下「人形劇の「シャーロックホームズ」」)」である。
人形劇の「シャーロックホームズ」を見るほぼ一年前に「SHERLOCK」も見てそれなりにおもしろいとは思つたけれど、原作を読み直さうといふ気にはならなかつた。
我ながらふしぎである。

現在は、クロフツの「樽」を読んでゐる。
今日読み始めたばかりだ。
これ、やつぱりおもしろいね。

クロフツの「樽」を知つたのは、「ミステリマガジン」に連載されてゐて、後に「BAR酔虎伝」といふ本にまとめられたコラムでだつた。
しぶいけどおもしろい。
そんな風に紹介されてゐたやうに思ふ。

当時、創元推理文庫で、500円しなかつたんぢやなかつたかな。
しかし、買へなかつた。
買ふと一月のお小遣ひが消へてしまふからである。
それで、借りて読んだのだつた。
借りて読んだせゐか、やはり結構忘れてゐる。
さういへば、ホームズものもその大半は借りものだつたんだよな。
考へてみたら、手元にあつた本に載つてゐた話はほぼ覚えてゐる。
さういふものなのかもしれないな。

「樽」の前に、サラ・コールドウェルの「女占い師はなぜ死んでゆく」を読んだ。
これははじめて読んだ。
しかし、読むきつかけは、「なんだつけ、オクスフォードの教授で歴史とかやつてて古文書を読む人が探偵で、男か女かわかんない小説がまた読みたい」だつた。
さんざんWeb検索をした結果、サラ・コールドウェルのヒラリー・テイマー教授ものだと判明した。
これだけの情報でよくぞ正解にたどりつけたと我ながら感心する。
ところが、過去に読んだ本はほぼ入手困難だつた。
たつた一冊、本屋で見つけたのが「女占い師はなぜ死んでゆく」だつた。

サラ・コールドウェルを知つたのは、パトリシア・モイーズの作品でだつたと思ふ。
ヘンリー・ティベット警部ものの巻末に広告がついてゐて、それにヒラリー・テイマー教授ものの紹介が載つてゐたのだらう。
ヘンリー・ティベット警部ものも何冊か読んだが、その内容はほとんど忘れてしまつた。
パトリシア・モイーズで覚えてゐるものといつたら、飼ひ猫との本である。シャム猫を買つてゐて、一緒に旅行にも行くことがある、といふ話だつた。
人間だけで旅行に行くときも、猫に「行つてくるからね」といふと、猫はわかるといふのである。

ヘンリー・ティベット警部ものも読み返したいなあ。奥さんがいいんだよね。
しかし、これもほとんどは図書館で借りたもので、手元にはない。
そして、いま買はうとしても、なかなか手に入らないといふ寸法である。

やはり本は買つておかなければならないのだらうか。
そして、ちよつとでも気に入つたら捨ててはならないのだらうか。
しかしそんなことをしたら家中本で埋まつてしまふ。
うまいこと片づけないと、結局腐海が発生して、本はそこに飲み込まれてしまひ、読みたいときに出てこない。

世の中うまくいかないものである。

それにしても「樽」はおもしろいなあ。
このままかつて読んだことのある本ばかり読み返すやうになつてしまふのだらうか。

それはそれでもいいのかもしれないなあ。

Thursday, 19 February 2015

文具BAR vol.3 神戸インクで酔わナイト見聞録 ステージイヴェント篇

2015/2/7(土)、表参道の文房具カフェで開かれた「文具BAR Vol.3~神戸インクに酔わナイト」に行つてきた。

文具BAR vol.3

今回はステージイヴェントについて書く。

まづはK3(Kキュービック)の方々による挨拶ではじまつて、ふるまひ酒が配られた。

文具BAR vol.3

製造元(?)は不二精機。
おにぎり成形機械メーカーとして国内トップのシェアを誇る会社である。
文房具好きのあひだでは「5年手帳」で有名だ。
手帳を作ることに比べたら焼酎を作ることなどまつたく不思議ではない。
機械の試作段階で使つたお米を利用してゐるといはれれば、「なるほどなあ」といつたところだ。
そんなわけで不思議ではないが……やつぱり不思議だなあ。

そんな不思議なお酒で乾杯した後、ナガサワ文具センターの竹内直行室長から「KobeINK物語開発秘話」が語られる。
「秘話」なのでどこまで書いていいのか謎だが、思つたことを書く。

昨日のエントリで、

東京にゐながらにして、ナガサワ文具センターの神戸インク物語全色を試し書きできるといふだけでも信じられないことだといふのに。
そもそも、かういふことの可能なスペースが東京にない、といふのが不思議なくらゐだ。
と、このとき思つたことの理由が後に明らかになる。
と書いた。

ナガサワ文具センターがオリジナル文房具で全国に打つて出やうとした矢先、阪神・淡路大震災に見舞はれてしまつた。
その片づけに十年かかつてしまつた。
さういふ話だつた。

震災当時の写真を回覧してくだすつた。
中に、遠く六甲の山の写つてゐる写真があつた。
震災の片づけをしつつ、ビルの隙間から見える六甲山に心励まされた。
そんなやうな話もしてゐたと思ふ。

十年立つて、やはり全国へ打つて出やう、といふことでKobeINKの開発を再開したといふ。
もともと、神戸といへば海と山となので、最初のインク色にはどうしても海と山との色を入れたかつた。
それで六甲グリーンと波止場ブルーが生まれたのださうである。
もう一色、同時に販売された旧居留地セピアをペリカンスーヴェレーン800のカリグラフィーモデルに入れて愛用してゐる。
濃淡の感じやちよつと古色めいた色合ひがとても気に入つてゐる。

ほかにおもしろいな、と思つたのは、学校の先生がKobeINKを求めていく、といふ話だ。
とくに女子校の先生はきれいで可愛いピンクやオレンジを選ぶといふ。
学校の先生だから、採点のときに使ふんだらうな。
竹内室長は「お洒落な先生」と云つてゐた。
神戸には有名な女学校がある。
なんとなく、元町ルージュや岡本ピンクを買つて帰る先生の姿が目に浮かんだ。

これはお土産にいただいたKobeINK物語のクリアファイルである。京町レジェンドブルーまで全50色がそろつてゐる。

文具BAR vol.3

その後、竹内室長と「趣味の文具箱」の清水茂樹編集長との対談があつた。
うーん、スーヴェレーンの茶縞かー。いいよなあ。持つてないけど。
ここでは清水編集長の紙へのこだはりの話が印象深かつた。
それが高じてバンクペーパーを使つたノートを作つてしまつたといふ。
物販コーナーにあつて、試し書きもしてみたけれど、やつがれにはちよつと高級すぎるかなあ、と後込みしてしまつた。
だいたい、美篶堂で買つてしまつたバンクペーパーのノートをまだ死蔵したままだしね。

この二人にさらにBAR YUME-YA ZEROのマスターが加はつて、KobeINK物語オリジナルカクテル開発の話が展開する。
今回の文具BARで飲めるカクテル以外にもKobeINK物語オリジナルカクテルはあるのらしい。
神戸に行つて飲むしかない。
この夜はいろいろ悩んで六甲アイランドスカイを飲むことにした。

文具BAR vol.3

波止場ブルーはきれいな青で、こちらはきれいな空の色である。目にも楽しく飲んで甘いカクテルだ。

その後、K3はじめ今回物販コーナーに参加してゐるメーカーさんのプレゼンテーションがあつた。
ここでも神戸派計画のプレゼンテーションが気になつたなあ。
入店と同時に、グラフィーロ(GRAPHILO)の試し書き用の紙をもらつてゐたからである。
グラフィーロは神戸派計画が万年筆用に開発した紙で、「ぬらぬら書ける」のが売りである。
ステージイヴェントを見ながら、例によつて魏武や陳思王の詩を試し書き用の紙に書き散らしつつ、「うーん、グラフィーロのノート、買ふべきか否か」とずつと悩んでゐたからである。

しかし、そんなにノートばかり増やしてどうする。
といふ理性の聲が勝つて、物販コーナーに行つては逡巡し、立ち去るといつた状態だつた。

それが、そのあとの籤引き大会であたつてしまつたんだから、まあ、買はなくて正解だつたといふべきかなんといふべきか。

文具BAR vol.3

ほかにも、Kino.Qさんからポストカードをいただいた。

文具BAR vol.3

Kino.Qさんはだいたいはかれる「メジャーハンカチ」を先行発売してゐて、プレゼンテーションの時点ではすでに売り切れてゐたといふ。すばらしい。

プレゼンテーションで印象に残つたのは、Beahouseさんの心を贈る祝儀袋だ。
祝儀袋を広げると桜の形になつてゐたりハートの形になつてゐたりするといふもの。ご自身のご兄弟の慶事用に、と考へたものだといふ。
紙は山本紙業さんの開発ださうである。
三月発売予定なのらしい。楽しみだな。まあ、祝儀袋を使ふ予定はまつたくないけれども。

そんな感じで、あつといふ間に終はつてしまつた文具BARであつた。
文房具とお酒、いいぢやない?

