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Friday, 30 January 2015

「三国志談義」を読む

先日、「三国志談義」を読んだ。
安野光雅と半藤一利との「三国志(演義)」を題材にした対談集である。
帯の惹句に「三国志キャリア六十余年」とあつて、「六十有余年」の方が三国志つぽいのに、と思つた。
「三国志」でも普通に「何十余年」とはあるけれど、さだまさしの「まっさん版三国志英雄伝」で、関羽が「二十有余年」つていふ場面があるんだよね。そのせゐだと思ふ。

内容については、「目新しい情報はなにもない」であるとか、「正しくない点が多い」などとくさしてゐる向きもある。
「三国志(演義)」についてはさほどの知識はないやつがれでも、「長阪橋の戦ひは八月だから夏」とある数ページ後に「孔明が死んだのは八月で秋」といふてゐるのを見ると、「この人たち、俳句も川柳もやるといふのに……」と思つてしまふ。
一月から三月は春、四月から六月が夏、七月から九月が秋、十月から十二月が冬、だよね。すくなくとも当時は。「史記」なんかでもさうなつてゐるし、蘇軾の「赤壁賦」も出だしは「壬戌之秋七月既望」だ。

それでもなほ、この本は読んでゐて楽しい。
好きなことについて、おなじものを愛好する相手と楽しく語らふ。
さうすると、こんな風になるんだらうなあ。
さう思ふ。

多少は与太話になつてもいいのである。
だつて楽しいんだもの。

世の中、好きなものについては詳しくないといけない、といふ風潮がある。
詳しいといつても少々のことではダメで、ものすごーく詳しくないと許されない。
そんな気がする。
そんな気がするといふことは、やつがれ自身が「好きなことについては詳しくなくてはいけない」と思ひこんでゐるのだらう。

でも、別に、好きなことに詳しくある必要はないのだ。
云ふことが必ず正確である必要もない。
楽しければそれでいいぢやんよ。

そんなわけで、今後はさういふスタンスで行きたい。

……いまでもさういふスタンスか。

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Thursday, 29 January 2015

云ふべきか云はざるべきか

好きなことは公言すべきなのだらうか。

先月、「忠臣蔵でござる」に行つてきた。
柳亭市馬と春風亭昇太とを忠臣もとい中心に、その他ゲストの噺家などが出てきて落語をやつたりちよつとした鹿芝居をしたりするイヴェントである。ここのところ毎年のやうに開催されてゐる。
一番盛り上がるのは市馬による「俵星玄蕃」なのだが、それはおく。

先月の「忠臣蔵でござる」で、昇太がマクラにそんな話をしたのだつた。
「好きなことを公言してゐると、実現する」みたやうな話を。

春風亭昇太といへば城好きで有名で、ゆゑに城絡みの仕事などもしてゐる。
また城好きの一環か、鎧も好きで一度は着てみたいと思つてゐたのださうだ。
「鎧を着てみたい」とあちこちで喋つてゐたところ、大河ドラマ出演の話があり、それで去年の「軍師官兵衛」への出演とあひなつたのらしい。

昇太は熱海五郎一座で芝居に出てゐるといふ。ゆゑに演技には問題もなかつたのだらう。見てないからわからないけれども。
そんなこんなで、夢がかなつた。
それもこれも、好きなことを公言してゐるからだ。
そんな話だつた。

なるほど、やつがれの夢、といふと大げさだが、やつてみたいことその他が実現しないのは、公言しないからなのかもしれない。
あれが好き、これがやりたい、といふやうなことをあまり云はない。
云ふとしたら、確かに好きだしやつてはみたいと思ふけれども、自分の中ではそんなに優先順位の高いものではないことが多い。
といふか、そんなことばかりだ。
ほんたうに好きなものややりたいことについてなんて、早々口に出せるか。

さう思つてゐる。

それに、先週も書いたやうに、自分の好きなことは例外なく「くだらない」と思つてきたからね。
そんなくだらないことを他人様にお聞かせするつて、それはどうよ。
さうも思ふ。
くだらないから一所懸命にもなれない。

云ひ訳か。
それはさうだな。

それに、「公言すると実現するから」といふので他人様にふれてまはるやうになつたら、あさましくはあるまいか。
あさましい。
どう考へてもあさましい。
昨今「あさましい」なんぞといふことばも滅多に耳にしなくなつたが、これは明らかにあさましいことである。

などといつて黙つてゐたら、いざ死ぬ段になつて、「あー、もつとあれが好きこれをしたいと云つておくのだつたなー」などと思ふかもしれない。
そのときの後悔よりも、いまはあさましさに耐へるべきか。
如何。

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Wednesday, 28 January 2015

その後の早寝早起き

毎朝六時半起床の生活は、すでに破綻してゐる。
この週末の起床時間は、土曜日が七時、日曜日が八時半だつた。

今年全体の目標としては、「睡眠時間優先」だから起床時間を守る必要はない。
起床時間を一定にした方が、「睡眠時間優先」といふ目標を達成しやすいのではないか。さう考へてしてゐる。うまくいかないのだつたらやめるつもりである。

七時、八時半とは書いたものの、やはり六時半前後には自然と一度目が覚める。
いまの時期、この時間に目が覚めても外が暗いのが難だ。
これで明るかつたら、もうちよつと起きやすいのではないかといふ気がしてゐる。

先日は、早寝早起きの生活をはじめて困つた点について書いた。
このときは、忘れものが増えた、と書いた。
これは、ARTIZAN&ARTIST のウェストバッグをバッグ・イン・バッグにするこるとによつてだいぶ防げるやうになつた。
この中に入らないものとか入れたくないものもあるので、その点では注意が必要だが、まあ、いい感じなんぢやないかな。
もつと小さいかばんを持つときには、このウェストバッグの中身を全部入れればいいといつた感じだしね。

もうひとつ困つたことは、ノートに向かつてゐる時間がない、といふことだ。
これまでの暮らしと比べてなにが一番滞つてゐるかといふと、そこなんだな。
手帳への書き込みが激減してゐる。
ただし、これは早寝早起きのせゐだけとも限らない。
単にいまあまり書きたくない気分なだけなのかもしれない。
もうちよつと様子を見る必要がある。

では、いいことはなにかないのか。
これまた、早寝早起きのおかげとは云ひきれないことなのだが、週末などにちよつとした片づけをするやうになつた。
我が家に必要なのは大々的な片づけなのだが、それはさておき。
先月は「大掃除」と称してちよこつと片づけをしただけで、それも「やらねば」といふのでやつた。
ここ二週間ほど週末に「あ、ここ、ちよつと片づけなきや」といふので、ちよつとした片づけをしたりしてゐる。
早寝早起きのおかげ、とは断言できないが、朝これまでより早く目が覚めるので、気持ちに余裕ができて、それで片づけをしやうといふ気になるのぢやあるまいか。
さう考へてゐる。

もうひとつ、これも早寝早起きのおかげかどうかはわからないが、本を読むやうになつた。
少なくとも先月よりは読んでゐる。
「史記」などは明らかに先月よりも調子よく読めてゐる。
これも、たまたま読む気になつてゐるだけ、といふ可能性も高いんだよなあ。

こどものころは宵つ張りの朝寝坊だつた。
「こんなぢや幼稚園に通へないよ」と親から脅されたものだつた。
いまでも覚えてゐる。
家族でおなじ部屋に寝てゐて、真つ暗な中、自分ひとりだけが目覚めてゐた。
眠れないのである。
朝寝坊なのだから当然のことだつたかもしれない。
それとも夢だつたのかな。
ひとりだけ眠れないといふ夢を見てゐた可能性はある。
でも朝寝坊だつたのは夢ではない。
だとするならば、宵つ張りであつてもふしぎなことはない。

感覚的に云ふと、七時半くらゐに起きた方が躰が楽な気がする。
いつそ、七時半にしやうかと思ふこともある。
そこらへんの落としどころがうまく見つからないんだよなあ。

そもそも、早寝早起きつて、やつぱりいいものなんだらうか。
それとも、大したことないのかな。
早寝早起きよりは規則正しい生活?

とりあへず、毎日眠たいといふことには変はりがない。

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Tuesday, 27 January 2015

進めどやる気の問題が

The Twirly をつなぐプロジェクトは、先週末に35枚めを作りはじめ、現在最後の一角部分に向かはうとしてゐるところである。
今週中には、大きな六角形が7枚つながるだらう。

くどいやうだが、一応説明しておく。
The Twirly は、Jon Yusoff のデザインした六角形のモチーフである。
これを7枚つないで大きい六角形にしたものを、さらに何枚もつないでいかう、といふのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」だ。

一番下の段には大きい六角形を3枚つないだ。
次の段には4枚、その上の段には5枚つなぐつもりでゐる。
最終的にはちよつと壊れた巨大な六角形になる予定だ。

などと書きながら、実はちよつと飽きてきたかなあ、といふ気もする。
以前も書いたやうに The Twirly 自体は飽きのこないモチーフである。
タティングシャトルを二つ使ふし、いい感じでスプリットリングが途中に入つてゐて、楽しく結ぶことができるのだ。

シャトルの二つ使ひは実は苦手だ。
使つてゐない方のシャトルが邪魔になるときがあるからだ。
でも、The Twirly ではうまく使へてゐる。なんだらう、シャトルがいいのかな。シャトルは Aerlit を二つ使つてゐる。

