忘れものをしたくない
タティングレースモチーフ三昧の日々はつづいてゐる。
つづいてゐるものの、成果はあまりあがつてゐない。
家で作るものと外で作るものとをわけてしまつたのがよくないのかもしれない。
家で作るものと外で作るものとをわけてしまつた理由は、帰宅後、かばんの中からタティングレース用具一式を取り出す手間をはぶくためであつた。
「そんなこと?」と思はれるかもしれないが、取り出すといふことは、漏れなくまた仕舞ふといふ作業がある、といふことである。
取り出したはいいけれど、そのままかばんに入れるのを忘れてしまつたらどうだらうか。
翌日の外出中はずつとなにもできないことになつてしまふ。
それを避けるために、かばんに入れたものは入れつぱなしにして、家では別のものを作るやうにしたのである。
別のもの、といふか、外で使ふのとは別のシャトルや糸を使つてモチーフを作ることにした。
NHK教育テレビに「0655」といふ番組がある。
この番組で「忘れもの撲滅委員会」といふ歌を流すことがある。
この歌を歌ふと、「携帯電話、財布、鍵、定期(券入れ)、手帳、名刺入れ、社員証」を忘れるのを防止できる。
重宝な歌だが、実際に歌ふことは滅多にない。
そんな余裕がないからだ。
この歌を歌ふのは、朝ではなくて夜が正しい。
そんな気もする。
どうせなら「2355」で流してくれたら、と思はないでもない。
やつがれの場合、この中では「名刺入れ」は持ち歩かないことにしてゐる。
常に職場においてゐて、必要なときだけ持ち歩く。
これで忘れものをふせいでゐるわけだ。
ほんたうは社員証も持ち歩きたくない。
持ち歩く必要がないからだ。
携帯電話は、「携帯」といふくらゐだから持ち歩いて使ふことが前提である。電話用途だけでなく、eメールやWebブラウズにも使へるから、外でも使ふ。
財布は、持ち歩かないでどうする、といつた持ちものだ。
鍵も同様。家の中に置きつぱなしにしても役に立たないものである。
定期券。家の中で使へるだらうか。使へるとしても、本来の用途では使へないと思ふ。
手帳は、ちよつと微妙だなあ。しかし、「手のひらサイズ」といふことは、携帯して使ふことを意図して作られたものといふことだ。だからこれも持ち歩く。
しかし、社員証は家に持ち帰つても使ふ用途がない。通勤途上でももちろんない。
職場でしか必要のないものである。
なぜこれを毎日家に持ち帰らなければならないのか、理解に苦しむ。
もとい。
つまり、忘れものを避けるには、できるだけ持つて歩くものを減らすことが肝要である。
さういふことだ。
さういへば、以前も書いたな。
手ぶらで出かけることにあこがれてゐる、と。
釣りヴェストでも着れば可能かなあ、と、思はないでもない。
釣りヴェストならファスナーのついてゐるポケットもあるから、財布や鍵を入れてもちよつとは安心だ。
さうか、釣りヴェストか……
釣りヴェストの場合でも、タティングレース用具は収納可能だらうか。
ものによるなあ。
いまはナスカがま口に全部入れてゐるので、釣りヴェストのポケットにも入るだらう。
考へてみれば、「タティングレース用具」に限ると、実にコンパクトに持ち歩けてゐると思ふ。
現在の持ちものでなにか足りなくなることがあるとすれば、それは糸だ。
でもボビンに糸を巻くタティングシャトルを使つてゐるので、予備のボビンに巻いておけば糸の不足もふせげる。
そして、ボビンといふのはそんなにかさばらないものだ。
完璧だな。
圧倒的ぢやないか、我が軍は。
そんな田中崇の声が聞こえてきさうである。
問題は、完璧なのはタティングレース用具だけである、といふことだ。
その他の荷物もあはせると、混沌としてしまふ。
わざと忘れものを増やさうとしてゐるのではあるまいか。
そんな気さへしてきてしまふ。
あとはかばんを変へない、といふ手があるが。
それができれば苦労はしないんだよなあ。
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