調和と個性
先月は、日本特殊陶業市民会館と新橋演舞場、それと歌舞伎座に行つた。
そして、アンサンブルについてちよつと考へたりした。
いまさらいふのも恐縮だが、菊五郎劇団のアンサンブル力はほんたうにすばらしい。主役から端役に至るまで、個々の役者の力量がすぐれてゐて、しかもバランスがとれてゐる。
平成中村座ではじめて菊五郎劇団以外の役者の演じる「め組の喧嘩」を見たときに、鳶の人々が天井に飛び上がるのに失敗してゐるのを生まれてはじめて見た。しかも一人だけとかぢやなかつたんだよね。
菊五郎劇団つてすごいんだなあ、とあらためて思つたことだつた。
先月は歌舞伎座と名古屋の日本特殊陶業市民会館とで「伊勢音頭恋寝刃」がかかつた。
個々の役者の魅力とか、初役の少なさ、舞台装置の自然さなどを考へると歌舞伎座の方が印象に残つてゐるのだが、芝居全体を考へるとどうも名古屋の方がよくできてゐたやうに思ふのである。
なんてーのかなあ、まとまつてゐる、とでもいはうか。
それとも、ほころびが少ない、だらうか。
たとへば幕明き直後、万次郎といふ男が出てくる。
吹けば飛ぶよな二枚目である。
つまり金と力はない。
自分の言動が周囲や世間にどう影響するのか、さつぱり考へる力も持たないし考へてみることすら思ひつかない。
それでゐて、なぜか異性から好かれてしまふ。
歌舞伎座ではこの役を中村梅玉が演じて、実によかつた。
もー、「あんた、なんにも考へてないでせう!」つてなもんである。
万次郎にはこの場の主役福岡貢に会つて紛失なしたるお家の重宝の行方について話したい、といふ悩みは一応あるものの、その悩みが全然身にしみてゐない。
福岡貢役の中村勘九郎は、この万次郎に乗つかればよかつたのだ。
さうすれば、これまたいい男で万次郎ほど弱々しくはないもののやつぱりどこか頼りない、といつたやうすを労せずして出せたんではあるまいか。
ところが、貢さんにはあまり万次郎さまの演技を受けてたやうすはなかつたんだよなあ。
受けてゐれば、もうちよつと力みのない貢さんになつてゐたんぢやあるまいか。
見ながら、「もつたいないなあ」と思つてしまつた。
名古屋の万次郎は中村萬太郎で、万次郎さまにしてはちよつと強いかな、といふ感じがした。
尾上菊之助の貢が線が細すぎるやうに感じたのも、そのせゐもあつたのかもしれない。
さう思ひはしたものの、こちらの貢さんは周囲の芝居をうまく受けてゐたやうに思ふ。
力んでるなー、などとはまつたく思はなかつたしね。
それぢやあ名古屋の方がよかつたのか、といふと……うーん、これは好きずきだらう。
物語重視なら名古屋、役者重視なら歌舞伎座だ。
今月国立劇場に行つたをり、英語版のイヤホンガイドを借りた。
英語版イヤホンガイドには幕間にお定まりの歌舞伎の説明がある。
大ざつぱにいふと、西洋の芝居はrepresentするもので、歌舞伎はpresentするもの、といふことだ。
西洋の芝居はtextを大事にするが、歌舞伎はactor重視である。
さう考へると、歌舞伎座の「伊勢音頭恋寝刃」の方がより歌舞伎的ではあつたらう。
でも昨今の客には西洋風の作りの方が受け入れやすいんぢやないかな。
とくに、ひいきの役者が出てゐない場合はさうなんぢやあるまいか。
ではアンサンブルがよければそれでいいのかといふと、一方でそれが裏目に出ることもある。
先月の新橋演舞場昼の部の一幕目の「俊寛」がそれだつた。
なんだか、みんな仲がいいのである。よすぎるといつてもいい。
猿之助劇団もまたアンサンブルのいい劇団だ。
アンサンブルがいいせゐか、島流しにあつてゐる俊寛、少将成経、判官康頼が、妙に仲よしに見えるのだ。
しかも、みんなふくふくとして幸せさうである。
別に御赦免船なんか来なくても、この三人に千鳥をあはせて四人で楽しく暮らしていける。
きつと海の幸も豊富で、都では食べられないやうな新鮮な魚を食べることもできるんだらう。
や、いいんですよ。さういふ解釈もあると思ふ。
つまり、俊寛と成経と康頼とは仲がよかつた、といふ解釈である。
さらには俊寛はいい人だつた、といふ解釈である。
さういふ「俊寛」があつても、別にいいんぢやないかな。
単にやつがれの好みにあはないだけで。
「平家物語」に出てくる俊寛は「ヤな奴」といふことになつてゐる。
お芝居の「俊寛」でも、「俊寛はヤな奴である」といふ解釈で演じる役者もゐる。
やつて来た成経と康頼とにむかつて、「なぜここのところ足が遠去かつてゐたのか」と拗ねるんだつたら、自分から行けばいいのに、と思はせるやうな俊寛、ね。
成経と康頼とも、なんとなく俊寛を避けてゐる。そんな風に演じられこともある。
といふか、それが主流なんぢやないかなあ。
ヤな奴だからこそ、その俊寛の変化が楽しめる、そんなお芝居なんぢやあるまいか。
ま、これはやつがれの解釈だけれども。
そんなわけで、先月はいろいろ見て「みんなちがつてみんないい」といふか、「みんなちがつて、人の好みといふのはむづかしいものなのだなあ」と思ふたりしたのだつた。
だから芝居見物はやめられないのである。
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