学校で手書きを教へない?
フィンランドでは、2016年から学校で handwriting を教へなくなるといふ。
代はりにタイピングを教へるのださうな。
「手書き(handwriting)を教へなくなる?」と驚いたが、どうやら筆記体を教へなくなるといふことらしい。
筆記体かー。それならありかな。
筆記体は、各国語で微妙に違つたりするからなあ。
たとへば、英語で小文字のrを筆記体で書くと、ドイツではわかつてもらへなかつたりする。
それを考へると、
Handwriting is a totally useless skill.なんてなことばにも、「totally」かどうかはともかくとして、うなづけないこともない。
筆記体が書けないとサインのときに困るのでは、と思ふけれど、それは自分の名前だけ筆記体で書ければいい話だ。わざわざ学校で教へることもないのだらう。
アメリカ人が筆記体でノートをつけてゐるところなど見たことないしな。
ではブロック体か、といはれると、悩む。
でも筆記体ではない。
なんだか癖のある一字一字が独立した字が多いやうに思ふ。
それは、クリスマスカードなどでも同様である。
「かういふ字が美しい字である」といふ共通認識はないやうに見受けられた。
リンク先の記事を読むと、筆記体だとかカリグラフィーの授業がある、と書かれてゐるので、フィンランドではまた事情が違ふのだらうし、国によつて異なるのだらう。
でもなあ、たとへば学校で行書なり草書なりの書き方を教へてくれてゐたら、学校で教へるんだもの、無理矢理にでも覚えただらうに、と、思ふのである。
そんなことを考へるのはやつがれだけかな。
以前も書いたやうに、おとなになつたら連綿体が読み書きできるやうになるもの、と思つてゐた。
しかし、当然ながら、自分で練習しなければ、自動的に書いたり読んだりできるやうにはならない。
最近ではもう連綿体を読み書きすることはあきらめてゐる。
それよりも、読める字を書く方が先決だと思ふからだ。
筆記体のいいところは、一字一字はなして書くよりも素早く書きつけることができること、だらう。
筆記体を知らない人は、ますますペンで紙に字を書きつけることがなくなるのかもしれない。
キーボードで入力した方が早い。
さう思ふのにちがひない。
実はやつがれも一時はさう思つてゐたことがある。
紙に書くよりも、コンピュータにキーボードから入力した方が早いではないか、と。
しかし、実際はそんなに早く入力する必要はないのだ。
早さが求められる場合もあるし、大量に書き写さないとならない場合などは、キーボードから入力した方が圧倒的に早い。
学校に通つてゐるあひだは、さういふこともあらう。
でも、この年になると、そんなことはほとんどなくなる。
公的には議事録を書くときくらゐだらうか。
私的には年賀状の宛名書きくらゐだらうな、ある期間内に大量に文字を書かないといけないことなんて。
そして、昔ならいざ知らず、いまのご時世年賀状の宛名を連綿体で書く人はゐない。
読める人間が少ないからだ。
きつと、昔の郵便局員はみな連綿体を読むことに長けてゐたのだらうなあ。
Newton MessagePad 120 は、筆記体で入力しやすい PDA だつた。
それが、Newton MessagePad 2100 ではなぜか筆記体の認識率が下がつてゐた。
Palm Pilot では Graffiti といふ速記体のやうな文字を一字づつ書き込む方式で手書き文字を認識してゐた。
筆記体衰退の歴史をいち早く体現してゐたのかもしれないなあ。
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