Wednesday, 18 February 2015

文具BAR vol.3 神戸インクに酔わナイト見聞録 お買物篇

2015/2/7(土)、表参道の文房具カフェで開かれた「文具BAR Vol.3~神戸インクに酔わナイト」に行つてきた。

文具BAR vol.3

Vol.3とあるとほり、文具BARは過去二回神戸で開かれてゐる。このときの会場はBAR YUME-YA ZERO。
行きたいなあと思つたが、神戸はすこし遠い。
たとへば、大阪松竹座で芝居がかかつてゐるとかなら、行く云ひ訳もできるのだが。
などと、誰に対して云ひ訳が必要なのかといふところだが、いづれ自分への云ひ訳だらう。

文具BARは、神戸の文具メーカーの有志三人の文房具イベント集団K3(Kキュービック)の発案で、ナガサワ文具センターも巻き込んでのイヴェントと理解してゐる。間違つてゐたらお手数とは存じ上げつつもお教へを請ひたい。

やつがれの感覚からいふと、神戸は文房具を/でもりあげやう、といふ意識の高いところだ。
ナガサワ文具センターもさうだし、K3もさうだらう。神戸派計画などもぱつと頭に浮かぶ。
だいたい神戸に行つて立ち寄るところといつて、まづドヰ手芸とユニオンウールといふ手芸・毛糸屋と、ナガサワ文具センターだ。

そんなわけで、単身、文房具カフェに向かつた。
さう、ひとりで、である。
かういふイヴェントごとつて、ひとりで行つてもあんまりおもしろくなかつたりするんだよね。
大抵の人は友人連れまたは番で来るものだ。
実際、さういふ人が多かつたしね。

しかし、独り身である心配などまつたくの杞憂であつた。
一歩文房具カフェの階段を下りると、K3の方々が明るく聲をかけてくださり、即ウェルカムドリンクなどを勧めてくだすつた。
カフェの手前は物販コーナーになつてゐて、開場直後だといふのにすでにもりあがつてゐる。
そのもりあがつた空気に自然に乗せられてしまつた。

そんなわけで、ウェルカムドリンクの波止場ブルーを手にして居場所を確保すると、即物販コーナーに向かつた。

文具BAR vol.3

波止場ブルーは、BAR YUME-YA ZEROのマスターが開発したカクテルだ。名前からわかるとほり、ナガサワ文具センターの神戸インク物語の一色の名前である。きれいな青い色のカクテルだ。

物販コーナーの奥には、神戸インク物語全色を試すことのできるコーナーも設けられてゐた。
試し書きには主にガラスペンを用ゐる。ガラスペンの使ひ心地も試せるといふわけだ。
さらに、試し書き用にナガサワ文具センターのLITERO各種をはじめいろんなノートが並んでゐて、こちらも試し書きできるやうになつてゐた。
夢のやうである。
東京にゐながらにして、ナガサワ文具センターの神戸インク物語全色を試し書きできるといふだけでも信じられないことだといふのに。
そもそも、かういふことの可能なスペースが東京にない、といふのが不思議なくらゐだ。
と、このとき思つたことの理由が後に明らかになる。

試し書きコーナーでは、まづ甲南マルーンを試してみた。
気になるでせう、甲南マルーン。阪急電車の色といふことだ。
その次に試したのがゴッホコバルトとモネバイオレット。
それぞれゴッホの絵とモネの絵から青い部分と紫の部分をイメージして作られたインクである。
ここで、ゴッホコバルトに惚れてしまつた。
PCのモニタで見る色となんだか違ふ。
ちよつと緑がかつてゐるかな。濃淡を出すやうに書くと、濃い部分の青の深さと淡い部分の水色めいた部分とが実におもしろい。

そんなわけで、物販コーナーに行き、迷はずゴッホコバルトを求めた。
三つ持つてきたうちの最後の一つだつたといふ。
幸運だなあ。

文具BAR vol.3

その後、神戸派計画のところで、うつかり nuino を説明してゐるところに出くはしてしまふ。
nuinoは、ミシンで縫つて仕上げた封筒である。
その情報だけは知つてゐた。
今回説明を聞いてゐたら、ノートの背などを縫ふ職人さんが縫つたものだといふ。
さうだつたのか。布を縫ふところからきてゐるわけではなかつたんだな。
そんなわけで、これまたうつかり緑色のnuinoを買つてしまつた。
色もきれいだつたし。

文具BAR vol.3

使ひ道は全然考へてないけれど。

物販コーナーはいい感じに混んでゐたので、そのあとは見られるところだけ見て、ひとつだけ、どうしても見たいぷんぷく堂さんのコーナーで立ち止まつた。
ぷんぷく堂さんは、千葉県市川市で夜だけ開店してゐるといふ文房具店である。
行つたことはないが、さういふ話だけは知つてゐた。
ここでは先行販売といふことで、「メモッパチ」なる商品を売つてゐた。昔なつかし回覧板などをはさんでゐた用箋ばさみにメモ用紙がはさんである、といふ商品である。サイズはB6くらゐ。これがいい。
これがよかつたんだが、その隣にあつた「リーガルパッ簿」にも目を奪われた。

文具BAR vol.3

こちらもサイズはB6くらゐ。これまた昔なつかし学校の出席簿をはさんでゐた厚紙の表紙と裏表紙のあひだにメモ帳がはさまれてゐる。
メモッパチはメモ用紙をはさめばいいだけだが、リーガルパッ簿はメモ用紙にパンチで穴をあけないと使へない。
さうは思つたが、リーガルパッ簿を買つてしまつた。
なんか、心惹かれたんだもん。
そのうちメモッパチも買つてゐるやうな気がしてならない。

買物だけでこのはぢけつぷりだよ。
このあといろいろとおもしろいお話を聞くのだが、それは次回の講釈で。

Tuesday, 17 February 2015

ひやひや

The Twirly をつなげるプロジェクトを遂行中である。
以上。

になつてしまふんだよなあ、大きいものを作つてゐると。
先週はモチーフを一枚追加した。
そんなわけで目立つた進捗はない。
三十五枚だらうが三十六枚だらうが、ぱつと見たところそんなに大きな違ひはない。

先週は、しかし、その一枚を追加した時点で、とんでもないことに気がついた。
もしかしたら、つなぎ間違へたかも。
それも、いま追加したこの一枚は正しいけど、その前三枚くらゐが間違つてゐるのかも。

いつもの説明をする。
The Twirly は Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフである。
これをたくさんつないで、最終的にはちよつと壊れた六角形にするのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」だ。
モチーフ同士をつなぐときに、辺と辺とをつなぐやうにしておけば簡単だつたのだが、The Twirly のデザイン的に頂点と頂点とをつなぐことになつてしまつた。
ゆゑに、いろいろと思はぬ苦労をしてゐるのである。

一応、Excel で正六角形を描き、いくつもいくつもつなぐ設計図を作りはしたんだがね。
しかし、見たいときに手元に Excel があるとはかぎらない。
印刷すればいいんぢやない、といふ意見もあらうが、どうもそれは環境によくない気がして、な。
もつといふと、印刷するのが好きではない。
なんでもかんでも紙に出すのは好きぢやないのだ。
そのうちPDFにして iPhone に入れやう、と思つてゐるうちに日が過ぎていく。
世の中、そんなもんだ。

そんなわけで、モチーフをつなぐときは以前つないだところと見比べながらつなぐことになる。
確認しながらやつてきて、これまで間違へてはゐなかつた。
すくなくともそのはずだつた。
だといふのに、吁嗟、なんといふことだらうか。

それが先週末のことだつた。
The Twirly をつなぐプロジェクトは昼休みのあまつた時間に行つてゐる。
自宅ではあみものをするのに精一杯でな。タティングレースまで手が回らないんだよ。

そんなわけで昨日の昼休みにまづ確かめたのは「ちやんとつなげてゐるか否か」だつた。
結論からいふと、ちやんとつなげてゐた。
ちよつと編み地(とタティングレースでもいふのだらうか)がななめになつてゐるので、間違へてゐるやうに見えただけだつた。
ふー、やれやれ。

そんなわけで昨日も三十七枚目を作りはじめた、といふ寸法である。
いつたいいつになつたら完成するのだらう。
そもそもやつがれに完成させる気があるのだらうか。
The Twirly をつなぐプロジェクトは、これをやつてゐればほかのことを考へなくていいからやつてゐるやうな感じさへする。
ほかのこと、すなはち、ほかのタティング作品の作成だ。

作りたいものはないわけぢやあない。
Mary Konior の Masquerade なんかはたくさんたくさんつないでみたいしね。
七宝模様をたくさんたくさんつなぎたいといふ野望もある。
さう、いづれも「たくさんたくさんつなぎたい」なのだ。
どれかに手を出したらほかのものがおろそかになる。
火を見るより明らかである。

