言ひ訳大作戦
タティングレースのモチーフ作りがなかなか進まない。
なぜなのだらうか。
作つてゐるときは楽しいのである。
などと書きながら、夕べ、端糸の処理にちよつと手間取つてイラついたか。
どうも疲れてくると、端糸の始末といつた細かい作業が苦手になる。
Magic Thread だから、糸を引き込むだけなのにね。
もつと云ふと、はじまりとおはりの処理ができない。
ものごとに着手するのが大変、といふ話がある。
着手してしまつたら、ことは半ば済んだと考へてもいい、と云はれるのもまたむべなるかなといつたところだ。
さう云ひながら、一方では十里の道は九里をもつて半ばとせよ、などといふ話もある。
一歩を踏み出したくらゐで半分まできたなどと云つてゐてはいけない。
とくに遠くへ行く場合、それまでの疲れもたまつてゐるし、残り一割といふところでやつと半分と思ふくらゐがいい。
さういふことなのだらう。
ものづくりに関する限り、これはどちらも正しい気がする。
あみもので云へば作り目をはじめたらもうことは半ば済んだと思つてもよい。
ただし、セーターを編む場合は、すべてのパーツが編み上がつた状態を半ばと考へた方がいい。とじやはぎ、場合によつては襟などが残つてゐるからである。
あみものにしても、タティングレースにしても、着手したらすぐにできるといふわけではない。
とりあへず最初のうちに「半分までできた」と思つておく。そして、編んでゐるうちにそれを忘れて、あとちよつとでできるとといふところまできたら、「あと半分だ」と思ふ。
そんな感じがいいやうな気がする。
ところで、なぜタティングレースが進まないのか。
今回進まない理由は明らかで、途中でシャトルに巻いてゐる糸が足りなくなつたから、だ。
え、そんなこと、と思はれるかもしれない。
途中で糸が足りなくなつた場合、これまで使つてゐた糸の始末と、これから使ふ糸の始末とが必要になつてくる。
疲れてくるとこれが面倒なのだ。
なんで延々結びつづけてゐられないのかなあ。
さう思つてしまふ。
そんなわけで、ちんたらやつてゐるうちに、どうにもならなくなつて、仕方なく糸を足した、と、かういふ寸法である。
また今回の場合は、あと少しでモチーフができあがる、といふところだつた。このモチーフができたら色を変へやう。さうも思つてゐた。
それだけに、どれくらゐ糸を巻き足したらいいか判断に迷ふところがあつた。
云ひ訳?
うむ。まあ、かういふ「なぜ進まないか」「なぜできないか」といふ理由の大半は「云ひ訳」だ。
すくなくともやつがれはさうである。
はじめられない云ひ訳もいろいろある。
なにを隠さう、シャトルにぎりぎりいつぱい糸を巻いてある状態が好きだ。あ、藤戸先生ほどではなく、ね。はみ出るかはみ出ないかくらゐの感じで糸を巻いてある状態のタティングシャトルがとても好きなのである。
それはクロバーのシャトルでもさうだし、AerlitやPOP-A-BOBBIN TATTING SHUTTLE、G-8 Tatting Shuttle、いづれにしてもさうである。
つまり、糸を巻いてしまつたら使ひはじめられないのだ。
だつてその状態のシャトルが好きなんだもの。
これはちよつとしたジレンマだ。
永遠に使ひはじめられないではないか。
まあでもそのまま放置しておくわけにもいかないので、「どうせまた糸を巻くんだし」といふのでタティングをはじめる、といふ寸法である。
今回途中で糸が足りなくなつて、しかし糸をめいつぱい巻いてしまふと別の色の糸に変へられない、といふのも多分、なかなか進まなかつた理由のひとつなんだらうな。
糸はできるだけめいつぱい巻きたい。
その状態のシャトルが一番安定してゐるやうに感じられるからである。
まあしかし、そんなことも云つてはゐられないので、遅々としてはゐるものの、日々結んでゐる。
今年は12月の27日28日と土日でちよつと余裕があるからな。それまでになんとかしたい。
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