スプリットリングにもだいぶ慣れてきた。
ときどきリングひとつ分入るくらゐなら、大歓迎である。

そんなわけで、去年は楽しくつなげてきた。
十一月からモチーフ増産大作戦に入つて、つなぐプロジェクトを休んでゐるあひだに、ちよつと心変はりしたのかもしれない。

年に二回くらゐ訪れる「ドイリーを作りたい」病が来てしまつた、といふのもある。
ドイリーなんて作つても使はないのにねえ、とは、毎度書いてゐるとほりだ。
でも、ドイリーを作るとなんとなく「レースを作つてゐる!」といふ満足感を得られるぢやあありませんか。
と、これも毎度書いてゐるとほりだ。

どうせ大きいものを作るのなら、レース作り心を充足できるドイリー作りの方が、「壊れた巨大な六角形」を作るよりもいいのではあるまいか。
そんな気もする。

でも、おそらく、タティングレースではこの「壊れた巨大な六角形」を作つたことがある人は、そんなにゐないと思ふんだよね。
さう思ふと、このままつなぐプロジェクトをつづけるかなあ、といふ気にもなる。

いづれにせよ、ドイリーを作るとしても「どのドイリーを作るか」を決めるところからはじめなければならない。
そのあひだにせつせと The Twirly をつなぎつづけるかね。
病はそのうち癒えることもあるだらうし。

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Monday, 26 January 2015

Clapotis ふたたび

Clapotis をまた編んでゐる。

Clapotis は、Knitty の2004年秋号に公開されたマフラーである。
かなり巨大なので「マフラー」といふのもどうかとは思ふが、説明には「scarf」とあるので、まあ、マフラーだらう。
clapotis とは「重複波」とか「停止波」のことなのださうである。
「重複波」や「停止波」がなんのことなのかは訊かないやうに。

2005年の5月ごろ、Clapotisを編んでゐた。
ダイヤミュゼファインで編んだ。中細といふか合細くらゐの毛糸である。針は三号を使つた。
編み方には毛絹混紡の並太ていどの糸が指定されてゐるのだが、細い糸で編んだものもなかなかかよつた。
途中、一目づつ全段まるごと目を落としながら編む。これが伸縮性を生む。
くしやつと縮めても使へるし、大きく広げて使ふこともできる。

そんなわけで、初代 Clapotis は結構重宝したのだつた。
その後、ネックウォーマといふか cowl といふか、輪になつた巻物を愛するやうになつて、あまり使はなくなつた。

今回は、イェガーのラクジュアリー・ツイードを使つて編んでゐる。
先日書いた、「廃番になつたから使へなくなつた毛糸」である。
でもどうしても使ひたかつたんだな。
このまま在庫の下の方に埋もれさせておくには惜しい糸だし。

そんなわけで、編み始めたのが先週の月曜日である。
針は七号を使つてゐる。クロバーの匠で、これが糸との相性がよい。ちよつと滑りすぎるかもと思はないでもないが、するすると編める。

問題は、手元に毛糸が三玉しかないことだ。
Jaeger の Luxury Tweed は、一玉50gで190mくらゐあるとラベルにはある。
それだけあれば、三玉でなんとかなるだらう。
さう思つたんだが。

なにも考へずに編み方のとほりに編んでみたらばこは如何に。
……なんか、毛糸が足りなくなりさうなんだけれども。

毛糸が少ない場合は、くり返しを減らせばいい。
しかし、Luxury Tweed はモヘアなど入つてゐない(はず)なのにやたらともけもけとした糸である。
ほどかうとすると、糸から出た毛同士が絡み合つてなかなかほどけない。

と、いひわけをしつつ、編み方どほり増やし目してしまつた。
ほぼ一玉使ひきつた感じだ。
残り二玉。うち一玉は最後の減らし目の部分にほぼ全部使ふとして、本体部分は一玉しかない。

無理だろ、それは。

無理だろ、と思ひつつ、「この場合、どんな形のものができあがるのだらうか」といふので、つひ、編みすすめてしまつてゐる。
「どんな形」もなにも、ひどく短いマフラーもどきができるのは目に見えてゐる。
でも、それつて使へないのか知らん。
案外うまい具合に使へたりするんぢやないか知らん。

そんな感じで、昨日、最初の落とし目(つていふのかね?)をしたところだ。
モヘアのやうな糸だから、なかなか落ちていつてくれないが、そこはまあそれ、だ。

ほぼ六目に一度目数リングが入つてゐて、編みづらいやうに思ふてゐたが、それほどでもない。
この冬はこれと、あと十玉一パックで安く買つた並太毛糸を使ひきれたらな、と思つてゐる。

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Friday, 23 January 2015

くだらん、実にくだらん

長いこと、自分の好きなことはすべて「くだらないこと」だと思つてゐた。

去年、意識してさう考へないやうにしてみた。
してみた、とは書いてみたものの、ここまで生きてきてずつと「自分の好きなことは「くだらないこと」だ」と思つてきたわけだ。なかなか意識の転換はできない。

自分が好きなことはくだらないこと、と考へるのは、それほど悪いことではない。
問題なのは、「他人の好きなことも「くだらないこと」だ」と考へてしまふことだ。
考へてしまふ、といふか、考へるまでもなくさう思つてしまふ。
他人の好きなことを尊重できなくなつてしまふのだ。

たとへば、ここにあるアイドルのことが大好きな友人がゐるとする。
その友人が「これまでずつと応援してきたそのアイドルが結婚してしまふ」と嘆いてゐるとしやう。
さうすると、やつがれは自然に「そんなくだらないこと」と思つてしまふのである。

まあ、思つてしまふのは個人の自由かもしれない。
でもそれつて、なんかよくないよね。
だいたい思ふといふことは、態度にも出てしまふ可能性が高い。
可能性が高いぢやなくて、出てるんぢやないかな。

自分の好きなことはくだらないこと、と考へる所以は、こどものころから親にさう云はれて育つたからである。
「またそんなくだらないことして」としよつ中云はれてきた。
なにをしてもさうだつた。
読書にしてもさうで、「またそんなつまらないもの読んで」と云はれてしまふ。
あとに続くことばは、「早く寝なさい」か「外に遊びに行きなさい」か「早くかたづけなさい」か、とにかくさうしたことだ。
親の意にそまぬことはすべて「くだらないこと」だつたんだらう。
ゆゑに、一日の中でくだらなくないことをしてゐる時間といふのは、職場にゐる(「働いてゐる」とはいはない)時間だけだ。
あ、あと友人と会ふとき、かな。母は友人と出かけるといふと喜んでゐたからな。

そんなわけで、あみものもくだらなければ、タティングレースもくだらない。紡ぎもさうなら芝居見物もさうだ。渋谷行きに飯田行き? くだらないことの極地だらう?
ゆゑにせつせと「隙あらばヒカリエ」とかやつてゐる自分は、ほんたうにいつたいなにをくだらないことをしてゐるのだ、といふ感じだ。
芝居見物にしてもさうだな。なにを毎月毎月歌舞伎座くんだりまで出かけていくのか。実にくだらん。

さういへば、岸田今日子の「ムーミン」にそんな人といふか麝香鼠がゐたね。なにかといふと「くだらん」とかいふ。あれは原作にもゐるのだらうか。

それを、極力「くだらなくない」「くだらなくない」と心の中で唱へつづけたのが去年のことである。
その成果はあつたのだらうか。
実のところはよくわからない。
とりあへず、誰かに何かが好きでねえと云はれても、「くだらない」と思はないやうにしやうとするやうにはなつた、と日記には書いておかう。

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Thursday, 22 January 2015

なんとなくそんな気がする

「保元物語」や「平治物語」では、「千古稀代の名軍師」といふと張良である。
至極当然のことかと思はれる。

時代は下つて近松門左衛門の「国姓爺合戦」の甘輝のセリフに日中の名軍師を三人づつ並べたセリフがあつて、そこには張子房は出てこない。

「保元物語」や「平治物語」が書かれたのはいつだかわからない。どんなに早くても1200年といつたところか。書かれたのがさうなら巷で語られるやうになつたのはもう少し前だらう。
そこから近松までおよそ500年。
そのあひだに、本邦では張子房は「千古稀代の名軍師」の座から姿を消してしまつた。

杜甫といへば「詩聖」と呼ばれる詩人である。
しかし、死後しばらくは、それほど評価されてゐなかつたといふ。
白居易なんかは杜甫を高く評価してゐたといふけれどもね。当時はわかる人にはわかる、といふ感じだつたのかもしれない。

唐が滅亡してすつたもんだあつて後北宋になつても、杜甫のことをかはない人もゐたといふ。
まあ、そんな人はいつの時代にもゐるか。
「杜甫? 好かねぇなあ」とか。
正直なところ、やつがれも時々杜甫にはまゐつてしまふことがある。
なにしろ、暗い。
憂ひが強い。
春にうつくしく咲いた桜の花を見て「この花を見られるのもあと何年だらう」とか考へてしまふ向きには、杜甫はおすすめしない。
いや、むしろすすめるべきなのだらうか。
さういふ人の心性にこそ、杜甫はあふのかもしれない。
あひ過ぎて、ときにたまらない気分になる。
さういふ感じなのかも。

杜甫の詩人としての評価が安定するのは、明に入つてからなんではあるまいか。
元がどうなのかはわからないが、南宋あたりから徐々に「杜甫、いいぢやん」みたやうな気運(?)がたかまつていつたんぢやないかな。

研究してゐるわけでもないし、ちやんと文献にあたつて調べたわけでもないけれど、なんとなくそんな気がする。

そして、杜甫の詩人としての評価が高くなるのと、諸葛亮が「千古稀代の名軍師」と見なされるやうになるのとは、ほぼ同時期なんぢやあるまいか。

全然関係ないことだし、まつたく見当違ひなことかもしれないけれど、なんとなくそんな気がする。
なんとなくさうなんぢやないかなー、と思つてゐて、そのうちなんとなく解決するといいなあ、と思つてゐる。