そんなわけで、The Twirly をひたすらつなぎつづけてゐるのである。

それにしても、もとになる設計図がないつて結構つらいな。
世の中の Tatters はどうしてゐるのだらう。
自分でちやんと設計図を書いてから作品を作りはじめるのだらうか。
それとも行きあたりばつたりだつたりするのか。
性格によるのかな、かういふのは。

Monday, 16 February 2015

Clapotis 完成


先週の水曜日、Clapotis を編み終はつた。

Clapotis

建国記念の日、か。
ラストスパートをかける場合、平日ではチト無理がある。
休みの日に時間をかけてやらないとうまくいかない。
だいたい「ラストスパート」と思つてからが長かつたりするしね。

Jaeger の Luxury Tweed を三玉ほぼ使ひきつた。
どこから減目部分に入らうか悩んだが、ちやうどいいところから減らし目をはじめたやうである。
Clapotis は七目に一度目を落とす。そのためできあがりはかなり大きくなる。
実際、予想以上に大きくなつた。
これならショールにするには十分だなあ。

その分長さが足りない。
マフラーとして使ふには首に一度巻いて結ぶやうだ。それ以上のことはできさうにない。
シュシュでも使つてループタイのやうな巻き方もできないことはないか。

イェガーのラクジュアリー・ツイードは、羊毛とアルパカとが半々の糸である。
モヘアかといふくらゐ毛がもさもさとしてゐて、目を落とすのにちよつと手間取つた。
しかし、できあがつてみるとやはり「ラクジュアリー」だねえ。
ツイードなので微妙に色が変化するし。
この毛糸がもう作られてゐないだなんて、残念だなあ。
おなじ毛糸でちよつと slouchy なベレーとか編んだらすてきだらうに。

編み上がつてみると、大きさは十分だし、編みはじめと編みおはりとがまるまる以外にこれといつて問題はなささうだつたので、整形はせずにゐる。
そのうち気が向いたらするかもしれない。
整形すると、幅がよけいに広くなりさうでな。逆に長さが短くなりさうな気がする。
ゆゑにそのままにした。

早速使つてみた。
マフラーとしては、やはりちよつと使ひづらいかも。
結べばいいのだが、結んだ端がちよつと広がり過ぎて、階段を下りるときに下が見えづらくて怖い。
結び目を後ろに回せばいいぢやあないか、といふ向きもあらうが、さういふ人はきつと背後から襲はれる心配をしたことがない人なのだらう。
結び目は前でなくて横にすればいいのかなあ。

やつがれは、首に巻く物はできれば輪になつたものの方がいいと思つてゐるので、それで使ひづらいと思つてゐるといふ可能性はある。

あと、かなりチクチクするんだよね。
首に巻くのはおすすめしないなー。

ショールとしては申し分ない。
大きさも申し分ないし、十分あたたかい。
やつがれの腕が短いせゐもあるだらうけれど、両手首までのばさうと思へばのばせる。
冷えを感じる肘を覆ふには十分な大きさだ。
膝掛けとしても使へる。
いいねえ。

Clapotis といふのもよかつたのかもしれない。
六目に一度目数リングといふのが編みづらいし、人によつてはねぢり目を編むのが苦手といふこともあるかもしれない。
でも、編んでゐて楽しかつたし、できあがつたものもいい。
今回、たぶん毛糸とと針との相性もよかつたんだな。針はクロバーの匠を使つた。

などと書いても、もうこの糸はない。
うーん、残念。

つづいて、三角ショールを編み始めた。
編み始めや増やし目の具合は Weaver's Wool Mini Shawl で、模様は Textured Shawl Recipe にしたがつてゐる。

Weaver's Mini Shawl in Progress

編み始めと増やし目とを Weaver's Wool Mini Shawl にした理由は、形がおもしろいからである。
三角ショールと書いたが、このショールは端に行くにつれてちよつと持ち上がるやうな形になつていく。鳥が羽を広げたやうな感じ、とでもいはうか。
また、増やし目の加減で四つの部分にわかれてゐて、これがうまいこと肩に載るやうな感じがする。

先週、「今まで編んだことのないやうな巨大な三角ショールを編みたい」と書いた。
この野望は、「デンマーク風の三角ショールを編みたい」に変はり、而して Weaver's Wool Mini Shawl になつた。
「デンマーク風の三角ショール」といふのは、両端を背中に回して結んで使ふ三角ショールを指す。
なにかの本か、もしかすると Web ページで、さういふ三角ショールの着用の仕方を「デンマーク風」と読んでゐたのだ。
「デンマーク風ショール」で画像を検索すると、ブーメラン型のショールが出てくることと思ふ。
この形だと両端を背中に回して結びやすいのだと思ふ。

Weaver's Wool Mini Shawl だとブーメラン型とはチト違ふのだが。
まあ、どうなるかは編んでみてのお楽しみ、といつたところだ。
とりあへず糸は十分あるしね。

さうさう、糸はオリムパスのブランシェを使つてゐる。
これも廃番なのださうな。やはらかくていい糸なんだけれどもねえ。これなら首に巻いても大丈夫かも。
ただし、一度編んだものをほどくとかなり糸がやせる。
しかたないか。

そんなわけで、途中まで編んだものをほどいたりしたのであまり進んでゐない。
いつになつたら編み上がるんだらうねえ。
次の冬に持ち越し、かな。

Friday, 13 February 2015

決まつた時間に起きるか否か

毎朝きまつた時間に起きる計画は、やはり破綻してきてゐる。
平日はほぼ決まつた時間に起きてゐるが、休みの日はそれより二時間くらゐ遅れることもある。
睡眠不足だからだ。

朝起きる時間が決まつてゐるといふことは、睡眠時間を増やさうとしたら寝る時間を早くするしかない。
それがなかなかできないのである。
だいたい、早く布団に入つたところで即眠れるとは限らない。
睡眠不足を補ふには、いつもより遅く起きる。その方が確実である。

世の中には、習慣にしたいことがあつたら、習慣づけしやすいやうな仕組みを考へろ、といふ人がゐる。
なるほど、それは道理である。
問題は、やつがれはとくに仕組み作りなどしなくてもTVを見なくなつた、といふことだ。
ニュースや天気予報など見たいものだけ見てあつさりと消すことができるやうになつた。
さうできるやうに環境を整へたりなどしてゐない。
「TVを見ないやうにしやう」と思つて、その結果かくの如しなのである。

もしここで、TVを見ないやうにするためにリモートコントロールを出しにくい場所にしまふやうにしたとか、TVをつけたらタイマーを設定して消す時間を知らせるやうにしたとか、なにかしら案を講じてゐたとしたら、早寝する仕組みも作らなければと思つたことだらう。
しかし、そんなことしなくてもTVを見ない習慣がついてしまつた。
ならば早寝もさうなのではないか。
さう思つてしまふのは人情といふものである。

だいたい、これまでしてこなかつたことを習慣化したものはあまりないし、あつてもそのために仕組みなどを考へたことはない。
休みの日は出かけないときに歩きに行くことにしてゐるが、これもとくに仕組みなどは作つてゐない。
むしろ、日曜日などはNHKの将棋の時間にかかつてしまつたりして行きたくないことの方が多いくらゐだ。
でも歩きに行く。
さう決めたからだ。

しかるに早寝はできない。
なぜできないのか。
ひとつには、これまで帰宅後にやつてゐたことをやめたり別の時間にうつしたりできないからだ。
また、これまでもなにか割り込みが入ると睡眠時間を削つて対応するしかないくらゐ、帰宅後の時間が限られてゐるから、といふのもある。

残業をしないとして、職場には一日九時間以上ゐる。
通勤に片道一時間半はかかる。
それだけで、半日以上を費やすことになる。
残りの時間で七時間は布団に入るとすると、残りは五時間弱。朝の支度に一時間かかり、夕食と入浴とで二時間、残りは二時間弱。むしろ、一時間半にかぎりなく近いと考へた方がいい。
一日に自分の自由になる時間は一時間半。その中で掃除だの洗濯だのその他突発的に発生する事態にそなへなければならない。
時間、ないよね。
削るところは睡眠時間しかない。

一日の計画がどうかう云ふ以前に、圧倒的に時間が足りない。
そこで発想を転換して、もう平日にはなにもしない、と割り切るのも手なのかもしれない。

決まった時間に起きるのはいいことだとは思ふんだけどね。すくなくとも勤め人にとつては。

しかし、決まった時間に起きることにすると、布団のなかでぬくぬくと過ごす時間もまたなくなつてしまふ。
これも結構痛いんだよな。

そんなわけで、今後どうしたらいいのか悩んでゐる。
いづれにしても睡眠時間は足りてゐない。
どうしたら増やせるのか。
むむ。

Thursday, 12 February 2015

歌舞伎を見るきつかけ(など存在しない)

