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Thursday, 18 December 2014

飯田市川本喜八郎人形美術館 ギャラリー中央

12月6日に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は、「江東の群像」のケースと「曹操の王国」のケースとのあひだにある二つのケースについて書く。

「江東の群像」と「曹操の王国」とのあひだには、一人~二人用くらゐの大きさのケースが二つある。
ケースとケースとの間隔は人間が二人通れるくらゐ、かな。三人くらゐはいけるかもしれない。
今回は、入口に近い方のケースに孔明、奥のケースに龐統がゐる。
この二つのケースのあひだに存在するなんともいへない微妙な緊張感がたまらない。

一人一ケースなので、どちらもぐるりと360度、いづこからでも見ることができる。
ただし、上から見ることはできない。
大きなケースは天井部分も透明なガラスになつてゐる。その上が真つ暗なので、ガラスに人形がうつつて見える。はなはだぼやけてゐるし、あまり見やすいものではないけれど、擬似的に上から人形を見ることが可能なのだ。
小さなケースは天井部分が照明なのかな、でこぼこした不透明の素材でできてゐる。なので、上からは見えない。ちよつと残念である。

孔明は、躰は入口の方向を向いてゐて、顔は右側の「江東の群像」のケースの方を向いてゐる。龐統に背を向けた形になつてゐる。
前回同様、今回も白い衣装の上に黒い透ける地の服をまとつてゐる。人形劇では水色なんだがな。
公式Webサイトには、川本喜八郎は元々は孔明の衣装を白くしたかつたが、立間祥介に「中国では白は喪の色だ」と云はれて黒にした、と書かれてゐる。
孔明は鶴のイメージ、ともあるので、孔明に白といふのは捨てがたかつたのかもしれないなあ。
さうして見ると、孔明と相対するのは曹操なのかな、といふ気がしてくる。
人形劇の曹操といへば赤地にきんきんらきんの派手な衣装だ。
この曹操の赤(と金)と玄徳の青とが対称になつてゐると思つてゐた。ボクシングとかレスリングとかがそんな感じぢやあないですか。赤のコーナーと青のコーナー、ね。
一方で、曹操の極彩色の赤に対するのは、孔明の無彩色な白(黒)なのかもしれない、とも思ふ。
源平だつて白に赤だしね。
特に人形劇では、孔明のことを一番評価してゐるのは曹操だよなーどう見ても、といふ場面が多々あるので、よけいにさう思ふのかもしれない。
玄徳は案外評価してないよね、孔明のこと。

今回照明の加減で黒い透ける地の衣装の柄がよく見えるやうになつてゐるとのことである。これもまたじつくり見たいところだ。

顔を江東の人々に向けてゐるので、決戦を説くところなのかな。
白羽扇を持つ右手を前に、空の左手を後ろにした背中にそこはかとなく緊張感を覚えるのも、さういふ場面だからなのかも。
或は、背後から視線を感じるからなのだらうか。

龐統は、顔も躰も入口の方、すなはち孔明の方を向いてゐる。ただ、その顔は若干うつむきがちで、あまり遠くを見てゐるやうにも見受けられない。近くで見ると、沈思黙考の態に見える。
しかし、孔明のケース越しに龐統を見ると、こちらを見てゐるやうに感じる。
ちよつと不思議。

衣装は砂色の道服を茶色い綿とおぼしき衣装の上に羽織つた地味な印象のものである。口にはお約束の猫じやらしをくはへてゐる。道服の左前がちよつとたるみのあるところがどことなく龐統らしい。
これまた不思議なのは、躰の正面の茶色い生地と、袖口や裾に見え隠れする模様とが違ふことだ。
茶色い衣装の下にさらに何か着てゐるとして、茶色い衣装は肩口から先がないのかも。
今回、執拗に周囲をぐるぐると回つてみたが、どうなつてゐるのかよくわからなかつた。
次回があつたら確認してみたい。

この、孔明を見てゐるやうな見てゐないやうな龐統のやうすが、なんとも微妙でいいんだなあ。
見てゐるやうでもあり、見てゐないやうでもある。
孔明の方も、そんな龐統の視線を意識してゐるやうでもあり、意識してゐないやうでもある。
上に書いた、背中に走る緊張感の所以は、龐統の視線にあるとも考へられるしね。

人形劇を見てゐたころに「三国志演義」の翻案ものなどを読んでゐて、水鏡先生が玄徳に「伏龍か鳳雛か、どちらかを得れば天下を得ることができる」といふ旨を告げる場面で「さうか、両方を得てはいけないんだな」と思つたものだつた。
この話は幾度か書いてゐる。
大抵は後に龐統を得た玄徳を見て「伏龍と鳳雛と両方そろふて、さあ、これからガンガン行かうぜ」といふ展開を期待するやうなのだが、なんかそれは違ふ気がするんだなあ。
孔明と龐統とが相容れないから、といふのではなくて、玄徳には優秀な軍師を二人も受け入れる能力がないんぢやないかと思つたからだ。
もし玄徳にさういふ能力があるのなら、とつくの昔に軍師の一人も雇つてゐたはずである。
文官がまつたくゐなかつたわけではない。
ないけれど、どうも玄徳にはさういふ人材の必要性がわからないのか、はたまた雇つてはみたものの、のりが合はずにものわかれに終はつてしまつたのか、そんなやうすが見受けられるんだよなあ。
とりあへず孔明を迎へてみて、すこし文官の遇しかたがわかつてきた。
そんな感じなんぢやないかなあ。

そんな玄徳のやうすを見てとつた水鏡先生が、「どちらかを得れば」と云つたのではあるまいか。
考へ過ぎだらうか。
考へ過ぎなのかも。

互ひに意識してゐないのに、わざわざこの二人をほかの人々から離してケースに入れる必要はない。
互ひに相手を見てはゐないし、見てゐる方向はバラバラだけど、意識しあつてゐる、と見るのが自然なのだらうな。
さう考へると、このケースのあひだに流れる緊張感が、実に楽しくなつてくる。

以下、つづく。


「荊州の人々」についてはこちら
「玄徳の周辺」についてはこちら
「江東の群像」についてはこちら
「曹操の王国」についてはこちら

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