「平治物語」には「死せる孔明生ける仲達を走らす」を引用した箇所がある。
この時点ではすでに「孔明」だつたわけだ。「世説新語」だと「諸葛」になつてゐたりする。
ものごとは時々刻々と変化してゐる。

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Wednesday, 21 January 2015

控へめに

三年前の夏以降、「隙あらばヒカリエ」な生活をつづけてきた。
ヒカリエと書いたが、行く先は川本喜八郎人形ギャラリーである。
ついでにがま口を見たり手ぬぐひを見たりメガネを見たりもするけれど、それはあくまでもついでだ。
時間に余裕のないときは、とにかく8Fを目指す。そして帰る。

どれくらゐ「隙あらば」だつたのかといふと、都心に用事のあるときにはほぼ必ず寄つてゐた。都心といつて、おもに山手線・丸の内線・銀座線で行ける範囲、かな。
唯一行かないのは、歌舞伎座の昼夜通しのときくらゐで、これはもちろん時間がないからである。

平日も、行けるときには行つてゐた。
とくに前回の展示のときは、まとまつた時間がなかなか取れず、ほんたうに隙間時間にちよこちよこ行くくらゐだつた。

今年は、「隙あらばヒカリエ」はチト改めやうかと思つてゐた。
去年の段階ではすくなくともさう考へてゐた。
ちよつと行き過ぎだと思ふんだよね。
毎日通つてゐる人の足下にはとうてい及ばない。
しかし、ところは渋谷である。
渋谷・新宿・池袋は、乗り換へでさへ降りたくない駅の筆頭だつた。
とにかく人が多いからである。
とくに渋谷はいけない。
新宿と池袋とには駅のそばに大きい本屋があるけれど、渋谷にはない。
東急文化会館のころには三省堂が入つてゐたのになあ、といつも思つてしまふ。
大盛堂も昔とは変はつてしまつたし、旭屋書店もいつのまにかなくなつてゐた。
東急本店は遠い。
さういへば、つい最近なにかと話題になつた紀伊国屋は近いのかな。行つたことがない。
なにしろ、渋谷駅周辺はダンジョンだ。時間のないときにうろちよろできる街ではなくなつてしまつた。

それに、なんといふか、依存しすぎな気がするんだよね。
いつのまにか、「あつて当たり前」な存在になつてゐる。
渋谷区の意向次第ではいつなくなつても不思議ぢやあない。
さう思ふやうにしてゐるのだが、しよつ中行つてゐるとそんなことも忘れてしまふんだよなあ。
さう思ふことが去年あつた。
行つたら、ギャラリーが閉まつてゐたのである。
とくに閉館予定のない日だつた。
着いたのも開館時間内だつた。
閉館のお知らせなどはギャラリー入り口にも出てゐなかつた。

かういふことがあるんだな。
勇んで会ひに来てみても、会へないときもある。

なにかしら理由があつて(或はなかつたとしても)閉館してゐたのだとは思ふが、あれは衝撃であつた。
かういふこともある。
肝に銘じることにした。

こんなことでショックを受けてゐるやうではいけない。
それには「隙あらばヒカリエ」を改めるしかないのではないか。
さう思つたんだな。

さう思つて、とりあへず今年はまだ三回しか行つてゐない。
今回の展示は、やはり義経、だらうか。
粗末(とはいへ義経なので、色味とかはなんとなく華やか)な衣装で袴はちよつとたくしあげてゐて、足下だけ女物の下駄、といふのがなんとも色つぽくていい。
白い素足に赤い鼻緒が栄える、とは、以前も書いたとほりである。
またその下駄の前に脱いである草鞋の履き古した感じがたまらない。
今回の義経は、自分の名をかたつてつかまつた源行宗の身柄について談判するために平時忠のもとを訪れて辞すところ、なのだと思ふ。ゆゑに題名も「二人義経」なのだらう。
説明にも書いてあるとほり、時忠は義経を亡き者にしやうと謀る一方で、義経のことをにくからず思つてゐる。
時忠の娘の夕花は、義経のことを好ましく思ひ、その命を助けやうとして、女物の衣類と下駄とを与へる。これでdisguiseしろ、といふわけだね。

展示では、夕花は義経を見上げてふんはりと微笑んでゐるやうに見える。
一方の義経は、顔は夕花には向けず、どこかよそを見てゐる。はぢらつてゐるわけでもなささうだ。この先待ちかまへてゐる未来に思ひをはせてゐる。そんなやうすに見受けられる。

行く回数は減らして、その分じつくり見る。
できればさうしたい。

今回の展示は義経、とか書いておいてなんだが、義仲も頼朝もイカしてるし。
仲綱・兼綱を見下ろす以仁王と頼政の表情もいい。
妹尾のダンディさは歌舞伎の「悛寛」に慣れた身には毎回うなるしね。
お正月限定でギャラリー外のケースにゐた妓王もよかつたな。以前展示でゐたときには、頭のなかはまつ白といつたやうすで佇んでゐたけれど、今回はとどかぬ思ひに宙を見上げてゐる、といつた感じでとても可憐だつた。
もちろん、いつもの義高と大姫も切なくてよい。

などと書いてゐると、やはり今年も「隙あらばヒカリエ」なのかなあ、といふ気がしてくるのであつた。

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Tuesday, 20 January 2015

プロジェクト再開

The Twirly をつなぐプロジェクトを昨日から再開した。

再開した、といつても、まづは「この先どうつなぐはずだつたか」を探るところからだ。
以前も書いたやうに、六角形をつなぐのにちよつと面倒なつなぎ方にしてしまつた。辺と辺とをつなぐやうにしておけばこんな苦労はしなかつたのに、角と角とをつなぐやうにしてしまつたために、混乱をきたしてゐる。
ご名答。図形問題にはひどく弱い。

そんなわけで、あちこち確認しつつ、少しづつリングを作つたりチェインを作つたりしてゐる。

久しぶりの「つなぐプロジェクト」はなんだか新鮮だ。
ここ二ヶ月ばかりひたすらモチーフばかり作つてゐた。
できあがるのは、小さなものばかりだ。
「こんな大きなものも作つてゐたんだねえ」と感慨深い。
二ヶ月前まで自分でやつてゐたことなのにね。

The Twirly は何度か書いてゐるやうに、Jon Yusoffのデザインしたモチーフである。
ひとつひとつはモチーフで、それをつなぐと巨大になる。
「巨大」は云ひ過ぎか。
つなぐと大きくなる。
やつがれはモチーフつなぎは苦手だ。
とくにかぎ針編みはいけない。
やたらと糸端ができるからである。
それをひとつひとつ始末しないといけない。
「できあがつた!」と思つても、全然できあがつてなどゐない。
モチーフをひとつ作るたびに糸端の始末をするといふ手もあるけれど、それだと編みの興がそがれてしまふ。
などと書きながら、ここのところずつと「かぎ針編みのモチーフつなぎがしたい。アイリッシュ・クロシェ風のモチーフで」と思つてゐる。なかなか「これ!」といふ毛糸がないのではじめられずにゐるだけだ。イェガーのマッチメイカー4plyさへあればねえ。いや、ないことはないのだけれども。

閑話休題。
たぶん、「あみものが好き」といふのは、本来とじやはぎ、糸端の始末、整形なども含めてすべてが好き、といふ状態をさすのだらう。
つまり、やつがれはあみものなど好きではない。
単に針を持つて糸をひねくるのが好き、といふだけに過ぎない。
さう思ふ。

タティングレースはもつと糸端の始末が骨である。
レース糸といふのがまづいけない。
毛糸だと、端糸はちよつとくぐらせれば毛が絡んでほつれにくくなる。
綿や麻、絹のレース糸だとかうはいかない。
うまいことくぐらせないとすぐ糸端が浮いてきてしまふ。結果、ほつれたりする。

タティングをするときは、端糸は始末しながら結ぶやうにしてゐる。結びはじめに端糸を芯糸と一緒にスティッチの中にいれてしまふのだ。
さもなければ Magic Thread だ。
これでだいぶ糸端の始末は軽減されるやうに思ふ。
The Twirly をつなぐプロジェクトでも同様だ。
始末した糸端は、まだモチーフにつながつたままだから、完全に始末したとはいへないがな。
糸端を切るのは整形してのち、と思つてゐる。

二ヶ月もたつと、手が全然変はつてゐる。
たくさん作つてゐたころは、もつと手がゆるかつた。
昨日ちよつと結んでみたら、なんだか異様に手がきつい。
手がきついといふよりは、リングの場合、芯糸をきつく引きすぎる。
余裕がないのかなあ。
そんな気がする。

昼休みのあまつた時間にちよこちよこと結ぶだけなので、なかなか進まないが、ま、やることがあるといふのはよいことだ。

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Monday, 19 January 2015

GAP-static Cowl 完成

GAP-static Cowl を編み終はつた。
編み終へた感想は、「これ、ほんとに使ふのか?」だつた。

GAP-static cowl

なにしろ、ゴツい。
Rowan の Big Wool を9mmの針で鹿の子編みにしてゐる。
しかも、長い。
したがつて首に巻くときは二重にするやうだから、「八方隙無し!」といつた趣になる。
二重にした分をフード代はりに頭からかぶることもできる。
極寒の地向けなんではあるまいかと思ふほどだ。