歌舞伎に興味を持つたのは、小学校三年生のときである。

夏休みに虚弱体質児や喘息持ちの児童を各学校から集めて合宿を行ふ、といふ催しがあつた。
たしか、五、六年生は虚弱体質児、三、四年生は喘息持ちと決まつてゐた。おそらく市か都道府県か、どちらかの主催だつたのだらう。
三年生のときにたまたま行くことになつて、同室になつたうちのひとりにたいへん絵がうまく、宝塚歌劇団が大好きといふ人がゐた。
そこでなぜ「宝塚を見てみたい」にならなかつたのかが不思議だが、いづれにせよ、その人と話すうちに世の中には歌舞伎といふものがあつて、なんだかよくわからないけれどもとても美しい世界なのである、といふことを知つた。

帰宅後親に「歌舞伎に行きたい」といふと、「自分でお金を出せるやうになつてから行きなさい」と云はれた。
話はそこで終はつた。
親は歌舞伎になんぞまつたく興味がなかつた。
母はいはゆるミーハーだつたから、芸能界のことにはそれなりに興味もあつたやうで、ワイドショー的知識は豊富だつた。
でもそれだけだつた。

その後、小学校も高学年になつたときに、音楽の授業で音楽室を使ふやうになつた。
音楽室の隣にはちいさな音楽準備室といふ部屋があつて、たまに楽器を取りに入つたりした。
その部屋にはちよつとした本棚があつて、そこに音楽関連の本に混ぢつて歌舞伎の本があるのを発見した。
音楽の先生に頼んでしばらく貸してもらつた。
いまでいふムック本のやうなものだらうか。写真がたくさん載つてゐて、説明文は少々といふ作りだつた。
それまで歌舞伎役者の名前といつて、坂東玉三郎くらゐしか知らなかつたやつがれは、この本で中村歌右衛門と實川延若とを覚えた。
歌右衛門はとにかく写真が多かつたし、それにひどく特徴的だつた。
延若もしかり。まあ写真の数は歌右衛門には及ばなかつたけれども。

高校生になるころには、そろそろお小遣ひをためれば歌舞伎が見られるやうになる。
いまだつたらさういふ知識もあるが、当時はまつたくなかつた。
それに、土日や夏冬春の休みには部活動が忙しくてそれどころではなかつた。

そんなわけで、はじめて歌舞伎を見に行つたのは、さらにそののち、といふことになる。
たまたま一緒に行つてくれるといふ友人がゐて、そろつて歌舞伎座にくりだした。
歌舞伎座へは「切られ与三」がかかるといふので行くことにした。
なぜ「切られ与三」なのかといふと、ひとつには春日八郎の「お富さん」の印象があるからだ。
母から聞いた話によると、「お富さん」があんまり流行したので、母の通ふ学校では「「お富さん」を歌つてはいけない」といふ禁止令が出たのだといふ。
やつがれのこどものころにもずいぶん流行つた歌もあつたけれど、つひぞ学校で禁止されるやうな歌はなかつた。
あつたとしても、ドリフターズがコントで歌ふ童謡の替へ歌はあれはほんたうの歌詞ではないから歌つてはいけない、と禁じられるくらゐだつた。
どんだけ流行したんだよ、「お富さん」。
その「お富さん」の元ネタとはどんなものなのだらうか、と知りたかつたのがひとつ。

もうひとつは、上に書いた歌舞伎のムック本に出てゐた写真がとてもよかつたからだ。
ムック本には、雀右衛門のお富と玉三郎のお富とが載つてゐたやうに思ふ。
本を眺めてゐた当時は知らなかつたものの、湯上がりで髪を下ろしたお富さんの「あだな姿の洗ひ髪」にやられてしまつたんだね。

そんなわけで、「切られ与三」を見た。
予算の関係で三階席からだ。当日行つて、前から三列目が買へた。
与三郎は團十郎、お富は玉三郎、蝙蝠安が先代の市蔵で、籐八は弥五郎、多左衛門は左團次だつた。
これが、さつぱりわかんなくてねえ。
内容はわかる。
たいした内容ではない。
なにがわからないのかといふと、幕切れである。
多左衛門が、お富の実の兄とわかるところで終はる。
え、それで、どうなの?
だからなんなの?

友人とふたり、おいてけぼりにされた感じで、はじめての芝居見物は終はつた。

ここでくぢけないのが我ながら不思議なのだが、そのほぼ半年後、今度は梅幸の「藤娘」を見に行くことにした。
なんだらうね、「梅幸の「藤娘」は見ておかないと」と思つたんだね。
どこかでさういふ知識を仕入れてゐたのだらう。
仕入れもとは件のムック本ではないはずだ。
なぜといつて、件のムック本で「藤娘」の写真に写つてゐたのは玉三郎だつたからだ。
これがきれいでねえ、といふのはまた別の話である。

このときは幕見席を試してみた。
残念ながらこのときの梅幸の「藤娘」はたいしてよくなかつた。その後、あらためて見に行つたら別人のやうによかつたけどね。

忘れられないのは「鞘当」だ。
團十郎の不破に菊五郎の山三だつた。
幕見席から見てゐるから花道付近でなにをしてゐるのかよくわからない。
互ひに笠を深くかぶつた不破と山三とが舞台中央付近で出会つて、鞘が当たつたのなんのとやりとりをして、そして、笠を取つたときだ。
山三がぱあつと輝いたやうに見えた。
やつがれは目が悪くて、メガネをかけてゐてさへ三階席からでも役者の顔の見分けがつかないことがままある。
ましてや幕見席。
顔の見分けなどつくわけがないのだが、あのときは山三の顔が見えた気がした。
華があるといふのはかういふことか。
さうも思つた。

これで菊五郎の贔屓になつたか、といふと、さうでもないのがやはり世の中不思議なところである。

歌舞伎を見るやうになつたころのことを思ふと、かうした不思議がいくつかある。
まづは、最初に見たいと思つたときに見られなかつたのに、それでもなんとなく見たいと思つたことを忘れずにゐた不思議。
ほんとに見たかつたのなら、高校生になつたころに行つてゐるはずなのだ。当時は定期券も持つてゐたしね。
いろいろあつても、見たいと思ふ人間は見に行くといふことなのかなあ、などと思つたりする。

次に実際に見に行つて、「なんなんだこれは? 訳がわからん」と思つたにも関はらず、また見に行くといふ不思議。
普通、一度見て訳がわからなかつたら次はないのではなからうか。
でも最初のときについてきてくれた友人は次のときもついてきてくれたんだよね。

そして、見に行つて「うわー、すごい、きれい」と思つた役者に特別思ひ入れのない不思議。
いや、菊五郎、いい役者だと思ふよ。芝居を見てゐて、「いい男だなあ」と思ふのは大抵菊五郎だ。
でも特別好きといふわけではないんだよなあ。すくなくとも追つかけたりはしない。

然るに、いまだに芝居見物はつづいてゐるわけだ。
歌舞伎の良さは、「訳のわかる」ところでも「きれい」なことでもない。
それだけは確かである。
すくなくともやつがれの中ではね。

Wednesday, 11 February 2015

私生活はどうでもいい

好きなことを訊かれるとかたまる仕様である。
そんなわけで、好きな役者の話を他人にすることはあまりない。
どの役者が好きかといふ点も同様だ。

歌舞伎を見る上で、役者の魅力といふのはかなり大きい。
おなじ演目でも配役が変はるとがらりと印象の変はるものだ。

それはわかつてゐて、なぜ好きな役者の話をしないのかといふと、役者に縛られるのがイヤだからである。

たとへば、甲といふ役者の好きな乙といふ人がゐるとしやう。
それと知らずに乙さんに、「この前これこれかういふ芝居で甲を見たけど、てんでよくなかつた」などと口走つてしまふとする。
すると、乙さんは云ふのだ。
「でもね、甲はとつてもお稽古熱心なの。親孝行で、奥さん思ひでもあるのよ」

うーん、それつて、芝居の出来と関係ありますかね。
極端な話、甲が稽古熱心だらうが不真面目だらうが、そんなことは客にはまつたく関係ない。
稽古が嫌ひでもすばらしい舞台さへ見せてくれればそれでいい。
親孝行か奥さん思ひかなんてもつと関係ないよね。
でも、ある役者にほんたうに入れ込んでゐる人はさういふことを云ひがちなのである。

もつといふと、甲には全国津々浦々に浮気相手がゐる、とかでもまつたく構はない。
そんなの、芝居を見にくる客には関係ないぢやん。

さう思ふのだが、どうも乙さんのやうな人には通じないやうだ。
人つてわかりあへないのね。
ほんとに好きな役者なんだつたらさー、もつと厳しい目を持たうぜ。
さうも思ふが、口に出しては云はない。めんどくさいしね。

「芸人は人格が大切」とかいふ意見もある。
それはさうかもしれないけど、でもなんとなく、人間として問題のある人の方がいい役者になる気もするんだよね。
それに、人格がいいかどうかは本人の問題で、これまたやはり客がそこを気にしても仕方がないことだと思ふ。

それと、かつては苦手だつたはずの役者がある芝居ではよかつたりとか、その逆だつたりとか、さういふこともある。
あんまり先入観とかない方がいいんだよね。
数見てくるとなかなかさうもいかないことも多いけどさ。

