星のフラメンコ
MindMap、結構好きなんだよね。
好きなんだけど、といふことが、世の中にはままある。
たとへば、MindMapの周辺についてはあまり近寄りたくないかなあと思つてゐる。
なんとなく宗教のやうな感じがするからである。
これつて、「TDD is dead. Long live testing.」とちよつと似てるかもしれない。
トニー・ブザンがどう考へてゐるかはわからない。でも、MindMap愛好家(とでもいふのだらうか)つて、「マインドマップとは、かうでなければならない!」といふやうなことを声高に云ふところがある。
なんていふのかな、「教義絶対」みたやうな感じ。
「TDD is dead. Long live testing.」で、David H. Hansson がテスト駆動開発についておなじやうなことを云つてゐる。
教義に従はないものは異端、みたやうな、そんな論調がまかりとほつてゐる、と。
さういふのつて、なんとなく近寄り難いぢやない。
また、これはトニー・ブザンもさうなんだけれども、「マインドマップを使へばなんでもうまくいくよ!」みたやうな論調にもついていけない。
これもまた宗教じみた意見のやうに思はれる。
もしかしたら、ほんたうにそのとほりなのかもしれない。
マインドマップを使つたら、なにもかもうまくいく。そんなことが実際にあるのかもしれない。
でもなあ、そんなに大風呂敷を広げる必要ないのに、と思つてしまふんだよなあ。
MindMapがすばらしいものだつていふことを、そんな風に喧伝することはないのに。
これだけ文句を云ひつつも、やつがれは結構MindMapが好きだ。
なにしろ書いてゐて楽しい。
うまく書けなくてイラつくこともあるけれど、まあ、そこはそれ、だ。
あと、色をいろいろ使つたりとか絵を描いたりするのが面倒くさいこともあるけれど、そんなのはあとからやつてもいい。
色をつけたり絵を描いたりしてゐるあひだに、書かうと思つてゐたことを忘れちやふときがあるんだよね。それで面倒くさくなる。
でも、大きな白い紙の真ん中から思ひついたことをどんどん書いていくと、壮快な気分になる。
MindMapの肝はそこなんぢやないかな。
なにも書かれてゐない真つ白な紙に、思ひついたままあれこれを書き連ねていく。
ほかの手法だとかういふのつてないんだよね。だいたい左上とか右上とかから順番にうめていくやうになるんぢやあるまいか。
やつがれの問題は、さうやつてMindMapを作つても作りつぱなしにしてしまふことだ。
思ひついたことはどんどん書き出せるけど、それを収束させることができない。
MindMapつて、ただ放射線状にあれこれ書き出していくだけぢゃダメなのだ。そこから集約させていかないと、あまり意味がない。
そこのところまで教へてくれるやうなMindMap本つてあんまりない気がする。
そんなことには自分で気づけよ、といふことなのだらうか。
さうなのかもしれない。
そして、集約の作業にMindMapが向いてゐるのかどうか、そこのところも実はちよつと謎だ。
そんなわけで、MindMapにはその周辺のことも含めて、「なんだかなー」と思ふことも多い。
でも、書いてて楽しければいいぢやない、とも思つてゐる。
そんなことを云ひながらあまりMindMapを書く機会といふのはない。
大きい紙を広げるスペースがなかなかないからだな。
そんなわけで、今年はちよつと意識的にMindMap的なものを書いてみやうかと思つてゐる。
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