NHKのテレビドイツ語講座に勝村政信が出てゐたとき、ドイツの女の子ふたりがハンブルクを歩いて回るといふヴィデオを流してゐた。町で会つた人と交はした会話の中に、その日のキーセンテンスが入つてゐる、といふ寸法である。
このとき、ふたりともゴッツいネックウォーマをしてたんだよね。
それこそ、GAP-static Cowl のやうなのを、ぐるぐる二重巻きにしたり、一重のままで長くだらんと垂らしたりしてゐた。

さうか、GAP-static Cowl ができあがつたといふことは、ハンブルクに行け、といふ神の啓示か。

冗談はさておき、この cowl は編むのも相当大変だつた。
超極太の糸を超極太の針で編む。
手の動く範囲は、細い糸を細い針で編むのとは比べものにならないくらゐ大きくなる。
ゆゑに、一目編むのにも時間がかかる。
編んでも編んでも終はらない。
この cowl を編むことにしたのは間違ひだつたのでは、と思ふくらゐ進まなかつた。

作り目は指で作る普通の作り目が指定されてゐるが、それだと糸端をどれくらゐとつておいたらよいのか見当がつかなかつたので、針に編みつける作り目にした。
目数の多い作り目のときは毛糸だまをふたつ使ふとよいのだが、今回その手はとらなかつた。
理由? 糸端の始末が増えるから、かな。

GAP-static cowl 自体は、以前から編みたいと思つてゐた。
Ravelry の queue にこそ入つてはゐないが、編み方をダウンロードしてあつた。
どこが気に入つたのか。
鹿の子編みのところ、かなあ。
鹿の子編みは好きだ。
あの裏メリヤス編みのぼこつとした点が斜めに連なつてゐるやうすがたまらない。
デビー・ブリスの作品によくあつたよね、鹿の子編み。
整然としてゐて、しかし斜めの模様、といふのがやつがれの好みに合ふ。

問題は、きれいに編まないと斜めの模様が浮き上がらない点だ。
今回、やつがれにしては斜めに模様が浮き上がるやうに編めてゐる。ただ、糸がツートンカラーなので、ぱつと見た感じだと斜めの線が見えないんだよなあ。残念。

指定では幅40cm弱になるところだが、毛糸が足りずに30cm弱になつてしまつた。長さをもつと減らすのだつたかな、と思つたが、まあ、これはこれでよしとしたい。
ほんとは40cmくらゐあると、肩掛けとしてもよささうなんだけどね。

ゴツすぎて使ひ道がないよなあと途方に暮れてゐた昨夜、天気予報を見てゐたら、明日の朝は氷点下まで気温が下がるなどと云つてゐる。
しかも、日中はあたたかいけれど、夜はまた冷える、とも云つてゐた。
これはもしかして、GAP-static cowl を試してみるよい機会なのでは。

さう思つて、さつそく GAP-static cowl を使つてみた。
首に二重に巻いてみて、思つたほど悪くはない。
ただチト重たい。
400g弱と、セーターよりも重たいかもしれないネックウォーマである。
肩こりが心配だ。

外ではいいかもしれないが、電車の中では暑すぎるのではあるまいか。
さういふ心配もあつた。
これは、案外気にならなかつた。
たまたま今朝乗つた電車の車内空調があまりきいてゐなかつたのかもしれないが、二重巻きのままで目的の駅までたどりつくことができた。

Big Wool はちよつとチクチクするなー。これは想定外だつた。毛糸自体はやはらかくていい感じだつたからね。

いい点といふと、膝掛けとしてもあたたかいといふことかな。
長さが十分あるので両膝を覆ふことができる。
幅が短いので輪の前後をずらしてもいいところ50cmくらゐだらうか。膝下まで覆ふのがせいぜいだが、なにしろ厚地なのでとてもあたたかい。
ふむ、これはいいかも。

それと、襟元もあたためつつフード代はりに頭を覆ふこともできるといふのもいいと思つてゐる。これはまだ外ではやつてゐないけれどもね。

あとはあれだな。やつがれの場合は冬の飯田行きに使へるな。

そんな感じだらうか。
とにかくゴツいので、とにかくあたたかいマフラーがほしい、と思つてゐる向きにはよいかと思ふ。

GAP-static cowl

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Friday, 16 January 2015

捨てなくてよかつた

ここのところ、バッグ・イン・バッグとして、ARTIZAN&ARTIST のウェストバッグを使用してゐる。
商品名は、「2way ウェストバッグ PM-10」といふのらしい。
買つたのは三年くらゐ前で、そのころから大きめのかばんに入れて職場では取り出して使つてゐた。

このblogにも書いたことがある。
当初は、ル・ボナーのネコリュック用に購入したのであつた。縦長で薄いといふのが、ネコリュックに最適だと思つたからである。
店頭で店員さんがショルダーバッグとして使つてゐたりウェストポーチにしてゐたり、便利さうに使つてゐたのも購入の決め手であつた。

もともとは床屋さんといふか美容師さんが使ふことを前提に作られたといふことだ。
ゆゑに、ブラシや櫛、ピン、ちよつとしたメモ用紙のやうなものを入れるのだらうやうなポケットがたくさんある。
ピンやダッカールをさせるやうにと用意されたリボンの部分には、手ぬぐひをはさんで垂らしてゐる。
お芝居などでおかみさんや鄙に住まふ娘さんが帯から手ぬぐひを垂らしてゐる、あれがいいなあといつも思つてゐた。それを実現してみたといふわけだ。

両脇の細長いポケットにはペンをさしてゐる。
ほかには、PHS(フリスクフォン)、裁縫道具、FRISK、のど飴、ティッシュケース、スマートフォン用充電地、iPhone、ウェットティッシュ、財布、タティングレース道具用がま口、ポーチが入るつてゐる。さらにかゆみ止めやハンドクリームが入ることもある。
まだ余裕はあるけれど、これ以上入れるとふくらみ過ぎるのでここでとどめてゐる。

ストラップは一番短くして、持ち歩くときは脇にぶらさげた状態にしてゐる。
これが案外いいんだな。
ストラップはあまり長すぎると大きいかばんの中で邪魔になる。
これまでも、ショルダータイプのこぶりのバッグをバッグ・イン・バッグに使つたことがあるが、いつも困るのはこのストラップ部分の扱ひだつた。
かばんに入れてゐる最中はできるだけ短くしたい。
でもそのままだと持ち歩きにくい。
そんなバッグも多い。
このバッグのストラップは一番短い状態だとかばんの中ではちよつと長過ぎるんだが、でもまあ、許容範囲かな。
取り出してそのまま持ち歩けるしね。

このバッグは、ここ一年ほど使つてゐなかつた。
下手すると、二年くらゐは使つてゐなかつたかもしれない。
去年、手帳にその日使つたかばんを書き留めはじめた。その中に、このバッグはない。
「かばん」と書いたが、一緒に使つたあづま袋やしじみ袋も併せて書き留めてゐる。

使用したかばんを書き留めることにしたのは、使はないかばんをあぶりだすためだ。
さうして、不要なものは捨てやうと思つたのである。

一年間使はなかつたこのバッグは、捨てる対象にあたるはずだ。
いままたかうして使ふやうになつて、捨てなくて正解だつたといへる。
便利だしね。

問題は、このバッグの代はりに使はなくなつたかばんがある、といふことかな。
まあ、それも今年一年記録をつけて確認すればよいだらう。

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Thursday, 15 January 2015

捨てられない

正月を迎へると同時に、いろいろなものを新しくする。
我が家では、お箸がさうかな。あと歯ブラシ。
歯ブラシは、少し前に新しいものにしたばかりだつたので、今年はお箸だけ交換した。

去年まで使つてゐたお箸を捨てるときに、「いままでありがたう」などとつぶやいてゐて、この無生物に対する感謝の情といふのはどこから出てくるのだらうと、我にもなく考へてしまつた。

長く愛用してきたものと別れるときに、愛惜の情を抱く。
これは普遍的なことなのではないかと思ふ。
愛用品を惜しむ気持ちと、愛用品と過ごしてきた歳月とを懐かしむ気持ちとから、捨て難いといふ思ひが生じるのだらう。

だが、そこに感謝の情はあるのだらうか。
あるとして、いつたい誰に、或は何に対して感謝してゐるのだらう。

などと、深く考へたわけではない。
お箸に対する感謝の念を抱く自分、といふのが、妙に「いい人」のやうに思はれた。
そんなところかな。
そして、なかなかものを捨てられないのは、さういふ「いい人」の自分を捨てることになるからなんだらうな、などと思つた。

ものが捨てられないのは、まあ、面倒くさがりだからだけど、以前も少し書いたやうに、なにか自分とすこしでも一緒に過ごした時間のあるものを手放すのがつらいからでもある。
あつたはずのものがない。
さう思ふときのからつぽな気持ちといふのが耐へ難い。
こどものころ、足で漕ぐ車を持つてゐたことがあつた。
親が買つてくれたのか、はたまた誰かからの贈り物か、それは定かではない。
三度の引つ越しを経て、その車は常にやつがれのそばにあつた。
いつごろなくなつたんだらう。
どうやら知らぬうちに親がその車に乗るのにふさはしいくらゐの年齢の子にあげてしまつたのらしい。
昔の写真を見てゐると、その車に乗つた幼い日の自分がゐる。
もうこの世にはあるまいな。
さう思ふと、なぜだかひどく切ない。

水道とガスとのメータボックスには、かつては砂場遊び用の道具が入つてゐた。
ちいさなバケツにスコップとかプリンやアイスクリームを食べたあとの容器などが入つてゐた。
これも、いつしかなくなつてゐた。
もちろん、やつがれが使はなくなつたからである。
捨てたのはやつがれではない。
母だらう。
気づかぬうちに、なくなつてゐた。