まあ、芝居は楽しければそれでいいんだけどさ。
「おもしろいことおもしろいこと」、だよ、歌舞伎は。

Tuesday, 10 February 2015

注意力散漫

年明けからこの方、ミスが多い。

最初は、日曜日にすると決めてゐる排水溝の掃除を忘れたことだつた。
冬休み最後の日が日曜日だつた。
休みボケで忘れてしまつたのだらう。
そのときはさう思つた。
どうやらさうでもないらしいことに気がついたのは翌週のことである。
次の日曜日もまた、夜になつて掃除をしてゐないことに気がついた。

云ひ訳はある。
今年からまた日曜日に平日分の夕食のおかずを作りためることにした。
いままでしてゐなかつたことが増えて、それで今までの習慣を忘れてしまつたのだらう。
そのときはさう思つた。

だが、忘れ物はあとをたたない。
先日も書いたやうに、社員証を忘れてしまつたこともある。
資源ゴミの日は前日の夜に牛乳パックがあれば出しておくのに、それも忘れたときがある。
なんといふのかな、これまでできてゐたことができなくなつてゐる。

毎日おなじ時間に起きるといふ今年の目標も原因のひとつであらう、とは以前も書いた。
寝る時間を確保するために、そのほかのすべてがおろそかになつてゐる。
それでいいのか、と自問することもある。
睡眠時間はすべてに優先するだらう、と自答もする。

しかし、今月に入つて湯島天神に行くはずが湯島聖堂に行つてしまつたり、メールの誤送信をしたり、これまでしなかつたやうな失敗が重なつてゐる。
もしかしたら、認知症なのではあるまいか。

認知症が「認知症」と呼ばれぬ昔は、頑固な人がなりやすいと云はれてゐた。
頑固なことでは人後に落ちぬやつがれである。
知つて、ひどく不安になつたものだつた。
いまでも不安である。
そして、その不安が的中しつつあるのではあるまいか。
世間的に認知症と認められるには半年間症状がつづく必要があるさうである。
半年間。
手遅れにならなければよいが。

さて。
あみものの方では何度か登場してゐる Yarn Harlot こと Stephanie Pearl-McPhee が、著書にこんなことを書いてゐる。
買つても買つてもテープメジャーが行方不明になつてしまふ、と。
家中ひつくり返したら大量のテープメジャーが見つかるのではあるまいか。
そんな状態なのだといふ。

テープメジャーかあ。
テープメジャーはなくしたことはない。
でも人にはひとつ、Stephanie Pearl-McPhee にとつてのテープメジャーのやうなものがあるのではあるまいか。

やつがれにとつてのテープメジャー、それはタティングシャトルである。
といつて、個体認識できるシャトルがどこにあるかは把握してゐるので、問題はクロバーの psuedo-鼈甲シャトルだ。

一番最初に買つたシャトルもクロバーの鼈甲風シャトルだつた。
このシャトルが現在もあるかどうか。
たぶんない。
すくなくとも手元にはない。
どこか、次元の彼方に行つてしまつた。
それとも腐海の底にしづんでゐるのか。
捨ててはゐないので、家の中のどこかにはあるはずである。
まあ、あつてもそれとはわからないとは思ふ。
なにしろ、クロバーの鼈甲風シャトルが手元にありすぎるからだ。

手元にありすぎる理由のひとつは、一度糸を巻くとほどくのが面倒だからである。
もうひとつは、つひ買つてしまふから。
好きなものは買ひたくなる。
だいたいタティングシャトルといふのはひどく可愛い。
手のひらに握つてなほ余裕のあるちいさな姿。
糸を巻き付けたときの安定感。
作りかけのモチーフやドイリーをたらしたさまさへ愛らしい。
さすがにイメルダの靴と張り合ふほどの数はないが、それでも「使ふシャトル三千対」と、すでに元ネタがわからないやうなダジャレを口にしたくなるほど、我が家にはタティングシャトルがある。
そのはずである。
だが、いざといふときにはない。
どこかに行つてしまふのである。

まあ、最前もことはつたとほり、クロバーの鼈甲風シャトルに限つての話ではあるが。

クロバーのシャトルの中でもなぜ鼈甲風だけなのか、といふと、それ以外のシャトルはあまり持つてゐないからだ。
フローラだけ二組買つて、この10個はある場所を把握してゐる。
そのほか、GR-8 Shuttle とか POP-A-BOBBIN TATTING SHUTTLE とか個体認識のできるシャトルのありかも把握してゐるし、なかには使用中のものもある。

なぜなんだらうなあ。
やはり個体認識できないのがいけないのだらうか。
買つてきたら、マジックかなにかで印をつけたらなくならないかな。
今度ひとつやつてみるか。

新たに買つてきたら、またどこかに消へてしまふのではないかといふ気がしてならない。

Monday, 09 February 2015

Think Forward

Clapotis は減らし目段階に突入した。

減らし目段階に入つて、しかし、ここから先がまた長い。
目数が減つてゐるのだからもつとさくさく進むやうになると思つてゐたのだが、まだそこまで到達してゐないやうだ。
減り始めるとあつといふ間だと思ふんだがね。

前回も書いたやうに、Clapotisは編んでゐる最中、ひざの上に乗つてゐる。これがなんともあたたかい。
すぐ編み始められるやうに編みかけを普段座る椅子のそばにおいてゐて、朝外出前にちよつと寒いときになどにひざにかけたりしてゐる。
できあがつてもこんな使ひ方をするのではないか。
そんな気がしてゐる。

一応、減らし目に入る前にどれくらゐの長さか確認してみた。
肩にかけて、前でブローチかなにかでとめたらいいかな、といつた感じである。
なにしろのびる編み地なので、背中の半ばくらゐまで覆ふことができる。
この先まだのびるやうになるはずなので、見た目よりも大きいものができる気がする。

さて、いま編んでゐるものの完成の姿がなんとなく見えはじめてきたところで気になるのは、次に編むものである。

以前、「この冬は10玉1パックで安く買つた毛糸を使ひきりたい」といふやうなことを書いた。
着るものでもいいけど、ひざかけのやうなものを編むつもりでゐる。
Blanket だとか afghan とか呼ばれるものね。
なぜといつて……うーん、さういふものが好きだからだ。
好きなのだが、いまのところなにを編むかは決まつてゐない。

さうかうするうちに、「毛糸だま 2015年 春号」が出版されてしまつた。
今回の第一特集はくつ下である。
書店でちらつと見た感じだと、英語の編み方に対訳がついてゐるやうな感じだつた。
くつ下、いいよなあ。
去年のいまごろも一足編んでゐた。
脚部分と甲部分がすべり目で、糸が二重にわたつてゐるのでこれが大変あたたかい。
一昨日も履いてゐて、「おなじものをもう一足編まうかな」と思つたくらゐである。
それとも編み込み模様の方がいいか知らん。できれば足の裏側も二重に糸がわたるといいのだが。

そんなことを考へてゐた。

くつ下は編みたい。
しかし、くつ下なら真夏でも編める。
なぜといつて、くつ下は編んでゐても躰にふれないからだ。
マフラーやセーター、ひざかけの場合は、たとへ夏物でも真夏に編むのを躊躇してしまふことがある。
ひざに乗つたときに、暑苦しいからだ。
くつ下にはそれがない。
手袋もかな。帽子もさうかも。
こものの中でも帽子・手袋・くつ下といふのは、ちいさいので躰からはなして編むことが可能なのだ。

これに気がついたときの喜びはなかつたね。
なにしろ、真夏でも毛糸で編みたいからだ。
毛糸、すなはち、獣毛、もつといふと羊毛で紡いだ糸のことである。
綿や絹の糸ももちろん好きではある。麻もいいよね。
しかし、編み心地のよさといふ面では、どうしても毛糸にかなはない。
さう思ふ。
本邦であみものが発達しなかつたのは、羊毛がなかつたからではないかと思ふくらゐだ。

そんなわけで、くつ下はもうすこし先にとつておいて(もちろん、春号の「毛糸だま」は買つておいて)、先に10玉1パックに着手するかなあ、と思つてゐる。
問題は Clapotis がいつ仕上がるかにもよるがな。
今週仕上げるのはチト無理な予感がしてゐる。

Friday, 06 February 2015

字を習ふ?

