川本喜八郎人形ギャラリー 頼朝蜂起
渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの入り口を入つて左に折れて右側にあるケースのうち、手前側の「令旨発す」についてはすでに書いた。
今回はおなじケースの奥にある「頼朝蜂起」について書く。
ケース手前には入り口に近い方から、土肥実平、和田義盛、梶原景時が並んでゐる。
土肥実平は、見るからに実直さうなカシラで、鎧の草摺は左側が朱色といふか赤茶色といふかそんなやうな色で、右側は草色とでもいひたいやうな緑色である。
ここのところ、ジョニー大倉、菅原文太と、中村吉右衛門の「武蔵坊弁慶」を思ひ出す人々の訃報に接した。
ジョニー大倉は伊勢三郎、菅原文太は源頼朝だつた。
それは覚えてゐるけれど、土肥実平はいつたい誰だつたらうか。
記憶にないなあ、と思つてwebで検索したら、金内吉男だつたのらしい。
なぜ覚えてないかなあ。
和田義盛や梶原景時はもう少し後に滅ぼされてしまふが、実平の家系は残つたといふことだ。
この実平を見ると、「いい人だつたから?」とも思ふが、取り入るのがうまかつたのかもしれないし、危険人物と見なされてゐなかつたのかもしれない。
和田義盛は、「近江源氏先陣館」は「盛綱陣屋」に出てくる人物といふ認識である。
歌舞伎座こけら落としでは、片岡仁左衛門の盛綱に中村吉右衛門の和田兵衛で、これが実によくてねえ。
以前、播磨屋の盛綱で見た中村富十郎の和田兵衛もよかつた。
さういふ印象を持つてゐる。
説明には「愚直」と書かれてゐる義盛のカシラはやはりそんな感じで、強さうであり、頑固さうな感じもある。
鎧は、これは、海松茶、といふのかなあ。
茶色がかつた濃い深緑で、とても好きな色である。こんな色のインキを萬年筆に入れたいなあと思つてゐる。
和田義盛は、三浦一族の頭領と見られてゐた節もあり(義村をさしおいて、ね)、一大勢力と思はれてゐたんだらうな。
誰につて、この場合は北条氏だらうか。
実平、義盛と正面を切つて立つてゐるのに、梶原景時はちよいと斜を見て立つてゐる。
わづかにうつむき顎に手をやつて、右側を見据ゑてゐる感じだ。
見るからに悪さうである。
さう思つて見るからかもしれないが。
草摺は明るい茶色で、その下に着てゐる衣装は黒地に細い赤で模様が入つてゐる。
鎧はともかく、衣装の方はなんとなく「悪者」感をいやましにしてゐるやうに見える。
景時は昨日までは飯田市川本喜八郎人形美術館にもゐた。
こちらはそんなに悪さうに見えなかつたんだよなあ。
景時が悪者なのは、義経のことを讒言したからだらう。
或はインテリだつたから悪者にされたといふ可能性もある。
橋本治が「かぶきのようわからん」で「日本ではインテリは悪者にされる傾向にある」といふやうなことを書いてゐた。東映時代劇を例にとつて、「たとへば山形勲は悪者が多い」とか書いてあつたと思ふ。
飯田の景時もさうだつたが、渋谷の景時もちよつとカシラが大きいやうに見える。とくにほかの人形より大きい、といふわけではないとは思ふが、心持ちそんな風に見える。
どうやら渋谷の景時も拝領の頭巾を縫ひ縮める必要はなささうだ。
実平・義盛・景時の後ろには、馬上の頼朝がゐる。
馬の頭は右側で、頼朝はわづかに左側を振り返るやうにしてゐて、その目は左側を睨んでゐる。
義仲を睨む心か、と思ふ。
これが曹操によく似てゐるんだよねえ。
あ、「人形劇三国志」の曹操に、ね。
頼朝も昨日まで飯田にゐたが、どうやら次回の展示にもゐる予定なのらしい。見比べられるのがうれしいやね。
飯田の頼朝はもうちよつと穏やかな顔つきなんだな。
人形劇の曹操といへば、赤地に金色のきんきら派手な衣装である。
一方の頼朝は、黒地に白の衣装で、これが実にひきしまつた印象を与へてゐてよい。
ゆゑになんだかとつても悪さうでもある。
射籠手はちよつと派手で、そこもいい。
さういへばこのケースは男だらけだ。そこも曹操に通じるものがあるなぁ。
ケースの一番左端には文覚がゐる。
轟天だなあ、と見るたびに思ふ。
文覚も、昨日まで飯田にゐた。
飯田の文覚の方がもうちよつとワイルドな印象かなあ。衣装のよれ具合とかからさう思ふ。色は青錆色でおなじやうだとは思ふんだけれどもね。
または飯田の方が間近で見られたのでさう感じるのかもしれない。
角材のやうなものを手にしてゐて、これもまた衣装といふか文覚の小道具のひとつなのかな。
以下、つづく。
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