車も、砂場遊びの道具も、みづからの手で捨てるべきだつたのかもしれない。
さうしたら、もうちよつとものを捨てるのが上手になつてゐたのかも。
そんな気がする。

使はなくなつたのは自業自得で、でもいつのまにかなくなつてゐて、別れを惜しむ間もなかつた。
ゆゑに思ひ出すだに慕はしく、懐かしい。なんで使はなくなつてしまつたのか、と、考へても詮無いことを綿々と考へてしまふ。

と、捨てない自分に対する弁護を延々としてしまつた、といふのがこの年末年始の休みだつた。

ところで、不思議なもので衣類に関しては捨てるときにあまりあれこれ考へないことが多い。
なんなのかね。
皮膚の一部のやうな感じなのかな。
細胞のやうなもので、時期が来たら自然と代謝するやうなイメージなのかも。
まだ着られるものを捨てざるを得ないときには、「もつたいないなあ」とは思ふけれど、着古してもうどうにもならないといふやうなものを捨てるときでも、お箸を捨てるときの「いままでありがたう」といふやうな気持ちが湧いてくることはほとんどない。

衣類の整理からはじめてみるかな。

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Wednesday, 14 January 2015

早寝早起き開始から二週間

毎朝六時半に起きる生活をはじめて二週間たつた。
どんな調子かといふことを記録として残しておく。

まづ、11日の日曜日にはすでに目覚まし時計のアラームを鳴らさなくても自然と六時半くらゐに目が覚めるやうになつてゐた。
これは案外つづいてゐて、昨日なども自然と目が覚めた。
躰がさういふサイクルにはまつてきたのだらう。

寝る時間はといふと、意識的に早く寝てはゐるものの、なかなか早くは眠れない。
以前も書いたが、冬休み中は朝まで一度も目覚めることがなかつたのに、出勤するやうになつてからは、夜中に二度、最近では一度、必ず目が覚めるやうになつた。
出勤するつて、躰に悪いのかもしれないなあ。

とはいへ、夜中に目が覚めること自体は自然なことなのらしい。
その時間起きることを考慮に入れて早めに寝るやうにしてゐる。
……と書きたいところだが、これがなかなかうまくいかないんだよなあ。

早く起きてゐるので、その分早めに眠たくはなる。
けれども、眠たくなるのは食後一時間とか、入浴前とか、「いま寝るわけにはいかない」といふ時間帯だつたりするのだ。
我慢して食後三時間、入浴後一時間たつまで待つと、眠気がどこかに消へてしまふ。
また、眠さを我慢してゐると、入浴や、下手すると布団を敷くことすら面倒で、ひたすらぐすぐずしてしまひ、結果、寝る時間が遅くなつてしまふといふこともある。眠くてぐずぐずしてしまふことに関してはいまのところ意識的に回避してはゐるけれどもね。

先月計算したところ、帰宅後就寝までにかかる時間は、だいたい五時間前後だつた。
さうすると、睡眠時間はよくて五時間台、下手すると四時間台に突入してしまふ。
そこを今月に入つてからは帰宅から就寝までの時間を四時間くらゐになるやうにしてゐる。
さうするとどういふことになるか。

まづ、忘れものが増えた。
ここのところ忘れてゐなかつた社員証を忘れたのはいたかつたなあ。
雨が降るといふのでかばんの中身を入れ替へたんだよね。
このときうつかり社員証を忘れてしまつた。
また、歌舞伎会からチケットがきてゐないのを連絡しやう連絡しやうと思ひながら忘れて芝居当日になつてしまつた。
ほかにも、寝る前に不要なプラグを抜き忘れるとか、味噌など「買はなきや」と思つてゐたものを忘れるとか、毎年きまつて誕生日に贈り物を贈つてゐた相手に贈り忘れたとか、細かい忘れものがいろいろある。

なぜだらう。
睡眠時間は以前より増えてゐるのである。
なのになぜ忘れものが増えるのか。

やはり、時間が足りないからかなあ。
時間が足りないので、確認を怠つてゐるのかもしれない。

社員証でいふと、こんな感じだ。
職場に行くときに持つてゆくかばんはほぼ決まつてゐる。
社員証を入れる場所も各かばんで決まつてゐる。
どのかばんも、社員証を入れる場所は、入れてゐるときはファスナーを閉じ、入れてゐないときはファスナーを開けるやうにしてゐる。
一目で入つてゐるか否かがわかるからだ。

社員証を忘れた日、職場についたらファスナーが開きつぱなしになつてゐた。
社員証を入れなかつた証拠である。
そんなことは前日の夜にかばんの中身を入れ替へた時点で確認すればわかる話である。
それを怠つた。
寝る時間が惜しいからである。

うーぬー。

これがつづくやうだつたら、早起きはともかく早寝はやめた方がいいのかもしれない。
とりあへず、忘れものを減らす施策として、出勤用のかばんのいづれにも入れられさうなバッグ・イン・バッグの使用をはじめることにしてみた。
今までもル・ボナーのピッコロをさういふ用途に使つてゐたけれど、やはりちよつと重たいんだよね。あと出先でそれだけ持つて歩き回るにはチト容量が足りない。

でもなー、社員証はそこには入れないからなあ。
うーん。
結局、なにをしても確認作業といふのは必要だ。
帰宅後家で過ごす時間を一時間短縮しても、確認する時間をどこかに入れないといけないといふことだ。
そこらへんの時間割がうまくできてゐないんだなあ。

そんなわけで、いまのところは早寝早起きの弊害の方が目についてゐる。
この先つづけるとして、なにかいいことが起きるかなあ。
起きるといいのだが。

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Tuesday, 13 January 2015

まだまだ2014年をひきずつてゐる

例によつて、タティングレースは旧年中のままである。
すなはち、あひかはらずモチーフを作つてゐる。
シャトルに巻いた糸が尽きるまではこれでいかうかなと思つてゐる。
先週も書いたとほり、タティングレース用具を入れる小袋が決まらないからだ。

決まらないといふよりは、決めてゐる時間がない。
去年の暮れから毎朝六時半に起きる生活をつづけてゐる。
夜は早く寝なければならない。
最近では目覚まし時計のアラームを鳴らさなくても六時半くらゐになると目が覚めるやうになつてきた。
かうなると、今度は夜更しがむづかしくなつてくる。
起きてゐやうとしても、眠くて何もできなくなつてしまふ。

かくして、日々、タティングレース用具を入れる小袋をどうしやうなどと考へてゐる暇がない。
必要最小限のことさへできないのに、どうして考へられやうか。

さういひ乍らも少しづつ外堀から埋めてはゐるんだけどね。
たとへば、大きめのかばん用のバッグ・イン・バッグをどうしやう、とか。
リヒトラブのバッグ・イン・バッグが気に入つてゐるのだが、色がどれも好みにあはず、入手を見合はせてゐる。
薄くてよささうなんだけどねえ。

デルフォニクスの布の小さい袋を使ふこともある。
これの問題点は、中身にしつかりしたものを入れないと机の上に出したときに倒れてしまふていふことだ。

ル・ボナーのピッコロを使ふこともある。
これの問題点は、重たいことだ。

いろいろ試してみて、結局以前ここにも書いた「バッグ・イン・バッグにもなるポーチ」を使ふことにしてみた。
アルティザン・アルティストのショルダーバッグにもウェストポーチにもなるものだ。
長くつづくといいんだがなー。

それにしても、タティングレースはどうするかなあ。
大きくなりすぎてしまつたThe Twirlyをつなぐプロジェクトは、家でつづけるやうだらうか。
さて。

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Monday, 12 January 2015

内なる流行

RowanのBig Woolで巨大なネックウォーマを編みはじめた。ものはGAP-static Cowlといふ。
もうマフラーもどきは不要だろう。
自分でもさう思ふのだが、毎年のやうに編んでゐる。
糸を使ひきるのにあまり考へなくてもいいし、その時々によつて使ひたいものも変はるからだ。

たとへば、この冬は極太や超極太の糸ばかり使つて編んでゐるが、普段首に巻いてゐるのは、RowanのKid Silk Hazeで編んだものだ。KnittyにあるIce Queenといふ、かなり以前に編んだものである。
モヘアは苦手なのに、何故かそのときはKid Silk Hazeが手元に一玉あつたんだな。そして、編みかたには「スワロフスキーのパールビーズ4mm」とあつたけれど、手元にはソロバン型4mmがちやうど数分あつた。
それで編んでみたといふ寸法だ。

12月にはかぶつてゐたと思ふので、7年前に編んだものだと思はれる。
その後、年に一度は使つてゐるのだが、メインで用ゐるスカーフにはならなかつた。
ビーズだしレースだしモヘアだし、編むのは楽しかつたけど、使ふのは、ね。ちよつと気はづかしいものがあつた。

この冬は以前編んだメビウス編の小さいショールや、今回編んだブリオッシュ編みのネックウォーマやRowanのCocoonで編んだネックウォーマをしてゐた。特に最近はブリオッシュ編みのものかCocoonで編んだものを使ふことが多かつた。
で、なんの気なしにIce Queenを使つてみたらこは如何に。
薄い!
軽い!
でも暖かい!