通信教育のユーキャンで一番人気のある口座はボールペン字なのだと聞いた。

ボールペン字つて、いまどき使ふ機会があるのだらうか。

などといひつつやつがれは、かつて通信教育で三ヶ月間ボールペン字を履修したことがある。
三ヶ月もやつてゐると、自分の字がお手本に近づいていくのがわかる。
その後しばらくはそんな感じで、いまはもう元に戻つてしまつた。
戻つてはしまつたものの、やつてゐる当時は「お手本に近い字が書けるやうになつてゐる」といふ実感があつた。

もしかしたらこの実感がいいのかなあ。

なにしろ世の中なんでもPCに入力して印刷する時代である。
年賀状でさへ表も裏もプリンタ出力なんてのがざらにある。
職場で字を書くことなんて、ほとんどないなあ。ノートを取るときくらゐかなあ。

ちよつと思ふのは、こどものゐる人は、こどもが幼稚園や小学校にあがつたときに持ち物にひたすら名前を書く必要がある、といふことだ。
でもボールペンでは書かないなあ。フェルトペンだらう。
まあボールペン字をやつてもフェルトペンで書く字にも影響は出て来はするけれども、このためにボールペン字を学ぶといふのはちよつと考へられない。

最近は履歴書もPCに入力して印刷するんだらうしなあ。印刷さへしないかもしれない。そのままメールに添付して提出するのぢやあるまいか。
……と思つたら、履歴書はいまでも手書き全盛なのか。それならまあボールペン字が人気になるのもうなづけないこともない。すこしでも印象はよくしたいからね。

しかし、就職活動以外にボールペン字の活躍の場はあるのだらうか。
ぱつとは思ひつかないんだよなあ。

ところで、萬年筆を使つてゐると「このペンを使ふと自分らしい字が書ける」「このペンだとまつたく自分らしい字にならない」といふことがある。

最初は、モンブランのショパンエディションだつた。
丸善日本橋店が改築する前、もとめたペンだつた。
これが実に自分らしい字の書けるペンだつた。
いまはまたちよつと変はつてきてしまつてゐるけれども、愛用してゐる。
やつがれの萬年筆への執着はここからはじまる。

現在手持ちのものでいふと、中屋万年筆の細軟が一番自分らしい字のかけるペンだ。
使つてゐても自然な感じだ。

逆に大橋堂のペンを使ふと自分らしさに乏しい字になる。
これがまたおもしろい。
「こんな字になるんだ」といふ楽しさがある。

本来、さういふ楽しさといふのは、きちんと基礎をおさめた人の楽しみだらう。
やつがれのやうに好き勝手に書いてゐながら「こんな字になるんだー」とかいつてゐるのは間違つてゐる。

それならボールペン字のひとつも習つた方がいいのか知らん。
そんな気もする。

人は、きれいな字を書けるやうになりたい、と思ふものなのかもしれない

さうも思ふ。
なるほど、考へてみたらやつがれは自分の手帳には極力縦書きで書き込むやうにしてゐる。
横書きよりも若干ましな字が書けるからである。
日本語は、縦書きに特化してゐるからなあ。横書きでおなじやうに書くのはむづかしい。

それにしても通信教育の口座で一番人気があるのがボールペン字といふのはチト不思議だ。
通信教育でもなんとかなるものの筆頭だからかな。

Thursday, 05 February 2015

裏を返す

2015年1月31日(土)、横浜の産業貿易センタービルで開催された三国志フェスに行つてきた。
以下、なにもかもひつくるめて「三国志」と記述する。

産業貿易センタービルは神奈川県の東部に住まふものにとっては旅券発券のためにおとづれるところである。
なんとなく勝手知つたる建物だ。
一階のドトールが明るくなつてゐてびつくりしたがな。

三国志フェスは、「ひとりで行つても楽しいイヴェント」なのださうである。
今回はそれを確認するために行つた。

実は前回も行つてゐる。
前回は、開始時刻よりちよつと遅めにつき、ぼんやりとブースを眺めてちよこつと買物をし、カクテルを飲んで帰つてきた。
ステージでなにをやるかとか、あまり把握してなかつたんだよね。

今回はひとりで行つてそれなりに楽しく過ごした。

今回はちやんと予習をして、「ぢやあこれは見てみやうか」と計画をたててすこし遅めに行つたら「エンペラー・オブ・お笑い三国志」といふコンテストが終はる直前だつた。
ちよつと残念。
前回も見逃してゐるんだよね。

三国志フェスでは、大きい黄河ステージと小さい長江ステージとがあつて、ここでお笑ひ芸人のコンテストとか人形劇、京劇、その他プレゼンテーションやパフォーマンスが行はれるやうになつてゐる。
それとは別に物販用のブースがあり、買物をしたりカードゲームをしたりできる。飲食物も売られてゐるので、おなかが空いてもひもじうない。
ほかにも三国志関連の本を集めたスペースがあつて、その場で借りて読めるやうになつてゐた。

ステージの様子は客席の外からも見聞きすることはできるので、興味のあるところだけ立ち見するなんてことも可能だ。

ひとりでもぼんやり楽しむことができるやうになつてゐるのだ。

そんなわけで、今回は会場をひととほり巡つたあとは、レキシズルバーで求めた三国志フェス特製「鋭い陳宮」なんぞをなめつつ、外からステージのやうすを楽しんでゐた。
「鋭い陳宮」はウォッカベースのカクテルで、次第にきいてくるといふおそろしい……いやいや、おいしいカクテルである。
前回も「できればかたつぱしから飲みたい」と思ふたのだが、これだけになつてしまつた。残念。

鋭い陳宮


今回見やうと思つてゐたのは、着いたら終はりかけてゐた「エンペラー・オブ・お笑い三国志」と、事前にTwitterなどでつのつてゐた「好きな男」ランキングの発表、あと前回ブースで見ておもしろいと思つた指人形劇「袋布戯」と、それから京劇だつた。

「エンペラー・オブ・お笑い三国志」といふのは、エントリしたお笑ひ芸人がそれぞれ三国志にちなんだ芸を演じてそれを審査する、といふものだ。
見られなかつたので、これ以上のことは云へない。
「歴人マガジン」に載るか知らんと思つたら、写真だけ掲載されてゐて、この催しの中身についてはふれられてゐなかつた。
「歴史」だと認識されなかつたのかもしれない。

「好きな男」ランキングといふのは、Twitterなどで三国志に登場する「男」のうち好きな人を三人選んでねといふ前振りがあつて、それを集計した結果を発表する催しである。
「登場人物」とか「武将」とかではなく「男」といふのがおもしろいかもね、といふのが事前に云はれてゐた。
ランキングはそのうち発表されると信じてゐるし、うろ覚えでもあるのでここには書かない。
おもしろかつたのは、ステージ上にゐた盛山春美氏だ。
曹操やその配下の人々の話を振られるとにこにこ嬉々として話をするのに、それ以外の人々については気乗りしないやうすで短くコメントするだけ、といふ姿がとても興味深かつた。

さうだよね。それでいいんだよね。
一口に三国志といつてもとらへ方は人によつてさまざまだ。
正史以外認めんといふ人もゐるかもしれないし(寡聞にして知らないが)、とりあへず「三国志演義(どの?)」には従はうよといふ人もゐるかもしれない。
ゲームしかやつたことがない人もゐるだらうし、「とにかくアレ(好きなものを入れてください)だけは絶対許せん」といふ人もゐるかもしれない。
登場人物だつてやたらと多いから「この人は好きだけどあの人はイヤ」「この国(といふか)はいいけど、ほかはどーでもいい」といふ人もゐて当然だ。
全方向を見る必要はないんだよね。見るにこしたことはないかもしれないけど。

と、手元にそろつた三枚の手ぬぐひを見てしみじみ思ふたのだつた。
前回の三国志フェスで、北伐さんの荀彧の手ぬぐひを買つた。
北伐さんとは三国志の登場人物を描きその人物を思はせる漢字一文字を書いた手ぬぐひなどを作成して販売してゐる方々である。
前回、趙雲とどちらにしやうかさんざん迷つた。
ちよつと風を感じるやうな動きのある絵柄が趙雲と荀彧とだつたからである。
どちらにしやうか考へて、ちよつと戦闘タイプの気があるからここは荀彧にしておくかと思つてさうした。
そんなわけで今回は趙雲は買はうかなと思つてゐて、しかしうつかり周瑜の手ぬぐひも買つてしまつたのだつた。
なぜつて……うーん、すてきだつたからね。

しかし、買つてみて愕然とする。
なんだらう、この、妙なおさまりのよさは。
気がつけば、曹操・劉備・孫権の手のものがひとりづつゐるぢやあないか。
このムダなバランス感覚を如何せん。
……如何にしやうもないけれど。

さて、楽しみにしてゐた「袋布戯」は、いきなり紹介ヴィデオがトニー谷のギャグからはじまつたりして、「いつたいこの場にゐる人間の何人くらゐがトニー谷を知つてゐるのだらうか」とちよつと心配になつてしまつた。
知らなくてもトニー谷はおもしろいか。

前回、ブースで見たときにおもしろいなと思つたのは、人形の動きだつた。
水平方向にすべるやうに動く。
手前に蹴込みといふか演台といふかがあつてこれがだいたい高さが1mちよい、幅はまちつと狭いかな。
その背後左右に人形の出入りするところがあつて、そこから人形がすいーつと出てきてすいーつと引つ込むといふ感じだつた。
ことばにするとわかりませんね。
今回は主役が魯粛でほかの登場人物といつて周瑜と孔明とだつたので、あまりさういふ動きはなかつた。
なので、もしかしたら「水平方向にすべるやうに動く」といふのは間違つてゐるのかもしれない。
周瑜がオネエかと思つたらベルクカッツェだつたり、孔明の笑ひ方がどことなく東野英治郎の黄門様のやうだつたり、年を経た人間にはいろいろと楽しい一幕だつた。

