久しぶりのほぼ日手帳
先月から久しぶりにほぼ日手帳を使つてゐる。
これがなんとなくいい感じだ。
去年はほぼ日手帳をうまく使ふことができなかつた。
それまでほぼ日手帳に書いてゐたことを三年手帳に書くことになつてしまつたからだ、といふ話は以前書いてゐる。
今年は毎日何時間寝たとか何時間働いたとかいふ情報をほぼ日手帳に書き込むやうにしてゐる。
書き込む、といふか、縦軸の時間のところを寝た時間はデルフトブルー、働いた時間はプルシャンブルーなどと塗り分けてゐる。
これが案外いい。
一日になににどれくらゐ時間がかかつてゐて、空いてゐる時間がどれくらゐあるのかすぐわかる。
ほんたうはほぼ日手帳カズンにして徹底的に一日の計画をたてたいところだが、如何せん、カズンはデカい。
ひとまづはほぼ日手帳に書いてみて、それでやつぱり足りないといふことになつたら来年はカズンかな。四月からカズンといふ手もあるか。
ほぼ日手帳のいいところはそれだけではない。
なんといふか、佇まひがいい。
ぱたんと平らに開く感じとか、文庫サイズといふ大きさ、厚さや紙の書き味など、どれも好みにあつてゐる。
また、カヴァにペンをさせるから、さつと取り出してぱつと書けるしね。
去年中断するまで9冊のほぼ日手帳を使つてきたけれど、使ひつづけられるだけの理由があつたんだな。
以前書いたとほり、今年はMOTHER2のカヴァをかけてゐる。
ナイロンのカヴァは久しぶりだ。
一昨々年だつたか、ヌメ革のカヴァを買つて、それを使つてきた。一昨年の終はりにカンダミサコの文庫サイズ手帳用カヴァを買つて、それ以降はそれを使つてゐた。
久しぶりにナイロンのカヴァについてきたカヴァ・オン・カヴァには、いろいろと改良がほどこされてゐてとてもよい。
たとへば裏表紙部分にポケットが増えてゐる、とかね。以前はカヴァ・オン・カヴァをかけたら裏表紙部分のポケットが使へなくなつてしまつてゐた。これはちよつといいぞ。
ただ、MOHTER2のカヴァが気に入つて買つたので、裏表紙のポケットを使つてしまふと絵が隠れてしまふのが難点だ。ここはまあ仕方がない。
ほぼ日手帳のいいところは「なんとなく」といふところだと思ふ。
なんとなく、いいのだ。
以前も書いたけれど、Moleskineつて、なんだかものすごく使ふのに気力が必要な気がする。
実際はそんなことはないのだけれど、Moleskine本に紹介されてゐるノートや展覧会などで展示されてゐるノートを見ると、これでもかといふくらゐにノートいっぱいに貼り込みや描き込みがあつて、さうでないと使つてはいけないやうな気分になつてくる。
なんていふのかなあ、逃げ場がない感じ。
もつとゆるい感じで紹介してくれればいいのに、といつも思ふ。
あれかな、Moleskineを愛用してゐる人々は、Moleskineを自分たちだけのものにしたいのかもしれない。
ゆるい感じで使ひたいといふ人々なんて寄せ付けたくない。
さう思つてゐるんぢやないかなあ。
さう思はれてならない気がする。
まあ、かく云ふやつがれはそんなMoleskineをゆるく使つてゐる一人だけれどもね。
でもやつがれのMoleskineを人が見たら、やはり逃げ場がない気がしてしまふかもしれない。
なぜといつてやつがれのMoleskineは一ページまるまる字でみつしり埋め尽くされてゐるからね。やつがれ自身はこれを「ゆるい使ひ方」だと思つてゐるんだけれどもね。マスキングテープなどはいっさい使はないし、絵も描かなければ図も描かない。ひたすら字、字、字のノートである。
ほぼ日手帳は違ふんだよね。
なんにも書いてゐない、白紙のページがあつてもいい。
さういふスタンスだと思ふ。
実際はほぼ日手帳にもMoleskineに負けず劣らず逃げ場のないやうな使ひ方をしてゐる人も多い。毎ページすばらしいイラストで埋め尽くしてゐる、とか、いろいろ貼り込んでゐる、とかね。
でも、その一方ですかすかつとした使ひ方も提示してゐる。
そこがほぼ日手帳のよさだと思ふんだなあ。
まあ、そのほぼ日手帳もひたすら字、字、字ばかりなんだけどね、やつがれの場合は。
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