しかものばせば頭も覆ふことができるのである。

いいぢやあないか。

といふわけで、今日もIce Queenを使ふてゐる。
そのせゐもあつてか、Big Woolの編みかけはなかなか進んでゐない。
自分の中の流行とずれてしまつたんだな。
この冬中の完成を目指すとするか。

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Friday, 09 January 2015

タンク・トートがやつて来た

先月末、かばんを買つた。
ル・ボナーのタンク・トートである。

ル・ボナーのタンク・トート

タンク・トートを買ふことはもうないだらうな、と、それまでは思つてゐた。
かばんはたくさんあるしね。
問題があるとすれば、普段よく使ふかばんにA4サイズのファイルがうまく収まるものがないことくらゐだ。
それもブロガーズトートを使へば問題ない、くらゐに考へてゐた。

ではなぜ買つてしまつたのか。
色、かな。
今回のタンク・トートには、アイリスがあつた。
シュランケンカーフではヴァイオレットがお気に入りである。
ル・ボナーのかばんのうち、ミセスもコンフェッティもネコリュックもヴァイオレットだ。
この色のどこがいいのかといふと、光の加減によつて茶色く見えることもある、といふところかな。それでゐて紫の持つ色気もある。
この色を「郭嘉ヴァイオレット」と呼びならはしてゐる、といふ話は以前も書いた。
「人形劇三国志」の郭嘉の衣装がこんな色だからである。

アイリスも紫だが、こちらはかなり「紫!」といふ感じの紫である。
ル・ボナーのかばんとしてははじめて手に入れたプティ・トートがちやうどこの色だ。
このプティ・トートは、c.o.u.の店頭で見かけた。
きれいな色味に、一目惚れしてしまつた。
アイリスは光の加減によつて、ちよつと冷たい艶の見えるときがあつて、それがいい。シュランケンカーフだと、ネイヴィーにもそんな艶の見えるときがある。
ヴァイオレットは、秋冬向き、もつといふと秋向きな色合ひだ。まあ、真夏でも使ふときもあるけれど。
アイリスなら、春夏に使つてもいいんぢやないかな。
さう思つた。

さらに、29日は出勤した。
先月の29日は月曜日で、休む人も多く、やつがれもそのつもりでゐた。
しかし、26日の金曜日に、突然仕事が降つてわいた。
それで、仕方なく出勤したのだつた。
仕事自体はわりと早く終はつてしまひ、残業もたまつてゐたので早めに職場を出て、銀座を徘徊するうちc.o.u.にたどりついた。
すると、店頭に飾られてゐる、あのタンク・トートはアイリスではあるまいか。
青山は骨董通りにあるといふサークルといふ店では、アイリスのタンク・トートは予約分だけで売り切れてしまつたといふ。
ここにあるといふことは、これを逃したらもう出会へないかもしれない。

そんなわけで、タンク・トートが我が手元にやつてきたのである。

使つてみて、「もつと早く買つておけばよかつたな」と思つた。
さうしたら余分なかばんを買はずにすんだかもしれないのに、と。
といふのも、タンク・トートにはたくさんものが入るのだ。
そのくせ、それほど重たく感じない。
かばんのバランスがいいのかな。
まちが大きくてしつかりしてゐるのがいいのかもしれない。

タンク・トートには、外側にはポケットはない。内側両サイドにポケットがあつて、片方はファスナーつき、片方はオープンである。どちらも大きめで、まちはない。
そんなわけで、箱の中にものを入れるやうな感じになる。
好みとしてはもうちよつとしきりなどあるといいなあとは思ふのだが、そのあたりはバッグ・イン・バッグなどを使つて好きなやうにカスタマイズしろ、といふことだらう。
いまのところ、みつばちトートで以前入手したぺたんこのポケットポーチを使つてゐる。
ほんたうはル・ボナーのピッコロを入れたいところだが、入れると重たくなるのでなあ。

口は開きつぱなしで、両脇をボタンで留めるようになつてゐる。はづつとA4サイズのファイルも楽々入る。でも留めてゐた法がいい感じなんだよね。A4サイズのクリアフォルダくらゐだつたら、入れたあとボタンを留めることも可能だ。
口が開きつぱなしといふのが不安かもしれないが、肩からかけると脇でしめることになるので、それなりに閉まる。やつがれは、手ぬぐひで覆ふやうにしてゐる。

まだ使ひはじめたばかりなのでかなりはりのある印象があるけれど、そのうち使つて馴染んでゆくだらうと思つてゐる。

問題があるとしたら、まちが大きくてしつかりしてゐることかな。
底にかたいものを入れてゐて、これが満員電車では邪魔になる。
でもサイズといひ形といひ、出勤時に使ひたいかばんなんだよなあ。
できるだけ空いた車両に乗るやうにするか、出勤時には使はないか、どちらにするか悩むところである。
乗つたときに空いてゐても、ずつと空いたままとは限らないからね。今朝もえらい目にあつて、それでタンク・トートの底がちよつとぺこぺこいふやうになつてしまつてショックだつた。幸ひ、いま試してみたら、それほどぺこぺこいはなくなつてはゐたけれど。
でも使ひつづけてゐたら、早晩ぺこぺこいふやうになるんだらうなあ。通勤電車は過酷だもの。

タンク・トートを入手したことで、もうこれ以上かばんを買ふこともあるまい、と思ふてゐる。
さて。

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Thursday, 08 January 2015

星のフラメンコ

MindMap、結構好きなんだよね。

好きなんだけど、といふことが、世の中にはままある。

たとへば、MindMapの周辺についてはあまり近寄りたくないかなあと思つてゐる。
なんとなく宗教のやうな感じがするからである。
これつて、「TDD is dead. Long live testing.」とちよつと似てるかもしれない。
トニー・ブザンがどう考へてゐるかはわからない。でも、MindMap愛好家(とでもいふのだらうか)つて、「マインドマップとは、かうでなければならない!」といふやうなことを声高に云ふところがある。
なんていふのかな、「教義絶対」みたやうな感じ。
「TDD is dead. Long live testing.」で、David H. Hansson がテスト駆動開発についておなじやうなことを云つてゐる。
教義に従はないものは異端、みたやうな、そんな論調がまかりとほつてゐる、と。
さういふのつて、なんとなく近寄り難いぢやない。

また、これはトニー・ブザンもさうなんだけれども、「マインドマップを使へばなんでもうまくいくよ!」みたやうな論調にもついていけない。
これもまた宗教じみた意見のやうに思はれる。
もしかしたら、ほんたうにそのとほりなのかもしれない。
マインドマップを使つたら、なにもかもうまくいく。そんなことが実際にあるのかもしれない。
でもなあ、そんなに大風呂敷を広げる必要ないのに、と思つてしまふんだよなあ。
MindMapがすばらしいものだつていふことを、そんな風に喧伝することはないのに。

これだけ文句を云ひつつも、やつがれは結構MindMapが好きだ。
なにしろ書いてゐて楽しい。
うまく書けなくてイラつくこともあるけれど、まあ、そこはそれ、だ。
あと、色をいろいろ使つたりとか絵を描いたりするのが面倒くさいこともあるけれど、そんなのはあとからやつてもいい。
色をつけたり絵を描いたりしてゐるあひだに、書かうと思つてゐたことを忘れちやふときがあるんだよね。それで面倒くさくなる。
でも、大きな白い紙の真ん中から思ひついたことをどんどん書いていくと、壮快な気分になる。
MindMapの肝はそこなんぢやないかな。
なにも書かれてゐない真つ白な紙に、思ひついたままあれこれを書き連ねていく。
ほかの手法だとかういふのつてないんだよね。だいたい左上とか右上とかから順番にうめていくやうになるんぢやあるまいか。

やつがれの問題は、さうやつてMindMapを作つても作りつぱなしにしてしまふことだ。
思ひついたことはどんどん書き出せるけど、それを収束させることができない。
MindMapつて、ただ放射線状にあれこれ書き出していくだけぢゃダメなのだ。そこから集約させていかないと、あまり意味がない。
そこのところまで教へてくれるやうなMindMap本つてあんまりない気がする。
そんなことには自分で気づけよ、といふことなのだらうか。
さうなのかもしれない。
そして、集約の作業にMindMapが向いてゐるのかどうか、そこのところも実はちよつと謎だ。

そんなわけで、MindMapにはその周辺のことも含めて、「なんだかなー」と思ふことも多い。
でも、書いてて楽しければいいぢやない、とも思つてゐる。
そんなことを云ひながらあまりMindMapを書く機会といふのはない。
大きい紙を広げるスペースがなかなかないからだな。
そんなわけで、今年はちよつと意識的にMindMap的なものを書いてみやうかと思つてゐる。

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Wednesday, 07 January 2015

久しぶりのほぼ日手帳

先月から久しぶりにほぼ日手帳を使つてゐる。
これがなんとなくいい感じだ。

去年はほぼ日手帳をうまく使ふことができなかつた。
それまでほぼ日手帳に書いてゐたことを三年手帳に書くことになつてしまつたからだ、といふ話は以前書いてゐる。
今年は毎日何時間寝たとか何時間働いたとかいふ情報をほぼ日手帳に書き込むやうにしてゐる。
書き込む、といふか、縦軸の時間のところを寝た時間はデルフトブルー、働いた時間はプルシャンブルーなどと塗り分けてゐる。
これが案外いい。
一日になににどれくらゐ時間がかかつてゐて、空いてゐる時間がどれくらゐあるのかすぐわかる。
ほんたうはほぼ日手帳カズンにして徹底的に一日の計画をたてたいところだが、如何せん、カズンはデカい。
ひとまづはほぼ日手帳に書いてみて、それでやつぱり足りないといふことになつたら来年はカズンかな。四月からカズンといふ手もあるか。

ほぼ日手帳のいいところはそれだけではない。
なんといふか、佇まひがいい。
ぱたんと平らに開く感じとか、文庫サイズといふ大きさ、厚さや紙の書き味など、どれも好みにあつてゐる。
また、カヴァにペンをさせるから、さつと取り出してぱつと書けるしね。
去年中断するまで9冊のほぼ日手帳を使つてきたけれど、使ひつづけられるだけの理由があつたんだな。