京劇は、孫夫人をつれて去る劉備を追ひかける周瑜が漁師に化けた張飛と一戦まぢへる、といふ内容。
見慣れないと、拍手のしどころとかがむづかしい。歌舞伎の大向かうのやうに声をかけたいといふ衝動にかられるけれど、なんとかけていいのかわからない。
後者については、終演後、司会者の方が質問してくだすつた。
見得(と便宜上書く)をしたところで「好!」と声をかけるといいのださうである。
水鏡先生ですな。あれは「好々」か。

ひとつ、たまたま見ることができておもしろかつたパフォーマンスがある。
「垂井ひろしの墨画アートパフォーマンス」である。

垂井ひろしの墨画パフォーマンス

大きな紙にその場で絵を描くパフォーマンスだ。
墨に浸した筆を手に、パーカッションのBGMにのつて絵を描いていくさまに、つい目を奪はれてしまつた。ダイナミックでね。
垂井ひろし氏はF1のレースカーなどを題材にかうしたパフォーマンスをしてゐるのらしい。
役者絵も描いてゐる、と、後に知つた。
墨は鈴鹿の産のものを使つてゐるといふ話だつた。
できあがつた絵のそばに寄つてみたら、墨のよい香りがした。

あと、前回もすこし気になつてゐたのだが、今回もカードゲームが気になつた。
しかし、カードゲームつて、なんだか奥が深さうなんだよね。
はまつたら最後な気がする。
そんなわけで、人が興じてゐるのを見るにとどめた。

このあと、中国旅行の話があつたりとか、さらには夜の三国志フェスなんぞといふものがあつたりしたのだが、残念ながら参加せず。夜の三国志フェスの方は「参加できず」かな。

ステージで行はれるパフォーマンスについては、すべてを見るのはチトむづかしいのかもしれない。
時間割では黄河ステージと長江ステージとできるだけかぶらないやうになつてゐるやうなのだが、実際はかぶつてしまつたりするしね。

そんな感じで、楽しんで帰つてきた。
次回もあつたら行く、かな。
そのころまでに、いままで読んだことや見たことのない三国志ものに触れておくかとも思つたが、盛山春美氏のおかげで考へを変へた。
いまのままでいいぢやあないか。
かたよつてはゐるけれども。

そんな感じで、今後も好きなのかどうかわからないといふスタンスで三国志ものとはつきあつてゆくつもりである。

Wednesday, 04 February 2015

なんでもあり

大河ドラマ「真田丸」が決まつたときだつたらうか、三谷幸喜がこんなやうなことを云つてゐた。
「(戦国時代について)よく知つてゐる人は、「なんでもあり」だといふことを弁へてゐる。だから「あれが違ふ」の「これが間違つてゐる」のと文句は云はない。云ふのは半可通である」と。

あー、「新選組!」のときにさんざんあれこれ云はれたんだらうなあ。
新撰組もまあ「なんでもあり」つちやあなんでもありだ。
百年ちよつとしかたつてゐないわりにはわかつてゐないことも多い。
肝心なことがわかつてゐない、とかね。
ただ、幕末好きとか新撰組好きといふ人が多いので、いろいろ知つてゐる人もたくさんゐる。
「好き」といふことは「こだはりがある」といふことである。
「ここまではゆづれるけど、これだけはゆづれない」、そんな思ひを抱く人々だ。

でもまあ、さういふ三谷幸喜だつて、「三銃士」で反戦を説くといふ大失敗をやらかしてゐるんだから、おあひこなんぢやないかな。
「三銃士」もこれまで何度も映像化をくりかえされた作品で、「なんでもあり」である。
本邦でも犬で三銃士とか、アラミスが女だつたりとか、海の向かうでも最近では飛行船が空を飛んぢやう三銃士とか、とにかくほんたうに「なんでもあり」だ。
でも、「三銃士」の原作を尊重するなら、あの作品で戦争反対を訴へるなんぞといふヘマはしないと思ふんだがなあ。
ま、いいか。

「なんでもりあり」といふことではこの作品(といつていいのだらうか)に勝るものもさうないのではないか。
それが三国志(演義)である。
以下、とくに断らないかぎりはすべて「三国志」で統一して賈詡。ぢやなくて書く。

2015年1月31日(土)、横浜産業貿易センターで開かれた「三国志フェス」に行つてきた。
「三国志フェス」とは三国志好きの集まるイヴェントである。
そこでちよつと躊躇する。
はたしてやつがれは三国志が好きだらうか。
うーん……

三国志について云ふと、やつがれは「さだまさしの「まっさん版三国志英雄伝」生まれ、人形劇三国志育ち」である。

正史はところどころしか読んでゐない。
「三国志演義」は読んで、いままた読んでゐるところだ。
吉川英治と柴田錬三郎と「秘本三国志」は読んだ。
「SF三国志」も入れていいのかなあ。
酒見賢一も読んでゐるか。

横山光輝はところどころしか読んだことがなくて、「天地を喰らう」を連載時にちよこつと読んだくらゐ、あとのまんがは読んだことがない。
あ、白井恵理子は途中まで読んでゐるか。

映像化作品でいくと、横山光輝のアニメもところどころしか見てゐなくて、あと于禁が女だつたり孔明がアイシャドウだつたり曹操が金髪で中山仁だつたりするアニメはちよこつと見た。
「レッドクリフ」は日曜ロードショーでかかつた一話完結版を見た。それくらゐだなあ。

ゲームははるか昔にスーパーファミコンで光栄(当時はまだ漢字表記だつたと思ふ)の「三国志III」だつたかをちよこつとやつたのみ。

芝居では先代の猿之助時代のスーパー歌舞伎で「三国志I」と「三国志II」とを見た。

曹操の墓とか最新情報に疎い。
中国には行つたことがない。中国語もわからない。

以上である。

これで「三国志好き」を名乗つていいものだらうか。
なんか違ふんぢやないかなあ。
だいたい三国志を好きといふ人で「まつさん版三国志英雄伝」をいふ人もあまりゐない。

「まつさん版三国志英雄伝」といふのは、もとはさだまさしの深夜ラジオ番組「さだまさしのセイ!ヤング」の中の一コーナーだつた。さだまさしがおもしろをかしく三国志を語る、といふものだつた。
後に二日間だかかけてさだまさしがライヴで語りおろしたものをカセットテープで販売した。全六巻。後にCDにもなつたが現在は入手困難である。
時代なんだらう、「周瑜はですね、いい男だつた。呉の国のフリオと呼ばれゐた。その周瑜がですよ、孔明を呼びます、といふと、「♪ナタリー」」つて、これだけ読んでもなにを云ふてゐるのかわからない。

フリオといふのはフリオ・イグレシアスといふスペインの万能美男子である。
もともとはレアル・マドリードだかのゴールキーパーで、交通事故にあつて歌手に転向した。
おうちは裕福で、本人も確か弁護士の資格を持つてゐる、とかいふ話だつた。
それで歌がうまくてマダームにもてるんですよ。人呼んで「世界の戀人」。
「三国志英雄伝」を録音をしたころちやうど人気があつたんだらう。
ロシア民謡「黒い瞳」を編曲した「黒い瞳のナタリー」といふ歌を歌つてゐた。ゆゑに「♪ナタリー」なのである。本邦では郷ひろみが日本語にして歌つてゐたね。
いまとなつては「Julio, who?」つてな話である。

入りがさういふ「なんでもあり」なものだつたし、その次が「人形劇三国志」といふこれまた「なんでもあり」といふよりはむしろ「ないない尽くし」の作品だつたので、「三国志演義」を読むころには「さうか、この話はなんでもありなんだな」と理解してゐた。

だいたい正史の「三国志」自体の成り立ちがどうにもアレだ。
魏が正当でなければ困る西晋のおえらいさんが「漢から魏にうつつたといふことでひとつ」つてーんで書かせたわけでせう。
それさへなければ世の中に正史「三国志」は存在しなかつたかもしれない。「後漢書」で十分ぢやん。

しかしうつかり正史「三国志」は世に出てしまつた。
そこにあることないこと(ないことないこと)付け足してできたのが「三国志演義」だ。
「三国志演義」自体が「なんでもあり」なわけだ。

なんでもありと理解はしてゐて、しかしゆづれないこともないわけぢやあない。
たとへば髯のない関羽は関羽ぢやない(除女体化)、とかね。
さういふわけでスーパー歌舞伎の「三国志」はやつがれにとつて三国志ではない。
スーパー歌舞伎の「三国志」では劉備が女といふ設定で、しかし世間には男といつてとほしてゐる。これはいい。ありだと思ふ。
でも髯のない関羽はダメ。髯がなかつたら関羽の意味がないぢやんよ。

