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Friday, 05 December 2014

さまよへる和漢蘭人

このBlogの題名は、「さまよへるオランダ人」のもぢりである。
いふまでもないか。
「和漢蘭」といふのは、柴田錬三郎の「眠狂四郎」シリーズで見かけたのをそのままもらつてきた。
「眠狂四郎」シリーズに立川談亭といふ講談師が出てくる。この談亭が、ものをたづねられて「和漢蘭ことはなんにもない」と大見得を切る場面がある。
それをいただいたといふわけだ。
談亭のセリフの意味は、日本のことももろこしのことも、そしてオランダすなはち西洋のこともといふことだ。すなはち、なんでも知つてゐる、知らないことはなんにもない、といふ意味である。
随分と大きくでたものだ。

談亭のセリフからもらつてきたからといつて、やつがれはなんでも知つてゐる、といふわけではない。
「さまよへる」といふことばと結びつけることで、寄る辺のなさをあらはしてみたつもりである。
和漢蘭人とは、住むべき国を持たない人間だと思ふからだ。
和人でもない。
漢人でもない。
蘭人でもない。
敢へていへば、地球が栖といへるだらうが、そんな人間は依るべき国を持たない人だらう。
実際は、遠海漁業に従事してゐる人や、潜水艦の乗組員、宇宙飛行士といつた人々はそんな感じなのかもしれないけれどね。

依るべきところが曖昧といふのは、常に境界に住んでゐたからかもしれない。
こどものころから市と市との境や区と区との境、といふやうなところで暮らして来た。川の向かうは隣の国といふ時期もあつた。
境界で暮らしてゐると、かへつて自分の住むところへの意識が強くなる面もある。
一方で、ひよんなことで、境の向かうで暮らしてゐたかもしれない、と思ふこともある。

さういふ足元の定まらない不安定な名前、それがこのBlogの題名である。

もうひとつ、和漢蘭とつけたのは、「なんでも取り扱ひますよ」といふ気持ちからだつた。
談亭は、「ありとあらゆること」といふ意味で「和漢蘭」と云つた。
実際は、取り扱ふ内容をしぼりつつあるけれど、たまには初心に返つてみやうかと思つたりもするのだつた。

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