以前書いたとほり、今年はMOTHER2のカヴァをかけてゐる。
ナイロンのカヴァは久しぶりだ。
一昨々年だつたか、ヌメ革のカヴァを買つて、それを使つてきた。一昨年の終はりにカンダミサコの文庫サイズ手帳用カヴァを買つて、それ以降はそれを使つてゐた。
久しぶりにナイロンのカヴァについてきたカヴァ・オン・カヴァには、いろいろと改良がほどこされてゐてとてもよい。
たとへば裏表紙部分にポケットが増えてゐる、とかね。以前はカヴァ・オン・カヴァをかけたら裏表紙部分のポケットが使へなくなつてしまつてゐた。これはちよつといいぞ。
ただ、MOHTER2のカヴァが気に入つて買つたので、裏表紙のポケットを使つてしまふと絵が隠れてしまふのが難点だ。ここはまあ仕方がない。

ほぼ日手帳のいいところは「なんとなく」といふところだと思ふ。
なんとなく、いいのだ。
以前も書いたけれど、Moleskineつて、なんだかものすごく使ふのに気力が必要な気がする。
実際はそんなことはないのだけれど、Moleskine本に紹介されてゐるノートや展覧会などで展示されてゐるノートを見ると、これでもかといふくらゐにノートいっぱいに貼り込みや描き込みがあつて、さうでないと使つてはいけないやうな気分になつてくる。
なんていふのかなあ、逃げ場がない感じ。
もつとゆるい感じで紹介してくれればいいのに、といつも思ふ。
あれかな、Moleskineを愛用してゐる人々は、Moleskineを自分たちだけのものにしたいのかもしれない。
ゆるい感じで使ひたいといふ人々なんて寄せ付けたくない。
さう思つてゐるんぢやないかなあ。
さう思はれてならない気がする。
まあ、かく云ふやつがれはそんなMoleskineをゆるく使つてゐる一人だけれどもね。
でもやつがれのMoleskineを人が見たら、やはり逃げ場がない気がしてしまふかもしれない。
なぜといつてやつがれのMoleskineは一ページまるまる字でみつしり埋め尽くされてゐるからね。やつがれ自身はこれを「ゆるい使ひ方」だと思つてゐるんだけれどもね。マスキングテープなどはいっさい使はないし、絵も描かなければ図も描かない。ひたすら字、字、字のノートである。

ほぼ日手帳は違ふんだよね。
なんにも書いてゐない、白紙のページがあつてもいい。
さういふスタンスだと思ふ。
実際はほぼ日手帳にもMoleskineに負けず劣らず逃げ場のないやうな使ひ方をしてゐる人も多い。毎ページすばらしいイラストで埋め尽くしてゐる、とか、いろいろ貼り込んでゐる、とかね。
でも、その一方ですかすかつとした使ひ方も提示してゐる。
そこがほぼ日手帳のよさだと思ふんだなあ。

まあ、そのほぼ日手帳もひたすら字、字、字ばかりなんだけどね、やつがれの場合は。

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Tuesday, 06 January 2015

Epiphany だけど

タティングレースについては、新年を迎へられてゐない。

あみものは、新年早々ゴッツい指なし手袋を編んだし、昨日はおなじ糸でゴッツいネックウォーマといふにはちよつと巨大なものを編み始めて、気分はすつかり新年である。
然るに、タティングレースはまだ旧年を引きずつてゐる。
11月この方モチーフ増産大作戦を実施してゐて、それをまだやつてゐる、といつたところだ。
まあ、来年の年賀状作成に向け、いまからモチーフを作成しておくといふのはよいことではある。
問題は、単に「頭の中が切り替はつてゐないだけ」といふことにある。

去年は、The Twirly をつなぐプロジェクトに着手して、それを淡々とつづけてゐた。
そのはずなので、そのつづきに着手すればいい。
それはわかつてゐて、即できないのは、プロジェクトがかなり大きくなつてしまつたからである。

以前も書いたやうに、タティングレース用具は、すべて濱野のナティカといふがま口に入れて持ち歩いてゐる。
The Twirly をつなぐプロジェクトは、もう濱野のがま口に入りきる大きさではなくなつてしまつてゐるのである。
ぢやあほかの入れ物に入れればいいぢやない。
さうなんだが、さうすると、今度はそれを入れて持ち歩くかばんのことを考へないといけない。
タティングレース用具を入れるものが大きくなれば、それを入れるかばんも当然大きくなる……か、もしくはほかのものを犠牲にしなければならない。
そこんとこが結構むづかしいんだなあ。

一時、持ち歩く荷物はかなり減らしたことがある。
ル・ボナーのコンフェッティとかプティ・トートとか、カンダミサコのdumiとか、ちいさいかばんを持つやうにして、荷物を厳選してみた。
するとどうだらう。
時折ほかに手提げを持つこともあるものの、明らかに持ち歩く荷物が減つた。
持ち歩く荷物を減らした所以は、腰にある。
重たい荷物を持つと腰にくる。
躰に悪いぢやあないか。
さういふ理由だつた。

せつかく減らした荷物が増えたのは、持ち歩くかばんがおほきくなつたからだ。
ブロガーズトートを使ふやうになつたのがはじまりだつた。
ブロガーズトートも、最初のうちは荷物minimumで持ち歩いてゐた。
ブロガーズトートのいいところは、荷物minimumでもいい感じに持つことができるところにある。
といふか、かばんつてさういふものなんでせう。
詰め込みすぎてはいけないのだ。
特にル・ボナーのかばんに顕著である。
たくさん入るけど、たくさん入れてはいけない。
腹八分目といふけれど、七分目か、場合によつては五分目くらゐがちやうどいい。
そんな気がする。
今日はパパスを持つてきてゐる。パパスもたくさん入るけれど、たくさん入れてはいけないのだ。ちよつとくたつとするくらゐがちやうどいい。
そんな気がする。

しかし、かばんがおほきくなるといろいろ入れたくなるのが人情といふものだ。
すくなくともやつがれはさうだ。
そんなわけで、ブロガーズトートを使ふうち、持ち歩くものがどんどん増えていつた。
かくして現在に至る、といふわけである。

ブロガーズトートを持ち歩くことにすれば、タティングレース用具入れのおほきさなどに思ひ悩む必要はない。
入れたいポーチなどに入れてブロガーズトートにはふりこめばいい。
それだけのことだ。
だが、ブロガーズトートは通勤電車の中ではそれなりに邪魔になる。中身がすくなければくしやつとして使へるからいいけれど、中身がおほいとそれもできない。

以前、あみものを持ち歩いてゐたときは、メインのかばんのほかに、あみもの用具を入れたトートバッグを持ち歩くやうにしてゐた。
タティングレースもさうするかなあ。
それでまたちいさいかばんに回帰するのだ。
さうしたら持ち歩くものも減るかも。

いづれにしても、The Twirly をつなぐプロジェクトは再開したい。
とりあへず、入れ物の選別からはじめるかな。

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Monday, 05 January 2015

指なし手袋を編む

新年早々、指なし手袋を編んだ。
Super Bulky Fingerless Mitten (rav) である。

なぜこれを編んだかといふと、大晦日に「ホビット 決戦のゆくえ」を見に行つたからだ。
この映画には、指なし手袋をしてゐる人々(人間ではないかもしれないが)がたくさん登場する。
ビルボのはガーター編み、かなあ。オーリのはねぢり一目ゴム編みかも。
そんなことを考へながら見てゐたらこはいかに。
なんか、似たやうな指なし手袋があるぢやあありませんか。
といふわけで、編んでみたのがこれである。

Super Bulky Gloves

一度手にはめてしまつたので、履き口がびろんと広がつてゐるのはご愛敬だ。
ガーター編みでもねぢり一目ゴム編みでもないが、このゴツい感じが映画に出てきた指なし手袋に近い感じがする。

編んだ理由のひとつに、指定糸と指定針が手元にあつたから、といふのもある。
指定糸はローワンのビッグウールで、指定針は9mmである。
なんでローワンのビッグウールなんぞが手元にあるのか、我ながら不思議でならない。
コクーンと一緒にあつたから、どちらも安売りになつてゐたんだらう。
なにを編むつもりだつたのかもうわからない。なぜか五玉もあつた。
この手袋を編むのに一玉と少し使つた。まだ四玉弱も余つてゐる。
そんなにちくちくしない感じがするので、ゴッツいネックウォーマでも編むかなあ。Ravelry にもそんな感じのネックウォーマがあるし。

上記のとほり、すでに手にはめてみた。
並の指あり手袋よりよほどあたたかい。
なにしろ、分厚いからね。それに、ちよつと目をつんで編んでゐるからさらにあたたかい。
このあと、使つていくうちにフェルト化していつたらますますあたたかくなるんだらうな。

三年前もこんなものを編んでゐた。
三年前は、三國万里子のざつくりミトンだつた。ちやんと先まであつて、パピーのミニスポーツを編み込みにするといふ、ゴッツいミトンである。
このときは、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝を見ながら編んだのであつた。駅伝見ながら編み物すると進むんだよねえ。