本題に入るまへに長くなつてしまつた。
三国志フェスについてはまたあらためて賈詡。ぢやなくて書く。

Tuesday, 03 February 2015

つなぎ続ける

The Twirly をつなげるプロジェクトは、35枚めのモチーフをつなぐところまできた。

The Twirly

六角形を7つつないでできる大きなモチーフでいふと5枚めだ。
このまま目指すところまでたどりつく日もくるだらうか。
くるといいなあ。

いつもの説明をしておく。
The Twirly は、Jon Yusoff のデザインしたモチーフである。
このモチーフをひたすらつないで最終的には壊れた巨大な六角形にしやうと思つてゐる。

ここに来て、いい加減「六角形を7つつないでできる大きなモチーフ」にこだはるのはやめやうかな、と思つてゐる。
なぜ「六角形を7つつないでできる大きなモチーフ」などと毎回ことはるのか。
それは、もともとは大きい六角形のモチーフをつなぎたかつたからだ。
できれば直径は15cmくらゐはほしい。
あちこち六角形のモチーフをさがして、「これ!」といふものにめぐりあへなかつた。
こぶりのドイリーでもよかつたんだけどなあ。
「いいなあ」と思ふものは例外なく八角形だつた。
だつたら六角形のモチーフをつないで大きいモチーフにすればいいのではあるまいか。
ちやうどそのとき、The Twirly を知つたばかりで、しかも気に入つて何枚も作つてゐたときだつた。
このモチーフだつたら飽きずにつなげ続けることができるかも。
さうしてここまでやつてきた。

しかし、やはり大きいモチーフ1枚の方が小さいモチーフを7枚つなぐよりいいんぢやあるまいか、とも思つてゐる。
糸始末の回数が違ふもの。
大きいモチーフ1枚を1段で作れるのなら、糸の始末は作り始めと作り終はりの最低2回ですむ。
小さいモチーフ7枚だと7倍になる。
大きいモチーフの場合は途中で糸を継いだりすることもあらうから、糸始末は必ずしも最低回数ですむとは限らない。
でも、小さいモチーフだつてひとつ作るうちに途中で糸を継ぐことはあるからね。
できるだけしないやうにはしてゐるけれども。

そんなわけで、現在35枚つないであちこち端糸だらけである。
整形するまでは端糸は切るまいと思つてゐるからだ。
整形してひつぱつたときにせつかく始末した端糸が抜けてしまつたら、もうどうにもならないからね。長ければ針に通して始末のしやうもある。

でもこの端糸どもがイライラの原因にもなつてゐる。
モチーフをつないでゐて、ときにこの端糸が邪魔になるのだ。
時折、「もういいから端糸は全部切つて捨てやうか」と思ふこともある。
が、いまのところなんとか耐へてゐる。

かういふものを作つてゐると、時々白や生成りでなにか作つてみたいなあと思つたりする。
レースといへば白でせう。
年末のモチーフ増産大作戦のときも、いろんな色の糸を使つた。
でも白や生成りは使はなかつた。はがきに貼りつけたとき、白だとなんとなくさみしい感じがする気がしたからだ。

白でなにを作るのか。
それが決まらないので、いつも「なにか作りたい」で終はつてしまふ。
これでいいのか。

ま、いいか。

Monday, 02 February 2015

編んでます Clapotis

Clapotis はぼちぼち進んでゐる。
自分では結構編んでゐるつもりなのだが、思つたほど進まない。
一段に百目以上あるからか。
時に入るねぢり目のせゐか。
或は六目に一度目数リングが入つてゐるからか。

たぶん、一番最後が原因だと思ふ。

全部で三玉あるうちの二玉めも、おそらく残り半分をきつたところだ。
200m近くあると、さすがに編みでがある。
編み地も一玉半にしてはかなり大きい。編んでゐる最中、膝にかけたりするととてもあたたかい。
これもまた小ぶりな膝掛けになるのだらうか。
三玉めに入つたら、即減らし目の段に入るやうだしなあ。

Clapotis は斜めに編み進むマフラーである。
角から編み始めて作り目は二目。そこから毎段編み終はりに増し目をして、増やしていく。
あるところまできたら、表側の編み終はりに増し目、裏側の編み終はりに減らし目をして形を整へていく。
最後はたぶん毎段編み終はりに減らし目をするのだらう。もう覚えてないや。

そんなわけで、両端の長さが長い方と短い方とあつて、短い方の長さだとどうにもならないが、長い方ならなんとか首に一巻きくらゐはできるかな、といふ長さが現在でもある。
短い方も最終的に長い方とおなじ長さになるはずなので、なんとかなるかなあと思つてゐる。

二月になつてしまつた。
この調子だとClapotis は今月いつぱいはかかるかなあ。
さうすると、十玉使ひ切りの方はこの冬中に達成するのは無理かな。
まあ、これもやうすを見るか。

Sunday, 01 February 2015

2015年1月の読書メーター

2015年1月の読書メーター
読んだ本の数:10冊
読んだページ数:3110ページ
ナイス数:19ナイス

三国志演義 (一) (講談社学術文庫)三国志演義 (一) (講談社学術文庫)感想
「哥哥」とか「二叔」とかをそのままにしてゐることに何か意味があるのかなあ。今回は何故か賈詡の動向に付箋を貼りまくつてしまつた。なぜか気になつたのらしい。
読了日:1月6日 著者:
The Hobbit: Illustrated by Alan LeeThe Hobbit: Illustrated by Alan Lee感想
「指輪物語」の日本語にどうしても馴染めなかつたこどものころ、みんなが絶讃してゐる影で「自分はどこかをかしいのかも」と思つてゐた。ある時「もしかしたら原書なら読めるのかも」と手に取つたのがこの本。無理して読んだなあ。最近映画を見て、でも二話目だけ見てゐないので、あらためて読みなほして見たといふ次第。「指輪物語」も読むかなあ。
読了日:1月14日 著者:J.R.R.Tolkien
漢文力 (中公文庫)漢文力 (中公文庫)感想
かつて漢籍の知識は、判断の基準であり物事を見聞きする時の指針であつた。それを失つた時、最低限ギリシャ・ローマの古典を代はりにすればよかつたのに、今の自分はなにも持たない。せめて蝋燭の灯火程度と思ひつつもちびちび漢籍を読むしかないのかなあ。
読了日:1月16日 著者:加藤徹
孤独の価値 (幻冬舎新書)孤独の価値 (幻冬舎新書)感想
仮面ライダーが戦隊もの化してゐるのも、「絆の肥満状態」のせゐなのか知らん。スポンサからの依頼だけではないのかもね。
読了日:1月17日 著者:森博嗣
文体の科学文体の科学感想
「文体は人なり」といふ帯の惹句に惹かれて手にしたのだが、この点では期待はづれ。著者の目指すところはあつて、そこに至るまでの道のり、そして未だ道半ば、といつたところ。そのつづきを期待してゐる。
読了日:1月20日 著者:山本貴光
気になる部分 (白水uブックス)気になる部分 (白水uブックス)感想
会つたことはないはずなのに、絶対自分は岸本さんと酒を酌み交はしたことがある、と思つてしまふ一冊。
読了日:1月21日 著者:岸本佐知子
史記 6 世家 中 新釈漢文大系 (86)史記 6 世家 中 新釈漢文大系 (86)感想
「秦本紀」とか「秦始皇本紀」とかと合はせて読みたくなつてくるが、ひとまづ読了。そのうちあちこち気になるところを読み返しつつ読む、とかやつてみたいのだが、いつになることやら。
読了日:1月25日 著者:吉田賢抗
変革と激動の時代 明・清・近現代 (中国人物伝 第IV巻)変革と激動の時代 明・清・近現代 (中国人物伝 第IV巻)感想
一巻などに比べるとだいぶ世知辛い。「中華民国史」とかどうなるんだらうねえ。「中華人民共和国史」とか。紀伝体なのかなあ。さうだとして、どういふ人物の列伝が立てられるのか。列伝ばかりなのか。ちよつと気になるけど、いづれできあがるころには生きてはゐまい。
読了日:1月25日 著者:井波律子
三国志談義 (文春文庫)三国志談義 (文春文庫)感想
「三国志(演義も含む)」の知識はともかく、俳句や川柳を嗜むわりに「長坂橋は八月だから夏」と云つた舌の根も乾かぬうちに「孔明が死んだのは八月で秋」とか云ふてゐるのはどういふことなの? でもいいの。好きなことについて話すときつて、かういふものなのだと思ふ。読書に「ためになること」を求めてゐる向きには勧めない。読書とは楽しむもの、といふ向きには是非。
読了日:1月27日 著者:安野光雅,半藤一利
The Sign of the FourThe Sign of the Four感想
高校生のころ、「ホームズはコカイン打つんだぜ」と云つたら「ホームズは絶対そんなことはしない!」とか云はれたことを思ひ出しつつ読む。「緋色の研究」ではたるい部分があつたが、こちらではうまく処理されてゐる感じがする。
読了日:1月30日 著者:SirArthurConanDoyle

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