今回は、録画機が録画したものを見ながら編んだ。
録画した或は録画された番組は見るものの、テレビは見なくなつて久しい。
今年の正月は、「大江戸捜査網」を見てしまひ、「もうテレビドラマは見るまい」と心に誓つてしまつたほどである。
昨日は「花燃ゆ」の初回を見やうかと思つてゐたが、すつかり忘れてゐて見逃してしまつた。
でもそれでいいと思つてゐる。
テレビ番組の放映時間に縛られた生活には、もう戻れない。
そんな気がするからだ。
現在は、朝、時間確認の目的と天気予報と交通情報とを見るためにニュースを見てゐる。
あとは帰宅後、やはり天気予報を見る。
ニュースは見ない。といふよりは、見られないといつてもいい。帰宅後の番組つてニュース番組といふよりはヴァラエティ番組ばかりなんだもの。
日曜日は、朝起きられたら特撮ものを見て、プリキュアを見て、日曜美術館を見て、将棋番組を見る。
そんな感じである。

テレビを見る時間が減つて、あみものをする時間も減つた。
意外なところに因果関係があるものだなあ。

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Friday, 02 January 2015

連想

例年、一月二日は初芝居の日である。
と打つと、なぜかやつがれのMacBookは「初司馬懿」と変換してくれてしまふ。
いいんだけどさ。

今日飯田市川本喜八郎人形美術館ではお正月特別開館を企画してゐるのらしい。
あと一時間半もすると開館するといふのだ。
いいなあ。
知つてゐたら行つたのに。
とはいへ、一日も三日も美術館はお休みだし、飯田駅のまはりのお店はどこもお休みだらう。からうじてコンビニエンスストアが開いてゐるくらゐなんではあるまいか。
それに、ニュースでは今日の午後から早くもラッシュがはじまるといふ。
つい一昨日くらゐに帰省ラッシュがあつたやうな気がするんだがなあ。

先日も書いたとほり、今年の目標のひとつに「歩く」といふのがある。
昨日も早速歩いて来た。
いつもの土日に歩く時間よりすこし早かつたからといふこともあるのかもしれないが、とにかくしづかだつた。
人通りも車通りもほとんどない。
途中に神社があるので初詣客はチラホラゐたけれど、それもたいした人数ではない。
空は晴れわたり、冷えきつた空気も清々しい。
いつもかうだつたらいいのになあ。

月曜日に出勤したときもさう思つた。
道は空いてゐて電車もガラガラ。
駅は乗り換への人々で多少混み合つてゐたけれど、出勤時間にはたいしたことはなかつた。
いいなあ。
毎日かうだつたらいいのに。

日本の人口は減りつづけてゐるといふ。
地域的なことでいふと、やつがれの住んでゐるあたりでは、就労人口が激減してゐる。
なぜといつて、平日の朝見かける人が減つてゐるからだ。
時差通勤で決まつた時間に出勤しなくてもよくなつたから、といふこともあるのかもしれない。
でもそれだけぢやあない。
地域全体が高齢化してゐるのだ。
その証拠に、昼間バスや電車に乗ると異様に混んでゐる。
昼間は本数も車両編成も少ないからだ。
「お年寄りに席を譲りませう」なんていふけれど、座席に座つてゐる人も「お年寄り」だ。もうこれ以上譲りやうがない。
そんな状態を目にすることになる。
そして、やつがれもまた、もうその高齢者に近い方に組してゐる。

正月からなにもいい連想は生まれないなあ。
わづかに「しゅうろう」と打つて最初に変換されるのが「周郎」だつたりすることに苦笑を禁じ得ないくらゐだ。
夕べも赤壁前夜の人形劇三国志を見てゐて、周郎のあまりのやうすのよさにジタバタしたところである。
この頃の周郎は、頭には細長い冠をかぶり、衣装は鎧といふ武官のいでたちで、非常にやうすがよろしい。人形劇の周郎は、この衣装が一番好きだなあ。
考へてみたら、曹操もかういふ感じの衣装が一番好きなのだつた。曹操もまた、この頃は周郎とおなじやうな衣装を着てゐる。
いいなあ。

なにか書いてゐて楽しいことを書かうとすると、結局この話題に落ち着いてしまふ。
今年もこんな感じでいくのだらう。

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Thursday, 01 January 2015

書いてみた

SCHOTT'S MISCELLANY DIARIES

今年も引き続き、Smythson の SCHOTT'S MISCELLANY DIARY を使ふことに決めてゐる。
すでに11月の最終週から使ひはじめてゐる。
去年の手帳は今年の1月4日まで使へるので、この日まで使ふつもり。

去年の手帳になにを書いてゐたかは、こちらに書いた。
今年もおなじやうなことを書きつけるつもりでゐる。

つひ先ほど、この手帳の「新年の決意 (New Year's Resolutions)」の欄に、ちよこちよこと書き付けたところだ。
内容はほぼ去年とおなじ。遠征に関する記述を削つたくらゐかな。

ところで、去年の手帳と今年の手帳とでは手触りが全然違ふ。
写真からわかるかなあ。去年のものの方が若干つるつるしてゐるやうに写つてゐるかとは思ふのだが。
触つた感じもそんな風で、去年の手帳の方が手に馴染み、開きやすくパラパラとめくりやすい。
今年の手帳には手に吸ひつくやうな感覚がない。さらりとした手触りである。
去年の手帳も買つたばかりのころはかうだつたらうか。
すでに記憶にない。

あと、以前も書いたやうにおなじく Smythson の Oscar Wilde 手帳も使ふてゐる。
11月最終週からNHKラジオの語学講座のその日のキーセンテンスを書き記してゐる。
これがいいんだなあ。
書くスペースもちやうどいいし、書きやすいし、持ち歩きやすいし、めくりやすい。
結果、書き込むし見返すやうになる。
もしかしたらかういふ用途に最適な手帳なのかも。

ところで、「新年の決意」とやら「新年の抱負」とやらを手帳に記して意味があるのか。
うーん、実は、記したものの守れてゐないことはいくつかある。
よく、「手帳に書くと願ひが叶ふ」などといふ。
おそらく、手帳に書くとしよつ中見返すやうになるからだらう。
書いたら書きつぱなし、振り返りはしない、といふ人には向かない方法だ。
でもまあ、達成できないことは達成できないね。
無理なことは書いてゐないつもりだが、できないものはできない。
それでいいんぢやないかなあ。
無論、達成しやうとはしてゐる。
でもできない。さういふこともある。
世の中つて、さういふもんなんぢやあるまいか。

それに、先日も書いたやうに、「新年の抱負」といふのは、「かうなりたい」「かうあるべし」といふ理想型があつてはじめて意味があるものだ。
全体として、最終的な理想型に近づいてゐればいいんぢやあるまいか。

これまで「新年の抱負」などあまり重視してこなかつたし、立てたこともなかつた。
去年、SCHOTT'S MISCELLANY DIARY を手にして、書き込む欄があつたので書いてみた。
今年もそんな感じ。
こんなゆるい感じでいいんぢやないかなあ。

そんな感じで今年もいくつもりである。

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2014年12月の読書メーター

2014年12月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1622ページ
ナイス数:14ナイス

The Adventures of Sherlock Holmes (English Edition)The Adventures of Sherlock Holmes (English Edition)感想
懐かしさいつぱい。「緋色の研究」で「たるい」と感じた部分がないので読みやすくもある。結末を忘れてゐた話もいくつか。この調子でほかの本も読みなほすつもり。
読了日:12月5日 著者:SirArthurConanDoyle
正しく読み、深く考える 日本語論理トレーニング (講談社現代新書)正しく読み、深く考える 日本語論理トレーニング (講談社現代新書)感想
論理トレーニング関連の本を読むと、「それつて日本ではヤな人になるつてことだよね」といふものが多いが、この本はそんなことはない。読んだものを論理的に理解しやうといふ内容だからか。世の中つてそんなに論理的に書かれたものばかりではないんではないかなあ。たとへば「それ」が直前のものだけを受けてゐるとは限らない文章がたくさんある気がする。それつて自分が論理的に読めてないといふだけなのかな。せめて書く方は気をつけたいと日記には書いておかう。
読了日:12月9日 著者:中井浩一
世説新語 4 (東洋文庫)世説新語 4 (東洋文庫)感想
容止から排調まで。容止は、容姿の美しかつた人の話だけでなく、己が容姿を気にしてゐた人の話なんかも出てくる。すなはち魏武とかだけど。排調が面白い。世説新語に出てくる人々は、なぜか身近に感じるなあ。
読了日:12月13日 著者:劉義慶
反逆と反骨の精神 三国時代―南北朝 (中国人物伝 第II巻)反逆と反骨の精神 三国時代―南北朝 (中国人物伝 第II巻)感想
第一巻を読んだときに「これは古代から現代までの中国を紀伝体で記さうといふ計画なのか」とワクワクしてゐたんだけれど、三国志でいきなりその夢がくづれてしまふ。三国志に関してはいろいろあちこちに書いてゐるから紀伝体になりきらなかつたのかなあ。
読了日:12月16日 著者:井波律子
大王朝の興亡 隋・唐―宋・元 (中国人物伝 第III巻)大王朝の興亡 隋・唐―宋・元 (中国人物伝 第III巻)感想
「中隠」(白居易)とか「官隠」(米芾)とか、さうやつて生きてくしかないんだよなあ、と思ひつつも、「梅妻鶴子」(林逋)に憧れた昔を思ひ出しつつ読む。時代も下るとそんなこと云つてゐられなくて売文で身を立てる人も出てくる、といふ。なんとも世知辛いのう。
読了日:12月22日 著者:井波律子
八犬傳(下) (角川文庫)八犬傳(下) (角川文庫)感想
新聞連載当時「絶対「東海道四谷怪談」を見るんだ」と思ふたことを読みつつ思ひ出す。「虚の世界」である「南総里見八犬伝」のダイジェスト部分はもちろんのこと、「実の世界」と銘打たれた馬琴の日常がおもしろい。再々読。
読了日:12月24日 著者:山田風太郎

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